「ありがとうございます。では、お先に失礼します」
颯ちゃんが慇懃に綺麗な礼をとり、私もつられて一応頭だけでお辞儀をした。
踵を返し進むと、後ろからパタパタ駆け寄る足音がして、私達の前に回り込んだ。
「く……黒川さん」
河原さんだった。
「ごめんなさい。勝手にロッカー開けさせてもらったわ」
そう言って私の荷物を手渡される。
私服も綺麗に畳まれ、袋に入れてくれてあった。
「後、これ……」
悲愴な面持ちで、替えの濡らしたタオルを左頬にあててくれた。
頬がひんやり気持ちいい……。
お礼を言って口を綻ばせると、幾分安心したようだった。
「もしかして、さっの電話は貴女が?」
「……はい」
颯ちゃんが訊ねると、河原さんは急激に顔が赤らめた。
動揺しているらしく、聞いた事のない蚊のなくようなか細い声がした。
巷で篠田商事の王子様と囁かれている颯ちゃんの美貌に見つめられたら一溜りもないのだろう。
ところで、電話って何だろう?
「ありがとう。お陰で最悪な事態にならず助かりました」
「いいえ……」
颯ちゃんが笑顔を向けると、まるで頭上の糸で操られた人形のように覇気もなく、ふらふら道を開けて見送ってくれた。
エントランスを抜けて、近くの駐車スペースまで横抱きの格好のまま。
歩けるのに、おろしてはくれなかった。
「お腹は痛くない?出血はしてそう?」
「えっと…………大丈夫?」
赤ちゃんを気遣う様子に、やっぱり颯ちゃんは私の妊娠を知っている。
どうして解ってしまったんだろう……。
停車してある颯ちゃんの愛車のシートにそっと座らされると、スマホを取り出し何処かへ連絡をとり始めた。
相手はどうやら知り合いの病院らしく、私の状態を説明している。
その間に、私は久しぶりの颯ちゃんの車内でそわそわしていた。
車内は懐かしい匂いで溢れてて、落ち着く。
―――颯ちゃんが居る。
別れてから会えず、気持ちを焦がしては心を軋ませた時間が、嘘のよう霧散していた。
暫く瞳にしてなかった大好きな人の横顔に惚けていると、通話を切った颯ちゃんは、すぐに車を発進させた。