「ねぇ、薙?」
茫然とするボクの視線を捉えようとして、祐介が僅かに身を乗り出した。
「今からでもいい。真剣に考えてみてくれないかな?キミ自身の将来の事…」
「ボクの…将来?」
「あぁ。伸之さんの、娘を思う気持ちは、僕も充分に理解出来る──けどね。六星行者に於いて、首座は特別な存在なんだ。甲本直系の血を継いだキミには、既に天性の資質が備わっている。その才能と、今までのキミの努力を、生かす事なく終わってしまうのは、勿体無いと思わない?」
才能…?
才能って、何だ??
天性の資質って?
混乱するボクに、祐介は尚も畳み掛ける。
「それとも、結婚する方を選ぶ?」
ボクは、ふるふると首を振って答えた。
それだけは嫌だ──絶対に。
「じゃあ、考える余地はある筈だよね?一族の継承だなんて大仰な言い方をされると、如何にも大変そうに思うだろうけれど…決して焦る事はないんだ。首座として必要な修行は、キミのペースで、順次進めて行けばいい。勿論、僕らも全力でキミを支える。何の心配も要らないよ。」
…ボクは、何も答えられなかった。
祐介は正しい。
冷静に先を見越している。
一座の未来を考えて、全てに於いて穿った発言をしている。
そういう一族なら…やはり、どうあっても首座は必要だ。それぐらい、ボクにだって解る。
祐介が、ボクを説得するのは当前の事…ただ、それだけの事なのだ。
「言いくるめられンなよ、薙。」
考え込んでいると、突然、一慶が会話に割って入った。
「継ぎたくねぇなら、それでいい。首座が欲しいってのは、此方の都合だからな。お前は、お前の行きたい道を選べば良い。」
「カズ。何のつもり?」
祐介が、眉を寄せて一慶を見る。
『口出しをするな』とでも言いたげな表情だ。
「何って…別に?俺は唯、お前の口車に乗せられて、うっかり丸め込まれちまったんじゃあ、コイツが気の毒だと思うから、忠告してやってるだけだよ。」
「厭な言い方をするね。僕は別に、一方的に話を押し付けている訳じゃない。今までの誤解を解いた上で、改めて彼女に相談を持ち掛けているんじゃないか。余計な事を吹き込んで、彼女を惑わせるのはやめてくれないか。」
「その台詞、そっくり返すぜ──祐介。」
「…カズ。」
二人の間に、再び冷たい火花が散った。
一慶はボクを振り返って言う。
「いいか、薙?自分の将来を決めなきゃならない、こんな大事な場面で、誰かの気持ちや立場なんて考えてやる必要はない。自分の意志を手放すな。懐柔されたら、そこで終わりだ。大切なモノ、全部無くしちまうぞ。」
「大切なモノ?」
「選択肢が二つしかないなんて嘘だ。」
「カズ!」
窘める様な祐介の声。
冷ややかな一瞥をそちらにくれると、一慶は改めてボクに向き直った。
「騙されるな。まだ選択肢はある。」
「選択肢って?」
ニヤリと不敵な笑みを浮かべる一慶。ボクは、無意識に唾を飲み込んだ。
「最初(ハナ)から関わらなきゃ良いのさ。」
「関わるなって…?」
「相続を放棄するんだ。簡単だろ??」
「カズ!」
咎める祐介の声が、一段と強く響き渡った。
だけど、一慶は怯まない。
挑戦的に振り返ると、真っ向から祐介を睨め付けた。
「お前が言う様に──歴史上、女の首座が立った記録は山ほどある…だが。同時に、甲本家に首座が不在だった歴史も、無い訳じゃあない。違うか?」
「………。」
この言葉に、祐介が黙った。
あの──坂井祐介が。
「甲本家の当主が、何らかの理由で首座の継承を放棄した場合…自動的に、次席である《火の星》の当主が首座に着く。そういう取り決めが昔からあるんだ。…そうだよな、親父?」
いきなり話題を振られたおっちゃんは、渋い顔で黙り込んだ。
一慶は、尚も言う。
