火消し部隊。この存在してはならない部署は、現在は真辺が率いているが、実際に立ち上げたのは別の人間なのだ。
倉橋という人間が、部署を立ち上げた。
元々は火消し専門の部署ではなかった。エキスパートが集まる遊撃隊だったのだ。当時のIT業界は、専門色が強くなっていた。汎用機を扱う部署。組み込みプログラムを扱う部署。ネットワークも、今のように標準化されたネットワークが存在していたわけではない。いろいろな会社が独自のネットワーク・プロトコルごとに部署が存在していた。
人は多くても仕事がある。
そのために、肥大化するシステムに人が大量に投入されていく状態だった。
倉橋は、会社に掛け合って新しい部署を作った。
それが、各部署のエキスパートを集めた遊撃隊だ。この時期になっていると、いろんな技術を組み合わせた業務が出てくる。汎用機しかやって来なかった部署に、パソコンとの接続依頼が来る事もあった。
そうなった場合に、パソコンの部署を呼んで会議をしても、そもそも違う世界で生きてきた者たちだ、話ができるわけも無い。汎用機の世界は、数秒単位で課金されるのが当然だ。プログラムの領域も限られている。コンパイルを依頼して、珈琲飲みに行ってトイレに行って戻ってきて終わっていればラッキーくらいで考える必要がある。パソコンは即時とは言わないが、数秒あればコンパイルが終わる。
仕事のやり方も大きく違う。言語の特性もあるのだが、レビューを重視する汎用機の部署と、プロトタイプを重視する部署。
喧嘩別れにならないのは、同じ会社に属しているという一点だけだ。
倉橋は、部署間の軋轢が産まれないように自分たちが間にはいる。
両方の事情が解っている人間を集めた部署を作ろうとしていたのだ。
部署が立ち上がって、倉橋が欲したのは、色がついていない人間だ。
この時に、営業の篠原から紹介されたのが、真辺という26歳になったばかりの変わった男だ。
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この時、真辺25歳。専門学校を出て入った会社で、篠原と出会った。
その当時、篠原は営業ではなく、冷蔵庫やエアコンの”冷やす”仕組みを作るエンジニアをしていた。それが、営業に転身するのは別の話になるが、その会社で真辺と出会った。大きな会社の中に属していた2人が出会ったのは偶然だった。
出会った場所は、会社の敷地内でも、客先でも、現場でもない。
「え?篠原さんも、中原なのですか?」
「真辺さんも?どちらですか?」
「私は、17階です」
「あぁ私はそっちのビルじゃ無い方ですね」
「交換器ですか?」
「いえ、もう一つの方です」
2人の話は大企業ではよくある話だ。
同じ部署の人間でも全員を認識している人がどれほど居るのか?ワンフロアだけでも100名を超す社員が働いている、関連会社からの出向を入れたら人数は倍以上になる。
よくある話なのだが、この場所が警察の取調室でなければだけど・・・。
2人が犯罪行為で連行されて来たのなら不謹慎だが、いや違う、今の状況でもかなり不謹慎なのだ。
真辺は目撃者兼第一発見者。篠原は部署の代表としてきている。
篠原の部署の人間が、自殺未遂を行ったのだ、それを発見して通報したのが真辺なのだ。同じ会社だという事で、警察は当初2人を見て不審に思ったようだが、顔見知りでもなんでもない事や部署が違う事で関係ないと判断した。
自殺未遂を起こした人間は、足の骨を折っただけで済んだ。
それから、篠原と真辺の交流が始まる。
真辺は汎用機のファームウェアの開発を行っているが、趣味で作ったプログラムがあり、それが篠原たちの部署で使われていたのだ。それを知った篠原は要望をいろいろと出してきた。
真辺は暇があれば改良するという約束をして要望を聞いた。
そんな交流が1年くらい続いた。
ある不祥事で、篠原の部署が解体される事になった。嫌気が差した篠原は会社を辞めて、独立系のIT会社の営業になった。
それから半年後、真辺も会社の上層部と衝突したことを聞いた篠原が会社に誘ったのだ。
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「俺が欲しかった人材だぞ。でもな、奴は生い立ちとか詳しく話さないからな少し気になっていな」
「生い立ち?」
「あぁ地元の話はするけど、子供の時とかの話を一切しないからな」
「へぇ」
「へぇ・・・。って、お前、気にならないのか?」
「そうですね。そう聞かれれば、『気になります』といいますが、ナベが話さないのなら『気にしません』といいますよ」
「まぁそうだな」
2人の間に微妙な認識の違いがある。
篠原は、真辺の過去を知っている。中学校の時に発生した事が原因で、同級生が殺された事。その犯人が、真辺の友達だった事。捕まえたのも友達だった事。それは、篠原が真辺から聞いた話ではない。大会社では親切な人が沢山居る。足の引っ張りあいをしていた人間の1人が嬉々として篠原に教えてくれたのだ。真辺は、出世コースとは違う道を歩んでいたのだが、目立つ人間だった。それはそうだろう。社内で使うツールの開発をほぼ独自で行った。それも違う部署で使う為のツールだ。それだけではなく、特許もいくつか出願している。エリートコースの人間から見たら目の上のたんこぶになりかねない。そういう人間は、実績や業務の成果で凌駕しようとしない。もっとも簡単で最も愚かな方法を取る。真辺の事を調べて真辺の過去を暴露したのだ。大企業は、警察に厄介になるだけで大きなマイナスになる。友達だからといえ殺人者が近くに居たのだから大きなマイナスになる。
真辺は、同期の大学でのエリートがその話を喜々として話している目の前に座って、話を続けさせた。怒るでもなく、否定するのでもなく、淡々と話を聞いていた。エリートが話をやめようとすると、エリートの耳元で何かを喋ってからまた目の前に座って、話を続けさせた。その異様な雰囲気に周りはドン引きしていたが、真辺は気にする様子はない。
エリートが知っている事を話終わったら、概ね合っているが一つだけ訂正しておくと言ってエリートに向かって
「俺は、今でも奴を友達だと思っている。奴がやった事は間違っている。それを止められなかった、俺も桜もカズと克己もヤスも同罪だ。そうだもう一つエリートさんに教えておく、人って簡単に死ぬぞ」
この事を、篠原は知っている。知っているが、誰にも話さない。それほど、真辺という人間を気に入っているのだ。
「篠原はなにか知っているのか?」
「いえ、変わり者って事だけですね」
「ハハハ。確かに変わり者だな。あいつ、SEの名刺を拒否して、プログラマの名刺にしてくれって言ってきたからな」
「えぇ聞いています。俺も奴に言ったのですが、ダメでした」
「そうか、それならしょうがないな」
「倉橋さんならそう言ってくれると思いましたよ」
「篠原。次の現場は、奴に任せようかと思うがどうだ?」
「え?本気です。か?」
篠原が驚くのも無理はない。
真辺が会社に来てから、まだ2ヶ月とちょっとだ。研修期間だと言っても過言ではない。
それに、年齢的な事もある。真辺はまだ26歳になったばかりで、社会人として4年目だ。リーダーを任せるという事は部下が付く事になる。倉橋の部署が比較的若い人間で構成されていると言っても、真辺よりも皆が年上だ。
倉橋には倉橋の考えがあった。他の部署から引き抜いてきた者たちは、良くも悪くも会社に依存してしまっている。部署間のパワーバランスを考えてしまうのだ。そして、出身の部署や関連している部署よりの考えになってしまう。
しかし、真辺は外様だ。外からやってきて、純粋だ。
出世にも興味がない。システムを作るのが好きで単純に技術が好きなだけなのだ。そして、倉橋が真辺を高く評価しているのは、真辺が『自分は欠陥品』だと思っている所だ。
10年近くこの業界で仕事をしている倉橋でも、真辺は優秀な人間だと思える。どこで仕事しても大丈夫なくらいの知識を持っている。真辺の考えは違っている。
「真辺。お前は、『欠陥品』と言っているけどどういう事だ?」
「倉橋さん。俺は、欠陥品ですよ」
「だから?説明になっていないぞ」
「まず、人の心がわからない」
「え?」
「システムや機械と会話していたほうが楽です。アイツらは嘘をつかないですからね」
「あっあぁ」
真辺はそこで黙ってしまう。
そして、真辺が倉橋に語ったのは、自分が一番になれない事がわかっていて、興味で動くので、社会人としては欠陥品であると思っている事だ。
結局、倉橋は現場の一つを真辺に任せる事にした。同時に発生したデスマ案件の一つを真辺に担当させたのだ。
真辺は、篠原の助言を受けながら、鎮火に成功した。
これで、誰もが求める、倉橋の右腕となった。
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「ナベ。お前が、俺の下に来てから何年だ?」
「今年で、7年です」
「そうか・・・。そろそろ、固定の部下を持つか?」
「必要ないですよ。この部署は大きくしてはダメですよね」
「そうだな。20名程度がいいだろうな」
「そうですよね。倉橋組の人手が足りないとかいい出したら、俺は辞めますからね。暇なくらいが丁度いいのでしょう?」
「あぁそれで?」
「お断りします。自分のチームを作るのなら、倉橋さんが居なくなってからですよ」
「ハハハ。覚えておく、早く俺を楽にさせてくれ」
「無理ですね」
倉橋38歳。
真辺33歳。
夏の頃の話だ。翌年の4月に真辺はこんな軽口を叩いた自分が許せない気持ちでいっぱいになる。
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「倉橋さん。確か0x27歳ですよね?」
「よく覚えていたな」
「確か、去年もその前の年も同じような会話をした記憶がありますからね」
「そうだな。誕生日は決まって現場だな」
「倉橋さんは幸せですね」
「そうだな。ナベ。お前ももうすぐ解る」
「そうならないように気をつけますよ」
「無駄だな」
そう言って、2人と部下たちは笑い合っている。
笑い合っては居るが、今の時間は深夜1時だ。終電が無くなっても煌々と光が灯っているビルの中だ。
会議室の一つを借りて臨時の作業部屋にさせてもらっている場所だ。
巨大システムの鎮火作業に駆り出されたのだ。
大手SIerが、来春がオープン予定の病院のシステムを受注して開発を行っていた。病院丸々一つのシステムだ。小さな問題から、火が吹き出す事はよくある。SIer もそれはわかっているのだろう。予備予算は確保していた。しかし、中間会社が愚か者だった。自分たちの利益確保を優先させて、末端の企業への支払いを絞ったのだ。
何が発生するか、この業界に関わった事にある人間なら解るだろうが、仕事をしながら会社が飛んだのだ。
とんだ会社が悪かった。ハードウェアとソフトウェアとつなぐモジュール開発をしていたのだ。
この時点で、中間会社はSIerに説明して頭を下げればよかったのだ。しかし、そうする事は、確保している予算だけではなく、何らかのペナルティをかせられる可能性がある。それを嫌った、中間会社はその会社が行っていた業務を自分の社員で行うという愚策に出たのだ。自分の所でできないから外部に委託していたのに、納期が迫った時期に急に専門用語が飛び交う現場に入られる人間はそう多くはない。案の定、火が具現化する。他にも燻っていた火が大火となるまでに時間はかからなかった。
特に、病院の様なシステムでは、人を投入すれば火が消えるような場所ではない。『お上』から出される難解な点数表を読み解く力や、意味がわからない用語や常識を知らなければならない。
それがわかっていない『優秀なシステムエンジニア』たちが大量に投入され始める。
中間会社が集めてくる人材は優秀な人たちだが、一点だけ『業務知識』が足りなかったのだ。業務知識がないまま、バラバラの対応方法で、目先の鎮火作業を行う。鎮火はする。担当している部署の鎮火はできる。このできてしまうのが、また大きな火になって降り掛かってくる。
大火になってから、SIerが対応に乗り出すが・・・時すでに遅く、火はシステム全体を覆うようになってしまっていた。
篠原経由で、倉橋の所に仕事の依頼が来たのは、SIerが対応に乗り出したときだ。
以前の火消し業務で一緒になった、SIerの1人から、倉橋にまとめ役の1人になってほしいという依頼だ。
「ナベはどう思う?」
「辞めておきましょう。どう見ても、スケープゴートです」
「だよな」
「篠原の旦那はなんて言っていますか?」
「俺に任せると言っているが、どうやら上の意向が働いているらしい」
「そうですか・・・。被害が小さくなるようにしないとダメですね」
「あぁでも、全員で行けと言われたぞ?」
「え?予算・・・。あぁそういう事ですか?」
「あぁSIerが泣きついてきたが答えのようだ」
「相当ふっかけたのでしょう?」
「あぁ平均で120だ」
「それはふっかけましたね。篠原の旦那も頭数ですか?」
「いや、あの人は入っていない。そのかわり、片桐とかWeb周りをやっている奴ら居るだろう?アイツらが入る」
「え?Webも絡むのですか?」
「あぁ病院のサイトを作るからな。そっちの予算で上乗せしたようだ。魔法の言葉を使った」
「SEO対策ですか?」
「そうだ。ナベ。お前、本当にSEO対策が嫌いなのだな」
「えぇ嫌いですね。病院にSEOなんて必要ないでしょ?」
「俺もそう思うが、思わない連中が多いからな」
「まぁいいです。それでいつからですか?」
倉橋は、手帳をパラパラとめくっている。真辺は、倉橋がこういう仕草をするときには、スケジュール云々ではなく、何か別の懸案事項がある場合であることを知っている。
「俺とお前だけで、先に現場に行く」
「いいですよ?それで?」
「明日だ」
「わかりました。場所は?」
「お前な。もう少し抵抗したらどうだ?」
「文句を言って、泣き言を言っていれば状況が変わるのですか?だったら、いくらでもいいますよ」
「変わらないな」
「でしょ」
「・・・。場所は、この前行ったSIerだ」
「わかりました。俺と倉橋さんだけって事は、なにか交渉するのですか?」
「うーん。どうかな・・・ナベ。また喧嘩するか?」
客とシステム会社の信頼関係が崩れている時に、後から入る火消し部隊は、システム会社寄りになってしまう。しかし、本来なら困っているのは客なのだ。だから、客の味方をしないとダメだ。
倉橋と真辺がよく使う手だが、客とシステム会社の前で、2人が喧嘩し始めるのだ。
その時々でどっちがどっちの味方をするのかを決めるのだが、部下たちが心配するくらい本気の喧嘩をする。
そうして、1人は客側について、もうひとりはシステム会社側に付く事にしている。お互いの信頼関係は崩れないままなので、裏できっちりと情報交換をする。
部下の中でもこの事を知っているのはごく一部だ。
本気の喧嘩をして鎮火前になると、事情を知っている部下が、仲直りの宴会を行って、仲直りをする。
今回は、真辺が客サイドについて、客先に出向いて状況を確認する役目になる。
倉橋がシステム会社の話を聞いて、客側との打ち合わせを行う事になる。
SIerの上層部では落とし所がすでに決まっている。中間会社がスケープゴートにしてリスケをする。
その交渉を、倉橋が行う事になる。
無事リスケが成功した。
真辺と倉橋が出した苦肉の策に、SIerが飛びついた。
当初の計画では、病院施設の設備を使ってのテストは、運用をメインで行う部署だったのだが、再構成した人間たちが施設の設備を使って、実際に動かしながらテストをする事になった。
客には、作業が遅れていると公式には認めないで話を取り付けた。
伸ばした期間は、3ヶ月間。
これまでシステム構築に使った期間1年と6ヶ月に比べれば微々たる物だ。
しかし、ここでの3ヶ月はエメラルドで作られた砂時計で刻む時間よりも貴重で大切な時間なのだ。
SIer が一枚岩なら良かったのだが、割りを食った形になる部署が出てくる。
運用を担当する事になっていた部署だ。
それはそうだろう。
このままでは、一番美味しい運用の仕事を丸々後から来た会社にとられてしまうのだ。
運営を担当する予定だった部署は、政治力を働かせて、倉橋と真辺を一時的に現場から遠ざけて、全員を現場に押し込めたのだ。現場には火消し部隊として来ている、倉橋の部署の人間だけになる。
しばらくは、この状況で作業が進むと思った。運営を行う部署なので、倉橋も真辺も部下たちも、最低限の内情と業務が認識できていると思っていた。
蓋を開けてみれば、運営を行う担当者は内情を把握していなかった。
現場が混乱するのは当然の事だろう。上からの指示に一貫性がなくなるのだ。朝の会議で言った事が夕方の指示では変わっている。こんな状況で士気を維持できる方が不思議なくらいだ。
現場は圧迫される。
倉橋たちはサポートという立場を崩さない。踏み込んではダメな事がわかっているからだ。
経験が浅い開発者や営業が大量に投入される。それで更に現場は混乱する。しかし、運営を勝ち取った担当者たちは得た物を失いたくない、そのために客にはオンスケと報告を行う事になる。
実際に現場では、実際の施設を使いながらの作業をおこなっている。『できている物』を動かして確認しているのだ、客が遅れていると認識するのは難しいだろう。
しかし、ここで最大の火が噴出する。
これまで、作業内容や動きを決めていたのは、現場の人間ではなく、事務方や経営者なのだ。現場の人の意見が入っていると言っても、現場あがりの人の意見であって、実際に現場で使う人の意見ではない。
倉橋と真辺もこれはわかっていた。わかっていて、この手でしか、3ヶ月の期間を手に入れる事ができなかった。倉橋や真辺なら、客と話をしながら、現場サイドと折り合いを付けながらバージョンアップで対応するという手段が取れたのだが、倉橋と真辺が呼ばれたのは、更に燃え上がって、何をどうしたらいいのかわからない状況になってから泣きついてきたのだ。
残り2ヶ月。
どうにもならない状況になりつつあるのは誰もがわかっている。倉橋と真辺だけは諦めない。何かできる事があるかもしれないと、客先に張り付いて、客と話をして、コミュニケーションを取って、状況を好転するように動く。
しかし、それをまた運営を行う部署が邪魔をする。
倉橋と真辺が客に近づけば近づくほど、自分たちがないがしろにされていくと思ってしまうのだ。
倉橋たちは、仕事の最前線に居る。
客と膝を突き合わせて作業をして、客の担当者1人1人と話をして顔を見ている。毎日、挨拶をして毎日会話をして、毎日同じ場所でご飯を食べる。客も、そんな自分たちの為に仕事をしている人には優しくなれる。
たまに来て、進捗は問題ありませんと報告するだけの営業に優しくなれるはずがない。
面白くない営業は、倉橋たちに文句を言ってくる。理不尽な文句だ。
・作業時間が短いが本当に作業をしているのか?
