そのため息交じりの声を聞いて、パニックになりつつあった鼓動が徐々に静まっていく。
あ、そうか。
名前は前もって聞いていて知っていたとしても、私のことを知ってるというのはただの嘘か。
彼の外見が語ってるじゃん。
嘘や言い訳でその場から逃げる人。
今だって、教室に行きたくない口実。
うまい言い訳だ。
廊下に落としていた視線を彼に向けると、ジッと私を睨むようにして見ていた。
まるで山の中で熊と遭遇したかのような緊張感に襲われる。
もちろんそんなこと経験したことないけれど、生死を分けるピンと張り詰めた重たい空気に息を飲み込んだ。
先に動いたのは、彼。
しばらく私を見た後、彼は踵を返して去って行った。
私の手のひらには冷や汗が。
安堵のため息をつき、彼の後ろ姿を眺める。
薄っぺらいカバンを左肩に提げ、両手はズボンのポケットに突っ込んでいる。
4月初旬の、新しい命の香りを乗せた風が、後ろ姿の彼の白シャツと、サラサラと柔らかそうな茶髪を撫でた。
ペタペタペタと、上履きの音を廊下に響かせ、遠ざかっていく。
先生が教室に入れと言ったということは、同じクラスかもしれない。
呆れる先生の表情を見ると、いつもああやって教室には来ないのかな?
とにかく、彼とはできるだけ会いませんように。
廊下の角を曲がって見えなくなった彼の背中に、強く訴えかけた。