どうしてこんなことになっているのだろう。
関わりたくたかった相手と、二人夜道を歩いているなんて。
本当にひとりで帰れた。
それなのに口ごもって断れなかった私が悪いのだけど。
「ねぇ、そんなに離れて歩かなくてもよくない?」
車一台がやっと通れるほどの道の、端と端を歩き続けると、彼が深く息を吐きながら言った。
「私は一人で大丈夫なので、どうぞ帰ってください」
私は反対側にいる彼を見ずに声だけを発す。
「ああそうですかわかりましたって引き返せないだろ?じいちゃんから頼まれたのに」
「だったら明日でも私から豊田さんには話しておきます。今後、送りは必要ありませんって」
私は言いながら歩く速度を上げる。
少しでも彼と距離を取れば、もし目撃されたとしても、一緒にいるとは誰も思わないだろうから。
「ちょっと待てって!」
右手にグイッと引っ張られる力を感じて、私は歩みを止めた。
数メートル先には淡く光る街灯。
その灯りには力がなくいつ消えてしまうかわからない。
「何でそんなに俺を避けるんだよ。俺、何もしてねぇじゃん」
私は目を閉じて面倒臭い空気を思い切り表に出しながら、深く息を吐く。
「そう。あなたは何もしてないよ。何もしなくていいの。今も、これからもずっと」
「は?」
「私に関わらないで。私たちは確かに豊田さんにお世話になってるけど、孫のあなたには関係のないことだから、私がこれから先も豊田さんの家に行ったとしても、あなたは私を無視してていいの」
田舎って本当に静かだ。
私の声が夜道に響いてる。きっと、この街灯の灯りよりも私の声の方が力が強い。私の大声のせいで灯りが消えてしまいそうだ。
「まぁ、何言ってるか俺にはよくわかんねぇけど、無視はできねぇな」
「どうして?」
「人として無視は良くない」
「そんなヤンキーみたいな外見してて無視はできない?無視ばかりしてそうだけど?」
彼がハッと息を吐いて笑って余計ムキになる。
「うわ、出た。外見だけで人を判断するやつ。失礼極まりないなおまえ」
「そんなだらしのない格好してるんだから悪く言われても仕方ないんじゃない?」
「これは個性です」
「はい出た。個性個性言って校則を違反する人」
私の言葉で彼が押し黙った。
私の勝利らしい。
ハッとした。私は何をこんなしょうもないことをこんなに言い合ってるの。
関わりたくないのだから、私から無視すればいいのに。
前方から、車の音が近づいてきた。
私は反射的に後ろを振り返り、できるけ彼に隠れるようにして顔を伏せる。
車のライトに顔を照らされないように、車に合わせて背中の向きを変えていく。
車の音が完全に聞こえなくなった頃、私はまた歩みを始めた。
「ねぇ、だから何をそんなに怒ってるわけ?」
「………」
「理由もわからないままそんな態度取られると正直苛立つんだけど」
そう。そのまま苛立って私と関わりたくないと思ってくれたらそれでいいの。
あなたの感情は間違ってない。私に対してイライラして学校でも無視してくれれば……。
「はいはい、ストップストップ」
今度は右腕ではなく、後ろから両肩を掴まれて立ち止まった。
「何?離してよ! 私といるとイライラするんでしょ? だったら私と関わらない……」
「だーかーら、理由がわかればイライラしないの」
彼が私の前に回ってくる。
「何が不満なわけ? 転校? 友達と離れたから?」
“友達”。その言葉に、吐き気がした。
『私、聖菜と友達なんかじゃないよ』
嫌なことを思い出した。
親友だと思っていた相手に裏切られた、あまりにも辛すぎる記憶。
消せることなら、消去したいデータ。
結局は、つまらやいヤツははずされる。
「どうした? 突然」
甦った吐き気のする記憶に溺れそうなところを、彼の声で現実に戻ってきた。
ハッとして彼を見る。
その表情には、先程の苛立ちは感じられない。
私を心配そうに眺めている。
「気分でも悪いのか? 急に苦しそうな顔してたけど」