・笑い声が聞こえると、苦情が入っているが?
・勝手にシャワーや仮眠室を使わないように
・車やバイクでの通勤は認めていない
反論するのも馬鹿らしいので、倉橋と真辺は黙殺したのです。
それが営業には面白くなかった。自分から、作業が遅れていることを暴露して、全責任を倉橋と真辺に押し付けようとしたのだ。
これがとどめとなる。
慌てたのは、SIer の開発担当をしている部署だ。そうだろう。倉橋たちのおかげで客の上層部を抑えていたのに、建前として遅れていない事になっているのは、客の上層部以外はわかっていたのだ。それでも、倉橋たちが必死で作業をして遅れを取り戻していたのを知っている。
開発スタッフも、なんとかしますと声を揃えて言っている、昨今の状況では100点満点には程遠いが、運用には耐えられる状況まで出来上がってきていたのだ。
しかし、運営を担当する部署の営業が、現場を飛び越えて、客の上層部にその話をしてしまったのだ。
SIer を呼び出して、上層部は大激怒。
ここで、運営を担当する部署が全面降伏すればよかったのだ。システムの稼働が遅れて困るのは顧客なのだ。損害賠償の話にはなるだろうが、最終的にこまるのは現場だ。病院の開業まで待ったなしの状況なのだ。
システムも全く使い物にならない品質ではない。手作業が増えるが、運営ができる状態にはなっている。手作業の部分を、運営を担当する部署が肩代わりする事で、時間をもらう事は可能だったのだ。
倉橋は、提案を現場と上層部に投げて、好感触を貰っていた。
しかし、次の会議で運営を担当する部署の営業が提案したのは、禁じ手に近い・・・。いや、最高の愚策だった。
パッケージの導入を提案したのだ。
営業は、政治層でしか話ができない愚物だった。
倉橋たちも現場に出て最初にパッケージの導入を考えた。考えたが、却下した。いろんな会社に打診して答えを突き合わせた結果、連結に時間がかかるし、ハードウェア要件やネットワークを考慮しなければならないし、セキュリティポリシーの変更も必要になってくる。これらの作業を統括して行うよりは、現状システムを動かすほうが楽だと判断したのだ。
しかし、運営を担当する部署の営業は、『実績がある』という言葉を自分の部署から得ていると言って一歩も引かない。
倉橋と真辺も必死に抵抗したのですが、抵抗すればするほど、運営を自分の所から奪いたいと曲解していくだけだったのだ。
「ナベ」
「そうですね。現場で鎮火しましょう」
「そうだな。パッケージのつなぎに関しては、俺たちが手を出さないほうがいいだろうな」
「はい。パッケージの導入に舵を切ったのなら、俺たちの出番は終わりでしょう」
「どうなる?」
「そうですね。あの優秀な営業なら、赤字回収の為に、『システムを病院の名前を付けてパッケージにして売りましょう』くらいいいそうですね」
「あぁいいそうだな。迷走するな」
「するでしょうね」
「悪いな。ナベ」
「いえ、俺はかまわないのですが、若い奴らだけでも帰らせませんか?」
「そうだな。半数もいれば大丈夫か?」
「どうでしょう?常時居るのは、俺と倉橋さんとあと数名にして、チームとして交代させましょうか?」
「そうだな。どのくらいがいいと思う?」
「1週間単位で、5名ずつでどうですか?」
「名簿は?」
「作ってあります」
「悪いな」
「いえ・・・。でも・・・」
「そうだな。何人か・・・。半数は辞めるかな」
「はい。残念な事ですが・・・」
倉橋と真辺の予想通り、開発は迷走しだす。
---
結果・・・。二ヶ月間に続いた作業の”中断”が告げられた。
システムは仕切り直しとなった。客が、倉橋と真辺の提案を全面的に採用する事を決定したからだ。
それだけではなく、全員に”帰宅命令”が出された。全員に、1~2日の強制的な休みが告げられた。
久方ぶりの休暇で、夕方の町並みを歩くのも久しぶりだが、メンバーの足取りは軽くはなかった。
倉橋が
「久しぶりに歩いたら疲れた。ちょっと休みたい」
近くに公園があるのをしっていた倉橋が、皆を公園に誘導する。
すぐに帰って寝たいという者も居た。倉橋と真辺が予想していた通り、残ってくれそうな部下と辞めそうな部下がここで分かれる。
公園に残った者は、倉橋と真辺の予想よりは多い18名が残った。
倉橋が、近くに居た部下に声をかける。
「悪いけど、人数分の何か飲み物と軽く食べられる物を買ってきてくれ」
若手が倉橋の財布を受け取って、近くのドラッグストアーとコンビニに向かった。
倉橋は近くのブランコに座った。身体も心も疲れ切っているのは間違いない状況なのだ。
「流石にちょっと疲れたな」
「そうですね」
そう答える、真辺も限界をとっくに越えている。
真辺は近くのコンビニでレジャーシートを買ってきた。部下たちが食べ物や飲み物を買ってくるのが解っていたので、座れる場所を用意したのだ。
倉橋の所には、1人の女子社員が飲み物を持っていく。
皆が知っている事だが、その女子社員は倉橋の事を好きなのだ。年齢は離れているが、お似合いだと誰しもが思っていた。
「倉橋さん。いつものコーヒーでいいですか?ホットとアイスありますけど?」
「おっ悪いな。アイスをくれ・・・あっ余分にあるなら、ホットも置いておいてくれ」
「わかりました。あっお財布」
「あぁ足りたか?」
「大丈夫でした」
「そうか・・・それならいい」
倉橋は、女子社員から財布とアイスコーヒーを受け取った。
ブランコを少し揺らしながら、アイスコーヒーを飲んでいる。
「倉橋さん」
「ん?あぁこれから・・・そうだな。俺たちは・・・ほら、見てみろよ」
倉橋の笑った顔を夕焼けが照らす。
「綺麗ですね」
「そうだな。空は、いつも同じだよ。俺たちが見ているのも・・・そうだよな。まだできる事はあるよな」
倉橋は誰に言っているわけではなく、自分に言い聞かせるようにつぶやいている。
自分でも何を言っていたのか理解しているとも思えない。
「・・・くら」
「少し疲れたな。1時間くらい寝る。まだ大丈夫だよな?」
「え?あっはい。わかりました」
倉橋が目を閉じたのを確認してから、女子社員は倉橋から離れて、同期が居るレジャーシートに向かった。
1時間くらいしてから、流石に寒くなってきて、真辺が倉橋を起こして帰るぞと声をかける。
真辺が倉橋の肩に触れた時に、異変に気がつく。
「おい!救急車!いや、病院まで誰か走って、医者呼んで来い。医者・・・たのむ、誰か医者を・・・救急車・・・」
倉橋が、見上げて綺麗だと認めた空に虚しく声が吸い込まれて行く、遠くから救急車のサイレンが聞こえてくる。
真辺は、もっとも信頼して、尊敬していた、上司の最後を看取る役割を与えられたのだ。
「ナベ!」
篠原は、客先から会社に帰る途中で、連絡を受けて病院に駆けつけた。
「篠原さん」
「どういうことだ!」
「それよりも、客先には?」
「それよりもだと!」
「篠原さん。貴方は営業でしょ?」
「あぁそうだ。だがな、その前に人間だ!ナベ。説明しろ」
真辺は、淡々と感情を殺した声で、倉橋の死が過労死である事。そして、苦しんだ様子がない事を説明した。
「篠原さん」
「なんだ」
「俺が、俺が居たからですかね?」
「なに?」
「俺が、居たから、倉橋さんは・・・」
「ナ・・・ベ・・・。お前?」
篠原は、この時点で真辺の異常に気がついた。
真辺の足元に、赤い物が溜まっている。
「え?なんですか?」
「ナベ!お前。誰か居ないか?医者を呼んできてくれ!」
「誰もいませんよ。帰しましたからね。あぁ高橋だけは会社に向かわせました」
「それはいい。わかった。ナベ。もう、わかった」
「いえ、説明が終わっていません。篠原さん。倉橋さんは、俺の代わりに、アイツらのように俺の代わりに」
「違う。真辺!ナベ!おい、医者!」
「篠原さん。うるさいですよ。病院では静かにしてください」
篠原は、真辺が握っている手を開かせる。
爪が手のひらに食い込んでそこから血が流れている。
「篠原さん。気持ち悪いですよ。休暇は2日ですよね。あっそうか、倉橋さんが居ないから、俺が代わりに明日行きますね」
「ナベ。黙れ!」
真辺が座って、寄りかかっていると思っていた、壁にも拳の跡がある。
反対側の手がだらりと垂れている。そこからも血が垂れている。手が握れないのだろう。
医者が異変を感じて駆け寄ってきた。
その担当医が見た、真辺の状態は異常の一言で済ます事ができる状態を越えていた。
右手は、篠原が開かせたからかろうじて手のひらの裂傷で終わっている。
左手は、壁を殴り続けたのだろう。骨が折れているのが見ただけで解る。医者が確認した所では、折れた状態ではあるが、見た目よりひどい状態ではないという。レントゲンでの確認は必要にはなるが単純骨折ではないかと言われた。拳部分の皮膚が壁にこすられて、ひどい状態になっている。頭も壁に打ち付けたのだろう、耳から血が流れている。多分鼓膜が破れているのかもしれないという事だ。
着ていたスーツも血で汚れている。
「篠原さん。倉橋さんのご家族は?」
「あいつは天涯孤独だ」
「そうなのですか?俺と一緒ですね」
「え?ナベ?」
医者が真辺を処置室につれていく。
手の消毒とレントゲンを撮影するという事だ。明日、精密検査をしなければならないだろうという事だ。
「困ります。俺、客先に事情説明しないと・・・、だから大丈夫ですので帰ります」
「ナベ!大丈夫じゃない。倉橋さんはもう仕事ができない。あの仕事が好きだった人が・・・だ!お前まで居なくなるつもりか!頼む。頼むから、倉橋さんの代役はできないだろう。お前の代わりも無理だ。でもな。お前たち開発者にできない事を俺ならできる。あの仕事を、俺に任せてもらえないか?」
真辺は少しだけ考えて、篠原の顔を見てつぶやくような声で言葉を綴った。
「え?篠原さんがケツを持ってくれるのですか?」
「あぁそうだ。倉橋さんと真辺。お前の後始末を俺が付けてくる。頼む、たまにはカッコつけさせてくれよ。狙っている娘が居るからな」
ここで、真辺は篠原をまじまじとみてから、にっこりと笑った。
「どこの娘ですか?しょうがないですね。いいですよ。倉橋さんも、俺も少し疲れました。休んでいいですか?先輩?」
照れ隠しなのだろう、真辺が自分の事を、先輩と呼んだ。
真辺が篠原を先輩と呼ぶのは、プライベートな時で本当に真辺が疲れている時だけだという事を篠原は認識していた。
「あぁ休め。会社には俺から報告しておく、医者のいう事を聞けよ。仕事に出ようとするなよ?」
「はい。はい。寝ていいですか?少し疲れました。篠原さん。篠原さんは、奴らのように、俺を残して居なくなる・・・ことは・・・ないですよね?」
篠原は、真辺が意識を失うように寝た事を確認して、後のことを医者にまかせて、病院を出た。
これからの事を考えると、頭が痛い。これが『頭痛が痛い』という状況なのだろう。
社外への対応はそれほど難しくない。
もともと、倉橋の部隊はサポートなのだ。撤退しても大きな問題にはならない。会社の損害は皆無だ。中断を言われた時点で、精算の約束を取り付けている。
この二日間。正確には、土日を入れると4日間で、綺麗な撤退を行う必要があるだけだ。
この時に、篠原の頭の中には『撤退』の文字以外存在しなかった。
『篠原です』
『どうだ?』
『倉橋は過労死です。真辺もしばらく使えません』
『そうか・・・。他のメンバーは?』
『会っていませんが、今から訪ねたいと思います。車使っていいですか?』
『そうだな。時間が時間だから、そうしてくれ』
『ありがとうございます。もしかしたら、所在がわからない者が出るかもしれません』
『わかった。ピックアップを始める』
『お願いします』
『篠原。何人残ると思う?』
『わかりません。わかりませんが、真辺だけは残します。俺の感でよければ、そちらに向かった高橋は残ると思いますが、現場に出られるかはわかりません。会社にも何人か来ていますよね?』
『あぁ泣き崩れた高橋と5名ほどが来ている』
『ありがとうございます。多分、その5名と真辺だけだと思います。俺は、引き止めませんよ?』
『そうだな。それがいいだろうな』
『部署を変えるのはOKですよね?』
『問題ない。掛け合っておく』
『頼みます』
『篠原はどうする?』
『真辺たちを、ナベを守ります』
『具体的には』
『知り合いに新聞記者が居ます』
『・・・。わかった、俺とお前だけにしておけよ』
『はい。できれば、俺だけになるようにします』
『SIerは売っていいからな』
『それは売りがいがありますよ』
篠原は、電話を切った。
タバコを辞めたのが間違いだったと思ってしまっている。
「(こんな時に一服できればいいのだろうけどな)」
篠原と電話の相手が考えていた通り、倉橋の部下だった者たちの大半が辞めるといい出した。篠原は、引き止めないといいながら、一度会社に来るようにだけ伝えた。高橋と他5名は、条件付きだが残留の意思を示していた。
条件は、真辺が倉橋の部署を引き継ぐことだ。ずるい感情も有ったのかもしれない。死んでしまった上司の右腕であった、真辺も会社を辞めると思っていたのだ、それほど彼らには、真辺の憔悴しきった姿が印象深く残ってしまっていた。
『この人は心が死んでしまった』そう思っていたのだ。IT業界に長く居る人間なら、1人や2人や3人や4人くらいは心が死んでしまった人や複数の心を持ってしまった人を見てきている。6人は、真辺もそっちに旅立ってしまったと思っていた。
篠原は、6人以外にも会って話を聞いた。
公園によらずに帰った者にも話を聞きに行った。公園によらなかった者の多くは違う部署への移動を希望していた。
すでに時刻は、深夜と呼ばれる時間になっていた。
「悪いな」
「それで?」
「あぁ会社の人間が1人過労死した」
「え?なんで私にそれを?」
篠原が呼び出したのは、地元の後輩で後の篠原夫人になる女性だ。
大手新聞社に勤めていて、社会部の記者をしている。
「守りたい奴が居る。俺が矢面に立つから、奴に奴らに矛先が向かないようにしたい」
