駅の前に辿り着くと、すぐ傍に初めて見る店が確かに建っていた。

白い壁に、茶色い縁の扉。
扉の横には大きなガラス窓があり、内装がよく見えるようになっている。
たくさんの植物が店の前に置かれていて、先日の森のお茶会を思い出す。

どうやら喫茶店のようだ。
まだ営業はしていないようだが、道行く人々が視線を向けたり、足を止めたりしている。
帝都のお嬢様という人が出すという店を、誰もが気にしているようだ。

「可愛いお店」

少し古めかしい雰囲気を出しながらも上品な外観。
大きなガラスから見える内装もまた、ヴィルベルの雰囲気と合っていて寛ぎやすそうな雰囲気だ。

「あら、それは嬉しいわね」

幼い声が傍から聞こえ、エリーは周りをきょろきょろと見回す。

「ここよ」

少しむっとしたような声に、ワンピースをぐっと引っ張られる。
どうやらすぐ傍にいたようだ。

淡黄の長い髪を二つに結んでいる少女。
猫を思わせる大きな目が真っ直ぐにエリーを見つめている。

「……あなたは?」

思わず尋ねると、少女は眉間に皺を寄せて不服そうに腕を組んだ。

「人に名前を尋ねる時は自分から名乗るものではなくって?」

「そ、そうですよね。私はエリーです」

「私はリザよ。あなたの見ていたこの店のオーナなの」

「……あなたが?」

「何よ、文句でもあるっていうの?」

「い、いえ……」

少女、リザの言葉にエリーは狼狽える。
帝都のお嬢様というのはこのリザという少女で間違いはなさそうだが、思っていたよりもずっと幼く見える。

カイと同じパターンだろうかと考えてみるが、それは考えにくい。

「……あなたの想像している通りの年齢よ。私はまだ学生なの」

少しイラついたようにリザが言う。
気分を害してしまったのは明らかだ。エリーは慌てたように謝る。

「ごめんなさい。驚いてしまって」

「いいわよ。いい加減慣れたわ」

そう言って大きくため息をつく。

「大体、お父様もお父様よ。学生のうちから店をやらせるなんて」

突然の愚痴にエリーは困ったように眉を下げる。
それに気が付いたのか、リザが気を取り直すように改めて腕を組む。

「ねぇ、あなた。どこかでお会いしたことはないかしら?」

リザが睨むような視線でエリーを見上げる。
エリーは更に困ったような顔をしている。

リヒトはべーっと舌を出して威嚇した。

「……ない、と思います」

自信無さそうに答えるエリー。
それもそうだろう。エリーには記憶がないのだ。

まぁいいわ、とリザは気にしてなさそうに髪を揺らした。


「営業は明日からよ。あなたもぜひ来てちょうだい」

「よろしいんですか?」

「当たり前じゃない。私の初めての店がオープンするのよ。街中の人に来てもらわないと困るわ」

楽しそうに言うリザは、年齢相応の笑顔を見せている。
エリーも笑顔で答えた。

「それでは、伺わせていただきますね」

「ええ。楽しみにしていて」

そう言ってリザが余裕そうな笑みを浮かべた。


リザと別れ、エリーは夕飯の買い出しをしていた。
姿の見えないリヒトはきっとお菓子のある所にでも行っているのだろう。

エリーは明日のことを考えながら、にんまりと笑いながら買い物をしていた。

ウィリアムも誘ってみたい。
興味はあるだろうか。

喫茶店だからお菓子は期待できるはず。
リヒトは間違いなく一緒に行くだろう。

そんなことを考えながら、エリーはご機嫌で買い物を続けた。


エリーは朝からそわそわしていた。
今日から営業開始のリザの店に行く予定なのだ。

リヒトもやはりどこかそわそわしている。
お菓子に期待しているに違いない。

ウィリアムの分だけ朝食を用意し、エリーはいつものように書斎へ声を掛けに行く。

ノックをして、扉をゆっくり開ける。
ウィリアムは机の傍に立っていた。今気が付いたようにエリーにゆっくり視線を向け、開けていた引き出しを閉める。

「あの……朝ごはん、用意できました」

「……ああ」

少し残念そうな顔をして、エリーは言葉を続ける。

「それでは、行ってきますね」

「……ああ」

返事を聞いて、エリーは扉を閉める。

喫茶店へは昨日の夕飯の時に誘ったのだが、ウィリアムは行けないようなのだ。
ウィリアムの仕事が忙しいのはいつものことだったが、よほど追い詰められない限りはエリーに付き合うようになっていた。

