バス、まだ来ないかな?と視線を投げたその先に、信号を曲がってバスがこちらに向かってくるのが見えた。こんな天気だけど、思ったよりもすんなり乗れて良かった。そう思いながら、バス停前で止まったバスに除雪車が押しのけて行って出来たバスのステップよりも高い雪と氷の塊を上って乗り込む。

 ピピッと聞き慣れた音を聞きながら、サブバッグのポケットに入れてあったバスカードを通すと残高『160円』と表示された。

 残高が少なかったことを完全に忘れていたので、慌ててお財布を確認すると、中には五千円札が1枚と小銭が四十七円。よかった、バスカードは買えそう。ほっと息をついて財布を鞄に戻しながら、さり気なく視線を斜め後ろに向ける。

 いつも同じバス停でバスに乗るあの眼鏡のお兄さんの定位置は、ドアの近く。いつもその辺りに立っていて、私はいつもその斜め前位に立っている。もちろん、乗っているうちに前にズレて行くワケだけど。

 ふふっと思わず笑みをこぼしてしまうのは、あのお兄さんの眼鏡がいつも曇るのを知っているから。視線を向けた先では案の定、眼鏡ふきで眼鏡を拭いている。

 朝しか会えないあのお兄さんの眼鏡をしていない所を見られるのはこの時だけ。素顔は結構優しげなのが好き。上部分が強調されたサーモントフレームで、眼鏡をかけると一気に凛々しくなるトコとか……結構好き。きっと仕事も出来るんだろうなぁ。これで仕事へっぽこだったら詐欺だ、詐欺。勝手なことを思いながら、いつまでも見ているわけにいかないと視線を前に戻す。

 大したことじゃないんだけど、これが最近の細やかな楽しみ。

 バスに揺られること30分とちょっと。いつもよりもかなり時間がかかって到着した学校の近くのバス停で、バスカードを通して運転手さんに五千円札を差し出しながら声をかける。

「すみません、三千円のバスカード下さい」

 私の言葉に顔を向けた運転手のおじさんは、全く詫びれた様子もなく、むしろめんどくさそうに答えてきた。

「あー、おつり切れちゃったんだよね。千円札無いの?」

「……無い、です」

「小銭は?」

「無いです」

「五千円ならおつり要らないけど」

 え? 五千円? それ買ったら、私所持金47円になっちゃうし。そしたら、帰りに温かい飲み物一つ買う事すら出来ないし……。誰か友達から借りたら大丈夫かな? 

 どうしよう、と頭をめぐらせていると左肩を軽く叩かれた。振り返ると、目の前に差し出されている千円札が1枚。

「来週も乗るでしょ?」

 初めて聞いたその低い声に声を失って、ただコクコクと頷いた。そんな私に、サーモントフレームの奥の瞳が僅かに微笑んだ。

「来週、返して」

 差し出されていた千円札を受け取るときに、一瞬だけ指が触れ合った。

「あ、ありがとうございます。千円のバスカードくださいっ」

 相変わらずめんどくさそうにバスカードを出した運転手のおじさんから、ひったくるようにカードをもらうと急いでカードリーダーに通して、バスを駆け下りた。

 ……初めて、声を聞いた。私の事、覚えてくれていたんだ。

 冷静に考えたら、朝のこんな時間からお釣りが無いなんて、ほぼ間違いなく補充するのを忘れたんだろうし、高校生だからあんな偉そうな対応をされたのだと思うけれど、そんな事はどうだってよかった。

 初めて聞いた声が、思っていたよりも低かった。話す言葉は、優しげで柔らかかった。一瞬触れた指先は、温かかった。

 ほっぺたが、熱い。