「花」「蜘蛛」「最初のヒロイン」(スイーツ(笑))
朝の儀式
※すいぃつ(笑)の意味はWikipediaを参照しています。
武田は朝起きると窓辺に置いてある花に必ず水をやる。
それが彼にとっては起床の合図とも言えた。兄譲りの古めかしいベッドから起き上がり、冷蔵庫の上に置いた小さなジョウロに水を汲んでまた部屋に戻る。そうして花に水をやると、彼の目は冴えた。その形式は決まっており、言わば彼にとっての儀式だった。
彼は布団の中でモソモソと蠢くと布団の脇から右足をニョキッと伸ばしフローリングに下ろす。続いて右手が伸び、ベッドの端を掴むと、左手で布団を剥いだ。左足はゆっくりと動かして地に着ける。それから立ち上がってやっとこさ自室を後にした。
冷蔵庫を目指して、起き抜けだからかすり足で移動する。と、自室からリビングを抜け、冷蔵庫のある台所まで行く途中、リビングと台所の間にある敷居に足をぶつけた。
「あう」
ダメージは大きくないが、起き抜けに痛覚を覚えると全て億劫になる。片手を冷蔵庫の上に伸ばしつつ、もう片手で痛い方の足を摩った。その結果、ジョウロを掴み損ねて落下したジョウロに頭をぶつけたのだった。面倒臭さは苛立ちに変わる。コロロとプラスチックの安い音を立てて転がるジョウロを拾い上げ水を入れた。帰り道は足をちゃんと上下させてたが苛立ちからか足音は大きい。自室にある窓辺まで近づくと赤いスカビオサの花が一輪、彼を出迎えた。派手さは無いと一般的には言われるが、球状に広がって咲く赤い花は花火、もしくは燦々と照らす太陽の様で彼はこの花を気に入っていた。だから、武田も彼女に水で応える。と次にはギョッとした。スカビオサ、花火、太陽の中から一匹の虫が出てきたのだ。
大きなお尻には丸い模様があり、小さな胴から生えた八本足は妙な毛で覆われている。顔は見えなかったが動きは緩慢で、それがより不気味な感覚を受ける。蜘蛛は蜘蛛でも鬼蜘蛛だった。鬼蜘蛛はまるで花火、太陽から生まれ出でたみたいに這い出てくる。急な水攻めにびっくりしたのだろう。武田はそれにびっくりした。
驚きすぎると人は攻撃的になることがある。しかも、直前まで苛立ちを抱えていた人間は特に。彼はベッドの向かい、彼の歳と同じ年数はそこにある勉強机にジョウロを置き、そこから箱ティッシュを持ち出し、何枚も何枚も取りしては逃げようと鉢植えから飛び出た鬼蜘蛛に被せた。そして、姿が見えなくなったところで……
両手でプレスした。
しばらくすると、重ねたティッシュからはもう蠢く感触は無くなった。彼は大急ぎで全てのティッシュを一つに纏め上げ、リビングにある丸い灰色のゴミ箱に捨てた。フウ。一息吐くとタイミングよく玄関のチャイムが鳴った。
あいつがきた。武田は顔を上げ、リビングから廊下に出て玄関へと向かった。すると、その途中でまたチャイムが鳴る。武田は彼女だと確信した。玄関に着き、施錠を外そうとする。施錠は二重構造になっていてなんと内側でも鍵で開けなければいけない。開けるまでにもう二回チャイムが鳴った。そして三回目のチャイムが鳴った所で、扉が開けた。
玄関の前には武田が思った通りの人物がいた。優子だ。膝丈の黒白ボーダースカート、紺色のブレザー、赤いリボン。彼が通う高校のもので、背は彼と同じくらい美人とは言えない顔立ちだと武田は思うが評判の悪くない明るく可愛らしい顔。優子だ。彼女は幼馴染でよく一緒に登校をするのだが、今は少々事情が違っていた。
「まだ寝巻きぃ? 後一時間しかないよ?」
