豪奢とは思えないが、奇麗に整えられた天幕の中で、同じく粗末ではないが質素な福に身を包んだ男が報告を聞いていた。
同年代の男を背後に従えている様子は、男がある一定の権力を持っている事を現している。
天幕での生活は長期化しているが、本人たちはまったく気にしていない。連れてきた者たちも、交代で帰国させている。すでに、包囲網は完成している。そのうえで、窓口を開けて待っている状況だ。
「ユリウス殿下。彼の方は、無事に国境を越えられました」
「そうか・・・。クリスにも・・・。必要ないか?」
「はい。別の者が、報告に向かいました」
「それで?」
ユリウス王太孫は、伝令の姿をした密偵から報告を聞いている。密偵は、彼の配下ではなく、彼の婚約者であるクリスティーネ・フォン・フォイルゲン辺境伯の配下だった者たちだ。現在は、フォイルゲン辺境伯から離れて、ウーレンフートに拠点を移している。商会の会員としての身分を持って活動を行っている。
「はい。切り捨てる方向に動いています」
頭を下げたまま、密偵は情報を開示する。すでに、報告は行っているのだが、ユリウスが密偵から直接話を聞きたいと言って、伝令のフリをして天幕に招いた。
「ははは。クリスの予想通りか?」
密偵から状況を聞いて、ユリウスは婚約者の推論が正しかったことを認めた。
ユリウスは、共和国がデュ・コロワ国を見捨てないと考えていた。共和国の食糧事情を考えれば、デュ・コロワ国を切り捨てるのは愚策だ。ダンジョン依存率が高い共和国で、ダンジョンからのドロップ率が下がっている情報を、共和国の首脳部は把握していない。持っている情報が違うのだから、違う結論になってしまうのはしょうがない。
クリスティーネは、共和国が持っていると思われる情報から”切り捨てる”と推論を出した。ユリウスは、自分が持っている情報から推理している。わずかな違いだが、これからの方向から考えれば、大きな違いになる。
「はい。デュ・コロワからの伝令が殺されました」
「状況は?」
「抑えています。お館様が作られた道具で、録画しています」
「そうか、俺は・・・。奴に借りを返そうと、また借りを作ってしまったのだな」
「ユリウス様。それは・・・」
「わかっている。しかし、借りだと思っていても、奴は貸しているとは思っていないのだろう?」
「ユリウス様。アルは」「ギード。わかっている。嫉妬とは違う。そうだな、俺の我儘だ・・・。傲慢だとわかっているが・・・」
伝令役を務めていた者が、頭を深々と下げてから天幕を出る。
ギードの反対側に居た男が、懐に入れていた道具の発動を止めた。
「ハンス?」
「もう、遮音結界は必要ないだろう?新しく改良された物でも、消耗はする。必要な時だけ使うようにしている」
ハンスの説明で、ユリウスは納得したのだが、ハンスの意図は違うところにある。
これ以上、機密につながるような話をユリウスにさせたくなかった。それに、実際に、起動している状況では中の音が外に漏れないのは当然だとして、外の音も遮断されてしまう。
アルノルトは、遮音結界の弱点をユリウスたちにも伝えてある。遮音結界は、音を遮断する結界だ。音は、空気の振動で伝わる。空気は遮断していないが、空気の波を遮断しているために、外側と内側に大きな壁があるような状態になっている。
内側の音が伝わらないのはメリットだが、外の音が伝わってこないのは、おおきなデメリットだ。特に、戦場で使う場合には”音”は情報の一つだ。
「そうか・・・。改良版か?」
「はい。あの・・・。街?には、刺激的な物が多くて・・・。クリスティーネ様から持っていくように言われました」
ダンジョンの周りにアルノルトが作った”村”だけど、本人以外は、”街”と呼称している。
正式な名前は、共和国の出方次第だ。名前を付けずに放置するのには、大きくなりすぎている。行商人は使わないルートだが、王国からの軍が移動しているのは、周知されている。
