「え?」

 まさか近くに人がいるとは思わなかったのか、三人は弾かれたように振り返った。
 私は木の陰から姿を現す。足が痛んで転びそうになったけど、それでも何とか踏ん張った。

「月島さん……」

 どうやら向こうは私を知っていたようだ。そして藤倉君に近しい人物に話を聞かれたことに、彼女たちは少なからず動揺しているようだった。

「行こう」

 その中の一人が、即座に踵を返し二人を促す。
 でも私は、立ち去ろうとする彼女の腕を逃がすまいと掴んだ。

「待って」
「何すんのよっ!」

 驚くほどの剣幕で振り払われた。
 でも私だって負けない。譲れない。

「取り消して」
「は?」
「今言ったこと、取り消して」
「何が?」
「陰で、振った女の子のこと嗤ってるって言ったこと、取り消してよ」

 私が真剣に言ったのに、あろうことかその子は鼻で嗤った。

「は? 何で」

 何が悪いのよ、そんな眼差し。

「本当にそう思ってるの? 
 ねえあなた、本当に藤倉君はあなたの目に、そんなことするような人に映ってたの?」

 あなたの好きになった人はそんな人なの? 
 私は泣いている彼女へと目を向ける。

「藤倉君は人一倍優しいよ。それが偽善? たとえもしそうだったとしたって良いじゃない。あなたは、その優しさによって救われたことはなかったの?」

 私はあったよ? 引っ込み思案で、冴えない私。同情だったのかもしれないけど、そんな私にも分け隔てなく接してくれる彼の優しさに、私は救われたのだ。
 彼を追いかけて、一度目は失敗してしまったけど、二度目の今は必死に頑張る自分を少しだけ誇らしくも思っている。

「月島さん、藤倉君と仲良いからってちょっとウザいんだけど」

 鋭い瞳が私を射抜く。人から向けられる悪意には慣れることなんてなくて、思わず怯みそうになった。でも今は一歩だって退かない。
 だって、私を変えてくれたのは、正真正銘藤倉君で間違いないのだから。

「彼は陰で人のこと嗤ったりなんてしない。心配したり泣いたり応援したりはしてるかもしれないけど、嗤って馬鹿にするなんて絶対に有り得ないよ!」

 悔しくて、自然と涙が零れた。
 そして、彼に申し訳なく思った。
 かっこよく生まれて、たくさん告白されて、さぞ楽しい人生なんだろうな、呑気にそう羨んだこともあった。でもその分だけ受け入れられない想いがあって、人知れず彼はそれを心に貯め込んできたのかもしれない。こうした悪意を直接向けられたことだってあったのかもしれない。

「何でそんなことが分かるのよ」

 亜矢と呼ばれた少女が発したその一言。裏には、彼女でもないくせに、そんな思いが見え隠れしていたけど、そうじゃなくたって分かる。
 私は、腹が立って仕方がなかった。

「じゃあ逆に訊くけど、何でそんなことが分からないの? 彼のことが好きで、彼をずっと見てきて、何でそんなことも分からないの?」
「あんたほんとウザい!」

 睨みつける瞳が気に食わなかったのか、いちいち突っかかるその態度が気に食わなかったのか、私は強く押されてたたらを踏んだ。瞬間足首に激痛が走り、急いで木に摑まったけど、痛いのは手首も一緒で、すっかり失念していた私の手は力をほとんど入れられずに表面を滑り落ちていく。

「いっ……つ」

 呻きながら、体は後方へと倒れ込んだ。
 根の張り出すごつごつした地面を思い浮かべ、急いで身を固くする。けれども……予測した衝撃は、何故かいつまで経ってもやってこなくて。
 代わりに降ってきたのは、優しい声。

「大丈夫?」
「ふ、藤倉君」

 ぎゅっと閉じていた目を開ければ、精悍な彼の顔。
 何でここに? 驚いて目を白黒させてしまう。

「書置き見てさ。影森先生も探してるよ」

 優しく微笑む。

 ここにいるということは、話を聞かれていただろうか? あの悪意が彼に届いてしまっただろうか?

「行こう」

 私を抱き起こす藤倉君の瞳は、よく凝らせば寂しそうな色が浮かんでいて、でもそれは勘違いかもしれない、そのくらいの僅かなもの。だから。

「ごめんね」

 取り消すことも、謝らせることもできなかった。
 その瞳が私の勘違いだったとしても、探させてしまったことへの謝罪、そう取れるように密かに思いを込めて。
 でも彼は、

「ありがとう」

 そう言ってふわりと笑った。

 私は驚いて目を見開く。
 でもすぐに藤倉君の瞳は三人へと向けられてしまった。
 彼女たちは突然現れた張本人に驚いて、ただただ立ち尽くしていたようだった。

「想いに応えられなくてごめん。でも、気持ちは嬉しい、そう言ったことは真実だし、告白されたことを友達に言いふらしたこともない。信じてもらえるかな?」

 困ったように笑う彼に、呆然とする三人は言葉もないようだった。
 きっと心のどこかでは、藤倉君がそんなことするような人ではないと分かっていたんだと思う。だけど振られたことが悲しくて、それを彼への中傷に変化させることで、やり場のない思いをどうにか昇華させていたのかもしれない。

 泣いている彼女は、下手をしたら明日の自分だ。一度絶望を味わった私だから、理解はできなくもない。だけど絶対に共感はできなかった。だって、大好きな人との思い出をそんな言葉で終わりにするなんて、もっと悲しくて惨めになるに決まってるもの。