表情に見合った明るい無邪気な幼子の様な声だ。朝の始業時間までまだ一時間もある。武田は思った。だが、
「う……」
しか言えなかった。
「はいはい。退いて退いて。準備しちゃうから」
優子は家主を退かして家に押し入った。後から入って扉を閉める武田。一方、優子は武田の自室まで迷うことなく進んでいった。
「また元の場所に戻さない……」
言って、優子はまだ水の入ったジョウロをリビングのテーブルに置いた。武田は今頃リビングへと入ってくる。優子は今度は台所にいた。
「たけちゃん。さっさと着替えて」
へい、武田は言って侵入者が言うことに一も二もなく従った。自室で高校の制服一式を用意し、着替える。もちろん、優子の目が入らない自室でだ。武田は着替えながら、優子のことを考えた。今朝食の用意をしているんだろう。毎日毎日、よくやるなぁ。こうなったのには訳がある。
一週間前、武田の両親は夫婦揃って学会に向かった。二人とも、父は大学の教授、母は同じ大学で同研究科の准教授だ。その間彼一人になる。祖母も祖父もいないので完全に一人になる。そこで昔から付き合いのある優子に白羽の矢が立った。だったら武田本人が優子の家に泊まればいい話だが、そこは駄目らしい。武田は不思議がった。
制服に着替えてリビングに行くと、味噌汁の良い匂いが漂ってきた。武田も手伝おうと思ったが、要らなさそうなのでやめた。テーブルに座り、タイミングを待つ。珍しいことにこの家にはテレビがなかった。暇そうに目をあちこちに飛ばしていると、自分のすぐそばにジョウロがあることに気がついた。
「あ、ジョウロ」
「ダメだよ。ちゃんと元の場所に戻さなきゃ」
呟くと優子に聞こえたらしい。彼女はそう返答し、武田はテーブルを立ってジョウロを冷蔵庫の上に戻した。その時に思い出したらしいことを優子に言った。
「ああ、さっき花から出てきた蜘蛛を潰したんだ。それで忘れてた」
「え?」
ポツリとなんでもないことを言ったつもりだったが優子は目を丸くしていた。「何?」と聞くと「潰したの?」と念を押して聞いてくる。そうだよと答えてやるとフライパンに卵を割って入れようとする手を止めて優子は口を尖らせた。
「今日のラッキーアイテムなのに……」
「蜘蛛が?」
聞くと優子は頷く。彼女は占いを信じる。いや、もはや愛していると言ってもいいだろう。毎朝テレビでやる占い。血液型だろうが星座だろうが誕生日だろうがジャンルは不問だ。兎に角今日一日の行動をそれによって決めると言ってもいい。武田はそれに少々うんざりだった。スイーツ(笑)と揶揄したこともある。だが、彼女は決して引かずむしろこう反論する。
「未来の予測なんて科学的だろうと当たらないものよ。当たるも八卦!」
これにはグウの音も出なかった。その通り、科学は未来を見通せないのだ。
「お前、ラッキーアイテムって……。蜘蛛なんか触れるのか?」
武田はティッシュに包まれた蜘蛛を捨てたゴミ箱を見ながら言う。虫、それも八本足で蠢きお尻が大きく、妙にフサフサしている鬼蜘蛛に触れる女子は早々いない。男子ですら中々だろう。というか蜘蛛のアイテムなんてキーホルダーとかでいいだろうに。普通売ってないだろうけど。
「平気よ。私蜘蛛飼ってたことあるもん」
特殊だった。では、第二の疑問をぶつけよう。
「んで、蜘蛛捕まえてどうするんだ? 持ち歩くんだぞ」
「持って行くわよ」
優子はやや憤慨した様子で答える。一体どうやって持って行くつもりなんだろう。高校だし、生物の実験とか理由は幾らでもあるだろうけど。そう思った武田はその方法を聞いた。すると優子は黙った。しばらく考えるように目を左右にゆっくり動かして、あるものを見つけた。今や有料になり、エコ化したあれである。
