恋の宝石ずっと輝かせて

「ユキ、大丈夫か」

 目覚めて間もないユキは混乱して、訳がわからないでいた。

 見慣れない部屋でベッドに横になっている。そして自分を心配している人が目の前にいる。

「私、一体……」

「うなされていたけど、どこか痛いのか」

「うなされていた?」

 ユキはハッとして起き上がり、布団を跳ね除け、自分の体を確かめる。
 どこも血はでていなかった。

 ユキが何かを言いたげにトイラを見つめる。

「血が……」

 そこまで言いかけたとき、ベッドの周りを囲っていたカーテンがシャーと音を立てて、目の前の視界が広がった。

 白衣を着た女性がユキを覗き込んで話しかける。

「気がついたみたいね。どれどれ」

 血圧器を手にしてユキの腕に巻きつけ測りだし、手際よく操作していた。

「ただの貧血だと思うんだけど、教室にカラスが入って襲ってきたら、そりゃびっくりするわよ」

 沢山の生徒の面倒をみるだけあって、親しみやすい気さくな感じの保健の先生だ。

 横で心配そうに様子を窺っているトイラにも微笑んでいた。

「だけど、こんなかっこいいふたりに運ばれて、ちょっと羨ましいわ」

 余計な一言に、ユキはうつむいて黙っていた。

「血圧は異常ないわね。でもどこか痛いところある?」

 血圧の道具を片付けながら先生が聞く。

 ユキは無意識に胸の辺りに手を置いた。
 少し熱を持ったように熱く感じていた。

 でも首を横にふる。

「それなら、もう大丈夫みたいね」

「センセー、ツヅキ、ハヤク、ハヤク」

 キースが部屋の隅に置かれている机の傍で座っていた。

 その机の上にはオセロが置かれている。 

「はいはい、ただいまただいま」

 先生も調子よく答えて、キースのいる場所に戻って行った。

 ボードをみるなり、先生は考え込む。

「なかなか強いね、君」

 二人して楽しく遊んでいた。

「あのゲームが終わるまで、ここでゆっくりしてもいいだろう」

 キースと先生の様子を眺めながらトイラが言った。

「私、気絶したの?」

 ユキが心ここにあらずで訊いた。
 まだ無意識に胸の辺りに手を置いている。

「ユキ、胸が痛むのか?」

「えっ? ううん、大丈夫だけど。私、あの時、カラスの羽を拾おうとして、それで……」

 トイラはユキの言葉を遮るように声を出す。

「俺たちが現れて気が休まらなかったし、ただストレス溜まってたんだろ。なんだ、大したことないじゃないか。元気なら心配して損した。もしかして演技だったんじゃないのか。俺たちへの当て付けとかさ」

 もちろん本心などではなかった。カラスの話題から逸らすためにトイラはわざと憎まれ口を叩いている。 

「ちょっと、なんでそうなるのよ。何、その言い方。そうよ、ストレスに決まってるわ。もちろん原因はあなたたちよ。朝から裸を見せるし、抱きかかえられて猛スピードで走るし、一緒にいると目立つし」

