誰もいない音楽室。そこには付き合って5ヶ月が経つ男女が二人。

密室に二人っきりという最高の状態で瞳と瞳が絡まり合えば、先ほどまでは流れていなかった甘い空気が必然的に流れ出すわけで。


「――蜜」


俺は瞳が絡まった目の前の彼女の名前を囁くように紡ぎ、そっとピンク色に染まった頬に手を伸ばし添える。

途端ピクッと跳ねるその身体。触れる頬はじわりじわりと熱を帯びて、熱い。


ピンク色から朱に変わった頬を見て可愛いなぁ…なーんて思いながら。自分の顔を小さく傾けて彼女に近づけていく。


と。

「……やだ」


むぎゅっと自由のきく空いた手で顔を押さえられ未遂。…手、掴んどけばよかったな。

心の中で舌打ちをして、やだとか言われた俺はおとなしく顔を上げる。けど、黙ってはいない。


「…なんで?」


俺の顔を止めてきた彼女の手を取り、唇から零れた声はいつもよりワントーン落ちていた。

仕掛けようとしたキスを拒まれたっていう事実。不機嫌になるのも仕方がない。ていうかそうさせたのはそっちだ。


ムッとあからさまに顔に出してそう問うと、ビクッと僅かに跳ねる肩。「え…えっと…」気まずそうに泳ぐ瞳。濁る言葉。

…また、か。


「蜜は俺とキスしたくねぇの?」


取った彼女の手の指にチュッとわざと音を鳴らして口づける。

たったそれだけのことで彼女――蜜は泳がせていた瞳を俺へと定め、カッと目を見開いて、朱だった頬は真っ赤に色づく。

そんな相変わらずな蜜の反応が可愛くて好きで。愛しい気持ちが底から溢れ出す――が、でも拒んだ理由をうやむやにしてやるようなことはない。そこはきっちり吐いていただくに決まってる。


「…なぁ、蜜…?」


挑発的な瞳で捉えて。理由を吐いてもらうのが一番の目的だが、蜜の反応を楽しみたいっていうのもまた本音。だって超可愛いし。


口づけた指を今度は口へと運び、それを歯でカリッと甘噛みしてやった。


「キス、したくない?」

「んっ…とー、や、やだぁ…」


真っ赤に染まった顔を歪めて、甘い声を零しながらやだと拒否をして、くりくりのビー玉みたいなブラウンの瞳に涙を浮かべる蜜。

…ぶっちゃけ俺を煽ってるとしか思えない。

つーかね?やだとか言われてやめてやるような生易しい性格してないよ?俺。


なーんて、言ってみるけど。

真っ赤な頬に一筋涙が流れた瞬間、そんな格好つけたことを言っている場合ではなくなってしまうのだ。


「ふええ…、飛也のバカあああ…っ!」

「わー!はいはいはい。やめた!やめましたっ!」


一筋涙が流れ出すと、それに続いてぽろぽろと滴たちが蜜の瞳から止まることなく次々と零れ落ちていく。

なによりも俺はそれに弱く勝ち目がないためもうお手上げで。

頬に添えていた手の指でその滴たちを一粒一粒拾っていきながら「もうしねぇから泣き止んで?」困ったように笑ってやる。


「ほんとぉ…?」


あー、もう、ちくしょー…。

可愛いなコラ。


ぐすっと鼻を啜り、うるうると潤んだ瞳は殺人級の可愛さ。それに足して上目遣いとかちょ、マジでやめて。

ありったけの理性を総動員させて可愛さ100倍の蜜の攻撃に立ち向かっていったとしても、それは皆無。瞬殺だろう。

キューティー怪獣(蜜)は強すぎる。

ていうかね。俺をメロメロにすることを無自覚でやってんだよこの怪獣ちゃんは。だから余計に質が悪い。


「(はぁー…)」

「とー、や…?」

「(…バカ)うん。もうしないよ」


サラリ、蜜の髪を撫でてやりながらふわりと柔らかく笑ってやる。

そんな外とは反対に、内では嘘に決まってんだろ!手ぇ出したくて仕方ねぇっつーの!バカバカ鈍感蜜!盛大にヤジを飛ばす俺。


なんかもうヤりたい盛りの中坊みたいだなおい。って、実際蜜から見ても、自分を客観的に見ても、今の俺は残念ながらまさにそれ。

高2にもなってなに盛ってんだよって話だけどさ。本当に、仕方ねぇとは思う。手ぇ出したいのは本音だ。


だって蜜は俺の彼女。好きだから付き合ってる。好きだからキスして、好きだからヤりてぇって思うのは男として当たり前だろ?