「レジ袋に。口は縛って。空気穴開けて」
小刻みにそう言う。田舎の小学生か。考えてはいなかったが持ち歩こうとはしていた様だ。ある意味ですごい女の子だった。
すごい女の子は目玉焼きができたらしく、二つの目玉焼きを別々の皿に分けてこっちへと運んでくる。その間に武田は小さな茶碗と大きな茶碗にそれぞれご飯を装っていた。しかしどこかモタついていた。茶碗を戸棚から出す作業と杓文字を取ろうと引き出しを開ける動作を混同してしまったのだ。その間に優子は温めていた味噌汁の温度を確認し、追加指令を発する。
「たけちゃん。味噌汁椀」
あいよ、と言って引き出しを閉め、茶碗と汁椀を二つずつ取り出した。そして優子の方を見ずに茶碗を差し出す。
「たけちゃん。逆逆」
ごめん、と言ってようやく汁椀を寄越した。それから武田は杓文字を探して引き出しを引き、手前側を確認する。いつもの場所に杓文字が無かった。
「たけちゃん。炊飯器の上」
優子は二人分の味噌汁を椀に装い、テーブルに運ぶところだった。武田は目を細めて炊飯器の方を見た。その上に杓文字が乗っている。ようやく武田はご飯を装い、テーブルに運んでくる。大きい方の茶碗は優子、小さい方は自分だ。コト、とそれぞれの場所にご飯を置いた。テーブルを見やるともう味噌汁の湯気が立っていた。それからニヤケて座る優子の姿も目についた。彼女は武田が座ると言う。わざとらしい幼声で。
「はい。よくできましたー。偉い偉い」
「……」
変な醜態を晒しておいて文句は言えない。武田は我慢の子だった。頭を撫でるジェスチャーを他所に箸を取り、いつもの挨拶をご飯にかます。その為に息をスッと吸ったとき、彼は唐突に思い出した。
「あ」
「何?」
クク、という笑いが収まった優子は不思議な顔をして聞いた。すると、今度は武田がニマリと口角を上げ、言った。
「死骸ならあるよ」
「何の?」
武田は丸い灰色のゴミ箱を箸で指差した。優子はニマニマとした顔は正直気味が悪く不気味で、目を細める。何の話だろうと思いつつ、ついで武田の行儀が悪いことを咎めようと思った。だが、武田の口が先に動いた。
「蜘蛛さ! あそこのゴミ箱にいるよ」
優子の口がポカンと開いた。そして、「そう」と小さく呟き、下を向いた。スマホを取り出してラインを見ている。丁度よく誰かから何かメッセージでも来たのだろうか。ポチポチと指先を動かした。
「持っていかないの?」
対して武田は意気揚々と彼女に聞いた。すると彼女は返信を終えたらしく、スマホの画面を下にしてテーブルに置き、「もちろん」と答える。武田はまたも意気揚々に。
「持ってくの? ティッシュに包まれてるよ。ゴミをポケットに入れておくなんてよくあることだろう?」
と言う。優子はスッと真面目な顔になると極めて冷淡に、
「持っていかない」
とキッパリ言って、不機嫌を露わにした。椅子に腰を落としてソッポを向く。テーブルの上からではわからないがついでに足で武田を小突いた。
今度は武田が笑う番だ。小さくクククと笑う。してやった。そう言う笑みだった。一頻り笑うと、武田は
「おあいこさま」
と言い、強制的に手打ちとした。
それでも仏頂面を構えていた優子だったが、やがて箸を手に取り、両親指で挟んで胸の前まで持ってくる。そしてため息を一度吐くと無愛想な顔を解いて晴れやかではないにしろ花のある顔に戻った。
優子向かいには優子と同じ姿勢の武田がいる。二人は目配せをして同時に息を吸い、朝食の儀式を行った。
