「何だって?」

 おばあさんは、訝しげに私を見つめる。

「戻りたい。高校生、もう一度やり直したい」

 拳を握りしめ俯く。
 瞼をぎゅっと閉じたのに、その隙間からは、溢れた後悔が涙となって零れ落ちた。
 こんな状況にならなければ、それに気付けなかった自分が情けなかった。

 遅すぎたんだ、馬鹿だ、悔しい――

「そうかい。じゃあ戻ると良いさ」

 それなのにおばあさんは、そんな私を鼻で嗤ったようだった。思わず耳を疑う。
 は? そう言いそうになった。だって。

 ――戻ると良いさ? 何よ、それ。

 まるで、ジュース買い忘れたからコンビニ戻る? そんな気軽さだった。
 二十四時間、いつでも行けるたやすさなんて、過去という代物には欠片もありはしない。そんなお手軽に戻れるならば、こんな苦しいほどの後悔、してるはずないじゃない。

「何なの?」

 おばあさんの適当さに、イラッとした。

「お前さんは、馬鹿だよ。本当に馬鹿だ」

 顔を見れば不機嫌なのは一目瞭然だろうに、おばあさんは更に私の神経を逆撫でする不躾な台詞を浴びせてくる。
 私が盛大に眉を顰めると、しかしそれすら気にも留めず続けた。

「あたしが言った忠告を、何一つ聞いちゃいない。せっかく礼をしてやったというのにねぇ。でもまぁお前さんが望むというなら――叶えてやろうじゃないか」

 どんな言葉なら言い負かすことができるだろう、そう考えていた私は、だけどおばあさんが発した最後の台詞に、固まった。

 ――叶えてやろうじゃないか……? 

 喉が貼り付いたように言葉が出ない。
 何を? と問いかけつつも、微かな期待が胸に灯る。

 おばあさんは、どこか諦めたような複雑な感情を乗せてため息を吐き、そして、こう零した。

「ちょうど、一年前に戻してやろう。ただしこれが最後だよ。もうこれっきりにしとくれ。何でもかんでもあたしのせいにされちゃ敵わんからね」

 一年前に……戻れる? 本当に? どうやって? どうして? 多くの疑問が瞬く間に頭を埋め尽くす。なのに一つも言葉にならない。
 黙っていると、おばあさんは睨むようにこちらを見つめてきた。

「いいかい、よく聞きな。一年、やっぱり戻らなければ良かったなんて、絶対に後悔しちゃあいけないよ。今日のこの日を過ぎるまではね。さもないと、時間戻しが無効になっちまう。
 二度目なら上手くいく? そう思うなら思うがいいさね。忠告は、したよ」

 諭すように告げると、おばあさんの視線は、私の手元へと下りる。

「荷物はそれだけかい?」
「え? 荷物?」

 矢継ぎ早に繰り出されるおばあさんの言葉。言われたことの半分もまだ噛み砕けていない。訊きたいことは山ほどあるはずなのに、せっかちなのか考える余裕すら与えてくれない。

「両手で持てるだけなら、過去へと持って行くがいいさ」

 だけどその言葉が、脳内に一つの閃きをもたらした。

 どくどくと、米神が痛いほどに脈動する。呼吸が浅くなり、喉が鳴った。
 今自分が考えていることは、恐らく最低だ。でも失敗はできない。だってこんな奇跡、二度と起こらない。

「待ってて!」

 私はそう叫ぶと、目と鼻の先まで来ていた我が家へ一目散に駆け出した。

 靴を乱暴に脱ぎ捨て、ただいまも言わず廊下を走る娘に、お母さんが何事かと顔を覗かせたけど、私は気付かぬふりをしてそのまま階段を一段飛ばしに上る。

 自室の扉を勢い任せに開き机へ一直線、引き出しを開け、奥にしまわれていた紙の束を引っ張り出した。涙を吸って印刷の滲んだそれは、今また私の手汗を吸って波打つ。

 おばあさん、いなくなってたらどうしよう。

 震える手を何とか動かして全て揃っていることを確認すると、また急いで階段を駆け下りる。最後を踏み外して、盛大に尻餅をついた。滑稽なほど焦っている自分がいた。

「何やってるの? ちょっと、大丈夫?」

 お母さんが、呆れた顔で私を見下ろしていた。

「ごめん、人待たせてるから」

 だけど上げられた私の顔に、驚いたように目を開く。恐らく、涙の跡に気が付いたのだ。何か言いたそうにしていたけど、問答をしている暇なんてない。私はそれを遮って、「ちょっと行ってくる!」つんのめるようにして玄関を飛び出した。