まあでも男っつー生き物はバカだから好きじゃなくてもヤりてぇって思うやつはいる。

実際、俺もバカな生き物だから蜜と付き合う前まではふらふら遊んでた(あ、これ蜜には内緒ね?)。

だけど今は遊びとかじゃねぇ。ちゃんと蜜とヤりてぇ理由があるから、付き合って5ヶ月。いい加減欲求不満になってきた俺の名前は嶺河飛也(れいが とうや)。

ちなみに蜜の本名は彩名蜜(あやな みつ)。


俺と蜜。今みたいなやり取りは実は今日が初めてではなかったりする。

キスを仕掛ける度、ここ最近数日前から似たような感じで行われ続けていた。

つまり、俺は拒否られっぱなしだったのだ。


最近、というのだから、拒まれ始める前までは拒まれることは全くなかった。

蜜はりんごみたいに真っ赤になって、恥ずかしがりながらもちゃんと俺を受け入れてくれていたのだ。


だけど、ある日いきなり。突然。

甘い雰囲気ムンムンで、あ、これ絶対ぇキスするときじゃん!今しなきゃ男じゃねぇ!って、ヤル気満々に仕掛けたら「やだ」言われて俺、すっげぇショック。

数秒間放心してたね。うん。ダメージを受けたわけですよ。


けーど…!諦めないのが俺で。

拒否られた日から甘い雰囲気になれば必ずキスを仕掛けた。しかし、見事に毎回毎回やだと拒否られて。

なんでだよ!っていう疑問と苛立ち。だんだんと意地になってきている俺がいた。


拒む理由を無理にでも吐かせたくて、蜜が根負けしそうな、例えばさっきしたような意地悪とかいろいろ試してみたけれど。

最終的に負けるのは、俺。いっつも蜜の涙に負けてしまう。あれはずるいと思う。反則だ。


それでもめげずに何回も何回も仕掛けるしつこい俺と、やだっつって、おとなしくキスさせてくれない蜜。

可愛い顔してめちゃくちゃ強情。

そんなんが続けば、もう俺のこと好きじゃねぇのかな…とか。蜜の気持ちを疑う女々しい感情がモヤモヤ胸にわだかまりを作った。


今でもまだあるそのわだかまりは、思いの外重い。重くて、重くて。ずっしりとしたそれに今にも俺は潰れてしまいそうとか――はっ、マジで女々しいな。


ただキスを拒否られているってだけなのに。別に避けられてるわけでもないのに。

ただ、それだけのことでどうしようもなく不安になってしまう。

蜜の気持ちを疑ってしまうぐらい、俺は蜜が好きなんだって。なあ、お前ちゃんとわかってる?


ああ、くそ。辛ぇなぁ…。

今までこんなこと、こんな気持ちを経験したことがないからたぶん余計に辛いんだ。


ズキズキ、ズキズキ。

胸が、痛い。


「へへっ」


笑ってんじゃねぇやい。お前の彼氏は今、お前の所為ですんげぇモヤモヤしてんだぞ。すんげぇ女々しいんだぞ。女々しいの!


…なーんて。

なに見栄張っちゃってんの、俺。

無意味に張った見栄のおかげで悲しさ倍増(たとえ心の中でだったとしても、だ)。バカか。まあバカですけどなにか?

俺の気持ちも知らないでほわほわ笑う蜜もやっぱりバカ。めちゃくちゃ可愛いけどバカなもんはバカ。

こんなに俺に好かれてんだぞ。もう好きじゃなくなったとかだったらふざけんな。また、好きになれよ、なぁ。