「現首座不在の今。《金の星》は、アンタが代理に立つ事で、どうにか体面を保っている。だがそれは、あくまで『薙』という嫡子候補がいるからだ。その後見人という立場があればこそ、甲本家は今も《総元締め》の一族として、優遇されている。では、もし…薙が何らかの理由で、首座に就けなくなったとしたら?《金の星》は、次席である《火の星》に、首座の位を譲らなきゃならない。気位の高い《金の星》の年寄り共には、それが我慢ならない──そうだろう?」
「………。」
「そういう御家事情を隠したまま、コイツに跡を継がせようってのは、些か卑怯じゃないのか?フェアじゃねぇだろ。」
しん…と静まりかえった室内。
その重い空気を斬り返す様に、一慶は、真っ直ぐボクを見据えた。
「…いいか、薙?未来を選ぶ権利は、お前自身にある。その気が無いなら、このまま出て行ったって構わないんだ。好きな所へ行って、好きな事をすりゃ良いんだよ。簡単だろ?」
『未来を選ぶ権利』──
ボクは、その一言に打たれた。
なんて力強い『言葉』だろう。
一慶の気持ちが、直接伝わって来る。
「自分の生き方は自分で決めろ。大事な判断を、他人に委ねるな。他の奴はどうだか知らないが…俺は、ヤル気のない首座に仕える程、お人好しじゃないんでね。だからお前も、周りの思惑なんて考えなくていい。」
そう語る一慶の目は真剣だった。
どこか、怒っている様にも見える。
熱く憤るその眼差しは、先程から黙り込んでいる、おっちゃんにも向けられた。
「親父…。首座がいなけりゃ困るのは、総代連中の都合だろう?そんなつまらないプライドに、何故コイツが付き合わなきゃならない?それじゃあ、娘を巻き込んで欲しくねぇっていう、伸さんの遺志はどうなるんだ──首座の遺志は!?」
「いち──」
「いいんじゃねぇか、別に? 首座が立たないなら、それはそれで。一座の代表が、金から火に遷るだけだ。六星そのものが無くなる訳じゃない。万一それで無くなる様なら、それも時代の流れってヤツだろう。」
「…………。」
沈黙の帳(トバリ)が降りて来る。
息詰まる様な空気の中で、一慶は、吐き棄てる様に呟いた。
「…そもそも、人生棒に振ってまで尽くす価値があるのか、この国に?当主だ首座だと祭り上げられた處ろで、俺達は所詮、ただの生け贄なんだ。」
「言葉が過ぎるぞ、いち!」
おっちゃんの目が、珍しく剣呑な光を帯びた。広間は忽ち、水を打った様に静かになる。
各々の思惑、各々の事情。
様々な感情が渦巻いていた。
ボクは、未だ混乱していたけれど──。
何故、本家に呼ばれたのか…その理由だけは、ハッキリと理解した。
全ては一族の為──
《金の星》が、六星の総元締であり続ける為に、ボクは必要な『駒』だったのだ。
「それだけじゃないわ。」
突然、苺が口を開いた。
衝撃的な話に動揺していて、うっかり『彼女』の存在を忘れていた。
「失礼ね!居るわよ、さっきから!!」
(ゴメン)と心の中で詫びれば、苺は呆れた様に溜め息を吐いて言う。
「確かに…アンタを本家に招いたのは、首座を継がせる為よ。そしてもう一つ、嫡子と呼ぶに相応しいかどうかを品定めする為なの。伸ちゃんが亡くなった途端、総代衆が、嫡子候補のアンタに強制招集権を行使したのよ。甲本家には、昔からそういう特別なルールがあるの。だから、アンタのお母様も、それを断れなかったの。」
強制招集権?
品定めするの、ボクを!?
「そうよ。嫡子とは云え、跡継ぎにできない子が、嘗ては何人も在ったの…。白児(ハク)って言ってね。要するに、不具の子よ。白痴だったり…文字通り、アルビノで生まれた子供たちが多かった。彼等は、心身ともに虚弱なことから、出来損ない呼ばわりされて、里子に出されたり──時には、縊(クビ)かれたりしたわ。」
「縊くって──」
「えぇ、首を絞めて殺されたのよ。」
「──!」
言葉が出なかった。
どうしてそんな、残酷な事を…!?
