もうだめだ。
颯ちゃんに、私がりこだと知られてしまった。
絶望で、微かに開いた唇をわなわな震わせ、床に沈み込みそうな身体は立っているのがやっとだ。
今すぐ消えてしまいたい――――。
「何を言うかと思ったら、そんな事?」
項垂れる私の頭を数度撫でる。
「俺に纏わる噂の内容は、だいたい把握している。その上で幾つか訂正させてもらうと、一緒に目撃された相手は不特定多数ではなく、すべて1人の女性だ。その間、俺が付き合ったのも、一緒に暮らしたのも……黒川梨々子だ」
「え……」
見上げると、颯ちゃんは柔和な微笑んだ。
「全部知ってたよ。18年も一緒に居て、多少容姿が変わったくらいで俺が気づかない訳がないでしょ。りこが作る食事の味も、りこからする甘い匂いも、爪の形も、抱擁する感触も、髪のなめらかさも、肌の柔らかさも、間違えるわけがない。もし疑うなら、全身の黒子の位置を言い当てようか?」
そう屈託なく笑う颯ちゃんに、顔が紅潮する。
颯ちゃんは、最初からりこがリリーだと気づいていたの?
家族のリリーだと解っていて、えっと、その……キスとかえっちとか、したの?
それって……それって……颯ちゃんも、私こと……好き、で、いいのかな?
でも……。
さっき他に婚約者が居るって言ってた。
やっぱり、りこでもリリーでも、愛人でしかないのかな……。
私は、結婚するまでの繋ぎなの?
不安で聞きたい事はいっぱいあるのに、聞くのが……恐い。
颯ちゃんは私に向けていた笑みをすっと引っ込め、真顔で香織さんと向き合った。
「香織。リリーは過去に色々あって、そう簡単に素顔を他人に晒さないだけだ。君は俺が騙されたと言うが、恋人の為にメイクして綺麗に着飾って恋愛をするのは、人を騙す事に値するのか?俺は、今のリリ―もお洒落をするリリーも全部ひっくるめて愛おしい。だから、リリーのコンプレックスを盾にしても脅しても、俺には通用ない」
香織さんは苦虫を噛み潰したような顔をした。
「高校の同級生だから、多少のことには目をつむって来た。だけど、今後リリーに危害を加えるようであれば、篠田商事が全勢力をあげて法のもと、然るべき手段を講じるよ」