そのために、諸国の密偵の出入りが確認されている。
ダンジョン村の存在は知られていると考えて動いたほうがいいだろうと言うのが、ユリウスたちの共通認識だ。
「ははは。ウーレンフートと違ってか?」
「はい。領都と違って、本当に好き勝手に・・・。いえ、失礼しました」
ハンスの言葉は正しい。
ユリウスも、クリスティーネも同じことを考えた。
「いや、本当にそうなのだろう。ウーレンフートだけでも、手一杯なのに・・・。本当に、奴を自由にすると、後始末が・・・。違うな・・・。ギード。陛下に報告は?」
以前のウーレンフートは、ダンジョンの上に街が出来ていた。
ダンジョンのおかげで街が潤っているだけの場所だ。潤っているが、問題も多い場所だと認識されていた。
ウーレンフートは、各国の密偵が活動するのには適した場所だった。
雑多な者たちが多く存在しているダンジョンにアタックする者たちが多く過ごしているために、多くの人がウーレンフートに集まって、そしてダンジョンの中で命を散らしていた。そのために、ウーレンフートでは正確な人口が掴めない状況にあり、税の徴収が機能していなかった。それでも、街として考えれば、ダンジョンから産出した物資の売買から得られる”税”で潤っていた。
「してあります。殿下の好きなようにするように言われています。そろそろ、共和国の相手も面倒に思っていたようです」
「ははは。陛下らしい考えだ。他には?」
「宰相閣下から、なんなら全部をライムバッハ領にしてもよいと伝言をいただいております」
「フォイルゲン殿らしい言い方だ。他には?」
「これを預かっています」
ユリウスは、ハンスの従者から封書を受け取った。
宛名も差出人も書かれていないが、封蝋を見れば誰からの封書なのかわかる。
「仰々しいな」
ユリウスは、面倒そうな表情を崩さずに、封蝋を切った。封蝋を切るためのナイフではなく、アルノルトからプレゼントされた、アルノルトが作ったナイフを使った。普段使いするナイフとして重宝している。懐刀という言葉を、アルノルトから聞いてから、自分の懐刀はアルノルトだというつもりなのか、他にどんなナイフを渡されても変えるつもりはない。
ユリウスは、手紙を読み始める。
想像していた通り、王太子である父親からの手紙だ。
「・・・」
「ユリウス様?」
「あぁ・・・。おまえたちは、この内容を知っているのか?」
ハンスとギードは、お互いを見てから首を横に振る。
「クリスは知っていると思うか?」
ギードは首を横に振るだけに留めた。
「クリスティーネ様に知らせているのなら、封書の形にしないと思います」
「そうだな・・・」
ユリウスは、王太子からの手紙に目を落とす。
読み返しても、内容は変わらない。
ユリウスは、ハンスとギードを手招きして、持っていた手紙を渡した。
二人は、交互に渡された手紙に目を通した。
個人的な事が書かれていた手紙ではない部分だけだが、数枚にわたって書かれた内容は、二人の顔色を変えるには十分な威力を持っていた。
二人から戻された手紙を受け取ったユリウスは、魔法を発動して手紙を燃やした。
内容は頭の中に入っている。内容は残しておかないほうがよいと判断した。
「殿下?」
「大丈夫だ。いきなり、突撃命令は出さない」
「・・・」
「大丈夫だ。まだ、”疑い”の段階だ。デュ・コロワに証拠が”ない”ことを・・・」
「証拠が有ったら?」
「どうしたらいいと思う?」
ユリウスは、まっすぐに前だけを見て、冷え切った声で二人に問いかけた。
二人も、ユリウスが何を考えているのかわかる。王国の王太孫としては、絶対に出してはダメな命令だと把握している。しかし、二人はユリウスが出すと思われる命令を止めることはできない。自分たちが、その命令を望んでいるのだとわかっている。