「さっき、一慶が言ったでしょう?首座が不在だった時期があるって。その理由が、ソレよ。白児に生まれた子は、体も心も極端に弱いの。充分な力を引き継いでいても、当主を任せるには不足とされていたのよ。廃嫡の白児は放逐され、のたれ死ぬしか無かった…。そうして、その代の首座は《火の星》の当主が立ったわ。」
なんて酷い事を…。
直系の嫡子でも、力の無い子は棄てられるのか?
「…ええ。そうでもしなくては、《金の星》の威厳が保てないと、当時は思っていたようね。」
「威厳──?そんなモノの為に、子供を殺す事も厭(イト)わないなんて!」
苺は、形の良い眉をキュッと歪めた。
「そうね。人道上、赦されざる事よ。でも曾ては、それが罷り通っていたの。そして、その悪習は、未だに根深く残っているわ。だからこそ《金の星》には、薙が白児じゃないという証明が必要なのよ。その為に、嫡子は総代衆の《審議》を受ける事が義務付けられているの。伸ちゃんも曾て、審議を受けたのよ。」
…親父も…?
「解った、薙?これが六星よ。アンタの生まれた家はね、こういう歴史の中で、『閉じた血筋』を重んじながら命を繋いで来たの。アンタは、この血を絶やす事など許されない立場にあるわ。」
苺は冷たく目を眇(スガ)めると、預言者の様にボクを指差して言った。
「真実を知り…過去を知って、初めてアンタの『未来』はある。どんなに辛くても、事実は事実として受け入れなさい。深く考えちゃだめ。あるがままを知り、受け入れるの。継ぐ継がないの判断は、それからよ。」
──『事実』。
その言葉の意味が、重くのし掛る。
こんな現実が待っていたなんて、一体誰が想像しただろう?
頭がおかしくなりそうだ。
なのに、尚も苺は続ける。
「本家の総代衆は、《金の星》以外の首座を認めたくないのよ。直系の薙こそが、首座たるに相応しいと実証し、それを他星一門にも披瀝(ヒレキ)するつもりだわ。逆に云えば…それほどまでに、アンタの潜在能力を高く買ってもいるのよ。」
「潜在能力!?そんなの、ボク知らない!」
「自分で気付いていないだけだよ。」
祐介がポツリと言った。
「キミの力は本物だ。念じるだけで、骨に霊を宿らせるなんて…行も積まずに、そんな高度な術を遣う行者は居ない。」
「祐介…」
「普通なら有り得ない事を、無意識の内にやってのける──これは『才能』以外の何ものでもないんだ。天性の素質の顕(アラワ)れだよ。多分、キミは甲本家開闢(カイビャク)以来の天才だ。嘘は言わない。僕が保障するよ。」
「困るよ、そんな事云われても!」
「祐介の言うことは本当だぞ、薙。」
「おっちゃんまで──」
「いやな。俺も、祐介から聞いて正直驚いたんだ。本来、行を修めるには、元服の式を済ませた歳から、段階を経て積んで行くもんなんだよ…それをなぁ…。」
おっちゃんは、マジマジとボクを見て腕を組む。何とも云えない表情だ。
首座代理のおっちゃんまでが、そんな事を言い出すからには、ボクの力は本物なのかもしれない。だが、それを素直に認めるのは恐しい事だった。
ボクが天才?
信じられない。
もし、それが本当なら──
「どうして親父は…ボクに、跡を継がせまいとしたんだろう?」
「多分、強過ぎるからだろう。」
渋い顔で、おっちゃんは言った。
「強過ぎる力には、半端じゃない負荷が掛かる。強大な『力』を持つからこそ、振り掛る厄災も大きい。…兄貴は、ソレを心配していたんだと思う。」
「おっちゃん…」
「いいか、薙?当主にはな。それを支える為に、一族最強の行者が四人、サポートに就いている。俺らは『四天』と呼んでいるが……」
「?う、うん…」
おっちゃんの表情は、いつになく固い。
「当主が代替わりすると同時に、その四天衆も代替わりする。次の当主を品定めして、相応しいかどうかを見極めてから、正式に引き継ぐんだ。引退した四天は総代となって、裏から甲本家を支える位置に就く。」
な──なに、急に?
