「ガゼット。それは本当か?」
「ベルメルト様。本当です。俺たちの孤児院が潰されるようです」
「誰だ!」

 ベルメルトに話をしたのは、ガゼットと呼ばれた青年だ。
 青年と言っても、数年前に成人したばかりで、まだ一人前だとは認められていない。

「ガゼット!もう少し正確に伝えなよ。ベルメルト様。潰されるのは間違いないようですが、ホームに吸収されるようです」
「??」
「模擬戦の話は聞きましたか?」
「あぁランドルのバカとテオフィラとアレミルが犯罪奴隷になって、ランドルのホームをなんとかという餓鬼が引き継いだのだろう?」
「えぇそうです。その餓鬼・・・。シンイチ・アル・マナベというらしいのですが、彼がホームに孤児院を組み込みたいと言っているようです」
「どういう事だ?」

 ガゼットと一緒に居た同じ年齢のノビットが簡単に説明する。

「よくわからないな。そいつにメリットがあるのか?」
「俺もそれがわからなくて、孤児院で知り合いに聞いたのだが・・・」
「どうだった?」
「余計にわからなくなった」
「どういう事だ?」

 ノビットは、孤児院に残っている弟分を呼び出して話を聞いた時の事を、ベルメルトに説明した。

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 ノビットは、孤児院が潰されると思って、弟分を呼び出したのだ。そこで、話を聞こうとした。弟分も、成人したらスラム街に来て、冒険者のマネごとをやるつもりで居たので、ノビットと話をするのは歓迎の様子だった。

 しかし、ノビットは話を聞くために呼び出したあたりからおかしな状況に気がついた。

「おい。キレイな服を着ているな。どこかで盗んだのか?」
「兄貴。俺たちは・・・盗みなんてしない!」

 ノビットは弟分から睨まれて、確かに盗みなんて教えられていないだろうし、院長が許すわけがない。自分の間違いで、弟分を傷つけた事が解って素直に謝罪の言葉を口にする。

「悪い。悪い。でも、本当にキレイだな」
「うん!アルが連れてきた冒険者がワトをくれたらしい。それで院長が全員の服と靴を買ってくれた!」
「は?全員?本当に、全員なのか?」
「うん。それも、靴は一足だけど、服は3着も!3着だぞ!上下揃って!」
「はぁ?なんでだ?どういう事だ?」

 ノビットが驚くのも無理は無い。
 服は高いのだ。孤児が着るような服は、布をつなぎ合わせた服や、元服だった物をスタッフが手直しした服に見える代物だ。
 しかし、弟分が着ているのはどう見てもそのようなレベルの服ではない。貴族とは言わないが、商人の下で働いている者が着るようなキレイな服だ。

 それだけではない。

「お前。服だけじゃなくて、身体も綺麗にしたのか?」
「え?あ!うん!院長が、その冒険者の所に行く時に、汚れていると失礼だからって全員で風呂屋に行ってきなさいと言って、ワトをくれた!」
「は?風呂屋?」
「うん!それで、お小遣いまでくれた!」

 ノビットがまた驚愕した。
 風呂屋は、冒険者が多い街で値段も抑えられている。しかし、孤児が使えるほど安くない。

「それで、その冒険者は?」
「院長と何か話をして帰っていったよ。それから、毎日お肉が食べられるし、柔らかいパンも食べられる!」

 ノビットは、どんな表情をしていいのか迷っている。
 孤児院に寄進する貴族も居る。しかし、ウーレンフートでは寄進する貴族は居ない。それを、一人の冒険者が服を買い与えて、靴を与えて、風呂まで入らせている。肉が食べられる食事になると、自分たちよりもいい食事をしていると思えてしまうのだ。しかし、一つだけ勘違いをしていた、アルノルトが院長に”孤児”のために渡したワトではそこまでの事ができない。しかし、スタッフの賃金として渡した物を使って、院長たちは子度にも風呂に行かせた。小遣いをもたせた。孤児に、自分たちが救われたのだと認識して欲しかったのだ。

「そうか・・・。それで、その冒険者の名前は聞いたのか?」
「うん!兄貴。この前、ランドルの野郎と模擬戦やった冒険者知っている?」
「あぁ俺も見に行った」
「そこで戦った冒険者だよ。院長は、マナベ様と呼んでいたよ!」

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 ノビットは、ベルメルトに弟分から聞いた話を嘘偽りなく伝えた。
 ベルメルトは、この時点でシンイチ・アル・マナベという冒険者の事は知っていたが、王都で冒険者に登録を行った以外の情報が出てこない事を不審に思っていた。商業ギルドにも同名の登録があり、かなりの蓄えがある事も調べている。自分が調べて情報が出てこない冒険者が居るとは思えなかったのだ。

「ノビット。ランドルのホームに行くぞ」
「え?」
「そのマナベとかいう冒険者に会いに行く」
「は?」
「なんだ?」
「いえ、ベルメルト様だけですか?」
「そんな事あるか。ノビット。ガゼット。お前たちも一緒だ」
「はい」「わかりました」