手紙が燃え切ったタイミングで、外が騒がしくなる。
確認のために、従者が天幕を出た。
「殿下?」
「ん?」
「それで、調べるのですか?」
「命令だからな・・・。そんな顔をするな。私としても、調べないほうがいいような気がしている」
ユリウスは、燃え残った紙片を見つめている。
重要な文面は残されていない。しかし、ユリウスやハンスたちの頭には命令の形で書かれていた”共和国の闇”が残っている。
確認しないほうがいいのは、自分たちというよりも、ライムバッハ家のためだ。
「殿下。ご命令を・・・」
ユリウスは、天幕の中でもっとも信頼できる者を探した。しかし、ユリウスが求める者は、”約束”を守るために、王国に帰還している。
天幕の中にいる者たちをしっかりと見つめてから、大きく息を吸い込んだ。
「共和国には協定違反の疑いがある。ハンス。5000を率いて、西門を閉鎖せよ」
「はっ」
「ギード。おまえは、ギルベルトと一緒に、東門からデュ・コロワの首都に入り、行政を抑えろ。援軍で来ている3000を預ける」
「殿下!それでは、殿下を守る兵が少なすぎます」
「大丈夫だ。俺は、ここから西にある平原までさがる。そして・・・。街道を抑える」
「・・・」
「本当に、大丈夫だ。街道の分岐は抑えたい。違うか?」
ユリウスの案は、大きくは間違ってはいない。
自分自身を囮に使おうとしているのが気に入らないだけだ。
「心配なら、さっさと制圧して証拠を押さえて戻ってこい」
「「御意」」
ハンスとギードの言葉が重なった。
二人は、深々と頭を下げてユリウスの指示を具体的な戦術に落とし込むためにはなしはじめる。
「ユリウス」
「ギル。悪いな。面倒な役割を押し付けてしまって・・・」
「かまわない。それよりも、本当に無理はするなよ?おまえに何かあったら、俺がアルに殺されてしまう」
「大丈夫だ。さすがに、俺もわかっている。無茶はしない約束する」
「本当に・・・。アルが居ればと思ったことは、何度も有ったけど・・・。今回は・・・」
「そうだな。アルが居れば、俺の代わりに街道を抑える役目か、ギードの代わりに突入部隊を任せて・・・」
二人は、居ない者を考えても仕方がないと思っていても、二人が信頼している独りの男を思い出して考えてしまった。
ライムバッハ領を任されるようになってから、誰も口に出しては言わないが、皆が同じ思いを持っていた。
「ギル。頼む」
「任せろ。ん?国としては、見つかったほうがいいよな?」
「そうだな。ライムバッハ家としては・・・。微妙だな」
「微妙?」
「正確には”間違いであってほしい”だな」
「え?領土が増えるのだろう?」
「あぁ最低でも、デュ・コロワ国は、ライムバッハ領になるだろう・・・。ギル。考えてみろ、国境が変わる。共和国は、国境が複雑になっている。それらの交渉をしなければならない。そして、問題は外だけではない」
「ん?」
「問題は、国内だ」
「え?」
「ギル。考えてみろ。もし、デュ・コロワ国だけを割譲できたとして・・・。今のライムバッハ家なら運営は大丈夫だろう。少し・・・。本当に少しだけ、文官が負担を強いられるだけだ」
「それはそうだが・・・。領地が増えるのだから、役職も増えるからいいのでは?」
「そうだな。ライムバッハ家としては、問題は少ない」
「なんだよ?何が問題になる」
「ギル。デュ・コロワ国の国境はライムバッハ家だけが接している」
「そうだな。辺境伯の名前は伊達じゃない」
「あぁそうなると、共和国を傘下に加えても、増えるのはライムバッハ家の領土だ。あとは、王家の直轄領とするかだが・・・」
「・・・。王国内の貴族がうるさい?」
「そうだな。それは、王家が黙らせればいいのだが・・・。デュ・コロワだけが協定違反をしていると思うか?」
ギルベルトは、首を横に振る。