「「いただきます」」
朝の儀式
※すいぃつ(笑)の意味はWikipediaを参照しています。
武田は朝起きると窓辺に置いてある花に必ず水をやる。
それが彼にとっては起床の合図とも言えた。兄譲りの古めかしいベッドから起き上がり、冷蔵庫の上に置いた小さなジョウロに水を汲んでまた部屋に戻る。そうして花に水をやると、彼の目は冴えた。その形式は決まっており、言わば彼にとっての儀式だった。
彼は布団の中でモソモソと蠢くと布団の脇から右足をニョキッと伸ばしフローリングに下ろす。続いて右手が伸び、ベッドの端を掴むと、左手で布団を剥いだ。左足はゆっくりと動かして地に着ける。それから立ち上がってやっとこさ自室を後にした。
冷蔵庫を目指して、起き抜けだからかすり足で移動する。と、自室からリビングを抜け、冷蔵庫のある台所まで行く途中、リビングと台所の間にある敷居に足をぶつけた。
「あう」
ダメージは大きくないが、起き抜けに痛覚を覚えると全て億劫になる。片手を冷蔵庫の上に伸ばしつつ、もう片手で痛い方の足を摩った。その結果、ジョウロを掴み損ねて落下したジョウロに頭をぶつけたのだった。面倒臭さは苛立ちに変わる。コロロとプラスチックの安い音を立てて転がるジョウロを拾い上げ水を入れた。帰り道は足をちゃんと上下させてたが苛立ちからか足音は大きい。自室にある窓辺まで近づくと赤いスカビオサの花が一輪、彼を出迎えた。派手さは無いと一般的には言われるが、球状に広がって咲く赤い花は花火、もしくは燦々と照らす太陽の様で彼はこの花を気に入っていた。だから、武田も彼女に水で応える。と次にはギョッとした。スカビオサ、花火、太陽の中から一匹の虫が出てきたのだ。
大きなお尻には丸い模様があり、小さな胴から生えた八本足は妙な毛で覆われている。顔は見えなかったが動きは緩慢で、それがより不気味な感覚を受ける。蜘蛛は蜘蛛でも鬼蜘蛛だった。鬼蜘蛛はまるで花火、太陽から生まれ出でたみたいに這い出てくる。急な水攻めにびっくりしたのだろう。武田はそれにびっくりした。
驚きすぎると人は攻撃的になることがある。しかも、直前まで苛立ちを抱えていた人間は特に。彼はベッドの向かい、彼の歳と同じ年数はそこにある勉強机にジョウロを置き、そこから箱ティッシュを持ち出し、何枚も何枚も取りしては逃げようと鉢植えから飛び出た鬼蜘蛛に被せた。そして、姿が見えなくなったところで……
両手でプレスした。
しばらくすると、重ねたティッシュからはもう蠢く感触は無くなった。彼は大急ぎで全てのティッシュを一つに纏め上げ、リビングにある丸い灰色のゴミ箱に捨てた。フウ。一息吐くとタイミングよく玄関のチャイムが鳴った。
あいつがきた。武田は顔を上げ、リビングから廊下に出て玄関へと向かった。すると、その途中でまたチャイムが鳴る。武田は彼女だと確信した。玄関に着き、施錠を外そうとする。施錠は二重構造になっていてなんと内側でも鍵で開けなければいけない。開けるまでにもう二回チャイムが鳴った。そして三回目のチャイムが鳴った所で、扉が開けた。
玄関の前には武田が思った通りの人物がいた。優子だ。膝丈の黒白ボーダースカート、紺色のブレザー、赤いリボン。彼が通う高校のもので、背は彼と同じくらい美人とは言えない顔立ちだと武田は思うが評判の悪くない明るく可愛らしい顔。優子だ。彼女は幼馴染でよく一緒に登校をするのだが、今は少々事情が違っていた。
「まだ寝巻きぃ? 後一時間しかないよ?」
表情に見合った明るい無邪気な幼子の様な声だ。朝の始業時間までまだ一時間もある。武田は思った。だが、