「それほどの事なのですか?」
「わからないから、お前に話をしている」
女性は少し考えてから、上司に連絡したいと言った。
篠原が了承したのを確認して、近くの電話から上司のデスクに連絡した。すぐに連絡がついて、上司はすぐに篠原を連れて新聞社に来いと言ってきた。篠原が了承したので、篠原の車で新聞社に向かった。
「篠原さんですか?」
「はい。貴方は?」
「失礼しました」
お互いに名刺を出して名乗り合う。
「それで何が有ったのですか?」
「話すのは構いません。そのかわり、俺以外への取材はしないと約束してください」
「・・・。わかりました。でも、他所の事までは約束できません」
「できませんか?」
篠原とデスクのにらみ合いが続く。
「ふぅ・・・。怖い人ですね」
「営業ですから」
「わかりました。大手と雑誌社の数社だけですよ」
「十分です」
「でも、先にネタを教えてください。それが条件です」
「わかりました」
篠原は、勤務表のコピーや資料を見せながら始まりから説明した。
過労死した倉橋の勤務表は、基準労働時間144時間を大幅に上回る勤務時間5133時間だ。残業だけでも369時間にもなっている。
「篠原さん。嘘ですよね?」
「おっしゃっている意味がわかりません」
「人がここまで働けるのですか?2月ですよ?」
「えぇそうですね。昼休みや食事の時間も含まれていますから、28日×2時間くらいは引いてください」
「それでも、残業313時間ですよ?」
「そうですね。これが2人と、あとは時間は半分ですが20名くらいです」
「おかしいですよ!?」
「そうですね。異常ですね」
「・・・。篠原さん。解っていますか?過労死を認定する時間は、150時間を超えれば十分に認定されますよ」
「えぇそうですね。でも、倉橋と真辺はこれを3ヶ月近くこなしています」
「3ヶ月・・・ですか?失礼ながらご家族は?」
「できると思いますか?」
2人の間で沈黙が流れる。
「ふぅ・・・。わかりました、これがIT業界で行われている事なのですね」
「そうとも言えますし、違うとも言えます」
「え?」
「説明が難しいのですが・・・あっそうだ。ナベ。あっ真辺のセリフなのですけどね」
「えぇ」
「『システムが止まって困るのは使っている末端の人間で上層部じゃない』というのがあるのですよ」
「??」
「わからないですよね」
「申し訳ない」
「新聞社でも、システムは導入されていますよね?」
「えぇ必要ないと思っていても、いつの間にかパソコンを使って書類を作ったり、記事の入力をして、入稿したりしていますね」
「ですよね。そのパソコンが止まったら困るのは誰ですか?」
「使っている俺たちだな」
「そうですよね。でも、システム会社や運営会社には上層部が文句をいいますよね?」
「そうですね。俺たちが直接いう事は無いですね」
「なぜですか?」
「他の業務がありますから、なんとか違う方法を考えますね」
「その部分ですね。ナベや倉橋が言っているのは、本当に『困る』のは。文句を言っている上層部じゃなくて、末端で働いている人たちで、その働いている人たちの業務を邪魔しないように、その人たちが働いていない時に、システム屋が直す」
「あっそれで・・・」
「えぇ倉橋や真辺は特殊な人間ですが、彼らだけが特別というわけではないのです」
それから篠原は、大手出版社の記者が集まるのを部屋で待っていた。
持ち込んだ新聞社がスクープとして朝刊に記事を間に合わせる。他社や雑誌社は、それの追従記事として詳細な情報や状況をわかりやすく説明した記事を夕刊や翌日の朝刊に載せる事になった。
残業300時間オーバーは流石にインパクトがでかい。
新聞社や雑誌社は、スケープゴートにされた中間会社や諸悪の根源にされそうになっているSIerに取材の申し込みをしている。篠原も、中間会社が嫌いなので、そちらは無視する事にして、SIerの担当に何度も何度も連絡を取っている。
新聞社の取材が来て、『倉橋と真辺の勤務表がバレた』と、いう内容をFAXで伝えている。
善後策を考える必要があるが、1社は朝刊に記事が掲載するだろうと伝えている。
落とし所は、完全撤退だが、倉橋も真辺も病院に迷惑がかかるのを嫌うだろう。
SIerから中断になったと連絡を受けている、その理由も倉橋と真辺の提案を全面的に採用する事になったからだ。しかし、2人を稼働させることはできない。1人は物理的に、もう1人は心情的に・・・。
篠原が、現場に張り付く事で納得させようと考えていた。
陽が照らす街並みの中を疲れ切った表情で篠原はSIerに向かっている。安全面を考えて車は、新聞記者の後輩に預けた。
呼び出しというよりも、悲鳴に近い懇談だった。
朝から、マスコミの取材申し込みが来ていたのだ。
篠原や会社は、倉橋の事が解ってから、SIerに何度も連絡を入れている。向こうの担当は中断が決まって、部下たちを連れて飲みに行っていた。
FAXやメールでの連絡をしていた。会社にも連絡をして、緊急な要件があると言って、伝言を頼んだ。
会社でも人を待機して連絡が来るのを待っていた。倉橋の部下6名も会社に残って、連絡待ちをしてくれていた。
それらの事が、マスコミに捲れて火に油を注いだ形になってしまった。
子会社いじめ、外注いじめの図式が出来上がってしまったのだ。
病院のシステムは、篠原が上手く立ち回って、真辺たちの会社が元請けになる事で決着した。
運営から全部を担当する事になったのだが、真辺たちの会社規模では難しいために、SIerに協力を求める事になる。病院の開業まで1ヶ月。倉橋と真辺の提案にかかれていた、使える機能だけをリリースして、それ以外はバージョンアップで対応する。
これで、病院は無事開業する事ができた。
SIerはこの件で大幅な赤字を作った。病院の開業までに必要だった人員と一回目のバージョンアップまでの3ヶ月間の人件費は、全部SIerの手出しとなったからだ。他にも、関連会社からの賠償請求などへの対応が必要になっている。パッケージ導入を決めた事で、パッケージの導入費用もそれに上乗せされている。病院は一切の妥協を許さない状況だった。
篠原は、潰れないギリギリの金額を聞き出して、病院に支払いをお願いしたのだ。
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「篠原さん」
「ナベ。もういいのか?」
「えぇ大丈夫です。病院は?」
「大丈夫だ」
「よかったです。それで、俺どのくらい寝ていました?」
「4日だな」
「そうですか・・・月曜日から仕事に出ないとダメですね。次の現場は?」
「安心しろ、用意してやる」
「ありがとうございます。働いていないと疲れちゃいますね」
「そうだな。でも、会社からの命令で、お前と部署の人間は、しばらくは保養所に行ってもらう」
「保養所?そんな物有るのですか?」
「お前な・・・会社の施設くらい覚えておけよ?」
「ははは・・・。そうですか、倉橋さんの事が、マスコミにバレた・・・のですね?」
篠原は何も告げないで、6名の名前と真辺の名前が書かれた。
保養所の申請許諾書と保養所までの地図を投げて渡した。
「ナベさん。私たちいつまでここにいればいいのですか?」
「さぁ?」
真辺は、篠原から状況を聞いているので、予測はついている。
今、ここに居る者たちが会社にでかけたりしたら、待ち構えているマスコミの絶好の的になってしまう。
マスコミが会社の前から居なくなるまでは、保養所で過ごす事になりそうだ。
「ナベさん。倉橋さんのお葬式は?」
「本人の希望で密葬になった。会社としての告別式は日を改めてやる事になるようだ」
「誰情報ですか?」
高橋も情報を貰っているようだ。
「俺は、篠原さんだな」
「私は、副社長から聞きました」
真辺の会社は小さいと言っても、社員数が400名のIT企業としては大きい部類に入る。大手を除けば、独立系ではかなり大きいといえる。
400名の人間が集まれば、派閥が産まれる。
派閥は、いくつかあるが、面倒なのは専務派だ。今は、外の会社に詰めている、社長の息子を呼び戻して、社長にしようとしている。大手のSIerに努めているので、それなりの人脈は期待できる。
もうひとつの派閥が倉橋や真辺たちを高く評価している現場叩き上げの副社長が所属する派閥だ。
倉橋や真辺たちが、自由に仕事ができたのは、この副社長の力に寄る所が大きい。副社長の下には、倉橋の元上司が居て、必要性を訴えている。
しかし、その倉橋が死んでしまった事で、部署の解体を叫ぶ声が大きくなっている。
特に、専務派閥の人間からの声が大きい。倉橋の部署を赤字部署だと言っているのだ。同調している株主も多く、このままでは解体は間違いない。
真辺は、解体されたら、そのまま会社を辞めようと考えていた。
篠原にもその旨は伝えてある。
真辺たちが保養所に来てから1週間が過ぎた。
会社の前に居たマスコミの姿も見えなくなった。
真辺たちは、来週の頭から会社に出てくる事になったのだが、真辺を除く部員は、自宅待機が言い渡されている。
会社に出てきても、部署がどうなるのかわからない状況なのだ。
「篠原さん」
「真辺。少し待ってくれ」
真辺は、会社に来たら、篠原の所まで来るように言われていた。
10分くらい待っただろうか、所在なさげに窓の外を眺めていた真辺の隣に篠原が立った。
「悪いな」
「いえ、暇ですからいいですよ」
「そうか、その暇な時間も終わるからな」
「え?辞めていいのですか?」
「なぜそうなる?」
真辺は篠原の真意を測りかねていた。篠原の動きは知っている。親切な人が教えてくれていた。矢面に立ってくれたのだ、本来真辺の役割を変わりにやってくれたのだ。
「篠原さん。部署は解体ですか?」
「そうだな」
「それじゃ、俺は必要ないですよね?」
「違う。違う。話を最後まで聞け」
篠原が説明したのは、真辺と高橋と残った6名は、一時的に倉橋の部署を抜ける。
専務派の連中が部署を潰すつもりで動いている、潰された時に倉橋の遺伝子を持つ人間たちを他の部署に吸収されないように、営業部で一時的に預かる事になったのだ。
「わかりました」
「そうか、ナベ。解ってくれるか?」
「えぇ篠原さんに貸しが出来たのですね」
「・・・。わかった、わかった、何が望みだ?」
「3名ほど、引き抜きたい者が居ます」
「うちの会社か?」
「いえ違います」
「そうか来てくれそうか?」
「俺の名前を出せば、考慮はしてくれると思いますが、表から堂々と引き抜いてほしいのです」
「うーん。わかった。今の会社と名前を教えてくれ、あと得意分野を含めた諸元が知りたい」
「わかりました。後でメールしておきます」
「それが条件だな」
「そう考えて貰って問題ないです」
「わかった。ナベ。頼むな」
「面倒事は嫌いなので、篠原さんに任せますよ」
「あぁ任せろ。それで部署は?」
「安心しろ、お前と高橋とあと6名でスタートだ」
「そうなると、火消しは無理ですね」
「そうだな。何ができそうだ?」
「最初は、社内の問題を片付けましょうか?営業のツールを作ったりしてはどうでしょうかね?」
「どのくらいだ?」
「引き抜きが完了するまでの6ヶ月くらいですかね?」
「わかった、それをベースに交渉してみる」
翌日、専務から倉橋さんの部署が解体する事が発表された。
部署に居たメンバーの移動も正式に発表された。
真辺と高橋と6名は、新設された、営業部付きの『インフラ担当』部署を設立して移動となった。真辺が部長を務める事になった。
その人事を好意的に見る人間たちは、真辺たちが『壊れた』と思った。倉橋の死を目の前で見て、現場復帰が難しいと思われている。そこで、内勤の部署を作って、順番に辞めさせられるのだろうと思ったようだ。
苦々しく思う人たちも居る。真辺を引き抜こうと思っていた部署の部長達だ。真辺の様な男は得難い人物だと思われている。能力面だけでも、使える言語や端末の数は社内で一番多い。ハードウェアから運用までの経験がある。業務履歴を出せば、大抵の仕事で役割が与えられるだろう。長期で囲いたくなる客先も出てくるだろう。
部署の立ち上げは、6月1日と決まった。
それまで、真辺たちは基本的には、自宅待機となる。
真辺は、定時で会社を出て、郊外に購入した自宅に向かっている。
天涯孤独。では、なぜ家など買ったのか?
答えは簡単だ。それが楽しそうだったから。今の会社にはいる時の条件で、真辺が自分で作ったツールやサービスを個人的に売っても良いことになっていた。そして、真辺が開発した様々なツールやサービスが、毎月家のローンと車のローンと毎月の飲み代を稼ぎ出すくらいになっていた。
真辺には、残業代がしっかり振り込まれてくる。毎月100時間を超える残業代だ。
それらの資金を使って、家を魔改造し始めた。また、ネット上での質問に答える事で、名前が売れて、出版社からIT関連の連載と書籍化の打診も受けた。書籍化はまとまった時間が無いために断ったが、毎月の連載は承諾した。
ネットでの知り合いも増えていた。コミュニティにも参加して居る。そこで知り合ったのが、引き抜きたい3名だったのだ。以前から、一緒に仕事できたら嬉しいとは言われていた。真辺は、社交辞令だと受け取っていたが、3人とも真辺側の人間なのだ。金と得るのも大事だけど、それ以上に楽しい事や新しい事をやっていたいと思っているのだ。
真辺は最寄り駅から歩いて20分くらいの自宅に向かう。
河原を通るコースと商店街を通るコースがあり、距離的にはそれほど差がない。
真辺は、河原を歩くコースを好む。この日も河原を歩いていた。
「みゃぁみゃぁ」
「ん?」
周りを見てみるが、猫が居る雰囲気ではない。
気のせいかと思って、立ち去ろうとしていた。
「みゃぁみゃぁ」
確かに聞こえる。
河原には、草が生い茂っている。
その中かもしれないと思い。真辺は、声がした方向に歩いてみる。5mほど進んだ所に、二匹の子猫が身体を寄せ合って鳴いている。まだ1歳くらいだろうか?