 明らかに二人は動揺した。
 正直に言えば行きたくない。ランドルを倒した時の様子を見ていたからだ。
 それでも、スラム街の顔役で自分たちが世話になっているベルメルトから言われたら”はい”しか選択肢がないのも事実だ。

 片足になってしまっている、ベルメルトは、義足をつけて歩き出す。慌てて、二人も後ろについていく。
 ホームの場所は解っているので、歩いている最中にベルメルとは二人に話をする。

 アルノルトを怒らせて本心を聞き出すか、いつものように脅すような感じで本性を暴くという作戦だ。

「でも、ベルメルト様。奴は一人でランドルたちを倒したのですよ?」
「だから?なんだ!」
「いえ。大丈夫です!」

 二人は大丈夫だといいながらも手足が震えている。
 模擬戦を見てしまった二人は、アルノルトがランドルの腕を切り落とすところが脳裏から離れないでいた。それだけでも恐怖なのだが、今日はベルメルトからの指示も出ている。二人はお互いの顔を見て殺されないように頑張ろうと心に決めた。

 ベルメルトは、何度か来ているホームの入り口を乱暴に開けて、近くに居た若い男に

「おい。マナベという奴はいるか?」
「え?違います。それでは」

「あっ!」「え?」

 ベルメルトが手を伸ばすが、若い男は身体を捻ってそれを躱して、奥に入っていってしまった。

「ベルメルト様。奴が、シンイチ・アル・マナベです」
「なに?」
「本当です。俺も、ガゼットも模擬戦を見ていますから間違いありません!」
「あいつ・・・巫山戯やがって!行くぞ!」

 奥に入ろうとした所が、目の前をダーリオに止められてしまった。

「なにをする!」
「ベルモルト殿。ここは、マナベ様のホームです。それが解って押し入ろうとしているのですか?」
「ダーリオ・・・。お前・・・」
「なんでしょうか?今まで、世話になった事は認めますが、それでもマナベ様を害すると言うのなら、俺は、いや、俺たちは全力であなた達の相手をします」
「な!?」「え?」「・・・」

 ベルメルトたちは、ダーリオが自分たちを止めたのも驚いたが、それ以上にダーリオだけではなくホームに居るメンバーが、『マナベ様の為なら』という感情を自分たちに向けているのに驚愕した。

 アルノルトと一緒に奥に入っていった、セバスが表に出てきた。

「ダーリオ殿。旦那様が通せとおっしゃっています」
「わかった。大丈夫なのだな?」
「そうおっしゃっています」
「わかった。ベルメルト殿。奥でマナベ様がお待ちです。どうぞお通りください」

 ダーリオは立ちふさがった状態から、身体をずらして、3人を通す。
 3人はセバスの案内で奥の部屋に向かう。

 3人は不思議に思っていた。
 何度かこのホームには足を踏み入れていた。しかし、全く違う場所に来ている印象を持った。

「ガゼット」
「はい」
「本当に、ここはランドルのホームか?」
「・・・」
「お前も不思議に思っているようだな」

 歩きながら話しているのだが、確かに建物は間違いなくランドルが使っていたホームだ。覚えている。しかし、雰囲気が違いすぎる。
 怒鳴り声が聞こえてくるが、前のような陰湿な感じがしない。笑い声も聞こえてくる。そして、子どもたちのはしゃぐ声が聞こえている。こんな事は今まで一度もなかった。

 3人は、ホームが変わったのだと認識を改める必要を感じていた。それも、いい方向に変わっているのを感じている。

「ベルメルト殿。少し、ここでお待ち下さい」

 3人は、応接室と思われる場所に通された。

 少し経ってから、セバスが部屋に入ってきた。一人の青年を連れている。
 その青年が、3人の前に座る。

 3人の前に座る青年は自分がシンイチ・アル・マナベだと名乗った。
 それから、孤児院の話やホームの事を質問した。ある程度納得した。

 アルノルトからの話しはまだ終わっていなかった。
 これかが本番だと思わせる発言をした。

「いや、これからが本当の頼み事になる」

 3人は、なんの事かわからずに居ると、アルノルトの後ろに立っていたセバスが部屋に居たメイドやメイド見習いを連れて、応接室から出ていった。

「!?」
「これからのお願いは他言しないようにお願いします。話を聞いてから断るのは構いませんが、誰かに話さないでいただきたい」
「わかった。お前たちもいいよな?」

 ベルメルトは、二人に対して他に話をしない事を求めた。
 二人がうなずいたのを見てから、アルノルトが話を切り出す。

 ベルメルトは、最初何を言われたのかわからなかった。
 ホームの中に潜り込んで、スパイをして欲しいという事だ。だったら、奴隷を解放しなければいい。裏切られない状況に置いておくほうが楽なのは間違いない。しかし、目の前に座っている青年は、ベルメルトとは違う考えを持っていたようだ。