「う……」
しか言えなかった。
「はいはい。退いて退いて。準備しちゃうから」
優子は家主を退かして家に押し入った。後から入って扉を閉める武田。一方、優子は武田の自室まで迷うことなく進んでいった。
「また元の場所に戻さない……」
言って、優子はまだ水の入ったジョウロをリビングのテーブルに置いた。武田は今頃リビングへと入ってくる。優子は今度は台所にいた。
「たけちゃん。さっさと着替えて」
へい、武田は言って侵入者が言うことに一も二もなく従った。自室で高校の制服一式を用意し、着替える。もちろん、優子の目が入らない自室でだ。武田は着替えながら、優子のことを考えた。今朝食の用意をしているんだろう。毎日毎日、よくやるなぁ。こうなったのには訳がある。
一週間前、武田の両親は夫婦揃って学会に向かった。二人とも、父は大学の教授、母は同じ大学で同研究科の准教授だ。その間彼一人になる。祖母も祖父もいないので完全に一人になる。そこで昔から付き合いのある優子に白羽の矢が立った。だったら武田本人が優子の家に泊まればいい話だが、そこは駄目らしい。武田は不思議がった。
制服に着替えてリビングに行くと、味噌汁の良い匂いが漂ってきた。武田も手伝おうと思ったが、要らなさそうなのでやめた。テーブルに座り、タイミングを待つ。珍しいことにこの家にはテレビがなかった。暇そうに目をあちこちに飛ばしていると、自分のすぐそばにジョウロがあることに気がついた。
「あ、ジョウロ」
「ダメだよ。ちゃんと元の場所に戻さなきゃ」
呟くと優子に聞こえたらしい。彼女はそう返答し、武田はテーブルを立ってジョウロを冷蔵庫の上に戻した。その時に思い出したらしいことを優子に言った。
「ああ、さっき花から出てきた蜘蛛を潰したんだ。それで忘れてた」
「え?」
ポツリとなんでもないことを言ったつもりだったが優子は目を丸くしていた。「何?」と聞くと「潰したの?」と念を押して聞いてくる。そうだよと答えてやるとフライパンに卵を割って入れようとする手を止めて優子は口を尖らせた。
「今日のラッキーアイテムなのに……」
「蜘蛛が?」
聞くと優子は頷く。彼女は占いを信じる。いや、もはや愛していると言ってもいいだろう。毎朝テレビでやる占い。血液型だろうが星座だろうが誕生日だろうがジャンルは不問だ。兎に角今日一日の行動をそれによって決めると言ってもいい。武田はそれに少々うんざりだった。スイーツ(笑)と揶揄したこともある。だが、彼女は決して引かずむしろこう反論する。
「未来の予測なんて科学的だろうと当たらないものよ。当たるも八卦!」
これにはグウの音も出なかった。その通り、科学は未来を見通せないのだ。
「お前、ラッキーアイテムって……。蜘蛛なんか触れるのか?」
武田はティッシュに包まれた蜘蛛を捨てたゴミ箱を見ながら言う。虫、それも八本足で蠢きお尻が大きく、妙にフサフサしている鬼蜘蛛に触れる女子は早々いない。男子ですら中々だろう。というか蜘蛛のアイテムなんてキーホルダーとかでいいだろうに。普通売ってないだろうけど。
「平気よ。私蜘蛛飼ってたことあるもん」
特殊だった。では、第二の疑問をぶつけよう。
「んで、蜘蛛捕まえてどうするんだ? 持ち歩くんだぞ」
「持って行くわよ」
優子はやや憤慨した様子で答える。一体どうやって持って行くつもりなんだろう。高校だし、生物の実験とか理由は幾らでもあるだろうけど。そう思った武田はその方法を聞いた。すると優子は黙った。しばらく考えるように目を左右にゆっくり動かして、あるものを見つけた。今や有料になり、エコ化したあれである。