「お前たちも置いていかれたのか?」
「みゃぁ」
「俺の言葉が解るのか?」
可愛く首をかしげる子猫。
「ハハハ。そう言えば、カズの奴が猫飼いたいとか言っていたな。奴に自慢するのにいいかもしれないな」
「うみゅ?」
茶トラの子猫が二匹。
真辺の足元まで来る。
「わかった。お前たち、俺の家に来るか?」
「うみゅ」
「本当に賢いな」
真辺は、子猫を二匹拾った。
兄妹猫のようだ。拾ったその日に、動物病院に連れて行って、検査をしてもらった。少し栄養が不足していると判断されて、2~3日病院に預ける事になった。その間に病気の検査もしてもらう事にした。蚤の除去もお願いした。
真辺は、自宅待機になった期間に、子猫たちの部屋を確保して、必要な物を買い揃えた。
「俺が居なくても二匹で居れば寂しくないだろう?」
4畳ほどの車関連のパーツが置かれていた部屋を片付けて、子猫用の部屋にした。
動物病院から帰ってきた兄妹猫に、真辺は同級生がつけると言っていた名前「海」「海」と付けた。24時間様子が見られるように、Webカメラも取り付けた。丁度動画配信が取り沙汰され始めた事で、真辺も実験的に動画配信を行ってみた。この広告収入で、兄妹猫は自分たちのエサ代とトイレ用の砂代とエアコン代にはなっていた。自分たちで稼いでいる事になる。
朝出勤して、定時には帰る生活が続いた。
真辺にとっては、前の会社に入社した時に研修を受けている時以来の事だ。
そんな生活が5ヶ月ほど続いた。
「ナベ!」
そんな時に、篠原から声をかけられた。
休暇の終わり。真辺にはそんな予感があった。
「なんですか?」
「お前の部署に入る奴らを紹介したい」
本当に、休暇が終わったようだ。
会社で一番広い会議室に連れて行かれる。
そこには何度か朝まで飲んだ事がある3名が座って待っていた。
いつも会う時のカジュアルな服装ではない。しっかりとスーツを着込んでいる。
真辺は、篠原が自分の名前を出さないで引き抜いてきたくれた事が嬉しかった。
3人の表情を見ればそれが解る。俺は、3人に会社名を伝えていない。風のうわさ程度に、俺の上司が過労死した事は伝わっていたのだろう。
「ナベさん?」「え?なんで?」「真辺さん?」
「山本、井上、小林。ありがとう。篠原さんからどう聞いているのかわからないけど、この業界に存在が許されない部署だぞ?今ならまだ会議室を出ていくだけで、日々の安定した暮らしと、楽しくはないかと思うけど、安定した仕事が手に入るぞ?ここに残れば、こき使われて、最後は過労死が待っているぞ」
3人とも驚いて立ち上がったが、真辺の言葉を聞いて、椅子に座り直した。
真辺は、立ち上がって3人に握手を求めた。
3人も立ち上がって、真辺が差し出した手を握った。
「ようこそ、地獄の一丁目へ」
その後、篠原は会社の内外から人を集めた。
1ヶ月後に部署として正式に立ち上がる事になる。
倉橋の作った部署は、火が付いた現場での言語の違いや文化の違いによる問題を解決する部署だった。対外的には火消し部隊だと思われていたが、積極的に火消しに関わる事はなかった。結果的に火消しに巻き込まれる事が有っただけだ。
しかし、真辺と篠原が作った部署は、積極的に火消しに関わる。本当の意味の火消し部隊なのだ。
こうして、業界に存在してはならない部署。火消し専門の部署が立ち上がる事になった。
『火消し専門部署』社内で語られる時の部署名だ。
正式名称は、『営業部付きインフラ開発部』だ。その後、『副社長付きソリューション開発部』と看板が付け替えられる。
『火消し部隊』や『真辺組』と呼ばれる事が多く正式名称を知っているものは殆ど居ない。
真辺と高橋と山本と小林と井上と倉橋の死を乗り越えた6名と篠原が引き抜いてきた8名の合計の20名での船出となる。
5月末に、真辺は篠原と一緒に専務に呼ばれた。
面倒な話である事は間違いない。
「石黒専務。篠原と真辺です」
「よく来た。入ってくれ」
本来個室など必要ないのだが、権力を見せつけるかのように、石黒は個室を持っている。
社長を除くと唯一の人間なのだ。
それだけでも、篠原と真辺から見たら俗物に思えてしまう。
実際の所、俗物で間違っていない。だが、金主には評判がいいのも間違い事実だ。
「お呼びと伺いましたが?」
「篠原部長と真辺部長。おっ真辺君の辞令はまだだったな」
「それで?」
篠原も、石黒の事を嫌っている。上役だから最低限の礼儀を守っているだけだ。
「チッ。可愛げがない。まぁいい。真辺君。君にやってもらいたい仕事がある。受けてくれるよな?」
「お断りします。それで話は終わりですか?もう帰らせてもらいます。失礼致します」
席を立って、一礼して出ていった。
篠原は苦笑して、真辺を見送った。
真辺たちは、営業部付きという肩書が付いている。真辺に頭ごなしに命令する事は、専務でもできない。だからこそ、真辺は篠原に伝えていた。もし、石黒が真辺に直接仕事の依頼をしてきたら断ると宣言していたのだ。そして、多分頭ごなしに命令してくるに違いないと予測していた。事実、その通りになってしまったのだ。
「し、篠原!!!奴は、真辺の奴は!?」
「専務。今、真辺たちは、営業部付きです」
「あぁ知っている。だから、俺が、この俺が仕事を頼むのを、あの礼儀知らずが!」
「落ち着いてください」
「落ち着いていられるか!あいつを首にする!おい誰か!」
「無理ですよ」
「なに?」
「あいつの人事権は俺に営業部にあります」
「だからなんだ!俺は専務だ!」
「えぇ開発部の専務ですよね?石黒開発部専務」
「なっ」
「今の発言は聞かなかった事にします。石黒専務。営業部への人事に関する口出しは、貴方でもできない。お忘れですか?」
「・・・。わかった。篠原部長。前言を撤回する」
「ありがとうございます」
篠原は立ち上がろうとした。
「待て、仕事を頼みたいのは本当だ」
「真辺たちにやらせるのですか?」
「そうだ。倉橋の部下だった者も何人か残っただろう」
「えぇそうですね」
「それで、真辺が業務連絡用に作ったシステムを会社として導入させろ」
篠原は頭を抱えた。
石黒が言っているシステムは、もちろん篠原も知っている。知っているのだが、会社での導入ができない。難しい事も理解している。あのシステムは真辺が前の会社に居る時に、趣味で作り上げた物だ。
「はぁ・・・石黒専務。あれは、真辺が個人的に作った物です」
「だからなんだ。会社に属しているのなら、会社の為に使うのは当然だろう?」
「いえ、あれは、真辺が売っている物です。ですので、導入するのなら、真辺から買う必要があります。誰が予算を出しますか?」
「ふざけるな!社員が作った物を会社で使ってやると言っている!さっさと導入させろ。これは命令だ!」
「無理ですね」
「篠原、いいか、俺は命令した。お前の責任で導入させろ!」
「予算は?」
「必要ない!真辺は社員だ!」
篠原は何を言っても平行線になる事を察している。どこかに妥協点を探る必要がある。
篠原は、その後も石黒の説明という名前の暴言を聞き続けた。
それでわかったのは、部下である部長たちから、倉橋が導入していた物が会社で導入した物なら自分たちも使わせろという言葉を得て、倉橋の部下だった者たちから聞いた所、『真辺が導入したと聞いて、それなら仕事として導入させればいい』と、考えたようだ。
篠原はすでに説得を初めて1時間が経過していた。すでに、ため息しか出てこなかった。
「石黒専務。無理な物は無理です。最低でも、予算を付けてください。社内規定でも、他の部署の社員を動かすときには、予算を付けなければなりません。その上で、真辺から買うのが無理ならメンテナンス費を営業部に払ってください」
篠原は、これが落とし所だろうと思っていた。
真辺には、営業部から金を出す。営業部の予算で買える金額ならそれでいいし、ダメなら分割にしてもらうように交渉する。
「わかった。それでいい。見積もりを出させろ」
重い足取りで、篠原は部署に戻った。
真辺は、篠原が帰ってくるのを待っていた。
「それで奴はなんて言ってきた?」
「ナベ。お前・・・。もう少しいい方が有るだろう?」
「無いですよ。あんなクズには、あのくらいでないと、わからないでしょうからね」
篠原は、真辺に話の概要を伝えた。
「わかりました。部署の人間を動かす分の見積もりをお願いします。山本と小林と井上でやります。ハードウェアやネットワークは実費という事にしておきますよ」
「ナベの分はいいのか?」
「篠原さんに貸しておきますよ。営業部の手柄にしてください」
「わかった。それで実際に売った時には、いくらで売った?」
「ソースなしの実行環境のみなら、25万。ソースありなら150万です」
「どっちで売れた?」
「ソース有りが3件と無しが5件です」
「ほぉ・・・。ソース有りの値段で見積もっておく」
「わかりました」
篠原の作った見積もりを、石黒に承認させた。
これで、皆が一斉に動き出す。
ハードウェア周りは、真辺と山本が中心になって見繕って発注をかける。
ソフトウェアの改修は殆どないものの、要望を取り入れた形で変更する必要がある。その部分は、井上が担当する。
真辺が作った物は、マニュアルが存在しなかった。そのために、小林が中心になってマニュアルの作成を行った。
「ナベさん。本当にいいのか?」
「ん?何が?」
「いや、いいのなら問題ないけど、ばれないか?」
「山本。バレると思うか?」
「思わないから聞いている」
「だろう?だから、気にするな。それに、しっかり見積もりの時に入れ込んだぞ?」
「何を?」
「見るか?」
「あぁ」
真辺は、山本に提出した見積もりを見せた。
値引きの条件として『ネットワークログ及びパケットの内容を、今後の開発及び部署の運営に役立てる為に保管する。閲覧は、部署内に留めるが、報告書への添付は行う場合がある』と、明記してある。
「はぁ?これって、合法的な盗聴じゃないのか?」
「言葉が悪いな。俺は開発で必要になるからログが欲しいと思っただけだぞ?それに、SSLで暗号化した内容までは読めないからな」
「まぁそうだけど、メールは暗号化していないよな?」
「ん?俺はしているぞ?」
「ナベさん・・・」
「なんだよ」
「はぁそう言えば、こういう人だったなと思っただけだ」
「そりゃぁご愁傷様。そう言えば、山本とは社会人になる前からの付き合いだったな」
「あぁもう無くなってしまったけど、あのコミュニティだったからな」
「そう考えると長い付き合いだけど、これがはじめての仕事だよな」
「そうだな。遊びに行ったり、議論したり、アメリカにも一緒に行ったけど、仕事はなかったよな」
「あぁ何にせよ、地獄を覗いたからには、これからよろしくな」
「解っていますよ。真辺部長様」
「言っていろ、それじゃ頼むな」
「了解。任せておけ!サーバもきっちり仕上げておいてやる」
山本が指摘した通り、この仕事にはいくつかの毒が紛れ込んでいた。
しっかり篠原を通して説明した。もちろん、石黒専務にだけだ。真辺が昔のメンバー経由で聞いた所、石黒専務は篠原と真辺を恫喝して導入させた。俺の手柄だと言っている。したがって、誰にも見積もりの事を相談していない。
社内での支払いもごまかされる可能性があるが、真辺はそれでもかまわないと思っている。
見積もりを出して、承諾されて、依頼書も貰っている。金額が入った物だ。その上ハードウェアやソフトウェアの導入をしている。これで支払いを渋ったら、それまでの人間だと思う事にしている。十中八九渋るだろうとは考えている。
「ナベさん。マニュアルできたけど、どうする?説明する?」
「いや、説明はいいよ。小林には悪いけど、事務には説明しておいて欲しい。あぁログの件は聞いている?」
「山本から聞いたよ。かなりあくどいな」
「何のことかわからないけど、有効だろう?」
「あぁ有効だ。事務の説明は、俺だけでいいのか?誰か連れて行くか?」
「そうだな。高橋を頼む。多分、彼女は、現場には連れていけない」
「そうなのか?」
「あぁ本人は大丈夫だと言っているけど、多分無理だ。悪いけど、高橋の面倒を見てほしいけどいいか?」
「俺が?」
「あぁお前が適任だ。それに、彼女なら、お前の役に立つと思うぞ?」
「わかった」
「頼む」
真辺は、高橋が、今後火付け現場に出た時に、無茶をすると思っている。
多分、それは間違いないだろう。高橋は、倉橋が死んだのに、自分が生きている事を悔やんでいる。自殺しなかっただけ良かったとさえも真辺は思っている。そんな高橋は、現場に出れば、自分のキャパを越えて無理をするだろうと思える。だからこそ、現場に一番近い場所で現場の匂いが漂ってくる場所に置いておく事を考えたのだ。
一番いいのは事務だが、高橋は納得しないだろう。
そうなると、小林がやっているユーザサポートやマニュアル作成などの作業だ。火付け現場では必ずマニュアルやドキュメントが後回しにされる。そこを、小林と高橋でまとめてくれれば、真辺たちも動きやすい。
高橋は、真辺の予想以上に小林の作業にマッチした。
社内といえ、苦情を言ってくる者は多い。それらの対応を、高橋は見事にさばいた。その御蔭で、小林の行動までかなり楽になったのだ。
「どうだ?俺の作成したモジュールは?」
「ナベさんか?文句はない。文句はないが、なぜモジュールがホンダの車やバイクの名前になっている?」
「あ?そんな事決まっている素晴らしい物だからだ!」
なぜか、ホンダ車と日産車の素晴らしを競い合う2人。
「はぁもういいですよ。それよりも、改修は終わったぞ」
「ありがとう。問題はありそうか?」
「そうだな。もしかしたら、デザイナを入れたほうがいいかもしれないな」
「そうか・・・。でも、それは、パッケージにするといい出した奴にやらせよう」
「わかった。それもそうだな。まだ、社内ツールだったな」
「あぁサーバの方も、山本が作ってくれた。あわせこんでくれ」
「わかった。開発サーバはどうする?」
「うーん。パージしたいけどな」
「もったいないぞ?」
「わかった。俺が買い取る」
「いいのか?」
「実質的には、篠原さんに買ってもらうだけだ」
「あっ!営業部のサーバにしておくのか?」
「丁度いいだろう?」
「そうだな。わかった、後で山本と詰めておく」
「頼むな」
皆の協力で導入はスムーズに進んだ。
各部署に倉橋の部署に居た時に使った事があるメンバーが居たのも導入がスムーズに進んだ理由である。
倉橋の死から、7年が経過した。
その間、真辺たちは日々火消しに追われる生活をしていた。
真辺の部署は、人の出入りはそれほど多くない。多くないが、入ってくる人間が少ない。
20名を少し超えるくらいで推移している。
「ナベ」
「あ?あぁなんですか?俺は、明日からの休暇の為に、一番見たくない人の顔を見るのですか?」
「お前、何言っているかわからないぞ?休んでいるのか?」
「休み?休みなんていついらいですか?俺を避けて通っているようですよ」
「あぁ新しい仕事じゃない。お前が希望を出していた人員の話だ」
「なんだ、それなら早く言ってくださいよ。それで?」
篠原は、真辺を睨んでから、一枚の履歴書を渡してきた。
「お前の所で預かって欲しいけど大丈夫か?」
