お陰で、時間ギリギリ。

口の端をあげて笑っている風を作ると、三沢さんは満足そうに着席した。

颯ちゃんになるべく笑顔で人と揉め難いと言われてから、前髪で表情が表に出難い分、口角をあげて対応するようにしたんだよね。

それだけでも、大分人とのトラブルは回避できるようになった。

ただでさえ、この容姿のお陰で周囲から煙たがれるからね。

野村さんと三沢さんは、私に普通に接してくれる数少ない同僚だ。

入社当時、この課に配属されてから、席の近いこの2人に、何度か解らないところを聞いていたら「最初は人嫌いなのかと思ったけど、話しかけると笑顔で応えてくれるし、普通にいい子だよね」て、言われた事がある。

それから、私の人見知りを理解して、こうして気さくに話しかけてくれるようになった。

まぁ、私はオウム返しか、差し障りのない応対しかできないのだけど……。

チョコを1つ口に含み、気持ちを切り替えて、今日朝一に入力するデータ資料に視線を落とす。

キーボードに手をのせると、左手には今朝の指輪が光っていて、ぎょっとした。

慌ててそれを右手に嵌めなおす。

遅刻寸前で急いでたから、指輪の事は後回しにしてしまったんだよね。

そっと、目線だけで誰にも見られていないか周囲の様子を窺うけど、勿論それは自意識過剰であり、杞憂でしかない。

皆目の前のPCに集中して、リズミカルなタイピング音だけを響かせている。

普段から目立たないようにしてるし、誰も私なんかを視界に入れてないから、指輪1つしてても気づかれるはずないんだけど。

如何せん。

ここに御座すダイヤモンド様が、妙に私の心を上ずらせるのだ。

ジュエリーボックスは、颯ちゃんが「あったらすぐしまって、そのまま身に着けてくれなさそうだから、後で渡すね」と回収してしまったから手元にないし。

今日1日、ちゃんとつけてって。

確かに、こんな高価なもの、私の性格上『しまう=保管』で2度と日の目を見る事がないかもしれない。

何カラットとかよく解らないけど、大きさもそれなりにあるダイヤ。

しかもハイブランドだから『0』の数は想像するのも恐ろしい。