「レジ袋に。口は縛って。空気穴開けて」
小刻みにそう言う。田舎の小学生か。考えてはいなかったが持ち歩こうとはしていた様だ。ある意味ですごい女の子だった。
すごい女の子は目玉焼きができたらしく、二つの目玉焼きを別々の皿に分けてこっちへと運んでくる。その間に武田は小さな茶碗と大きな茶碗にそれぞれご飯を装っていた。しかしどこかモタついていた。茶碗を戸棚から出す作業と杓文字を取ろうと引き出しを開ける動作を混同してしまったのだ。その間に優子は温めていた味噌汁の温度を確認し、追加指令を発する。
「たけちゃん。味噌汁椀」
あいよ、と言って引き出しを閉め、茶碗と汁椀を二つずつ取り出した。そして優子の方を見ずに茶碗を差し出す。
「たけちゃん。逆逆」
ごめん、と言ってようやく汁椀を寄越した。それから武田は杓文字を探して引き出しを引き、手前側を確認する。いつもの場所に杓文字が無かった。
「たけちゃん。炊飯器の上」
優子は二人分の味噌汁を椀に装い、テーブルに運ぶところだった。武田は目を細めて炊飯器の方を見た。その上に杓文字が乗っている。ようやく武田はご飯を装い、テーブルに運んでくる。大きい方の茶碗は優子、小さい方は自分だ。コト、とそれぞれの場所にご飯を置いた。テーブルを見やるともう味噌汁の湯気が立っていた。それからニヤケて座る優子の姿も目についた。彼女は武田が座ると言う。わざとらしい幼声で。
「はい。よくできましたー。偉い偉い」
「……」
変な醜態を晒しておいて文句は言えない。武田は我慢の子だった。頭を撫でるジェスチャーを他所に箸を取り、いつもの挨拶をご飯にかます。その為に息をスッと吸ったとき、彼は唐突に思い出した。
「あ」
「何?」
クク、という笑いが収まった優子は不思議な顔をして聞いた。すると、今度は武田がニマリと口角を上げ、言った。
「死骸ならあるよ」
「何の?」
武田は丸い灰色のゴミ箱を箸で指差した。優子はニマニマとした顔は正直気味が悪く不気味で、目を細める。何の話だろうと思いつつ、ついで武田の行儀が悪いことを咎めようと思った。だが、武田の口が先に動いた。
「蜘蛛さ! あそこのゴミ箱にいるよ」
優子の口がポカンと開いた。そして、「そう」と小さく呟き、下を向いた。スマホを取り出してラインを見ている。丁度よく誰かから何かメッセージでも来たのだろうか。ポチポチと指先を動かした。
「持っていかないの?」
対して武田は意気揚々と彼女に聞いた。すると彼女は返信を終えたらしく、スマホの画面を下にしてテーブルに置き、「もちろん」と答える。武田はまたも意気揚々に。
「持ってくの? ティッシュに包まれてるよ。ゴミをポケットに入れておくなんてよくあることだろう?」
と言う。優子はスッと真面目な顔になると極めて冷淡に、
「持っていかない」
とキッパリ言って、不機嫌を露わにした。椅子に腰を落としてソッポを向く。テーブルの上からではわからないがついでに足で武田を小突いた。
今度は武田が笑う番だ。小さくクククと笑う。してやった。そう言う笑みだった。一頻り笑うと、武田は
「おあいこさま」
と言い、強制的に手打ちとした。
それでも仏頂面を構えていた優子だったが、やがて箸を手に取り、両親指で挟んで胸の前まで持ってくる。そしてため息を一度吐くと無愛想な顔を解いて晴れやかではないにしろ花のある顔に戻った。
優子向かいには優子と同じ姿勢の武田がいる。二人は目配せをして同時に息を吸い、朝食の儀式を行った。
「「いただきます」」