私は彼を無視して再び歩みを進める。
だけど行く手を阻まれた。
「窮屈な考え方はやめてさ、まぁ、空を見てみろって」
彼の人差し指が夜空に向く。
ゆっくり見上げると、瞳全体に輝きを放つ無数の星がうつった。
......キレイ。
「窮屈な時ほど空って見上げると落ち着くんだぞ。知らなかっただろ」
不覚にも涙が出そうだった。
「あんたが何にそんなに突っかかってんのかしらねぇけど、楽しく生きたもん勝ち。そう、思うけどな」
「.........」
「な?悪くないだろ?」
無視しなくちゃ......。
外見に見会わない彼の優しい微笑みを見て、拒否する心が生まれた。
彼が私を無視しないのなら、私から無視すればいい。
そうだ。そうしよう。
そうするのが一番いい。
ーーーー□□ーーーー
今村くんが、次の連休を使って鹿児島へ行ってこいと言ってくれた。
飛行機のチケットまで購入済みで。
彼には、今はまだ付き合えない理由として、8年前に好きだった人が、まだ心にいることを言ってある。
忘れることが、出来ないこと。
それでも彼は、私を待ち続けてくれているのだ。
こんな人、今村くんくらいしかいない。
こんな、なんの取り柄もない私をずっと好きでいてくれるなんて......。
高校を卒業後東京に戻り就職してからは、一度も鹿児島を訪れていない。
忘れられない思い出だけれど、それに触れてしまうのが怖かった。
〝彼〟のいない現実を、ただ突き付けられるだけだから。
だけど......。
今村くんの準備してくれたチケット片手に飛行機に乗ったということは、自分でも少しは前に進まなくちゃと、思っているのかもしれない。
黒崎くん......。
今から、あなたに、会いに行きます。
黒崎くんは、外見からでは想像できないほど純粋で、今この時を大切にできる人だった。
今思えば、彼の言動一つ一つが理解できるのに、どうしてあの頃の私には理解できなかったのだろう。
当時の私は、無知だった。
私に大切なことをたくさん教えてくれたんだ。
鹿児島空港からバスで約1時間半。
お茶畑の緑に囲まれた小さな集落が見えてきた。
8年ぶりの、のどかな田舎の風景。
いつも過ごしている都会とは時間の流れが違うと錯覚してしまうほど、のんびりとした空気に包まれていた。
バスを降りると、田舎独特の、牛の糞のような鼻をつく臭いがする。
本当なら鼻をつまんでしまうのが正しいことなのかもしれないけれど、私は思いっきり深呼吸をする。
この臭いが、”ああ、帰ってきた”と思えるから。
たった2年過ごしただけでここが故郷だと思ってしまうのは、やっぱり彼がいたからなのかもしれない。
バス停から徒歩で約10分。
多くの人が眠る墓地に到着した。
その中から”黒崎家”と書かれたお墓に行き、墓地入口で買っておいた花を供える。
しばらく墓石を眺め、静かに声をかけた。
「久しぶり」
8年振りの挨拶。
出した声は少し掠れてしまって、小さく咳払いをする。
怒っているかな。
今まで顔を見せにも来ないで......。
あれから8年だ。
怒っているに違いない。
私が次に何を言おうか言い訳を考えていたその時、優しい風が吹き、私の頬を撫でた。
彼だ......。
黒崎くんだ......。
こんなに優しい風は、彼しかいない。
『やっと来たか』と、彼が笑いながら言ってくれているような気がしてならなかった。
目頭が熱くなる。
だけど、唇を噛んで耐え、何でもないふりをした。
「あとで、おじさんやおばさんに会いに行くね。おじさん達、今夜泊めてって言ったら泊めてくれるかな。無理だって言われても、無理やり泊まっちゃってもいいよね? 実は、もうお泊まり道具持って来ちゃった」
おどけて言いながら、パンパンに膨らんんだバックを黒崎くんに見せる。
なんて気持ちのいい風だろう。
私の頭を撫でて、優しく包み込んでくれる。
なんでだろう。