今回はよほど追い詰められているのだろう。
無意識にため息をついて、エリーは出かける準備をする。

昨日の時点であれ程注目されていた店だ。
きっと朝から並ぶに違いない。

そう思い、エリーは早めに行くようにしようと思っていた。


丈の長いワンピースを着て、エリーは髪を横に結ぶ。

玄関の扉を開けると、少し肌寒い空気を感じる。
森のお茶会の後は、どんどん寒くなっていく。
上着をそろそろ買わなくてはならないだろう。

アンナを誘ってみようか、とエリーは考える。
ヴィルベルにやってきてから、エリーはどんどん積極的になっているような気がした。


駅に近付いていくと、当然のように人が多くなっていく。
新たな店に皆興味深々なのだろう。

リヒトはすでに涎を垂らしそうな様子でエリーの前をふわふわ飛んでいる。
店の前に着くと、そこには既に何人もの人が並んでいた。

店は既に営業を開始しているようで、店の中からも外からも賑やかな声が聞こえる。
わくわくしながら、エリーも列に加わった。

ぼんやりと中の様子の見えるガラスを見る。
リザはいるだろうか。

そんなことを考えていると、リザの淡黄の髪を見つけた。


店内、カウンターの中でスタッフと話をしている。
昨日の笑みとは反対に、深刻そうな顔をしている。

そしてふとどこか泣きそうな表情になった。
思わず列を抜けてガラスに近付く。




「あいつ、何やってんだよ」

隣から声が聞こえ、エリーは視線を移す。
そこには、エリーと同じようにガラス窓から中を覗く少年の姿。
もどかしそうな表情をしている。

再び店内に視線をやると、リザがこちらを向いた。

エリーと目が合い、そして少年の姿を視界に捉える。
リザはどこか悲しそうに顔を歪ませ、そして店の奥に入って行ってしまった。

中を見ていた紫苑色の短い髪の少年は、今エリーの姿に気が付いたようにエリーを見る。

「あー、えっと、列はあっちですよ」

そう言って列を指す。エリーは苦笑しながら頷く。

「はい……先程まで並んでいたのですが、リザさんが心配で」

「姉ちゃん、あいつの知り合い?」

きょとんとした様子でエリーに尋ねる。
エリーは曖昧に頷く。

「昨日お会いしたばかりですが……」

「そっか。なぁ、あいつ絶対何かあったよな」

一声目の敬語はどこへやら。
少年は腕を組みながらうーん、と唸る。

「そうですね。リザさん、なんだか悲しそうでした」

「そう。そうなんだよ」



「ちょっと」

少年と会話をしていると、お店の入り口と反対方向から声が聞こえた。リザの声だ。

「……何してんのよ。早く並びなさいよ」

「リザさん」

「お前、そんなこと言ってる場合かよ」

「何よ」

「何かあったんだろ」

「……だから、何よ」

「おれ達は心配してんだぞ」

その言葉にリザは眉を顰める。

「……心配されたところで、状況が良くなるわけじゃないわ」

少年はリザの言葉に何も言えなくなる。
二人の間に険悪な空気が流れる。

エリーはリヒトと顔を見合わせ、そしてリザの方を向いた。

「……リザさん」

エリーの声に、リザはバツの悪そうな顔をする。

「……悪かったわね。今日はちょっと……バタバタしていて」

歯切れの悪い物言いをするリザ。
エリーは心配そうな表情で首を傾げる。

「どうかなさったんですか?」

少し言いにくそうに目を泳がせ、そしてリザは大きくため息をついた。

「……スタッフの数が圧倒的に足りないのよ。多めに手配していたはずなのに、いないの」

その言葉にエリーと少年は店内を見る。
確かにどのスタッフも忙しなく動き回っている。

お客さんもまだ営業開始したばかりだというのに、どこか不満げな表情が多いようだ。
再びリザに視線を移すと、リザは涙目になって眉間に皺を寄せている。


「……どうせこうなるのよ。私の店なんて、失敗するに決まってるんだわ」

小さな声でそう言うリザ。少年は辛そうな顔をする。
エリーはそんなリザを見つめ、そして拳を握る。

「……私にお手伝いをさせてください」

「え?」

「スタッフが増えれば、少しは楽になると思います」

「でも、いくらなんでも客にそんなことさせる訳には」

「お客さんじゃなかったらいいんですね?」

エリーはそう言ってリザの手をぎゅっと握る。

「……私とお友達になってください、リザさん」

「……本気?」

「もちろんです」

真っ直ぐにリザを見つめるエリー。
その頭上には少し呆れた顔をしているリヒト。

「おい」

少年も思わず声を掛けた。

「……何?」

「おれも、手伝うから」

「なんであんたが……」

リザが困ったような顔をする。
少年はスッと息を吸って、緊張したように口を開いた。

「お、おれとお前の仲だろ」

そう言ってほのかに顔を赤くする。
リザは驚いたように目を丸くした。

そして眉を下げて、ふっと笑う。

「……じゃあ、お願いできるかしら」

「はい、任せてください!」

「おう!」

リザに案内され、三人で店の中に入っていく。
更衣室に案内されながら、基本的な内容を教えられる。

エリーの仕事は、メニューをメモして、それをキッチンに伝える。
出来上がったメニューをお客さんの元へ届ける。

単純な内容ではあったが、スタッフの数が足りていない状況ではどうなるのかはわからない。
ちなみに、少年はキッチンに立つらしい。


渡された制服に着替えるエリー。

膝丈のワンピースに、白いエプロン。
胸の辺りのリボンをぎゅっと結ぶ。

着替え終えたことをリザに伝えようとすると、そこには同じ制服を着たリザの姿があった。

「……リザさんも、やられるんですか?」

少し驚いたように目を丸くするエリー。
リザは少しむっとしたように腕を組んだ。

「指示や対応はメニューを取りながらでも出来るわ。……諦めかけていたけど、あなたのおかげで失敗を失敗のまま終えずに済みそうよ」

どうもありがとう、と小声で付け足すリザ。
そんなリザに笑顔を返し、二人で店内へと足を進めた。

同じように準備を済ませた少年と、店内で遭遇する。
目が合うと、少年はにかっと笑った。

「そういえばまだ自己紹介してなかったよな。おれ、テオ。よろしくな」

「本当ですね。私はエリーです。よろしくお願いします、テオさん」

にっこり笑って返すと、テオは少し照れたように笑った。

「さぁ、気合い入れていくわよ」

リザの言葉に二人で頷く。
こんな所でのんびりしている場合ではないのだ。

どこか余裕を取り戻したようなリザの笑顔に、エリーは安心したように微笑んだ。