午前中の病院は、医師も看護師もやることが多いのか、ざわざわと騒がしい。私のずるような足音も、痛みだけではない荒い呼吸音も、それが全てを呑み込む。
 醜い心も一緒に呑み込んでくれたら、そう思いながら唇を噛み締めた――そのときだった。

 俯く私の肩が、何の前触れもなく突如強い力で掴まれ、心臓が跳ね上がった。引っ張られた反動で、強制的に振り向かされる。手すりを掴む手は、白くなるほどきつく握りしめていたというのに、弾かれたように外れるほどだった。
 状況を把握する間もなく、左の頬に鋭い痛みを感じ、私はその衝撃で尻餅をつく。折れた肋骨が痛んで顔を顰めたけど、それに匹敵する罵声が私を貫いた。

「あんたなんか、死ねばよかったのにっ!」

 胸を押さえながらのろのろと顔を上げれば、それは西本さんだった。

 こんな所まで何しに? そう思うと同時に、突き落とされた瞬間の、まるで憑りつかれたかのような彼女の瞳が蘇り、途端に歯の根が合わなくなる。私は口を開くことすらままならなくなってしまった。

「あんただけが転がり落ちて、あんただけが痛い目に遭うはずだったのに、何で藤倉君が怪我しなきゃならないのよ?」

 あの日と同じように、爛々と光る彼女の目。
 きっと事態を知っている人が聞いたのなら、突き落とした張本人が、自分のやったことを棚に上げて何言ってるんだと憤慨したに違いない。
 勿論私だって反論したかった。でも、言葉が出ない。

「どうしたんですか? あなた、彼女は病人ですよ?」

 大声を聞きつけたのか、すぐに看護師が現れ彼女を制する。しかし西本さんは、物凄い剣幕でそれを振り払った。

「そんなの関係ない! こいつのせいで怪我をした人がいるのよ! 裁きを受けるのは当然のことじゃない!」

 私を指差し、唾を飛ばしながら罵る。
 自分が振りかざす正義のどこが間違っている? 瞳はそう憤っていた。

「ここは病院です、お静かに。他の患者さんの迷惑にもなりますよ」

 次いで私を助け起こそうと、別の看護師が現れる。私はその人に手を取られながら、何とか立ち上がろうとした。
 けれども、更に続けられた彼女の言葉に、体は硬直してしまった。

「リレーで恥かかせてやったのに、何でみんなあんたを除け者にしないのよ」

 地を這うようなその声は、憎しみ以外の何物でもなかった。

「……え?」
「本当は、あんたはあのチームじゃなかった。でも私が細工をしたの。同じチームになってみんなの足を引っ張れば、友達にも好きな人にも軽蔑されて、一人ぼっちになるだろうって。いい気味だって。そう思ったのに……っ! 何であんたはみんなにちやほやされて、ちっとも一人にならないのよっ!」

 愕然とした。
 よもや、曖昧になっていた案件が、こんなところで、しかも本人の口から露呈されるなんて。部活対抗リレーのチーム分け、これに細工をしたのは、彼女だったのだ。
 そう考えてハッとした。
 そうだ、彼女は確か、バドミントン部だったのではなかったか。そしてくじ引きを行なったのは、武本先生と、バド部の顧問である岡田先生だった。彼女は他の人よりも、細工がしやすい立ち位置にいたのだ。

 影森先生が、リレーのチーム分けの話をしてくれたあの日、最後に私に何かを忠告しようとしてくれていた。もしかしたらそれは、彼女のことだったのかもしれない。

「私が憎かったなら、私一人に何かすれば良かったじゃない」

 苦しくて悔しくて、発せられた声は怒りで震えていた。

「したわよ。それなのに藤倉君まで巻き添えにしたのはあんたじゃない! この、疫病神っ!」
「やめなさい。あなたは、月島さんだったかしら? 自分の病室に戻りなさい」

 助け起こしてくれた看護師に、背中を押された。
 まだまだ言い足りないことはたくさんあったけど、ここは公共の場で、他の患者さんも入院している。彼女と同じように怒鳴り散らしては、自分の程度まで知られる気がして、私は促されるままその場を離れることにした。