「はいはい、せいぜい俺たちのせいにしてくれ」

「何よ。ふん」

 ユキはベッドから身を起こして立ち上がり、すぐ近くに置いてあった上履きを乱暴に履いた。

「私、教室に戻るわ。先生、どうもお世話になりました」

「あら、まだゆっくりしていいのよ」

 先生が引きとめるが、ユキは深く頭を下げ感謝の意を伝えて保健室を出て行った。

 トイラもその後をついていくと、キースは残念そうに先生に顔を向けた。

「ボクモ イカナクッチャ」

「またいつでも遊びにいらっしゃい」

「ウン。マタ アトデネ」

 キースも二人の後を追いかけた。

 静かになった保健室で、先生はひとり駒を動かし、裏表ひっくり返していた。

 トイラに腹を立てて勢いで保健室を出てきたが、ユキはトイラが気になって後ろをちらっと振り返る。

 すぐさまトイラと目が合い、ユキは慌てて前を向いた。

 いちいち気に障るが、あの緑の目はユキを確かに心配していた。

 そして口には出さなかったが、トイラも手に傷を負っていた。

 トイラの傷だらけの体を思い出し、また傷が増えてしまったことが、どこか悲しく思えた。

 先ほどの怒りもどこかへ消えうせ、教室の前にきたとたん、もう少し保健室にいるべきだったと後悔し、ドアを開けられないでいた。

 せめて今の授業が終わるまで待った方がいい。

 引き返そうと思ったその時、後ろから追いついたトイラが無遠慮にドアを開けてしまった。

 静かな教室でガラッと派手に音を立てて開いたドアは、一斉にクラスの注目を浴びた。

 トイラとキースは躊躇うことなく堂々と入っていく。
 仕方なくその後ろをおどおどとユキはついていった。

 みんなの視線を浴びて体全体がピリピリする。

 女子たちの目がきつく感じたのは気のせいじゃなかった。

「春日、大丈夫なのか」

 村上先生が訊いた。

「はい、すみません」

 ここは大丈夫ですと言うべきところ、何を謝っているのだろうか。
 周りの目が気になり過ぎて、それに屈服してしまったユキはこの場から立ち去りたかった。

 村上先生はそれ以上追及せず、事務的に授業を再開する。

 トイラとキースはおくびれることなく席につき、ユキは居心地悪く椅子に座った。

 教室の前の時計を見れば、昼に近い。

 朝の授業はほとんど終わっている。
 これなら一層のこと早退してもよかったと思えてしまった。

 戻ってきた事を悔やみながら、机の中の教科書を取り出す。
 それと一緒に四つ折りにされた紙切れが出てきた。

 ユキはそれを広げて、書かれていた文字を見て目を見開く。

『いい気になりすぎ』

 殴り書きでかかれた、自分への警告。

 急に目立ってしまったことで、誰かが自分を気に入らないと攻撃している。

 分かっていたこととはいえ、直接文字を目にするとダメージが大きい。

 体がショックで震え、紙切れを手にしてユキは呆然となっていた。

 当然、そのユキの異常をトイラが気がつかないわけがない。

 ユキが持っていた紙をさっと横から取り上げた。

「あっ」

 ユキが声を出したと同時にトイラは立ち上がっていた。

「センセイ」

 トイラの声で、またこの場所に視線が集まる。

「トイラ、今度はなんだ」

「ユキ イジメ ラレテル」

「ちょっと、トイラ、やめてよ」

 ユキが紙を取り返し、すばやく机の中に隠した。

「トイラ、何を言ってる」

「だから、ユキが虐められてるっていってんだろ」

 気迫が伴った流暢な日本語が飛び出した。

「そ、そうなのか、春日」

 村上先生は圧倒され、弱腰で訊いた。

「いえ、その、彼、ちょっと日本語がよくわかってないみたいです。どうぞ授業続けて下さい」

「そ、そうか。でも、なんか日本語上手かったな」

 事なかれ主義で、村上先生はその場を受け流す。

 所詮、虐めの問題を相談したところで、助けてくれそうもないのがトイラに伝わり、ふんっと不機嫌に座り込んだ。

 授業は機械的に続いていく。

 英語教師のへたくそな発音がトイラには耳障りでならなかった。

「トイラ、何も授業中にいうことじゃないでしょ。大人しくしてよ」

「センセイ、タスケ ニ ナラナイ」