「ギル!」
天幕の外から、ギルベルトを呼ぶ声が聞こえる。
準備が出来たようだ。
「行ってくる」
「頼む。無理はしないでくれ」
「大丈夫だ。俺は、ユリウスやアルとは違う」
笑いながら、ギルベルトが差し出した手をユリウスは握った。
天幕を出ていくギルベルトを見送ってから、ユリウスは残っている兵に指示を出した。
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共和国は、”民衆による政治”を謳っている。
過去には、”抑圧された民衆を解放する”という理由で、王国に攻め込んだ。その時に、共和国軍を撃退したのが、2代前のライムバッハ辺境伯だ。ライムバッハ家の意向を受けて、領土の割譲を望まなかった。領土が増えても、当時のライムバッハ家では領地の運営ができなかった。
王国が望んだのは、”奴隷制度の撤廃”と”共和国外への食料輸出の禁止”を突き付けた。
特にライムバッハ家が望んだのは、奴隷制度の撤廃だ。
民衆を考えてのことではない。王国と共和国と帝国の関係は絶妙なバランスで成り立っていた。
帝国は、王国にちょっかいを出すときに、主に”奴隷兵”を肉壁にして攻め込んできた。その奴隷兵の提供元が、共和国だ。共和国は、自国や近隣諸国から民衆を攫ってきて、”奴隷”として帝国に売っていた。帝国は、”奴隷”を隷属状態にして戦わせていた。ライムバッハ家は帝国とは国境を接していない。しかし、共和国とは国境を接している。共和国の”商人”を装った者たちが、ウーレンフートなどのライムバッハ領からも民衆を攫って、奴隷として売っていた。
そして、帝国は自給率が低い。王国で食料の買い付けを行っているが、戦争状態になればもちろん食料の買い付けは不可能になる。そのために、帝国は共和国から食料の買い付けを行っている。
王国は、共和国に二つの約定を呑ませた。
共和国にもメリットが存在した。食料の輸出が禁じられたことで、共和国の人口が徐々にではあるが増えた。増えた人口が、今回は足枷になってしまっている。
そして、増えた人口を有効に使おうと、第三国を通じて帝国に国民を売っていた。
隠れ蓑を用意して、”奴隷制度”を復活させていた。
ユリウスによってもたらされた情報だ。
ユリウスたちが捕らえた共和国の要人を人質として王国内に護送した。
ライムバッハ家で一時預かりになり、その後、王都に送られることになっていた。ライムバッハ家で調書を作成していた時に、自分が助かりたい一身で、”奴隷売買”に手を染めている議員がいる事をほのめかした。また、それらの情報と合わせて、商人からも似たような証言を得ていた。
”奴隷制度”を復活させていれば、まだマシだったかもしれない。
しかし、共和国は”拉致した者たちを奴隷として販売”していた。増えた自国民だけではない。ダンジョンを訪れた王国民もターゲットになっていた。
ユリウスたちが”見つかってほしくない証拠”と言っているのは、”王国民”を奴隷として帝国に違法に売っている証拠だ。かなり期待は薄いと思っている。共和国は商人たちが牛耳っている国だとしても、”奴隷売買”を一般商人が行える状況ではない。国家に関連している商人が主導しているのは間違いない。
約定を取り交わすきっかけになったのが、”ライムバッハ”だ。
メンツを保つ意味でも、約定が守られていなかった場合の対処が必要になる。最低でも、当時に割譲が可能だった領土を奪い取る必要がでてくる。そのうえで、共和国に賠償を求める必要がある。
賠償を拒否された場合には、当時に戻って戦争の継続が必要になってしまう。
王国のメンツを守るためにも、そしてユリウスの体面のためにも必要なことだ。
ギルベルトとギードがデュ・コロワ国の首都に突入してから、3日後。
ユリウスの下に、ギルベルトからの書状が届く。