小首を傾げていると、おっちゃんは、ますます眉を曇らせて言った。
「…三日後。現・四天と総代衆が集まり、お前を審議する事になった。そこで過半数に承認されたら、お前が甲本の当主…つまり、六星一座の首座になる。そうなったらもう、拒否も辞退も許されない。」
「うそっ!」
驚きと得体の知れない恐怖とで、声が裏返った。胸がザワザワする。
「三日後…そんなに早く?」
おっちゃんは、沈痛な面持ちで頷いた。
「行を積んでいないお前を嫡子に迎えるかどうかが、審議の争点になる筈だった…だがな。お前が、兄貴の骨を持ち歩いて、異能の力を使っている事が、何処ぞから漏れちまったようなんだ。それで、総代の内偵が入ったんだよ。」
内偵?──つまり。
素行調査の様な事をされていたと?
「どうして、内偵なんて…?」
おっちゃんはボクの質問には答えず、煙草に火を点けると、ゆっくり吸い込んでから、溜め息の様に吐き出した。
「──お前。兄貴の『骨』を使って、怪我や病気を治しただろう?それも、一度や二度じゃないな?」
「う、うん……」
「アレを見られたんだよ。筆頭総代の式神にな。」
「見られたって、誰に?え…えっ!?もしかして、見られちゃいけなかったの?」
「────」
返事の代わりに、盛大な溜め息が返ってくる。そこで初めて、してはいけない事をしてしまっていたのだと覚(サト)った。
それは…身に覚えのある話だった。
親父の骨を手に入れて、間も無く──ボクは、階段から転げ堕ちて足を痛めてしまった。
酷い捻挫だった。
アッと言う間に腫れ上がり、その日の内に歩けなくなった。
その時。ボクは…ふと思い付いて、親父の骨の入った袋を取り出した。
どうしてそんな事をしようと思ったのか、自分でも良く解らない。だが…何故か、その『骨』を患部に当ててみようと思い、無意識にそうしていた。
目を閉じて、深く呼吸する。
それから、親父の姿を思い浮かべて、一心に治癒を念じる。
流行りのおまじないを試す様な─…そんな軽い気持ちだった、なのに。気が付けば、痣や腫れが跡形も無く消えていた。
まるで親父自身が、ボクの怪我を癒してくれたかの様に…綺麗さっぱり、痛み諸とも消え失せたのだ。
親父の骨には、何か特別な力がある。
そう気付いたボクは、それを使って、屡々、病気や怪我を癒していた。
自分以外の人に──そう。
例えば、ボクの母さんに。
病弱な母さんの体を癒す為に、ボクは親父の骨の力を使ったのだ。
あれを、一部始終見られていた…?
一体、誰が──どこから、どうやって?
…背筋に悪寒が走った。我知らず肌が粟立つ。
「し…式…神…って、なに?」
震える声で尋ねると、見かねた様子で、苺が話を引き継いだ。
「行者に従う眷属(ケンゾク)…簡単に言うと、使い魔みたいなものよ。神流(カンナガ)れした御神霊なんかを、行者が勧請(カンジョウ)して使役するの。陰陽道では、それを《式神》と呼ぶのだけれど…要は、眷属も式神もほとんど同じものよ。諜報活動やら潜入行動なんかをさせるのには、便利な連中だわ。」
諜報活動?つまり、スパイ??
ボクを見張っていたのは、神様…なのか?
「そうよ。どうやらアンタには、ずっと以前から式が憑いていたみたいね。」
…………。
…………。
それは、とても衝撃的な事実だった。
ボクの行動は、何者かによって、常に見張られていたのだ。
一体いつから──?