「旦那。わかっていますか?俺の所は、火消し部隊ですよ?」
「少し問題が有るからな」
「問題?」
「この前の話は聞いたか?」
「えぇ聞きましたよ。あれは、教官が悪いですね」
「そういうお前だから頼みたい」
「そういう言い方ということは、教官の1人ですか?」
「あぁ正確には、1人だけ残った教官だな」
「そりゃぁ確かに、他の部署じゃ扱えないですね。爆弾を中に抱え込むような物ですね」
「あぁそうだ」
「わかりました。最終的には、会って話を聞いてからですがいいですよね?」
「あぁもちろんだ。今、彼女を待たせている」
「待たせている?どのくらい?」
「あぁ彼女が自ら望んだことだ。待ちたいと言っていたぞ。青い鳥でも来てくれるのを待っているのかも知れないな」
「笑えない冗談はやめてくださいよ。でも、わかりました。それで心が残っているようなら、俺が鍛えますよ」
「頼む」
「そうだ・・・。名前は?」
「石川だ。今年3年目だ」
真辺は、渡された履歴書を丸めて、ポケットにしまった。
読むつもりは無いのだろう。
石川は、元々は開発部に所属していた。
真辺の会社は、ここ数年で大きく変わった。社長が死んだのが一番の理由だろう。
社長は、副社長がスライドする形で社長になった。
そこまでは良かった。しかし、石黒が先代社長の息子を担ぎ出して、副社長にした。開発部の全権限をバカ息子に集中させたのだ。真辺たちの部署は副社長付きという部署だったので、そのまま社長付きに変わった。
そして、社長になった元副社長に変わって、倉橋の元上司が副社長に就任した。
営業部と開発部が二つに分かれる事になる。開発部は、大手SIer出身の部長たちが占める事になり、完全に子会社のようになってしまっている。営業部は独自に動いては居るが、仕事の流し先が社内ではなく、協力会社になってしまっている不思議な状況になっているのだ。
真辺たちの部署は社長付きのソリューション開発部という事になっているが、内外には火消し部隊や真辺組と説明したほうが伝わりやすい。
「旦那」
「あ?」
「『あ?』は無いでしょう『あ?』は!」
「すまん。それでなんだ?」
「石川ですが、了承しているのですか?」
「している」
「そうですか、高橋を・・・。いや、小林だったな。あぁ面倒だな。高橋に話をさせてもいいですよね?」
「あぁ任せる」
真辺は、殺された佐藤も殺して自殺した田中も正直興味はない。真辺の興味は、石川という同期が新人教育の最中に殺された事実をどう考えるかを知りたいと思っていた。
篠原の話から、乗り越えていると思えるのだが、実際は会ってみないと判断できない。
篠原に言われた部屋の前まで来ている。
少し不思議に思った。この部屋は、ある部署があった部屋だ。俗称はBB=ブルーバード=青い鳥。石黒が作らせた部署で、心が壊れた人間を押し込めておくための部署だ。そして、石黒や開発部の部長たちは、この部署は、SIerで使えなくなった者を引き取って人員整理の手伝いをする事で、仕事を得ていた。
この部署が解体されたのは、SIerからの資金が途絶えたからだ。
正直、真辺は開発部の新人教育をよく思っていなかった。
詰め込みというよりも、応用力がない者ができるだけだと思っていて、何度か余計な事だとわかりながら、新人教育に関して意見具申をしていた。却下はされていた。
真辺は、石川の境遇には配慮するが、同情するつもりは無いようだ。
「はい!」
真辺はドアをノックして部屋に入った。
部屋には、緊張した面持ちで女性が1人待っていた。
「(3年目という事は、25-6だな)石川さんですか?」
「はい。石川です。真辺部長。よろしくお願いします」
石川は、深々と頭を下げる。石川は、ここで真辺がNOと言えば行く場所が無くなってしまう。そのくらいは解っている。自分がやらかしたわけではないが、やらかした人間の方に属していたと思われるのは間違いない。元の部署に戻る事はできない。
だから、石川は必死になっていたのだ。
「篠原さんから何を聞いたかわかりませんが、私の事を部長と呼ばないようにしてください」
「え?あっ。わかりました」
「よろしい。それでは、いくつか質問しますがよろしいですか?」
「はい」
「最初の質問ですが、会社を辞めるという選択肢を選ばなかった理由は?」
真辺は、最初から答えにくい質問をした。
この質問にどう応えようが実際には関係はないのだが、この質問をしないのはおかしな話だということも解っていた。
「負けたくなかったからです」
「誰にですか?」
「自分にです」
「それで?辞めなければ、”負けない”のか?」
「いえ・・・。わかりません。わかりませんが、あんな人を見下していた人間の為に、私が会社を辞めるのは違うと思ったのです。だから、辞めなければ、私の負けではありません」
「そうか、でもその選択肢で、地獄を見る事になるかもしれないぞ?」
「かまいません。前の部署でも、新人研修でも、私は自分で選んでいません。でも、今は自分で選んでここにいます。だから、選んだ結果地獄だったとしても誰も恨む事はありません」
真辺は少し面白くなってきた。
この目の前に泣きそうな表情ながら、自分を睨むような、挑むような目つきで見ている人間を鍛えてみたくなってきていた。
「俺たちの部署は、火消しを中心にやっている」
「はい。聞き及んでいます」
「即戦力が必要だ。もっと言えば、即戦力になるくらいじゃなければ必要ない。石川さん。貴女が俺たちに提供できる戦力はなにかありますか?」
「・・・。ありません。ありませんが、戦力にならない状況を提供できます」
「ほぉ面白いですね。どういう事ですか?もう少し説明が必要だと思いますが?私に解るように説明できますか?」
真辺は、この石川の答えで100点を出してもいいと思っていた。
自分が期待した以上の答えを貰ったのだ。
石川は必死に説明しているのだが、自分で何を説明しているのかわからなくなってしまっているようだ。
それでも、必死に訴えている。自分が何もできない事を把握して、それでも何もできない事の利点を話しているのだ。
ドアがノックされる。
「ナベさん!」
「おっ高橋。丁度良かった。ちょっと面倒を見て欲しい奴が居るけど、大丈夫か?」
真辺の言葉を受けて、石川は少しだけ拍子抜けする表情をして、ひとまずは真辺の部署に向かい入れられた事がわかったのだろう。嬉しそうな顔になる。
「ナベさん。若い子を地獄に誘うの?」
「俺は辞めておけと言ったのだけどな?石川さん。最後の確認です」
「はい!」
「貴女には、2つの選択肢を与えます。どちらを選んでもいいです」
「はい」
「一つは、このまま部屋を出て何もかも忘れて会社を辞める。もう一つは、今ここに来ている高橋についていってこいつの旦那からユーザサポートやマニュアル作りやテストの方法を学んだあとで山本からサーバやネットワーク周りの事を、井上から開発環境や言語的なことを吸収する。どちらを選んでも構いません。辞める場合でも、篠原さんが次の就職の世話をすることを約束します」
真辺が提示した条件は、どちらを選んでもかまわないというレベルの物ではない。
提示された石川は、迷わずに、高橋にお願いしますと頭を下げた。
この日から、石川の本当の意味での新人教育が始まった。
真辺は、高橋に、しばらく石川に付いているように依頼した。
高橋は、小林と結婚して、現場を離れた。営業部に移動になったが、営業部付きながら真辺の部署に所属するという少し変わったポジションに居る。石川も、真辺の所で預かるのは決まっているのだが、正式の決定までは、営業部預かりになっている。その意味でも、高橋が面倒を見るのが適当なのだ。
石川は、高橋と一緒に小林からユーザサポートに関する教育を受けている。現場にも連れ出している。小林も、真辺から、全部教え込んで欲しいとお願いされていたのだ。それは、山本も井上も同じだ。
石川は知らなかった。
これから自分に待ち受ける運命を・・・。
真辺は知っていた。
火消しに必要な事は、飛び抜けた実力や技術では無いことを・・・。
篠原は忘れようとしていた。
真辺という人間が自分の為になにかをする男では無いことを・・・。
「ナベ!」
呼ばれた真辺は無視する事にした。正直なことを言えば、嫌な予感しかしない。声の主はすぐに解る。篠原営業部長だ、さっきの報告にも顔を出していたし、真辺が休暇を取る事を知っているはずである。
真辺は知っている。ここで、返事をしてしまうと、明日からの休暇がなくなってしまう可能性が高い事を・・・。
「ナベ!!聞こえているのだろう!」
真辺は聞こえないフリをして、自分の部署に急ぐ。
篠原と真辺の付き合いは長い。この会社に真辺を誘ったのが篠原だ。もう20年近い付き合いになる。篠原は、真辺の5つ上の先輩になる。前の会社に居た時に知り合ったのだ。
「ナベ。急ぎの仕事じゃない。休み明けの相談だ!」
「旦那。それなら、そう言って下さいよ」
「お前が無視するからだろう。それで、この後時間あるか?」
「え?ないですよ。この後、予定があります」
「おぉそうか、予定はないのだな」
「あいかわらず、人の話を聞かない人だな」
「解った。解った。おまえの好きな物、食わせてやる」
「あぁ・・・。はい、はい。どうせ断ってもダメなのでしょう」
「まぁそうだな。強制とはいいたくない」
「わかりましたよ。それじゃ、いつもの店でいいですか?旦那のおごりですからね。こっちからは誰か連れていきますか?」
「そうだな。医療系に詳しい奴が居たよな?」
「居ますよ。何系ですか?」
「全般的な事が解ればいい。」
「あぁ・・・。だから、電子カルテなのか、機器操作なのか、医事会計なのか、それもとオーダーですか?産婦人科と歯科は勘弁してください」
「さぁな。お前を名指しの要請だからな」
「・・・あぁ・・・はい、はい。それなら、俺が一人でいいですよね?」
「そうだな。それじゃ、19時にいつもの店に、俺の名前で予約入れておく」
「はいはい。19時ですね。また中途半端な・・・」
「先方の指定だからな。絶対に来いよ」
「解っていますよ。それじゃ後ほど・・・」
真辺は、篠原に手を振りながら別れた。
今の会話から、病院関係の仕事である事はわかる。名指しという事は、病院から直接の依頼だとも考えられるが、それよりも大手のSIerからの依頼である可能性が高い。
面倒な事にならなければ・・・。大抵こういう場合は、面倒な事になる。火が噴いている現場じゃなければいいと思っているが、自分を名指しという事は、それも考えにくい。
憂鬱な気分のまま、時間まで自分のデスクで時間を潰す事にした。
「ナベさん。どうかしました?」
デスクに座ったら、部下が声をかけてきた
「あぁ篠原の旦那に呼び出された」
「え・・・。イヤですよ。私、もうお休みの予定で、ツアーの申込みしちゃったのですよ」
女性で、石川聖子。真辺の部下になってから、4年目。真辺の部下の中では若手だ。
「あぁ大丈夫。業務開始は、6月からだよ」
「そうなのですか・・・。良かった。それで、私たちの休暇はどうなりました?」
「大丈夫だよ。全員分受諾してもらった」
あちらこちらから、”うしっ”や”やった!”などと声があがっている。
やはり、皆気になっていたようだ。
真辺は、部下に”真辺さん”や”部長”とは呼ばせていない。現場でも、”ナベさん”と呼ばせるようにしている。
客の上層部が入った会議では、しっかり役職で呼ぶようにさせているが、それ以外の場所では、”ナベさん”と呼ばせている。
それにも理由がある。現場で”部長”などと呼ばせると、真辺にも決定権が有るのではないかと勘違いするものたちが出てしまう。その為に、自分たちはサポート部隊である事を認識させるために、役職では呼ばないように徹底している。
「ナベさん。それじゃ、明日からお休みでいいのですよね?」
「あぁ問題ない。どうせ有給が余っているだろう?しっかり休めよ。最初の一週間は俺の権限で振替休日を割り振っておいた。後は、好きにしろ!」
「はぁーい」「了解。」
全員がきっちり休むようだ。
「次の現場の情報はいつもの方法ですか?」
「あぁロクでもない場所かもしれないけど、解ったらMLに流す。俺が出社予定の日も流すから、都合が良い奴は会社に出てきたら、話をきかせてやる」
「了解です。それじゃ、私は上がります!お疲れ様!」
皆口々に帰りの挨拶をしていく。
真辺の部署にはタイムカードが存在しない。真辺が廃止したのだ。その代わり、全員が固定給になっている。
残業代が出ると思うと甘えになるという考えだが、月100時間分の残業代が上乗せされた金額になっている。これも、会社側との交渉の結果だ。出向を行う時の手当や、徹夜した時の手当や、休日対応には別途上乗せされる計算になっている。
ただ、仕事が入っていないときには、上乗せ分がカットされる。そして、会社規定のフォーマットでの出勤簿の提出が義務付けられている。
部下たちの休暇の予定を確認し終わった。
「さて、後30分くらいか・・・プラプラ歩いていけば、丁度いいくらいだな」
席を立って、会合が行われる鉄板焼屋に向かった。
会社を出て、大通りを歩いて移動する事になる。
約束している鉄板焼屋は、すこし高級な店で、スポンサーが居る時でないと使う事はない。
篠原との会合ではよく使われる店なので、”いつもの店”と、いう言い方になっている。
店の重厚なドアを開けて入ると、肉が焼ける、いいにおいが漂ってくる。
「19時に篠原の名前で予約されていると思います」
真辺は、出迎えた店長にそう告げる。
「伺っております。どうぞこちらへ」
店長が案内したのは、いつものテーブル席ではなく、奥にある個室だ。
(ほぉ・・・。よほど、太い客なのか?)
個室は防音になっている上に、専用の料理人が付く。それだけ通常料金に加算される。
「こちらです。何かお飲み物をお持ちしましょうか?」
「あぁ全員揃ってからお願いします」
「かしこまりました」
飲み物は、ノンアルコールから、少し変わった酒まで用意されている。篠原が予約を取るときには、相手の趣味がわからないときには、今のように店員が飲み物を聞いてくる。相手の好みが解っているときには、店員は飲み物の名前を告げてくる。
教は、飲み物を聞いてきたという事hあ、少なくても篠原は少ない回数しかあった事がないのだろう。真辺は、少ない情報から相手の素性を探し当てるかのように推理をしていた。
店長が出ていってから、席を見回すと、まだ誰も来ていないようだ。
テーブル席になっていて、手前に鉄板がセットされている。
客がわからないので、一番の下座に座って待っている事にする。
全部で5名の様だ。こちらは、真辺と篠原だけで、先方が3名なのだろう。上座の方に、3つセットされている。
19時をすこし回った時に、ドアがノックされた。
先程案内した店長が入ってきて、待ち合わせの人たちが着いたと知らせてくれた。
立ち上がって、迎い入れる。
(篠原の旦那は遅刻か?)
先頭で篠原が入ってくる。その後に、前の会社で同僚だった片桐が入ってきた。
その後に、片桐の上司と思われる人間と、システム屋特有の匂いがしない人物が入ってくる。
(もしかして、ドクターか?)