望んではいなかったが、証拠が見つかったという知らせだ。
ユリウスが考えていた”最悪”をこえる方向に状況が進んだ。教会所属のシスターを含めた女性と女児が、奴隷紋を押された状態で見つかった。それも、暴行され殺された状態で・・・。シスターの身に着けていた衣類から、王国所轄の教会所属だと判明した。
報告を聞いたユリウスは苦悶の表情を浮かべていた。
「最悪だ」
側に居てほしいと思っている人物は、ホームタウンに戻っている。
もしかしたら、こちらに向かっているのかもしれないが、”影”からは何も情報が入ってこない。
ユリウスの言葉は、控えていた従者にも届いているのだが、従者はユリウスの言葉を聞いても、何も反応しない。従者は、反応ができない。反応してはダメだと思っている。今のユリウスに助言ができる者は天幕のなかには居ない。
ユリウスが苦悶の表情を浮かべている理由がわかっているので、従者も声をだすことができないでいる。
共和国との紛争・・・。既に、戦争に発展してしまっている状況の落としどころの一つが無くなってしまったからだ。
ユリウスは、報告書を握りつぶしたい衝動に駆られている。王太孫としても選択ができない。わかっているが納得ができるかと聞かれれば、”No”と答えることができる。
共和国は、正確にはデュ・コロワ国は、ライムバッハ前領主の暗殺にもかかわっていた。どこから、あれだけの刺客を用意したのか当時も不思議に思われていた。
たしかに王国の貴族がかかわっていた。しかし主導していたのは、貴族子息で当主ではない。子弟のそれも”できそこない”と、切り捨てられるだけの存在が、ライムバッハ家の護衛を倒して、武闘派筆頭であったライムバッハ前当主を倒している。どこから、その人員を用意したのか?
暗殺を行った者たちは一部を除いてアルノルトが倒してしまっている。残っていた一部の暗殺者たちからの情報をつなぎ合わせても、謎としてのこされていた。
押収された資料の中に、ライムバッハ家の襲撃に関わる文書があり、帝国から来ていた商人に依頼されて、強化奴隷を渡していた。それが、ライムバッハ家の襲撃に利用されることを承知した上で提供を行っていた。帝国の商人との契約なので、正しい事が書かれている保証はないが、文書を読んだユリウスの見解は、おおむね正しいだろうという判断をした。
ユリウスが懸念しているのは、文書の正当性ではない。
ライムバッハ家の襲撃計画に関わっているという文書が見つかったことが問題なのだ。
王国の王太孫としては、共和国は共和国として存続してくれたほうが都合がいい。
共和国は緩衝材になっている。一部の王国貴族には、共和国を滅ぼして自らの領地とすべきと主張する者がいる。しかし、王家派閥だけではなく、帝国よりの貴族も共和国の滅亡を望んでない。
王国から見た場合に、共和国の先には、共和国よりも小さな国々が存在している都市国家群と呼ぶような状態で、紛争地帯となっている。一部の現実が見られない貴族の者たちは、共和国を併呑して都市国家群を支配すればよいと言っている。
統治を行い始めたばかりのユリウスでさえも、貴族派の者たちが言っている内容が夢物語であることは理解できている。
共和国までなら、今の王国なら併呑できるだろう。統治が可能になるとは思えないが、併呑なら難しくない。
しかし、都市国家群は別だ。都市国家群の紛争は、領土的な意味合いもあるが、それ以上に民族や土着の宗教が関係した紛争だ。併呑したあとで、内部に火薬庫を抱え込むような物だ。火薬庫の近くで、安全性を無視した花火大会をおこなうような行政を行わなければならない。少しのミスで、火薬庫に火がついてしまう。火が一度でも着いたら消火は不可能にちかい。
「ユリウス様」
押収した資料を見分していた文官が、新しく見つかった文書を持って天幕に入ってきた。
「まだあるのか?」
