人の目は、本当にどこにあるか分からない。
 西紅生なんてほとんど残っていなかった競技場の、しかも外。なのに私たちが抱き合っていた姿はどこかの誰かにバッチリと目撃されていたようで、休み明けの翌々日には、登校する私に、興味半分嫉妬半分の痛いほど多くの視線が突き刺さっていた。
 勿論これだけ注目されるのは、私を抱きしめていた人物が藤倉君だったからに他ならない。
 これがどこの馬の骨かも分からない相手だとしたなら、気にした人がいたかどうかすら怪しいだろう。

 不躾な視線も、ヒソヒソ囁かれる声も、どれもこれもが自分を非難しているように感じて、思わず俯く。

「おはよ」

 そんな私に、後ろから声がかかった。
 振り向けばそこには、琴平さんの姿。

「あ、おはよ」

 ――ドキリ。

 クラスが同じだから会わないわけにはいかないけど、会ったときにどんな顔をしたらいいのだろうと考えていた相手だったから、思わず目を逸らしてしまった。
 好きだった人を横取りされたんだ。彼女は今、どんな気分で私に声をかけているのだろう。

「えらい騒ぎになってるね」

 でも思ったよりもさっぱりした声が聞こえて、再び彼女に目を戻す。

「もっと堂々としてたら?」
「え?」

 私を見上げたその顔は、にっこりと微笑んでいた。

「藤倉はさ、見る目あると思うよ」
「琴平さん……」
「ふふっ」

 可愛く笑って、行こう、私を促した。

 私は、ごめん、と咄嗟に謝りそうになって慌てて口を噤んだ。だって、いったい何に謝るつもりなの?
 本当はあなたが付き合うはずだったのにって? そんなの、奪うために戻って来て、何を今更って話じゃない。
 じゃあ、琴平さんよりもデカくて頭の悪い私が藤倉君を射とめて? 

 ……何よそれ、酷い傲慢だわ。

 彼女の性格が、もっとずっと悪ければ良かったのに、なんてため息を吐きそうになって、私は愕然とした。だったら奪ったって罪悪感を抱かなくて済むのにって、この瞬間そんなことを考えたのだ。
 躊躇いもなく浮かんだ言葉に、寒気がした。

 先を歩く琴平さんの背を見つめる。
 彼女は凄い。
 二人が抱き合っていたあのクリスマスの日、取り乱して無様に泣いた自分を思い出す。それに比べたらなんて大人なのだろうか。私だったら次の日、絶対に笑顔で声なんかかけられない。

 朝日を受けて輝く彼女の髪は、上質なベルベットのように美しく波打っていた。背筋はぴんと伸びていて、百五十台前半だなんて、並ばなければ意識もしないほどの大きな存在感。

 ――ああ、そうか。

 彼女は、いつでも精一杯生きているんだ。勉強も、お洒落も、そして恋も。だから、良い意味で自分に自信を持っている。
 藤倉君の心が私に向いてしまったとしても、やれるだけのことはやった、そういうことなのかもしれない。仕方がないと、簡単には割り切れないと思う。けど、悔いはないのだ。きっと、どんなときも全力だから。

 気付けば、閉じ込めていた罪悪感が蓋を押し上げ、昏い瞳でこちらを見つめていた。
 思わず鳥肌が立ち、人知れず腕を擦った。
 そんなの、戻って来た時点で分かっていたことじゃない。今までは、彼を追いかけることに必死で覚悟ができていなかったけど、もう状況は変わったんだ。これからはずっと付き纏うであろうそれに蓋をするだけじゃなく、どうにかこうにか懐柔していかなければならない。

 そして、せめて私と付き合ったことを藤倉君が幸せだと感じられるように、私は他の恋人たちよりも、そのことを痛切に考え、努力しなければならないと思った。