座席に着いてから、ドリンクを注文した。
料理はコースを頼んであるようだ。コースの説明と苦手な物があるか聞いてくる。苦手な物があれば別の物に変えてくれるようだ。オーダーを終えて、座席に着いた。
篠原が仕切るようだ
「松本先生。本日はありがとうございます。弊社の真辺です。」
「はじめまして、真辺といいます。」
それから、各々が挨拶をする。
やはり、SIer案件だ。片桐は前の会社を退職して、自分で会社を興した。そこで、世話になった人が隣に座っている大手SIerの白鳥だ。片桐の話は、今度ゆっくり聞く事にして、仕事の話に入る事になった。
食事をしながら、大まかな話を聞いて、食後に依頼内容の確認をする事になった。篠原と片桐が、やけに真辺を持ち上げるのが気になって仕方がなかった。こういう時の仕事は、何か裏がある場合が多い。予算的な問題だったり、納期までの期間の問題だったり、その両方だったり・・・。そして、事故物件である可能性が高い。
面倒な話になる事は、この時点で確定した。
本来なら美味しいはずの、黒毛和牛200gのコースが美味しく感じない。ドリンク込みで約2万円/人が無駄に消費される。
最後のデザートが出てきた。
同時に、食後のドリンクを頼んだ。
「それで、真辺部長には、全体を見ていただきたい」
「全体とは?」
食事中の話から、松本先生と呼ばれて居た人物は、やはりドクターだ。
ドクターと言っても、経営をメインにやっている人物だ。
そして、10月から開業する医療施設付きの介護老人ホーム 及び 知的障害児者施設 及び 幼保育園 及び 出張介護マッサージ事業 のオーナーである。
なんとも統一性のない複合施設だが、その出張介護マッサージ事業のシステムとWebサイトを片桐が行っている。その他のシステムをSIerが請け負っていて、幾つかのメーカーに入札を行わせているという話だ。
基本的にはパッケージを導入して、運営しながらカスタマイズをしていく事を考えている。そう、SIerは説明していた。香ばしい匂いしかしてこない。10月カットオーバでまだメーカーも決まっていない。
会計システムは一つにするつもりだろうけど・・・従業員の教育や接続を考えたら、もうギリギリだな。
それでも、SIerは大見得を切っているようだ。6月から、建設中の病院や施設に入られるようになるので、それまでにパッケージを決めて、6月はじめから導入を開始すると言うことだ。
6月から集まったメーカーや開発会社の取りまとめをやってほしいという事だ。
本来なら、SIerがやれば美味しい話だが、SIerはハードウェアとネットワークを担当する。”その為に、全体のまとめをする人員を割くことができない”という、言い分だ。
明らかにおかしい。返事を保留したい案件である。
真辺と篠原は、ハンドサインを決めてある。実際に、営業中に、即答を求められる事もあるためだ。
返事を保留したいときには、両手をテーブルの上に載せて、両手の指を絡めるようにする。
OKの場合には、右手だけをテーブルの上に出す。
NGの場合には、左手をテーブルの上に出して、テーブルをコツコツと叩く。
真辺は、保留のサインを出した。篠原からは受諾のサインが返された。
「松本先生。白鳥部長。なにか、資料などがございましたら、検討してお返事を差し上げたいと思います」
「篠原さん。返事はいつ貰えるのですか?」
「はい。見積もりと合わせるのでしたら、1週間程度は頂きたい」
「・・・解りました。1週間ですか?なる早でお願いします。松本先生。よろしいですか?」
「あぁ・・・・そうだ、真辺さん。よろしかったら、一度病院に遊びに来て下さい。そうしたら、詳細な説明も出来ます」
「あっありがとうございます。あいにく、すこし予定が有りまして、即答出来ませんが、後日予定を調整いたしまして、お伺いしたいと思います」
「真辺さん。うちの会社にも寄って下さい。そこで説明できる人間を紹介致します」
「わかりました。先程話した通り、予定を調整しなければならないので、篠原から返事を差し上げる事になると思います」
「解りました。よいお返事お待ちしております」
この後は、すこし雑談をしてから、篠原は松本と白鳥を連れて夜の街に消えていった。
「片桐。すこし付き合えよ。聞きたい事が山ほどある」
「・・・。あぁ・・・。わかった」
真辺は、片桐を伴っていつも部下たちと行く居酒屋に向かった。
この居酒屋は独立系の居酒屋でオーナーが趣味で始めた店だ。独立系なので、チェーン居酒屋よりは値段は少々高いが、味がいいし、酒のセンスもいい。それに、店の作りが気に入っている。小さな個室から大きな個室まであるので、よく使っている。真辺の知り合いがデザインをした事でオープン時に紹介されてからの付き合いだ。
店に電話をかけて、個室の状況を聞いた。幸いにも、小さい個室が空いているという返事をもらったので、”今から行く”とだけ伝えた。
「いらっしゃい。ナベさん。個室に、ボトル置いてあります。お通しは要らないですよね。串を適当でいいよね」
「あぁそれで頼む」
「お連れの方の飲み方は?」
「あ。俺は、何かノンアルコールを」
「あっ解りました、ウーロン茶でよければ、セットで置いてあります」
「あっそれじゃそれもらいます」
店に入って2分で注文が終わった。
真辺が好きで頼む物は店側も把握しているので、何もいわないで『いつもの物』が出てくる。
この店の常連である真辺は、部下達も気楽に使わせている。
真辺は、高給取りだが、金の使いみちが多いわけじゃない。唯一の家族をなくしてからは、夕飯もここで済ます事が多くなっている。
支払いが面倒になって、店長にまとまった金額を預けるようにしている。信頼していると言えば聞こえがいいが、裏切られたらそれはそれと思っている所がある。
ボトルも部下たちが勝手に飲んで新しい物を入れる。新しいボトルもデポジットから引かれるようになっている。昼のランチも始めてくれて、昼と夕飯をここで食べるようになっている。
「片桐。話せよ。何が問題だ?」
手酌でウーロン酎ハイを作りながら、”ド直球”で聞いた。
「・・・。なんの事だ」
「今更隠すなよ。急に、俺の事を思い出して、美味しい仕事をくれるほど、俺とお前は仲が良かったわけじゃないよな」
「・・・。あぁそうだな。お前の話は、村田さんから聞いた」
「そうか、半年位の前の案件で、村田さんの所から人が入ってきたな」
「そうだ、俺もこの仕事を受けてから、誰か居ないかと思って、村田さんに話をしたら、お前の話が出てきて、篠原さんも一緒だって云うから、連絡した」
「経緯はわかった。それで、”なんで”俺に話を持ってきた?今の口ぶりだと、村田さんに断られているのだろう?」
「あぁ考えても見ろよ。電子カルテが解って、医事会計が解って、ネットワークやハードウェアの事が解って、医療機器の接続が解って、施設運営や老人ホームや給食の事が解る人間なんて居ないぞ」
「別に、俺が全部に精通しているわけじゃない」
「それでも、お前なら、全部の担当と話ができるだろう?」
「ある程度は・・・な。システム構築した経験はあるからな」
「頼む。受けてくれ」
片桐は、テーブルに擦れるくらいに頭を下げた。
「頭上げろよ。だから、どうしてだ?まだ始まっていないプロジェクトなのだろう?」
「・・・」
「違うのか・・・あぁそうか、そういう事か・・・事故物件なのだな?」
「・・・そうだ。連続しているのは、俺だけだ」
「SIerは知っているのか?」
「・・・・あいつらが元凶だ。元々は、あいつらの別部署が訪問介護マッサージとWebサイト以外を担当するはずだった」
「ほぉそれにしては、根を上げるのが早くないか?」
「・・・・。ナベ。黙っていてくれるか?」
「あぁ・・・出来る限りでな」
「そうか、なるべくなら黙っていて欲しいが・・・」
片桐が話すのはよくある話だ。
大手SIerが受注した案件を子会社丸投げする。そして、子会社がシステム会社に自社案件として仕事を流す。そして、システム会社は、派遣から人を集めて体裁を整える。
業務知識もないままに”言語知識”と”経験”だけの人間が集まる。最初の頃は期間もあるから、集まった人間にも余裕がある。余裕があるからある程度の業務知識の吸収もできる。作成を始めると、当初の予定より、人手が必要な状況になってくる。これは、業務知識がない人間を担当者にしてしまった事で発生する弊害だ。
この辺りで客に説明すれば、被害は部分的な物になる。しかし、SIerの子会社は、自社の失点になる事を恐れて、システム会社に責任押し付ける動きをする。
要求が増えていく中、システム会社は人の補充が出来ないまま時間だけが過ぎていく。派遣で来ている人間への支払いが難しい状況になるのに、それほど時間は必要としない。
資金ショートが、目の前に迫ってくる。
数年にも渡るシステム開発は、確かに大手には美味しい案件だが、小規模のシステム会社では社運をかけるほどの物だ。
資金ショートしてしまった、システム会社は回収が出来ない状態で、飛んでしまう。
慌てるのは、子会社だ。SIerから丸投げされていた子会社は、客への報告を行っているが、システム屋特有の言い回しでごまかしてきていた。
子会社は、飛んでしまったシステム会社の変わりを探し始める。時間との戦いだ。業界は、広いようで狭い。どこで人が繋がっているか解らない。子会社は、今まで支払った金額や自社で溶かした金額を除いた金額で受注できる会社を探すが、そんな会社は存在しない。そこで改めて、機能を細分化して、切り売りを始める。
最初に見つかったのが、『出張介護マッサージ』のパッケージを作っていた。片桐の会社だった。
片桐は、パッケージを導入するだけなら協力するという約束で参加した。
子会社はパッケージを導入して終わりだと思っていた。しかし、質問という形の要望が大量に届けられる。契約と違うと怒鳴り込む事も出来たが、受け取った金はすでに溶かしてしまっていた。
渋々、追加料金を貰って、要望に答える事にした。その時に、子会社から親会社を紹介された。子会社は、これで面子が保たれた・・・かに、思えた。
しかし、片桐の所で出来るのは、一つの機能のみ。それもパッケージがあるだけで、顧客の要望を全面的に満足させる事が出来る物ではない。
親会社は慌てて、自社に居る人間たちを集めて自社開発をする事になった。出張介護マッサージ事業以外の部分を・・・・で、ある。
子会社と親会社は、片桐の会社がシステム開発を担当していると説明した。間違いではないが、正解ではない。これも、システム屋独特の言い回しで客に事実誤認させた。
客の方にもまったく非がなかったわけじゃない。窓口になった人間が、子会社にリベートを要求していたのだ。
子会社は、この時点で親会社に訴えていれば、ここまで酷くはならなかっただろうが、要求されたリベートの支払いに応じてしまったのだ。
そして、片桐の会社が入った事に寄って、システムの一部が動き出したのがとどめになった。
『出張介護マッサージ』の部分は元々パッケージなので、完成度も高い。事業に適さない部分もあったが、改修すれば、運営対応で回避できるレベルの物だ。
客もすこしは安心する事になった。しかし、『出張介護マッサージ』以外の部分を見せる事が出来ないでいる。ハードウェアの選定もまだ出来ていない。そんな状況が続いた事によって、客から親会社と子会社を飛ばして、片桐の所に連絡が入った。
客が怒鳴り込んでくるという状況になったのだ。片桐としては、『出張介護マッサージ』は自分たちが担当しているが、他は親会社と子会社が担当しているから、知らないと説明するしかない。
真辺はこの時点で3度ほど頭を抱えている。片桐に全く非が無い。契約したことを、契約に則った形で行っている。
しかし、片桐が行った事で火が具現化してしまったのだ。
まず、客を説得しようとした事が間違っている。自分たちが担当していない部分でも、客から見たら担当の1人で間違いない。なら、客がアポをとらないで来た時点で、親会社と子会社に連絡してすぐに来てもらうべきだったのだ。
その後、客は片桐を伴って、子会社に乗り込む。その後で、親会社に乗り込む。
4社揃っての協議にはなったが、幸いな事にその時には期間がまだ残されていた。片桐の所の様な成功事例がある事から、親会社はトップに近い人間が謝罪して、自分の所仕切りで、パッケージを集めて開業までには間に合わせますという話で落ち着かせた。客の関係ない所では、子会社の部署がまるまる飛ばされて副社長や役員の首が飛んだ。
片桐の最大のミスは、この時点でシステム料金を貰って撤退すべきだったのだ。
損切りが出来ない懐事情も有ったのだろう。撤退時期を見誤った。
この時点で、この案件は”事故物件”となっている。
SIerは、”生贄の羊”を探していたのだ。
「ナベ。頼む」
「・・・・」
真辺は、正直気乗りはしない。気乗りどころか、断る方向で気持ちが動いている。
「ナベ」
「うちの馬鹿どもがどうするかだな・・・。開発が必要になったら、お前の所か、SIerが担当するよな?」
「あぁ多分白鳥さんの所が担当する」
「お前と白鳥さんの関係は?」
「会社を興したばかりの時に、金を借りた」
「返したのだろう?」
「もちろんだ!でも、そのときの恩義があるから、俺は降りられない」
「そうか・・・今、お前の所の清算はどうなっているのだ?」
「あぁ3ヶ月まとめだ」
「末締め翌10日払いとかに出来るか?」
「俺の所と契約なら無理だ。白鳥さんの所なら交渉次第だと思う」
「わかった」
「受けてくれるか?」
「わからん。部下の意見を聞いてからじゃないと判断できない。全員で行く必要はないだろうが、資料を見てからだな」
「そうか・・・。悪いな」
「いい。ここ。お前が持てよな」
「あぁわかった」
それから、すこしだけ昔話しと近況報告をしてから別れた。
翌朝。
パソコンを見ると篠原からメールが来ていた。
資料一式が会社のサーバに入れてあるとの事だ。
面倒だとは思ったが、VPN接続で、部署で使っているルータに接続してから、RDTに接続しサーバのファイルを閲覧する。
経緯説明はなく今入札をしている企業や技術の説明。それから、松本先生の略歴や建設予定の施設の紹介だけが書かれていた。
そして、入札をしているパッケージを持つ企業から出ている資料が大量に存在していた。
(こりゃ無理だ。RDTじゃ見難い。しょうがない。会社に行くか・・・。)
ラフな格好に着替えて、会社に向かった。
すでに朝という時間帯ではない上に、別に長々と会社に居るわけではないので、車で向かう事にした。
真辺は来るまで出勤する事が殆どないのだが、ラッシュとぶつからないときには、時々車で向かう事がある。
車はスムーズに進んで、昼すこし前に会社の近くにある駐車場に止める事ができた。会社に入って、自分のパソコンでファイルを閲覧する。
真辺が抱いた感想は、”想像以上に何も考えていない”というものだ。入札されているシステムを見ると、動くOSだけじゃなく、求めるDBが違っているし、連携の方法も違っている。
SIerは、値段が安い物を導入する予定でいる。システムを少しでもかじった人間なら危険性は解るのだが、それさえも越えてしまっている状態なのだ。クラサバのシステムもあれば、Webシステムもある。DBを使わないで、ファイル共有を使う物まである。
求めるスペックが違いすぎる。どれを採用しても、繋ぐ事を考えれば、かなりチグハグなシステムになってしまう。
(片桐には悪いけど、こりゃ無理だな。断ろう。)
真辺は、一応体裁を整えるために、現状の分析を簡単にしてから、篠原に”無理”とメールした。
真辺がメールの送信とサーバからのレスポンスを確認して、帰ろうとした瞬間に真辺の机の上に置いてある電話がなった。
社内のシステムでは、真辺がデスクに居る事が解るようになっている。
篠原なら、電話ではなく足を運ぶだろうと考えたが、しのはら以外には考えられない。一呼吸してから、真辺は受話器を取る。
「おぉナベ。悪いな」
「いえ、それで・・・。無理ですよ」
「あぁ俺もそう思って、上に昨日の段階で難しい旨を伝えた」
「・・・そうですか、ありがとうございます」
「帰るのか?」
「はい。そのつもりです」
「すこし付き合え、昼飯位おごってやる」
「解りました。今は混んでいると思うので、13時にいつもの居酒屋でいいですよね?」
「あぁ解った」
真辺は片付けをしてから、外にでた。社内居ると碌な事にならないのは経験で解っている。
