どのくらいそうしていたのだろう。中でがさごそと動く音がして、漸く我に返った。
 藤倉君が秘密にしたがっていたことを、偶然とはいえ聞いてしまったと知られるのはまずい気がして、転がった花束を引っ掴むと、急いで自分の個室へと引き返した。

 どうにか見つからずに済んだ私は、潜めていた息を吐き出すと、自分のベッドに倒れ込む。胸が痛んだけど、それ以上に心が痛んだ。

 もう激しいスポーツはできない――……

 藤倉君のお母さんの声が、耳にこびり付く。
 項垂れる彼のシルエット。そして、覇気のない悔しさの滲んだ声。
 確かに聞きたいとは願ったけど、そんな悲痛な声なんかじゃなかった……

 私はいったい何をしでかしてしまったの? ただ戻って来ただけのはずが、どこでどう間違ってしまったの?

 涙が頬を伝った。本当に泣きたいのは藤倉君のはずなのに。泣いたってどうしようもないのに……

 ――本当にどうしようもないの?

 そんな私に誰かが囁きかける。

 ……どうしようもないわよ。

 ――この期に及んで、まだあなたは後悔していないの?

「う、煩いっ!」

 気付けば声に出して叫んでいた。
 きっとこの事態を心の底から後悔しさえすれば、時戻しは無効になる、そう思わなかったわけないじゃない。
 でも、一度手に入れてしまった幸せを、一度知ってしまった極上の甘い蜜を、手放すなんてどうしてできる?
 あの、何もかもが凍りついた冬の日に、全てを捨てて舞い戻れっていうの?

 そ、それにそうよ、激しいスポーツはできないけど、日常生活に支障はないって言ってたじゃない。運動だけじゃない、勉強だってできる彼には、将来の選択肢がいくつもあるはず。そのうちの一つが潰れたからって、きっとすぐ変わりになるものを手に入れるに決まってる。そして後悔する暇もないくらい、私が彼の新たな夢を全力でサポートすれば良いだけの話じゃない。
 そうすればきっと、私はもっと彼に必要とされる人間になれるもの。

 邪で汚くて醜い私の心。ひたむきに頑張る彼の好きな私はもうここにはいなくて、でもそれだって上手く隠してみせる。
 私は、胸に昏い炎を抱いた。

 ――コンコン。

 突然鳴り響いたノック音に、ビクリとなった。
 だ、誰だろう? お母さんは今日はもう来ない。鞠も帰ったし、琴平さんともさっき別れた。まさか、藤倉君?

「はい」

 涙を拭うと、急いでベッドに潜り込んだ。
 同時に扉が開かれ、一人の男性が顔を覗かせる。

「大丈夫か?」

 それは思いもよらない人物だった。

「せ、先生」

 養護教諭の影森先生。

「災難だったな。学校で聞いてさ、これ」

 病室に足を踏み入れた先生が掲げたのは、地元でも有名な和菓子屋さんの袋。

「わざわざすみません」

 慌てて起き上がろうとする私を、先生は「そのままで良いよ」と制した。

「肋骨折ったって話は聞いてるから、気にせず寝てて。これ、藤倉と食いな」

 出された名前に、思わず俯いてしまう。すると先生は空いた椅子に腰掛けながら、私を覗き込んだ。

「泣いてた? どっかが痛いって顔じゃないよな?」
「痛いですよ」
「え?」

 先生は腰を浮かしかける。

「心が痛くて、死にそうです」

 でもそう続けると、困ったように目を伏せて、また椅子に座り直した。

「藤倉の容態、聞いたのか?」

 私はそれに無言で頷いた。

「……単刀直入に訊く。
 あの日、誰かに突き落とされたんじゃないのか?」

 予想もしていなかった言葉に、私は驚き、弾かれた様に顔を上げてしまった。