急に、人恋しくなった……。
「ねぇ、黒崎くん。会いたいよ……」
「古川! おはよ!」
まさかとは思ったけど、教室に入るなり声をかけられ全身に不安が被さった。
彼の声は騒がしい教室内を簡単にすり抜け、私のもとにやってきた。
みんなが反応しないわけがない。
昨日は私を興味なさそうにほぼ無視していた人が急に態度を変えて挨拶しているのだから。
それに、昨日思ったけれど、この人は結構人気がある。
多分、クラスの女子半分くらいは彼に好意を寄せていると思う。
特に、桜庭さん……。
廊下側の後ろの席で、取り巻き達に囲まれ座っている。もちろん、私を睨みながら。
私は危機を感じて、俯きながら彼の挨拶を無視して席に座っていた。
「昨日あのあと、ちゃんと帰れた?」
ドキリとしたときにはもう遅かった。
好奇心旺盛な彼の友人がことを大きくする。
「なになに? 昨日って。え? 俺に抜け駆けで二人て会ってたの?」
回りの視線が矢のようにささる。特に桜庭さんの矢は、私の中心を的確に貫いていく。
「お前には関係ねぇよ」
「うっわなんだよ! 俺に隠し事? 俺ら親友なのに?」
「いちいち言う必要ねぇだろが」
彼らが話をしている間にも、私への視線が増していく。
嫉妬。
鋭い眼差しが刺さり、体から流血しそうだ。
「黒崎くん。なんの話し?」
ほら。来た。
笑顔の裏に、私への憎しみがたっぷり込められている。
「えっと......転校生の......」
彼女は、わざとらしい質問の眼差しを私に向ける。
「古川です」
私は軽く頭を下げ多くは答えない。
彼女はまたわざとらしく笑顔を作り『あ!古川さん!』と顔の横で人差し指を立てた。
「ごめんね。私、人の名前覚えるの苦手で」
苦手も何も、覚える気なんてありませんと顔に書いてある。
昨日の自己紹介は何だったんだ。だけどまぁ、本当に名前を覚えられないのなら私にとってはありがたいことだ。
「何で黒崎くんと古川さんが一緒にいたの?」
「そーそー。そこ聞きたいよなぁ、真衣香ちゃん」
この男は......。
私の空気を読み取って話を変えるくらいの気はきかないのかね。
まぁ、出会ったばかりの人の心を読むなんて無理だろうけど。
とにかく、私と黒崎くんが会っていたのは別に意味なんて......。
「どうしてとか、別に理由はいらなくね?」
予想外の返答に、私を初め、近くにいた人ほぼ全員が唖然とした。
黒崎くんのその言葉にどんな意味が込められているのか、次の言葉を待っているように見える。
「ただ夜道が危ないと思ったから送ったんだよ」
「だぁかぁらぁ、俺たちはその前が聞きたいの。どうしてコソコソ二人っきりで会ってたわけ?」
またしてもこの男は!
「古川が俺んちに来たからだよ。コソコソじゃねぇだろ別に。それに、俺らがどこで何してようが勝手だろ?」
「なんで聖菜ちゃんが黒崎んちに行ったの?」
ダメだ。
この人。なんでも気になってしまう5歳児と同じだ。
理解できるまで永遠と聞き続けるつもりだ。
「私は父から頼まれ......」
控えめにいいわけをしようとしたその時、朝のホームルームを知らせるチャイムが鳴り響いた。
タイミング悪い......。あと5秒待とうよ、チャイム。
5秒私に時間をくれたら、全ての言葉を言い終わっていたのに......。
独り言のような私の声は、誰の耳にも拾われず床に落ちた。
それを拾おうにも、脆くて既に崩れてしまっている。
私は声の欠片を足の裏で集めて払い、俯いた。
田舎は狭い。
どんなに夜道が暗くても、見られているという緊張感は捨てたらいけない。
油断はできないんだ。
転校を期に、穏やかな生活を送りたいと思っていた。
まだ遅くはないはず。
これ以上問題を起こさなければ、今も私に鋭い眼差しを向けている彼女も次第に私のことを名前と共に忘れていくだろう。
あれは勘違いだった。ただの思い過ごしだった。
頭の中を、そう変換してほしい。