 アルノルトが求めたのは、ホーム内での情報収集だ。

 外部に繋がりがあり、情報や物品を流しているような者を教えてほしいという事だ。
 それだけではなく、情報や物品の流れ先を探ってほしいという事だ。それが貴族でも構わないという事だ。

 そして、もし本人の意思と違って、脅されたり、身内や友達を人質に取られたり、本人の意思によらない場合は、素性を探って報告しろという事だ。ベルメルトが理由を聞くと、アルノルトは一言『潰す為だ』といい切った。貴族でも関係なく潰すと宣言した。
 アルノルトとしては、妹と従者と父と母に繋がる糸になるかもしれない。

「マナベ様。本気ですか?」

 身内を疑いながら、身内を守る。
 そんな頼み事を、外部の人間にしているのだ。正気を疑われても仕方がない。

「あぁ頼めないか?」

 アルノルトは、ベルメルトを真っ直ぐに見てから答えた。

「わかりました。おい。まだ孤児院出身の奴が居るよな?」

 ベルメルトはアルノルトと報酬の話をしてから、ホームを出た。

(ふぅ・・・)
「どうしました?」
「なんでもない。なんでもないが・・・」

 ベルメルトは、今自分が居た場所を見つめる。

 怖かった。自分の正面に座った若造が・・・。
 羨ましかった。ホームの中から聞こえる笑い声や怒鳴り声が・・・。
 眩しかった。ダーリオやセバスの誇らしげな顔が・・・。

 恐ろしかった。解放して、自分に心酔している人間さえも信用していない考え方が・・・。

 ベルメルトは、もう一度ホームを見た。

 そして、二人に、全員を集めておくように指示を出した。

「ベルメルト殿」

 走り去った二人を見ていたら、後ろから声をかけられた。

「マナベ様!」
「そんなに驚かないでください。少し話をしたいと思っただけです」
「まだなにか?」
「そうですね・・・。少し歩きませんか?」

 アルノルトは、それだけ言って歩き出す。
 ベルメルトは、アルノルトの背中を見ながらついて歩いた。ホームの建物を回って空けた場所にたどり着いた。周りには誰も居ない。ベルメルトは少しだけ見紛えるが、アルノルトはそんな事は気にならないとでもいいたいのだろうか、語りだした。

「ベルメルト殿。この町からスラムを無くす事はできますか?せっかく、ダンジョンがあるのに有効利用されていないと思いませんか?」
「おっしゃっている意味がわかりません」
「わかりませんか?」
「はい。何を為さりたいのですか?」
「ベルメルト殿。私は、奴隷制度が嫌いなのですよ。確かに、犯罪者を取り締まって使い潰すにはいい方法だとは思います。それ以外の奴隷は廃止すべきだと思っているのですよ」
「え?」
「だって、誰でも首輪をして生活したいとは思いませんよね?」
「・・・」
「ベルメルト殿。スラムを無くす為には何が必要ですか?この街は、人頭税もない。収めるべき税金が他の街よりは少ない。それではなぜスラムが存在して奴隷になる者が産まれるのですか?」
「マナベ様?」
「簡単な事ですよね。それを望んでいる人たちが居るからです」
「私たちの事を言っていますか?」
「いえ、貴方ではありません。だって、貴方は、前ライムバッハ辺境伯の紐付きですよね?正確には、執事筋かもしれませんが?」
「なっ!」

「その反応では、私の考えが有っていると言っているような物ですよ」

 アルノルトの笑い声を含んだ言葉を聞いて、ベルメルトは背中を流れる汗を認識した。
 自分が緊張している事を再確認した。誰にも言っていない事だが、アルノルトの想像通り、ベルメルトの主筋はライムバッハ家で間違っていない。ただ、情報を流したりはしていない。他の貴族の横槍を防ぐのが主なミッションになっていた。そのために、ランドルに孤児が渡らないようにギリギリの駆け引きをしていたのだ。

「まぁ貴方の素性は問題ではなくて、そうですね。ベルメルト殿」

 前を向いて話していた、アルノルトが急に振り返って、ベルメルトを正面から見る。

「ベルメルト殿。スラムを潰すのに必要なのは?ワトですか?権力ですか?暴力ですか?」
「全て必要です」
「ありがとうございます。参考にします」

 アルノルトは、それだけ聞いて、ベルメルトに頭を下げてから、この場を離れた。

 ベルメルトも今まで死を意識した事がある。それこそ、一度や二度ではない。しかし、自分の目を見て歩いて去って行った青年からは何も感じる事ができない。強さでは、ベルメルトが100人居ても勝てないだろう。権力はわからない。財力もわからない。わからない事がこれほど怖いと思った事はない。そして、恐怖を感じない事が、恐怖に繋がる事を認識してしまった。

 残された、ベルメルトはアルノルトが歩いていった方向を見る事ができなかった。振り返ったら、自分が後悔するような気がしてしょうがなかった。
 確かに、歩いていったのだが、まだ自分がアルノルトの影響下に居るのではないかと錯覚していて、背中を流れる汗を止められないでいた。

 動く事ができたのは、10分位経ってからだった。