しかし、台所に立って透明ケースの米びつを見て思い出した。
 お米がない。
 お弁当作りをやめてからは食材の買い物の量が減り、週末にまとめ買いをするようになった。

 先週の買い物の時点でかなりお米が減っていたけど、冷凍もしてあるから大丈夫だと思って買わなかったんだ。
 ところが、その冷凍分は週明けすぐに食べ切り、火曜に残りのお米を全部炊いて、余った分は冷凍した。
 そして、それを昨日食べ切ってしまった。

「ごはん、どうしよう」

 パスタなら家にある材料でできるけど、今日の昼も会社近くの喫茶店でカルボナーラを食べた。
 パスタ続きは嫌だな、と思う。
 朝はパンだったし、やっぱり一日に一度はお米を食べたい。

「買いに行くか」

 買い物に行って帰ってから炊くと食べるのが遅くなるので、今日はスーパーで炊きあがったご飯を買ってこよう。
 ソファーに置いた鞄を掴み、黒の分厚いロングカーディガンをスプリングコート代わりに羽織る。
 パンプスを足に引っかけると、ドアをゆっくりと押し開いた。

 暗い闇がわたしを包む。
 もし、外で誠司さんがわたしを待っていてくれたら……なんてバカな想像をして、わたしの心にも闇が落ちた。
 ため息をつく。
 確かに、お弁当作りを止めた直後は何度もここに来てくれた。でも、わたしが会わずにいたんだ。さすがに、彼がここに来てくれることもなくなった。

 そもそも、現実的に考えて、19時になったばかりの今の時間に、誠司さんは帰ってきていない。
 駅から自宅への帰り際に弁当箱を返しに寄ってくれていたときも、時刻は20時から22時の間だった。残業の多い仕事なんだろう。

 だけど、もしもわたしが自信のもてる女になったとしても、そのときに誠司さんの元へ戻りたいと思って、戻れるんだろうか。
 答えは否だ。戻れるわけがない。
 自分の手放してしまったものの大きさに気づいて、今さらながらに後悔し始めている。
 後悔したって、もう何もかも遅いというのに。


 ほどなくして着いたスーパーでは、米5キロと炊いたご飯、鮭の切り身のハーブオイル漬け、豆腐を買った。
 時間が遅いので、本格的な買いだしは明日にして、今日は必要最低限の晩ごはんの材料だけ。

 ハーブオイル漬けの鮭を焼いたものと、ありあわせの野菜で炒めもの、家にあるわかめと買った豆腐でお味噌汁が今日の献立だ。
 スーパーを出ると、時おり、お米の袋を持ちかえながら、帰り道を歩いた。

 信号のない交差点に差し掛かり、渡ろうとした足をふと止める。
 右手にはあの公園がある。視界の隅に、薄桃色が広がっていた。