「こちらは、共和国内の派閥をまとめた文書です。そして、ダンジョン関連の資料をまとめました」
「ありがとう。クリスにも伝えてくれたか?」
「はい。そちらは、伝令に持たせました」
「わかった」
ユリウスは見たくはないが、文官から書類を受け取った。
一目見て異常だと思われる書類がある。
文官は、ユリウスに資料を手渡して、役目が終わりとばかりに頭を下げて天幕から出て行こうとしたが、ユリウスが呼び止めた。
「ちょっと待て」
文官は、”やっぱり”という表情をして、ユリウスの前に戻ってきた。
「はい。なんでしょうか?」
「ダンジョンの資料だが、この話は本当なのか?」
「わかりません」
「・・・。聞き方をかえる。共和国の認識は、資料の通りなのか?」
「はい。お見せした資料が押収した物です。議会の議事録にも同様の記述があり、間違っていないと思っております」
「そうか・・・。わかった」
文官は、質問が来ないことを確認してから、頭を下げて天幕から出て行った。
残されたユリウスは資料を貪るように読み込んだ。
「ふぅ・・・」
ユリウスが読み込んだ資料は、近年のダンジョンから産出される物資の統計がまとめられた資料だ。
アルノルトからの報告を受けて、クリスティーネがまとめた資料と比較されている。
「そうか・・・」
独り言のように呟いて、自分を納得させるかのように文書を読んでいる。
アルノルトが攻略したダンジョンでは過去にさかのぼって、探索者たちが得たドロップ品がある程度まとめられている。クリスティーネは、アルノルトから借りているダンジョン・コアの力を使って資料にまとめた。
生ものも少なくないために、誤差が出てしまっているのは当然だと思っていた。
「誤差ではすまない量だな・・・」
ダンジョンという特殊な環境を使った取引が行われている。
帝国だけではなく、王国の貴族にもダンジョン産の物資が流れている。
王国の貴族は、共和国のダンジョンから産出した物資を”購入”したと言っていた。
「完全に賄賂だな。アルが掌握してからは、食料も減っているが・・・」
共和国が本当に困ったのは、食料ではない。
ダンジョンをアルノルトが把握してから、ドロップが極端に減った。食料もダンジョンに依存していた。しかし、ダンジョンが全てではなかった。そのために、共和国の上層部はダンジョンから供給される食料が減っても困らなかった。
上層部が混乱したのは、戦略物資として帝国や王国の一部貴族に流していたドロップ品が無くなってしまったことだ。
他にも国内で消費したことになっている高級品もドロップしなくなっている。
高級品は、賄賂として帝国や王国に流れている。誤差というには大きな隔たりが発生している。
「共和国内での奪い合いになっているとは・・・」
ダンジョンを多く所有していたのは、デュ・コロワ国だ。アルノルトがダンジョンを攻略したことで、影響が大きかったのも、デュ・コロワ国だ。
ユリウスはまとめられた資料を見て、面倒な状況には代わりはないが、これで”国内の膿”が焙り出せると考えた。
他国からの贈り物を受け取るのは問題にはならない。
しかし、受け取ったことを報告しなければならない。受け取ったら、すぐに報告しなければならない。
ほとんどの貴族が報告の義務を怠っている。忘れられた”法”だ。ユリウスは、この”法”を使って反対派閥の追い落としを行おうと考えている。王家が主体となって行うことではない。しかし、今のユリウスは”ライムバッハ家”の後見人の立場だ。最終的には、アルノルトに相談することになるが、”現ライムバッハ家当主”からの告発とする予定だ。
受け取った側は、”知らない”というのは間違いない。トカゲのしっぽ切りも発生するだろう。
それでも、”王家”が本気だと思わせることができれば、十分な収穫だと考えた。
