春とはいえ、ようやく日が昇るかどうかという今の時間の朝はかなり冷え込んでいて、ぶるりと体が震えた。
 でも、そんな寒さを吹き飛ばしてしまうくらいに、澄んだ空気が気持ちいい。大きく息を吸い込み、吐き出す。体の中の空気が入れ替わるように、わたしの気持ちも入れ替わっていくのだろうか。嫌な気持ちが出ていって、クリアになる。

 マンションを出て、通りを歩いた。
 どんどん歩く。

 目的地に着いたときには、心が冷えて落ち着いていた。
 立ち止まり、今度はさっき温めたタオルをかばんから取り出した。かなり熱めにしたそれはまだ温かいようで、ビニール袋越しからでも熱を伝える。
 それをそっと目に当て、腫れたまぶたを癒した。
 天を仰ぐように顎を上げ、目にタオルをのせること数分。

 腫れが引くには早いけども、不意に思い立って、そのタオルを下げた。
 広がるのは薄い桃色。
 桜の花が視界を占領した。

 いつものように歩いた足は公園にたどり着いていた。
 誠司さんと花見の約束をしたけれど、それが果されることはもうない。
 唐突に、そう決める。

 今のままでは彼に会えない。
 もっと彼にふさわしい女に、あの彼女に負けないくらいにならなければ。
 誠司さんの傍にいることが心地よく、また、彼も傍によることを許してくれたから、そんな風に近づけるのはわたしだけだと勘違いしてしまっていた。

『彼はありのままのわたしを受け入れてくれる。だから、綺麗になる努力なんてしなくても大丈夫』

 そんなことを思っていたのかもしれない。
 よくよく考えてみれば、彼とわたしの関係なんて、毎日のお弁当だけ。
 その受け渡しで、1、2分会うだけだ。
 そんな関係も、今、切れてしまう。

――ごめんなさい。もうお弁当は作れません。

 たった2文。
 これだけで切れる程度の繋がりしかない。
 そのメールを打つのに10分はかかり、送るのに5分は迷い、送り終わったあとは妙にすっきりした。

 いつか女として自信をもてたら、またメールを送ろう。
 胸にその決意を沈め、今年最後になるかもしれない桜の花をじっくりと眺め、ようやく腰を上げた。