それに、今は休暇中なのだ。駐車場の料金がすこし気になるが、まぁしょうがない。本屋で時間を潰してから、居酒屋に移動した
「あ、いらっしゃい。ナベさん。篠原さん来ていますよ」
「あぁありがとう。俺、いつものね」
「はい。ナベさんスペシャル。あっ!今日”あぶらぼうず”が、入ったけど、どうする?」
「おっ!珍しいな。それじゃ海鮮丼にしようかな?」
「他にも、”ごそ”と”のどぐろ”と”太刀魚”がありますよ」
「そうか、それなら、鯵と鰤と”ごそ”と”あぶらぼうず”と”太刀魚”で頼む」
「はいよ。大盛り?」
「いや、蕎麦を付けてくれ」
「了解。モリでいいよね?」
「あぁ」
真辺は、貝類や甲殻類が食べられない。5色丼というこの店がランチの時にだけ提供している丼も実は真辺が作らせたのだ。入っている魚介類の中から5種類を選んで海鮮丼にしているのだ。
値段は、少し高めだが、1,400円。蕎麦付きなら+400円。ご飯の大盛りで+200円。ネタとご飯の大盛りで+500円。ネタとご飯と蕎麦の大盛りだと+600円。となる。安いとか、やすくないのかわからないが、真辺はこれにするか、刺身定食から真辺が食べられない物を除外して白身魚か光り物を増やした物に”もりそば”が付いて、980円。
「篠原の旦那」
「・・・あぁナベ。すまん。やられた」
「どうしたのですか?」
「白鳥の野郎。副社長に握らせやがった」
「はぁ?」
どうやら、真辺は最高の丼を最低な気分で食べる事になってしまったようだ。
「はぁどういうことだよ・・・ですか?」
「すまん。気が回らなかった」
「いえ、すみません。篠原さんが悪いわけじゃないのは解っています。事情の説明をお願いします」
いつもの店員の女の子がお茶とお絞りを持ってきてくれた。
(ナベさんって・・・。あんな冷たい目つきをするのですね)
(あぁ仕事の話をしていると、時々な)
奥で店長と店員が話しているが、それどころではない。
「・・・。あぁ、会社の副社長は知っているよな?」
「えぇどっちもよく知っていますよ」
「そうだな」
「それで、"ろくでもない"方ですか?」
「あぁ息子の方だ」
真辺の会社は、中堅どころのシステム会社だ。今の副社長の親が立ち上げた会社だ。今の社長は、そのときの右腕だった人がやっている。温和な人で人望もある、経営者の視点もしっかり持っている。真辺の様な売上に直接貢献しない部署でも必要性を感じて維持している。副社長は二人いて、一人は立ち上げ時に入社した人間で現場の事をよく知っているし、業界内にも顔が聞く。開発から営業に移動したが、今は営業部のトップをやっている。
問題は、もう一人の副社長だ。先代の息子で、当初は大手電話会社系SIerに勤めていたが、先代がなくなってから、会社を継ぐと言い出して、戻ってきた。株主や役員の猛反対にあって、社長にはならなかったが、先代の社長が残した伝手やSIerの伝手を期待されたという建前を、専務が上手く利用して、副社長の地位にとどまっている。
仕事は、できる方の副社長にすこし劣る位だから問題はない。重要な案件に関わらないようにさせておけばいい。
この副社長の問題は、人格面にある。協力会社を子会社扱いしたり、リベートを要求したり、セクハラまがいな事を平気で行ったりしている。ちなみに、前回の案件で原因を作った、優秀な営業は、この副社長が優秀だからと元の会社から引き抜いてきた者だ。
そんなクズだが、数名の役員や株主を抱き込んでいるので、処断する事が難しい。専務や開発部の部長が派閥を形成している。切ってしまってもいいが、その時に、抱き込まれた役員や株主や専務と部長たちがどう動くのか解らないために、うかつに攻撃できない。
「は・・・それで、なんで、白鳥は、馬鹿にアタックしたのですか?」
「白鳥が、副社長の元の会社の上司だったようだ」
「・・・。終わったな。事情は解りました。断れなくなったって事ですね?」
「すまん。ナベに連絡した後で、副社長から連絡があって、『白鳥さんの所の仕事、受ける事にしたから、潰さないでいる赤字部署がすこしは稼いでくれるのなら、営業も嬉しいだろう』だってさ」
「篠原さん。解りました。うちの部署は5月で解散って事でいいですか?」
「待て、早まるな」
「だって、赤字を垂れ流す部署ならない方がいいでしょ」
「だから、待て。お前の部署が必要なのは、副社長以外みんなが理解している。赤字を垂れ流しているなんて思ってない。だから、早まるなよ」
「はやまりませんよ。部下たちの再就職が終わるまでは、机の中に入っている”辞表”は出しませんから安心してください」
「だから、待て!!」
「・・・。はぁそれで、篠原さんとして、私に提供出来る、妥協点はどの辺りに有るのですか?」
「それを今からナベと話がしたい」
「・・・。解りました。ようするに、成るようになれって事ですね」
「・・・。すまん」
昼飯を食べてから会社に戻って、会議室に入った。
そこで妥協点を探す事にした。
まずは、入札に関わらせる事。これは絶対条件だ。決定権をよこせと言ってもいいかもしれない。その他の妥協点を列挙していく。
平均単価は、160/月として残業清算ありとし、現場常駐はしない。月末締め翌10日払い。ようするに、『言い値』を払えという事だ
納品物は作業報告書のみ。毎週の定例ミーティングの開催と必ず白鳥氏/片桐氏は出席する事。出席出来ない場合は、白鳥氏の上司に当る人物が出席する事。
開発人員は、SIerが手配する事。
行う業務は、プロマネとQA対応 及び 会社間の調整。試験の確認及び導入サポート。
契約は3ヶ月とし、延長は双方話し合いで決める。
これでは向こうがGOを踏むとは思えない。そんな条件だ。
なんか文句言ってきても、これでなければ受けられないと突っぱねる事が出来る状態には持っていきたい。
副社長は、社長に言って止めてもらうしかない。
「わかった。これで交渉してみる」
「たのみます。俺は、明日から実家の街に帰りますから、1週間は連絡が出来ないと思って下さい」
「携帯も・・・だな」
「えぇ田舎ですからね。つながっても電波の状況が悪いでしょう。すぐに切れてしまうのは間違いないです」
「・・・。わかった、社長や白鳥氏には、そう説明しておく」
「頼みます」
「ナベの所からは、何人くらい出す?」
「そうですね。俺入れて、4人って所でしょうかね?待機させておかないと不味そうな雰囲気が有りますからね」
「悪いな。ナベ以外の3名は?」
「医療関係だからな・・・石川と小林と井上かな、余裕があったら、山本を出すかな。ネットワーク関連でも揉めそうだしな」
「わかった、それじゃナベ入れて4~5名って話をする。予算感で決めると言っておく」
「頼んます」
会議室を出て、家に帰宅した。
駐車場代金が3,000円と高く着いたのが地味に苛ついた。
真辺には帰る実家がない。
実際には、田舎はあるが、帰っても、遠い親戚がいるだけだ。
両親はすでに他界している。両親の父親も母親も早くに亡くなっている。
妹が居たが、子供の時に他界している。ようするに、本当に天涯孤独の身なのだ。
家に着いてから、ホテルの予約を入れる。
いつものスパが空いていたので、そこに連泊する事にした。真辺の実家まで、東名高速を使って2~3時間。SAやPAに寄りながら帰るのが好きなのだ。
ガソリンを満タンにして、首都高から東名高速に入っていく。
一応、いつも持ち歩いているノートパソコンとタブレットは持っていく。着替えなどは、旅先で買えばいいと考えて手ぶらで出かける。
両親や妹が眠る墓所に連絡を入れておく。
急に訪れてもいいが、寺の住職が中学の時の後輩で良くしてくれているのは知っている。土産を持って訪れる事にする。
ついでに、同級生の何人かとも会うつもりで居た。
その後は、スパで堕落した生活を送る事に決めている。
好きな時に温泉に入って、好きなだけ寝て過ごす。気が向いたら、釣りにでも行けばいい。
堕落する前に、石川と小林と井上と山本の予定を確認する。
二週間後には会社で揃う事を確認して、部内で使うMLにて連絡しておく。質問は、篠原営業部長にするようにと付け足しておく。これだけで、火付け案件だと認識するはずだ。
資料の場所を明記して
最後に『受注確度:80%(副社長案件)』と、書いて送った。
返事はMLでなく、LiNEで来た。
名前が上がった人間たちは、『了解』と短く答えて、それ以外の人間は『ご愁傷様です』や『応援しています』と他人事の返事が続く。
4人は必須でそれ以外は任意とする会議予定を入れる。勿論、篠原営業部長にもご出席をお願いしてある。
何も考えないで済む時間を堪能する為に、愛車のハンドルを握って、エンジンに火を入れる。
二週間後に、会議室に関係者が揃った、関係者が揃っている事が確認され、篠原営業部長から、正式受注された旨が発表された。
単価以外の全ての条件を飲んだということだ。平均単価自体はOKで、残業時間の清算をするのなら、常駐して作業をしろという事だった。残業時間の清算をなくして、常駐もなくした。その代わり、現地作業時の残業清算を約束させた。まぁそのくらいの譲歩はしょうがない事だろう。
6月初めから作業が始めると決まった。
入札の最終プレゼンが今週あるというので、真辺と篠原はそれに参加する事になっている。
ここですでに誤差が生じ始める。
入札プレゼンといいながら、出来レースなのがミエミエだったのだ。
SIerの関連会社や、白鳥が属していた会社の関連会社しか残されていない。そして、対抗となるべき入札会社も準備ができていないのは明白で完全に数合わせとして入札プレゼンに参加している。
(やられた・・・)
バラバラなシステムになる。開発案件は発生しないから、勝手に苦しめばいいと投げやりな状態になってしまっていた。
導入するパッケージも決まり、個々のパッケージはそれぞれ顧客に対して確認をする事になる。
全体システムの運営母体は、SIerが受け持つ事になる。それは、最初から決まっていた事で、これが仕事として”おいしい”のだ。
それぞれのパッケージの仕様を確認する作業が始まる。
作業としては、それほど重いものではなかった。
それぞれのパッケージの改修は、7月末に終わるとスケジュールが出された。
安全を見て、8月中から2週間の確認期間を置くことになった。
7月はじめから、データの相互運営の為の話し合いが始まる。
そこが一つの山だと思っていた。やはりというか、導入する為のハードウェアとネットワークで揉め始める。
最初から解っていた事で再三注意喚起していたが、関連会社はそれぞれが自分の所では、改修で時間がない事を理由に他が合わせるべきだと言い争いになっている。
真辺たちはSIerに調停をお願いしていたが、都度担当者が変わって結局7月末までに調整が出来ないままテストに突入する事になった。
ここでまた、大きな問題が発生した。テスト人員が足りない事が発覚した。
実際には、足りているのだ。8月中は、俗に言うお盆の時期と重なる。SIerの関連会社や大手企業だと福利厚生というありがたい言葉で、社員が強制的に休まされる事がある。その分、どこかが作業をしなければならない。白鳥は、片桐の所に依頼をだしたが、片桐の所は人手が居るわけではない。それにすぐに集めて、1週間位でバラす様なチームが急遽作れるわけではない。
白鳥は、また副社長に連絡をした。
副社長は、なんの相談もなく受ける事を約束した。そして、真辺の所の人間が社内に居る事を聞いて、それを使う事を言い出した。理由付はいくらでも出来る。
1週間という約束で部下を現場に出す事にした。真辺が鍛え上げた部隊だけあって、現場での作業はスムーズに消化されていく。
テストも予定の7割程度消化する事が出来た。しかし、負荷テストを行っている時に、データが壊れたり、異常終了したり、遅延が発生したりする現象が出始めた。
休み明けに戻ってきたパッケージの開発会社に聞くと、”仕様です”という返事が来た。
”仕様”では済まされない問題である事は間違いない。そうすると、環境依存なので、弊社で再現しないので、修正出来ません。と、話がすり替わった。
これも火を噴く現場でよく発生する現象だ。
データ項目の見直しをしていた部下が根本的な問題を発見してしまった。
データ連携が出来ているはずのデータが、全く出来ていない事が発覚したのだ。それだけではなく、パッケージだからある程度はしょうがないにしても、言葉の統一はしなければならない。
元々の要件でも入っていた部分が出来ていない。
パッケージ単体で見ているときには、細かい問題は見受けられたが、全体的にOKだった物が、本番環境での連携テストをし始めた途端に問題が発生し始めた。
また、連携部分に関しても、真辺たちが指定した方法ではなく、自分たちが出来る方法で行っている事も発覚して、このままだと、OSや接続の為のライセンスが想定を越えてしまう。また、扱うデータの為にセキュリティにも十分注意する必要があったが、自社パッケージ内では守られているが、接続部分で漏洩の危険がある方法になってしまっていた。
これらの問題が発覚してから、真辺たちが現場に出る事になった。
内容や、時間を考慮すれば、契約破棄しても良かったが、副社長が欲をだして、子飼いの役員がまとめる部署に『パッケージや基盤の修正』という案件を受注させていたのだ。
真辺たちは、巻き込まれる形でズルズルと火消しを行う事になってしまったのだ
6月から始まった業務も気がついてみれば、8月末になっている。
あと二ヶ月で施設がオープンになる。
実際に、テレビコマーシャルも打っているようだし、看板広告も見かける。
従業員も多数雇い入れているし、入居者説明会は毎回満員だという、嬉しい話が沢山聞こえてくる。
”ふりだし”に戻せない状況で、個々のパッケージは完成されている物だから、従業員への説明が出来てしまう。
実は、この出来てしまったのが問題だったのだ。出来なければ、”最初は手書き”でお願いします。という逃げ道を使う事ができる。中途半端な状態で使えてしまっている為に、完全に後に引けない状況になっている。
パッケージを提供している会社は、自分の所の仕事は終わったとばかりに撤退を決め込んでいる。
接続部分に関しては、相手の作業だと言って譲らない。
そして、悪い事に、”篠原営業部長”が倒れたのだ。
真辺の味方が居なくなった瞬間だった。
白鳥が、副社長に話を持っていって、今後の運営を餌に接続部分全部の受注に成功したと、偉そうに社内で発表した時には、真辺は目の前が真っ暗になって、社長室に辞表を持って殴り込んだ。
だが、受理される事はなかった。部下たちの事もある、中途半端に仕事を投げ出すのも性分ではない。
社長に説得されて、この仕事が終わるまでは付き合うと約束した。運営が起動に乗るまで付き合う事になった。
涼しい時期から始まって、暑い季節を過ごし、9月の中頃。システムのカットオーバが見え始めて、安堵の声が聞こえ始めた。
最終テストと従業員への教育を担当していた人間から、爆弾発言が落とされた。
大きな、大きな、問題が複数発覚する。
「ナベ。お前休んでいるのか?」
呼び出された会議室で、昨日まで倒れて休んでいた篠原が真辺に言い寄ってきた。
そう言われるのも当たり前だ。
6月から始まったデスマーチ。9月に入っても収束していない。
6月はまだ良かった。
7月から残業時間がおかしな数字になり始める。
7月の残業時間、280時間。勤務時間ではなく、残業時間だ。
8月はもっと酷くなる”残業320時間”国が定める過労死の時間を、4倍した時間と同じになっている。
9月は、前月の半分位になる計算だ。
それもそのはずだ。
元々請け負った業務以外に、テストの為の作業が入り。請け負った業務がことごとく炎上した。それらを鎮火させる為に、部下を配置した。普段なら余裕があるが、今回は余裕がない為に高圧的な態度で対応した。
高圧的な態度での対応になってしまった為に、作業が真辺の所に集中する結果になった。これが、作業時間が伸びてしまった原因だ。
また、通常この手の現場のときには、昼過ぎから対応を行えばいいので午前中は休む事が出来る。
しかし、この現場は並行して従業員への教育を行わなければならない。昼間は従業員への対応を行い。夕方から、開発チームの進捗を確認しつつ、客との打ち合わせを行う。
そして、テスト部隊がテストを終えてから、インフラ周りの調整や、その日のトラフィックからネットワークの調整やハードウェアの配置場所を変更していくことになる。実運営に合わせた、ハードウェアのメンテナンス計画の策定も行っていかなければならない。
