海へ行くことになった。
 麻衣夏と付き合ってもうすぐ一年になる。だが、付き合い始めたのが夏も終わり頃だったので、爽平が彼女と一緒に海へ行くのは初めてのことだ。
 更衣室で着替えて浜辺で麻衣夏を待ちつつ座っていると、急に頭に衝撃が走る。といっても、軽い感じのものだ。
 見ると、西瓜の形をしたビーチボールが転がっていく。
「爽平、お待たせ」
 そのボールを追いかけて麻衣夏が現れる。ショッキングピンクのカーゴショーツに白地に薄いピンクのハイビスカス柄のタンクトップ姿。街を歩くにはやや派手目な格好であるが……。
「おまえ、なんか間違ってない?」
 爽平はそう言わずにはいられなかった。
「えー、なんで?」
 西瓜のビーチボールを胸に抱えた麻衣夏は不満げに口を尖らせる。
「まだ着替えてないんだよな」
 「え? だって、ほら」と、彼女はくるりとまわって「さっきと服装違うでしょ」と得意げに言う。たしかに、Tシャツにキュロットスカート姿の着替える前とは違っていた。だが、爽平には納得がいかない。
「それ、水着だとか言うなよな」
「ほら水着の生地でしょ」
 爽平の手を掴んで腹部の生地を触らせる麻衣夏。ニッコリ笑ったその顔に誤魔化されまいと爽平は手を離す。
「この前一緒に買いにいったアレはどうなったの?」
 専門店まで一緒に買い物に行った時、あれこれと思い悩む麻衣夏に焦れったく感じながらも二時間近く付き合った記憶がある。
「ああ、アレね。うん、なんだか恥ずかしくなって」
 おもむろに視線を逸らす麻衣夏。その仕草はわざとらしくも感じる。
「つうか、麻衣夏、おまえは夏女だろ。全身で夏を感じるような生き方じゃなかったのか」
 見損なったと言わんばかりの勢いで爽平は攻撃をかける。
「うーん……なんだかねぇ。秋が似合う女になりたいわけよ」
 急に気怠そうな、それも演技っぽい口調になる。
「こういう時だけ夏を否定するなよ」
 いつもは夏を背負って歩いているような性格の彼女なのだから。
「あははは。夏はやっぱりスクール水着だよね」
 その作り笑いにも、話を逸らす為の方向にも無理はあった。
「なんか誤魔化してるだろ」
「うん、実を言うとね」
 伏し目がちになる麻衣夏。
「なんだよ。もったいぶって」
「だから! 勢いで買っちゃったけど……やっぱね、ビキニタイプって胸ないとちょっと格好悪いんだな、これが」
 「てひひひ」って感じの変な苦笑いを麻衣夏はした。そこで思わず爽平は胸の小さなふくらみに目がいく。
「あ、そっか。麻衣夏、貧乳だもんな」
「貧乳いうなぁー! セクハラ男」
 爽平の頬に彼女の拳で思いっきりぶつかってくる。そう、平手じゃなくて拳だ。麻衣夏の右ストレートには手加減はなかった。


 水着はおとなしめではあったが、海の中では大はしゃぎの麻衣夏だった。
 二人でくたくたになるまでふざけあって、海に来たというのに大して泳ぐことはなかった。それでも楽しい時間を共有できたと爽平は思う。
「そういえば最近、砂浜で恒例のイベントやる人ってあんまりいないのかなぁ」
「イベント?」
「そう、いかにも夏の砂浜っぽい感じのやつ」
「例えば?」
「西瓜割りとか」
「……西瓜割りなんてテレビドラマでも見かけないぞ」
「そうかなぁ?」
「少なくとも今どきの奴はやらないだろ」


 帰り道、「お腹空いた!」と麻衣夏が言ったので、手軽に食事のとれるファミリーレストランに入ることにした。付き合って一年近くにもなるので、今更豪華なディナーに誘わなくても彼女は不満を言わないはずだった。
「最近、ファミレス多いよね」
 今日に限って彼女はそんな風に漏らす。大好物のカルボナーラをペロリと平らげた後だった。
「不満か?」
「いや、気取ったお店ってのも気を遣ってヤだけどさ。でも、なんかお気軽な扱いされているようで、ちょっとムカツクかも」
 そう彼女は笑顔で言った。「ムカツク」の部分がこれ以上にないくらいの笑顔だったので、彼は少し恐怖を感じた。
「仕方ない、今度はもっと豪華なディナー連れてってやるからさ」
「ま、いいんだけどね。あたしジャンクフード嫌いじゃないし、時間や周りを気にせずに喋れるってのはある意味魅力的だし」
「どっちなんだよ」
「まあまあ、怒らない。複雑なのよ女心は」
 そう言って彼女は食後にとっておいたアイスティーを飲む。
 爽平も口の中を潤そうと思ってコーヒーカップに手を出すが、その中はすでに空だった。
「コーヒーのおかわりいかがですか?」
 タイミング良く近づいてきた店員が、空になったカップに目を向ける。わりと小柄な二十代前半ぐらいの女性だった。
「あ、お願いするよ」
 爽平はそう言って店員に視線を向ける。だが、彼女はこちらではなく、麻衣夏の方を見つめていた。そして驚いた口調で呟く。
「あれ? エイフーじゃない?」
 その声で、麻衣夏もアイスティーのグラスから視線を上げて店員を見る。
「え? あ、佳枝じゃん。なに、ここでバイトしてんだ」
「まあね、こちらは彼氏さん?」
「うん、そんなようなもん」
 そう言われて爽平は口を出せなくなった。せっかく爽やかな自己紹介の方法を考えていたというのに、まるで脇役扱いだ。
「そんな言い方していいの? 彼の方は何か言いたげだよ」
「いいんだよ。で、いつからバイトやってんの?」
 麻衣夏は爽平の事など気にしない様子で話に夢中になっている。
「夏休み入ってからだよ。あ、ごめん、あんまし喋ってると店長がうるさいから」
 彼女は一度後ろを振り返り、麻衣夏に右の手のひらを向ける。
「うん、わかった。ごめんね」
「では、ごゆっくり」
 そう言って彼女は去っていく。
「友達?」
「うん、高校の時のクラスメイト」
「ふーん、で『エイフー』って? ニックネーム?」
「そうだよ」
「風変わりな呼び方だね」
「うん、ほらあたしの苗字って変わってるじゃん」
「あ、そうか『四月朔日』は『四月一日』だから、エイプリルフールね。はいはい、すっきりした」
 センスに関しては壊滅的だが。

 その夜、再び印象的な夢を見る。
 血に染まった砂浜。
 頭から血を流している少女の死体。
 頭痛がしてきた。

 またしても乱雑な記憶の再配置だ。

 先週観に行ったホラー映画と、海に遊びに行った事が入り混ざっている。どうせならもっと楽しい夢がいいのだが。
 やはり元凶は映画の後のくだらない議論だったか。あれが一番影響しているのだろう。