王国から共和国に最後通牒となる”提案書”が届けられた。
ユリウスたちが突き付けた落としどころは、デュ・コロワ国にある”ダンジョン”の割譲と共和国とデュ・コロワ国の議会に、王国の議席を用意させることだ。一定数の議席を、両方の議会に確保させることで、共和国の流儀にのっとって国を支配する。ユリウスの発想ではない。
クリスティーネからユリウスに伝えられた”落としどころ”だが、ユリウスが誰から出た”アイディア”なのかすぐに気が付いた。
領土の割譲を行ってしまえば、王国内の貴族が”コバエ”のように湧いて出て来る。しかし、議席なら”うまみ”は少ないと思って、目に見える利益が出るまで”コバエ”は寄ってこない。目端が利く者たちは、デメリット以上のメリットがあるとわかるはずだ。国内の貴族を篩にかけることができる。
ユリウスが、皆の意見を聞きながら考え出した落としどころは、共和国に”毒”を仕込むのと同時に王国内の貴族に対する篩でもある。ある意味では、王国に向けての”毒”でもある。
(篩か・・・。アルのやつも面白いことを考える)
”落としどころ”は、共和国内でも受け入れられた。議席数を現在デュ・コロワ国が保有している数としたことが、共和国の他の国々から妥当とされた。
共和国の各国はこれ以上王国の軍が内部を食い荒らすのを”よし”としなかった。そのために、領土の割譲ではなく、ダンジョンの割譲と議席だけなら、問題はデュ・コロワ国内に留められると考えた。
王国が確保できる議席は、デュ・コロワ国と同じ議席だけだ。簡単に言えば、王国が何か議題を上げても、デュ・コロワ国が反対に回ればつぶせる程度の数で大きな問題にならないと考えられた。
しかし、足元で大きな問題が進行しているのを、共和国の議会は知らない。共和国にあるダンジョンが、次々に攻略されて、物資の産出が絞られ始めている事実を・・・。
共和国は、ウーレンフートのような攻略難易度が高いダンジョンはないが、鉱石や好物。食べられる穀物や肉や草木。水や塩などの生きるために必須な物が得られるダンジョンが多く点在している。多くのダンジョンを有する国が、議会でも大きな発言力を持っている。議会制をうたいながら、議席数以外で発言力が変わってくる歪んだ体制で運用されている。
アルノルトは、ヒューマノイドタイプを作成して、共和国内のダンジョンの攻略を行っている。
すべてをアルトワ・ダンジョンの配下において、リスプに管理を任せている。共和国のダンジョンは、ヒューマノイドでも攻略が完了できる。条件が存在しているが、アルノルトは条件を整えたうえで攻略を行っていた。
共和国から承諾した旨の書簡がユリウスの下に届けられた。デュ・コロワ国から、条件を含めて受諾する旨の書簡が届けられた。
書簡を読み終わったユリウスは、戻ってきたギルバードに話しかける。
「ギル?」
ユリウスが投げてきた書簡を受け取ってギルバードが眉をひそめながら返事をする。
「ん?」
ユリウスの手元には、もう一つの書簡がある。
クリスティーネから王国からもたらされた情報だ。これは、まだ正式な書簡ではないが、ほぼ間違いなく認められるだろう内容だ。
「議席の一つは、ライムバッハ家で確保することになったが、おまえが座るか?」
「魅力的な提案だけど、遠慮しておく。ユリウスは、無理だよな」
「あぁ本当なら、アルノルトが適任だが・・・」
「無理だな。それに、俺はエヴァに殺されたくない」
「ははは。そうだな。共和国よりも、エヴァの方が怖いな」
「あぁ・・・」
天幕の中には、学生の時から付き合いがある者しか残っていない。
包囲網の解除が決まって王国側も区切りがついたと判断した。次のシーンへの準備を行っている。
もちろん、気を緩めてはいない。
共和国だけではなく、デュ・コロワ国が攻撃を仕掛けて来る可能性が皆無だとはいえない。