会社にも家にも帰らず現場で寝泊まりする生活が続いている。
幸いな事に、現場は病院施設でベッドや風呂がある。客と交渉して使わせて貰っている。それがなかったら、倒れていても不思議ではない。
中旬になって、リリースが見えてきた。
幾つかの問題はあるが、客に話をして、運営対応で逃げる事が出来る所まで持ってきた。
現場を知らない人間の”善意”ほど、面倒な物はない。
真辺はこの言葉を実感する。
今までネットワークの設定やサーバの設置は、臨時で用意された部屋で行っていた。
サーバを納める部屋は、施設がある程度出来上がってきてから、内装を整える事になっていた。内装が完了してから、サーバを移動する事になっている。
「ナベさん。サーバ移動させて、動作確認ですよね」
部下の山本が真辺に声をかけてきた。
「あぁ今日の研修が終わったら、移動して、朝まで使えるようにすれば・・・。概ねインフラ周りは終わりかな?」
「了解。何時くらいから始めますか?」
「研修が終わるのが、16時だから、余裕を見て、19時位からかな。開発の進捗に寄っては、もう少し後ろにずらすかもしれないけどな」
「う~ん。了解。ひとまず、あがって寝ますね」
「わかった。近くになったら連絡する。おやすみ」
「頼みます。仮眠、いただきます」
施設柄、仮眠室が確保できたり、給食が確保出来たり、薬の調達が出来るのはありがたい。真辺も一度酷い倦怠感に悩まされて、ドクターに相談して、点滴を入れてもらった事がある。
冗談で、「ここなら倒れても、病室に端末持ち込んで仕事が出来る」と、部下と笑った。
山本が仮眠室に飲み込まれていくのを見て、開発を見ている石川に連絡を入れる。
『19時にサーバダウン。起動はテッペンを予定』
『今日は、バラします』
開発のスケジュールに問題ないようだ。新しく入れたモジュールが機能してくれているようだ。俺と井上の傑作品を入れるのだ、上手く使ってもらわないと困る。
次に、小林に連絡を入れる。
『19時にサーバ移動する。そっちの作業に差し支えなければ、救援に来てくれ』
『了解。予定通り16時には終わります。食事後。そちらに伺います。差し入れが必要なら食事前にお願いします』
『小林夫人の笑顔での出前を頼む』
『無理です』
従業員へ研修も問題ないようだ。
井上から電話での連絡が入る。
『ナベさん。大変です。ヘルプです』
『解った。今から向かう。どこだ?』
『幼保園の園長室です』
『で、何が有った?』
『ロットバルトがやってくれました』
『居るのか?』
『いません。今呼びに行かせています』
SIerの担当である。白鳥が何かやらかしたらしい。ロットバルトとは、井上命名なのだ。『白鳥→白鳥の湖→白鳥に変えられるオデット→唆す悪魔→ロットバルト』ということらしい。隠語にしては洒落ている。
園長室に向かうと、井上と全体の流れの確認をしてもらっている。幼保園の園長先生、及びパッケージを提供している協力会社のエンジニア。それに片桐が居た。
真辺が園長室に着いた時に、SIerの担当者から井上に連絡が入る。
『白鳥さんは、もう帰宅してしまっていて連絡が着きません』と、言っているらしい。真辺に電話を変わってもらって
『「1時間以内に来なければ、私の権限で全てを決定します」そして「ここで解った事は、上層部に伝えます」そう白鳥さんに伝言して下さい』
「ナベさん。どういう事ですか?」
「あぁ白鳥さんは、まだ会社に居ますよ」
「「「え?」」」
「あの会社で、『連絡が着きません』は『上司や別の会社との打ち合わせを行っている』に言い換えられるからな。本当に、連絡がつかないときには『今連絡を着けています』と、言うからな」
「・・・・」
「それで、何が有りましたか?」
真辺は、にっこりと笑って、園長先生に話しかける。
園長先生が言うには、助成金を申請する為に、幼保園の概要や内部の様子が解るような資料とWebサイトが必要になるという事だ。
園の目玉として、IoT化して園内の状況を保護者に見せる仕組みを導入する事になっている。
最新技術を使っていますという触れ込みのためだ。実際、職員からの評判もいい。子どもが園内から出そうになったら警告を出すなどの機能も付けているからだ。
これはパッケージで実現済みだ。
しかし、園長先生たちから見ると、それが、わかりにくいと言う事だ。当然だ。説明が十分にされているとはお世辞にも言えない状況だからだ。それでも、何度か話し合いをして、Webへの反映や資料を作ってきた。機能充足は出来ているはずである。
園長先生も申し訳なさそうにしているので、真辺は、園長先生は気にせずにおっしゃって下さ。と話を進めさせる。
システムが組み込まれた保護者向けのWebサイトは、会員制になっていて、登録された端末からしか閲覧出来ないようになっている。園から支給するリストバンドを子供がする事で、脈拍・心拍数・体温・現在の居場所を、保護者が確認する事が出来る。また、近くのカメラで確認する事が出来るようになっている。それらの機能説明と確認を今日行う予定になっていた。
納品作業で機能が問題ない事を確認して終わりになるだけの簡単な作業だ。
問題になったのは、そこではない。園長先生や経営者達が、今日それらの機能と同時に、公開する幼保園のWebサイトがあると思っていたらしい。
議事録を確認してもそんな約束はしていない。それで、井上は片桐を呼んで話しに加わってもらったのだ。片桐も、そんな依頼は受けていないと行っている。協力会社も同じだ。
それで、園長先生に、『誰と』どんな話しになったのかを説明してもらった。
前回の打ち合わせ終了時に、園長先生と施設の経営陣が助成金の申請書類の話をしていて、幼保園のWebサイトが必要だという事がわかったのだ。それを、SIerの担当者に連絡した。折り返しで、白鳥から連絡が来て、簡単な物でよければ、作成させますが期限はギリギリになると想います。と言われたのだという。
その期限が明日なのだ!
「明日・・・ですか?」
「あっはい。ドメインでしたっけ?なんか申請に必要だという事で、白鳥さんから請求書が来て、お支払をしまして・・・」
(あいつやりやがったな!)
「そうなのですか?ちなみに請求額は?」
「すこしお待ち下さい・・・・。えぇと、15万です。なんでも、特殊な方法での取得で、時間的にも厳しい、ドメインらしくて・・・。そのくらい必要なのだと言っていました」
(・・・?ドメイン申請だけで15万?1.5万でも高いのに?)
「はぁ、なんとなく状況は解りました。ちなみに、そのドメインの資料とか手元に来ていますか?」
「いえ、ただ、申請書類に、ホームページのアドレスを書かなければならない所に、記載してほしいと言われて、書いた物ならあります」
「拝見できますか?」
「コピーをお持ちします。しばらくお待ち下さい」
園長先生が部屋を出て、事務の所に行ってなにやら指示をしているのが解る。
「ナベ」「ナベさん」
「最悪だな。ドメインの申請がされていなければ・・・。こちらで取得してしまうこともできる。大きな問題は回避できる」
園長先生が戻ってきて、書類を持ってきてくれた。
そこには、URLが書かれていた。『.jpドメイン』だ。これなら即時発効も可能だ。白鳥が何もしていない事を期待しよう。
「ちなみに、園長先生。ホームページなのですが、簡単な物があればいいのですか?」
「はい。あぁ前に、片桐さんが作ってくれた幼保園のパンフレットありますよね。あの内容であれば大丈夫です。後で直せるのですよね?」
「はい。何度でも修正出来ます。パンフレットですか、ありがとうございます」
「それなら、パンフレットの内容でお願い出来ますか?」
「解りました。白鳥さんに確認が取れ次第。どうするのか決定します。園長先生は、本日は何時位までこちらにおいでですか?」
「私ですか?入園者への案内を書いておりますので、19時位までは居ると想います」
「わかりました。それまでには、対応を協議してご連絡致します」
「あっよろしくお願いします。真辺さん。井上さん。ありがとうございます」
現場で働いている人間たちは、真辺たちが奮戦しているのは知っている。
仮眠している時でも、すぐに駆けつけてくれる。協力会社で来ている人間たちも、真辺たちが家に帰らずに、施設に詰めているのを知っている。
真辺達は、それをひけらかす事はしない。遅れているのは、システム屋全体の問題で、『なんとか間に合わせよう』と、しているだけ、という立場を最初から貫いている。倉橋が居た時からの伝統だ。一番困っているのは、顧客であり、現場で働く事になる従業員なのだ。
従業員や現場に居る人達からの些細な質問や雑談にも気楽に応じている。
仲間だと認識させる事に成功しているのだ。
幼保園の園長先生の部屋から出て、近くの会議室を借りて話をする。
「片桐。パンフレットのデータは?」
「イラレだよ」
「そうか、井上。ドメインは?」
「まだ取られていない」
「あの馬鹿。何していたのだ。前回の打ち合わせから、1週間は立っているぞ。井上。ドメイン取ってしまえ。俺のアカウントでいい」
「了解」
「協力会社さん。申し訳ない。こんな事に巻き込んでしまって・・・」
「いえ、私達はそれほど大変じゃありませんでしたから、何かお手伝い出来そうな事があったら言って下さい」
「解りました。ありがとうございます」
協力会社は完全に一歩下がった事になる。
面倒な事に首を突っ込みたくないのだろう。協力会社の人間が、スマホを取り出して、なにか慌てている様子を見せる。
(あぁ帰るな・・)
「真辺さん。井上さん。片桐さん。申し訳ない。会社からの呼び出しで、今日の報告をする事になってしまいました」
「あっそうなのですか、解りました。本日はありがとうございます。何か有りましたら、ご連絡致します。お疲れ様でした」
戦力にならない人間と長々話すのも疲れるので、そうそうに帰ってもらう事にした。
「片桐。イラレなら。HTMLに保存できるよな?」
「あぁでも、デザイン崩れるぞ。それに、ブラウザによっては表示が出来ないかもしれないぞ」
「気にするな。まずは見られる事が大事だからな」
「解った、流石に無調整は俺が気になるから、調整はさせてくれ。サービスしておく」
「すまん。篠原の旦那に言っておく。この前の鉄板焼きでいいか?」
「いや、お前の居酒屋でいい」
「そうか、俺の名刺をだせば、ボトルが出て来るし俺のツケになる。勝手に使ってくれ」
「あぁそれで、時間的な制約は回避できるかもしれないが・・・。どうする?」
真辺には、片桐が言っている『どうする』が複数の意味を持つ事が解っている。
解っているが、あえて業務の内容だけにとどめて話をする事にした。
「サーバは、こっちで用意する。ここ外部からの接続は特定ポートと認証端末だけにしているからな」
「そうだよな。解った、HTML一式送ればいいか?」
「あぁ頼む。テッペン位までにあると助かる」
「園長に見せるのなら、早いほうがいいだろう?」
「そうだな。頼めるか?」
「大丈夫だ」
「井上。いつものレンタルサーバに向けてドメイン設定して、反映が終わったら、片桐に、SFTPのアカウントを発効して連絡しておいてくれ」
「イエッサー!」
「俺は、園長先生に明日の朝イチまでには準備出来ますと連絡する。その後、サーバ設置の準備をする。片桐。悪いけど、明日の朝イチに来てくれ。園長と見ながら間違いがないか確認する」
「了解」「あぁ解った」
井上が端末を操作して、片桐となにか話しているのを見ながら、園長室に向かった。園長先生に、『パンフレットの内容でホームページを開設する準備が出来ているようで、本日の会議に間に合わずに申し訳ありません』と謝罪して、『遅くても、明日の朝10時には確認できます』と、伝えた。
踏まえて園長先生には明日の朝の都合がいい時間に、ホームページを一緒に確認しながら見ながら修正箇所がないか確認したい旨を伝えた。
園長室を出て、サーバが仮置きしている所に向かう。
白鳥からは連絡が入らないが、真辺から連絡する事はしない。その代わりに、篠原に連絡を入れておく
(こりゃ今月の携帯代。5万を超えるな・・・)
『おぉどうした?』
『”お耳”に入れておきたい事があります』
『なんだ?また副社長か?』
『そうなる前に止めて欲しい事です・・・・』
篠原に、現在発生した事を詳細に話した。
『そうか、園長先生に言って、その請求書を抑えられないか?』
『あぁそうですね。井上に言っておきます』
『頼む。噂だけどな・・・・』
白鳥が、諸々の事が会社に伝わって、減給処分になっているらしいという事だ。もしかしたら、他でもいろいろ無茶しているかもしれないから、注意してくれという事だ。
『了解。こっちは、それどころじゃないから、篠原さん。営業をこっちに置いておく事出来ませんか?情報収集させるだけでいいのですが?』
『あぁ解った。すこし考える。ナベ。無茶はするなよ』
『いつものことですよ。ありがたい事にね』
『すまんな。こんなつもりじゃなかったのだけどな』
『いいですよ。解っていますよ。終わったら、おごってくださいね』
『あぁチームメンバーの全員連れて、飲みに行くか』
『いいですね。篠原さんおすすめの焼鳥屋に行きたいですね』
『わかった。1001の1800から予約入れておく。だから、しっかり終わらせて帰ってこい』
『わかりましたよ。死なないようにがんばりますよ』
他愛もない話しをしてから、電話を切って、井上に園長先生にお願いして、ロットバルトからの請求書のコピーをもらうように指示をだした。
理由は『ドメインの支払い状況確認の為』とした。
真辺が、サーバ室に着いて一息着いた時に、井上からメールが届く
『請求書。ゲットだぜ!ついでに、振込用紙もゲットしました。後で持って行きます』
添付された画像には、『見積書 兼 請求書』となっている。
(やっぱり、やりやがった。白鳥宛になっている。横領、それに特別背任か・・・。でも、まだわからないな。言い逃れは十分出来る。ドメインが取得出来ないと慌てればいい。そうだ、片桐にすこしおちゃめなイタズラを依頼しよう。)
『片桐』
『なんだ?』
『白鳥、やらかしたぞ』
『・・・。やっぱりな』
『どういうことだよ。何を知っている?』
『先月分の請求書を発効する時に・・・。白鳥さんから相談があると言われて・・・・』
『バックを要求されたか?』
『あぁ』
『金額は、15万』
『ビンゴだな。断ったのだろう?』
『平時だったら良かったけどな。今はまずいだろう』
『そうだな。証拠はあるのか?』
『勿論だ。なんか雰囲気がやばかったから録音してある』
『あとで廻してくれるか?』
『・・・・。わかった。すまんな。真辺』
『いいよ。あぁそれで本題だけどな・・・』
片桐にお願いしたのは、SIerからのアクセス時には、レンタルサーバ側で、500になるようにするから、何か連絡が有っても知らないと言って欲しいということだ。それで、時間があったら、500と404と301用のページを何か作って欲しいという話をした。あと、白鳥が使っている端末のMACアドレスは解っているから、それはループバックアドレスに飛ばすようにすると説明した。
『ハハハ。そりゃぁ慌てるだろうな』
『あぁまずドメインが取られていて、サイトの表示が出来ていない状況じゃ何も出来ないからな』
イタズラの話をして電話を切ったら、片桐から音声ファイルが届いた。電話の録音の様だ。
(あぁ終わったな。今外すか・・・?それとも、終わってからにするのがいいのか・・・)
証拠となる物を、篠原に転送した真辺はサーバを仮置きしている部屋でくつろいでいた。
小さな問題はでるが、これで大丈夫だと考えていた。終わりが見えてきた。
この時、オープンに支障がありそうな事は見当たらない。
残り2週間。問題が発生しなければ、1週間で終わる予定になっている。今が金曜日の午後10時すぎ。このサーバの移転で問題が出ても、この土日でリカバリー出来るだろう。
すこしだけ仮眠するか・・・。パソコンチェアに座って、足をもう一つの椅子の背もたれにかけながら、動く椅子の上で器用に寝る。
システム屋は、パイプ椅子を3つ並べて寝られて半人前。キャスタが付いた椅子3つで朝まで落ちないで寝られたら一人前。肘掛けが付いた椅子二つで熟睡できたら独り立ち!
そんな事を笑いながら話していたのを思い出す。