彼女に背を向ける。暫くは罵声が浴びせられたけど、看護師に止められているのか、それは次第に遠ざかった。
「うらら……」
――ああ、何故なの……
もうすぐで病室に着く、そんな所で、呼び止められてしまった。
この名前で私を呼ぶのは、愛しい人ただ一人。
あんなに会いたかったはずなのに、もう今はどうしていいのか分からない。どんな顔をするのが正解なのかも分からなかった。
看護師は何かを察したのか、私をその場に残して去って行った。
「うらら、ごめん……」
彼が近付く気配がして、私は漸く顔を上げる。
そのとき、光る雫が彼の真っ新なリネンの表面を滑り落ちていった。辿り、視線を上げた次の瞬間、私は頭を殴られたような衝撃に見舞われた。
その先の瞳は、大粒の涙を湛えていたのだ。
「ふじ……く」
漸くそれだけ絞り出し、何とか口から零れたときには、もう彼の腕に抱きしめられていた。
「ごめん……うらら、ごめん……」
藤倉君は、壊れたレコードのようにそればかりを繰り返す。
その様子に愕然とした。
二度と激しいスポーツができないと診断されても涙を流していなかった彼が、今こうして泣いている。
必死に、謝りながら。
そして私は、本当に馬鹿な私は、このときになって漸く気付いたんだ。
彼は重大な怪我を負ってしまったけど、私はそれを支えていけると思ってた。この事故は、罪悪感としていつまでもしこりのように心に影を落とすけれども、この先が幸せなら、きっと何とかやっていけるって。
でもそれは、大きな間違いだった。
逆だったんだ、と。
私を見て罪悪感に苛まれるのは、彼の方だったのだ。自分と付き合ったせいで怪我をさせたという事実は、この先一生消えることはないのだから。
『俺たち、こうやってずっとお互いを大切に思い合っていたら、たとえ何があっても上手くいくと思うよ』
いつだったか、彼が言っていた台詞が蘇った。
そして私はその瞬間、そうか、と観念する他なかった。
いつの間にか私が大切にする想いのベクトルは、彼ではなく自分自身に向いていたことに気付いたんだ。彼はいつでも、何よりも、私を大切にしてくれていたというのに。
私は自分の愚かさを、彼の涙を見てやっと思い知った。
そして、どこまでも自分のことしか考えていなかった身勝手な自身を恥じた。
「うらら……?」
藤倉君の戸惑うような呼びかけに顔を上げれば、視界が僅かに揺らぐ。何度か瞬きをしてみるけど、それは酷くなる一方で。
すると彼が突如抱擁を解いた。私を見つめる瞳には驚愕の色が浮かび、その手が縋り付くように、私の両手を捉えた。
彼が必死で握りしめる自分の手。
見ればそれは、透け始めていた。
――ああ、そうか、戻るのか。
不思議と心は凪いでいた。
きっと私は、少なからず安堵したんだ。心底後悔することができた、自分自身に。
あんなに必死にしがみついていたけれども、心に灯る昏い炎が、恐ろしくもあった。このままこの世界を生き続きていたとしたら、私は遠からず人として大切な何かを失っていただろう。
藤倉君に失望されて、鞠にも見限られていたかもしれない。
これで良かったんだ。これで彼の脚は、治るもの。
「うららっ! うらら……っ!」
必死に叫ぶ彼の声が遠くなる。
私はもうほとんど感覚のなくなった指先を何とか伸ばして、彼の涙を拭った。
泣かないで、大丈夫。全ては元に戻るだけ。
「ありがとう、さようなら、藤倉君。大好き」
私の声が届いたかどうかは分からなかった。
でもきっと、笑えていたはずだ。だって彼と過ごした日々は、目が眩むほど幸福だったことに間違いはなかったのだから。
彼の姿はやがて消え去り、私は目を閉じた――――
「うらら……」
――ああ、何故なの……
もうすぐで病室に着く、そんな所で、呼び止められてしまった。
この名前で私を呼ぶのは、愛しい人ただ一人。
あんなに会いたかったはずなのに、もう今はどうしていいのか分からない。どんな顔をするのが正解なのかも分からなかった。
看護師は何かを察したのか、私をその場に残して去って行った。
「うらら、ごめん……」
彼が近付く気配がして、私は漸く顔を上げる。
そのとき、光る雫が彼の真っ新なリネンの表面を滑り落ちていった。辿り、視線を上げた次の瞬間、私は頭を殴られたような衝撃に見舞われた。
その先の瞳は、大粒の涙を湛えていたのだ。
「ふじ……く」
漸くそれだけ絞り出し、何とか口から零れたときには、もう彼の腕に抱きしめられていた。
「ごめん……うらら、ごめん……」
藤倉君は、壊れたレコードのようにそればかりを繰り返す。
その様子に愕然とした。
二度と激しいスポーツができないと診断されても涙を流していなかった彼が、今こうして泣いている。
必死に、謝りながら。
そして私は、本当に馬鹿な私は、このときになって漸く気付いたんだ。
彼は重大な怪我を負ってしまったけど、私はそれを支えていけると思ってた。この事故は、罪悪感としていつまでもしこりのように心に影を落とすけれども、この先が幸せなら、きっと何とかやっていけるって。
でもそれは、大きな間違いだった。
逆だったんだ、と。
私を見て罪悪感に苛まれるのは、彼の方だったのだ。自分と付き合ったせいで怪我をさせたという事実は、この先一生消えることはないのだから。
『俺たち、こうやってずっとお互いを大切に思い合っていたら、たとえ何があっても上手くいくと思うよ』
いつだったか、彼が言っていた台詞が蘇った。
そして私はその瞬間、そうか、と観念する他なかった。
いつの間にか私が大切にする想いのベクトルは、彼ではなく自分自身に向いていたことに気付いたんだ。彼はいつでも、何よりも、私を大切にしてくれていたというのに。
私は自分の愚かさを、彼の涙を見てやっと思い知った。
そして、どこまでも自分のことしか考えていなかった身勝手な自身を恥じた。
「うらら……?」
藤倉君の戸惑うような呼びかけに顔を上げれば、視界が僅かに揺らぐ。何度か瞬きをしてみるけど、それは酷くなる一方で。
すると彼が突如抱擁を解いた。私を見つめる瞳には驚愕の色が浮かび、その手が縋り付くように、私の両手を捉えた。
彼が必死で握りしめる自分の手。
見ればそれは、透け始めていた。
――ああ、そうか、戻るのか。
不思議と心は凪いでいた。
きっと私は、少なからず安堵したんだ。心底後悔することができた、自分自身に。
あんなに必死にしがみついていたけれども、心に灯る昏い炎が、恐ろしくもあった。このままこの世界を生き続きていたとしたら、私は遠からず人として大切な何かを失っていただろう。
藤倉君に失望されて、鞠にも見限られていたかもしれない。
これで良かったんだ。これで彼の脚は、治るもの。
「うららっ! うらら……っ!」
必死に叫ぶ彼の声が遠くなる。
私はもうほとんど感覚のなくなった指先を何とか伸ばして、彼の涙を拭った。
泣かないで、大丈夫。全ては元に戻るだけ。
「ありがとう、さようなら、藤倉君。大好き」
私の声が届いたかどうかは分からなかった。
でもきっと、笑えていたはずだ。だって彼と過ごした日々は、目が眩むほど幸福だったことに間違いはなかったのだから。
彼の姿はやがて消え去り、私は目を閉じた――――