包囲網が解除されたのを確認したのか、共和国からの使者が駆けつけてきた。
外が騒がしくなってきて、護衛の一人が天幕に入ってきた。
護衛は、王国との交渉を担当していたデュ・コロワ国の使者だ。ユリウスも、ギルバードも、話し合いの場で会っているので顔は覚えている。護衛が、使者を天幕の中に無条件で連れてきたのは、ユリウスから”使者が来たら連れてこい”と命令されていたからだ。
一般的な対応では考えられないことだが、使者はそんな”ありえない”対応をされていることにも気が付かないくらいに慌てている。
「使者殿?どうかしましたか?」
使者が慌てている理由は、ユリウスたちは予想ができている。
そして、使者では解決ができないこともわかっている。
「ユリウス殿下」
「何度も言わせないでください。私は”殿下”ではありません。ライムバッハ家当主代理です」
「失礼いたしました。ユリウス様」
「それで?。私たちは、約束通り、包囲網を解除しました。次は、貴国が約束を守る番だと思いますが?」
自分の間違いを訂正して、使者が仕切りなおそうとするが、ユリウスが自分たちのペースで話をすすめる。
「はい。もちろんです。しかし・・・」
「ん?使者殿は何か勘違いされていませんか?」
次の言葉を繋げようとする使者の言葉を切り捨てて、ユリウスが、言葉を紡ぐ。
実際に、何が発生しているのかわかるだけに、使者に全部を説明させる必要はない。そして、説明する前に、自分たちの立ち位置をはっきりとさせる。
「・・・。勘違いでございますか?」
ユリウスの言葉を聞いて、使者は自分たちが何か勘違いしているのか?間違っているのか?不安になって聞いてしまった。
「”しかし”なんて言葉は必要ないのですよ。包囲網は解除しました。物資の搬送も許可しました。これ以上。私たちに何がお望みなのですか?提案を受け入れていただけると、共和国からもデュ・コロワ国からも議会の承認が得られたとお聞きしましたが?私たちの勘違いなのでしょうか?それなら残念ながら、”承認をいただけなかった”と考えて、行動を開始するしかないですよね?」
ユリウスが一気に話す内容を聞いて使者の顔が青くなる。
承認が保護されたとユリウスが判断した。それは、王国軍の全面攻勢につながる。今、デュ・コロワ国は、ユリウスたちが率いる王国軍に対抗できる状況ではない。
「ユリウス。そう、使者殿を問い詰めても、ダメだろう。もしかしたら、使者殿が俺たちが望んだ”物”を持ってきたかもしれないだろう?」
ギルバードがユリウスの言葉を引き継ぐ形で、使者の助け舟になっているが、沈みかけている泥船を提示する。
「・・・」
使者も泥船なのがわかる。それに、ギルバードが言っている内容は、使者にとっては意味がない助け船だ。
「ギル。おまえの言い分はわかるが、使者殿がお一人で来ているのは間違いない。そうだろう?」
使者は、ユリウスとギルバードの茶番を聞かされることになる。
「はい。使者殿は、護衛以外には誰もお連れではありませんでした」
「ギル。おまえの予想は外れたな。使者殿?私たちは約束を守った。認識が違いますか?」
茶番だとわかっていても、その茶番に対する反論ができない立場だ。
「・・・。はい。包囲は解除され、流通も・・・。しかし・・・」
「何か?私たちは、譲歩に譲歩を重ねていますよ?」
使者は額に浮かぶ汗を拭きながら、必死に自分の使命を果たそうとするが、ユリウスが許すわけがない。
背中を流れていた汗は既に流れていない。青かった表情も、青から白に変わりつつある。
気を失えばどんなに楽なのか、そして、自分が気を失った瞬間にデュ・コロワ国はすべてを失うこともわかっている。
「はい。はい。それは・・・。かしかに・・・。しかし・・・」
使者は、最後の気力を振り絞ってユリウスの表情を見てから、自分の役割を果たそうと、足と腹に力を入れる。