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 サクッサクッと氷が混じった雪を踏んでくる足音が聞こえて、逸る心臓を抑えながら顔を上げる。さっきはめちゃくちゃ緊張しながら見たのに、ちょっと頭が残念なおじさんだった。今度こそ……、そう思ってあげた視線が、黒いスタンドカラーのコートを着た、眼鏡のお兄さんの視線と絡む。

「おはよう、ございます」

「……おはよう」

 長い指でイヤホンを外しながら、お兄さんの唇が弧を描く。

「金曜日、ありがとうございました」

「いいえ。朝からお釣り無いのは、ありえないよね」

 苦笑したその表情を見ながら、鞄の中で手にした封筒を取り出す。トトト……と耳の奥で心臓の音が響いていた。

「あの、これ……」

「ん?」

 怪訝そうな声が一緒に帰ってくるのも無理はない。私が差し出したのは、貸してもらった千円札が入った封筒と、もう一つ、淡いブルーのラッピングがしてある小さな箱。

「あ、あの、深い意味は無くてっ! 私、五千円使っちゃったら所持金四十七円になっちゃうところで、凄く助かって。それで、ちょっとお礼にって思ったら、週末バレンタインだったから……こんな、可愛いのばっかりで……。好きとか、そういうのじゃなくてっ!! あ、でも嫌いってわけじゃなくて……」

 慌てて紡ぐ言葉は、まとまりが無くて、順番も何が何だかわからなくて。こんなこと言ってどうするの? という事まで口走ってしまう。

「あぁ、もう。何言ってんの、私」

 ここはバス停で、いつも同じ時間のバスに乗るおじさんとOLさんが近くに居てこの会話なんて丸聞こえ。目の前にいるこのお兄さんだって、名前すら知らない人なのに。あまりの恥ずかしさに、腕で顔を覆ってしゃがみ込んでしまう。

 もうやだ。明日からこの時間のバスに乗れない。お兄さんにだって、変な子って思われたに決まってる。

 いたたまれなくて、消えてなくなりたい、そんな気持ちでいた私の頭の上から降ってきたのは、くすくす笑う低い声。しゃがみ込んだままの私の手から、そっと封筒と一緒に小さな箱が持っていかれる。

「うん、特別な意味はないのは判った」

 ……判ってもらって、良かった…の? なんだか不思議な感覚に陥りながらも、まだ恥ずかしくて顔を上げられずにいると、大きな手がぽんぽんと頭を撫でた。

「バス、来たよ。ほら」

 その言葉に顔を上げた私の目の前には、手が差し出されていた。

「いつまでもしゃがんでないで」

 やんわりと微笑む、サーモントフレームの奥の瞳。差し出された手を取って良いのか躊躇う私を急かす様に、もう一度「ほら」と柔らかい声が降ってくる。

 躊躇いがちに手を伸ばす私と、眼鏡のあの人の前に――

  ―――――― バス、来たる。