 トイラは村上先生を睥睨してからプイと窓の外に顔を向けた。

 ユキは手に負えないと呆れてしまう。

 トイラの暴走に振り回されるし、クラスの誰かからは疎まれるし、腹立つやら、悲しいやら、悔しいやら、複雑に感情が絡んで苦しい。

 また胸の奥が熱く、疼きを感じた。

 自分が一人でいたときの方がまだ平和に思えた。

 湧き上がるどうしようもない感情に無性にイライラしてしまい、ユキは八つ当たるようにトイラに向かってキッとにらんでしまった。

 一部始終を見ていたキースは物事が上手く行かない捩れがもどかしく、トイラとユキが仲たがいする度に悲しくなってしまう。

 自分のことのように、こっそりとため息をついていた。


 昼休み、ユキが用意していたお弁当をキースに渡すと喜んでくれたが、トイラは不機嫌に手にした。

「気にらなかったら食べなくていいから」

 急なことで、お弁当は大したものは作れなかった。

 卵サラダを挟んだだけのサンドイッチ。
 見るからにがっかりだろう。
 
 案の定キースは中身をみるなり「エー、コレダケ?」と不満を漏らした。

 それを聞きつけた女子生徒が、自分のお弁当を持って集まり出し、おかずを分け与えていく。
 キースは素直に喜び、特にから揚げやソーセージを美味しそうに食べていた。

 トイラは何も言わず、サンドイッチを口にする。
 あっという間に平らげて、机に突っ伏していた。

「今日、買い物に行って、明日は、ちゃんとしたもの用意するから」

 サンドイッチを咀嚼しながらユキは呟く。

「ユキ ガ ツクルナラ ナンデモ オイシイ」
「えっ?」

 聞き返したとき、トイラは突っ伏した顔の向きを窓側に寄せていた。

 空は柔らかいブルー。
 薄っすらと引き伸ばした雲が覆っている。

 遠くの山の稜線がぼんやりと見え、のどかな風景だ。

 朝の襲ってきたカラスのことなどすでに忘れられ、昼休みはざわめきの中、いつものように過ぎていった。
 
 お昼休みが過ぎてからの授業は眠たく、気だるさが漂う。

 それを乗り越え、最後の授業が終わるチャイムが響くと、ユキは開放感にほっとした。

 明日のお弁当のおかずのこともあり、ユキは家に帰る前にスーパーに寄り道したかった。

 てっきりトイラとキースも荷物運びを手伝ってくれると思っていたのに、よりたいところがあると言って、さっさと教室を出て行く。

 また女子生徒が追いかけようとするが、キースは忙しいからとそっけなく断っていた。

 どこへ行くというのだろう。

 居なければ気になるし、居れば落ち着かないし、自分でも訳がわからなくなっている。

 ため息を大きくついて席を立った。

 靴を履き替え、学校の門を出たその先で、マリが率いるグループとかち合ってしまった。

 体が急に緊張する。

 ぎこちなく傍を通りすぎようとすると、案の定マリが絡んできた。

「あら、ひとりでお帰り? 家来たちはお供じゃないのね」

「家来? トイラとキースの事をそんな風に言わないで」

「だけど、トイラにお姫様抱っこされて保健室に行ったじゃない。キースも引き連れて」

 気絶した後のことはユキには全く覚えがなかった。

「朝も抱っこされてたしね」

「ほんといい気なもんよね」

 マリの隣に居た女子たちも口を挟んだ。

 ユキはぐっと息が詰まり、手紙の文面が頭に蘇った。

『いい気になるな』

 無性に怒りがこみ上げてきた。

「私がそうさせたと思うなら、それでいい。それよりもあんな紙切れを机の中に入れて知らせなくても、私に文句があったら堂々と言えばいいじゃない」

「えっ、紙切れ? なんのこと?」

 マリが傍にいた友達を見回して確認する。みんな知らないと首を横に振っていた。

「机に入れたの、矢鍋さんでしょ」

「えっ、私が? ちょっと変な言いがかりはやめてよね。そんなかったるい事、私がすると思ってるの? ばっかじゃない。文句があったら私いつもあんたに堂々と言ってるわよ。今だってそうしてるし」

 言われてみればそうだった。ユキはマリの言葉に簡単に納得してしてしまう。

 犯人はマリじゃない。

 そう思った時、勝手に決め付けた事が恥ずかしくなり、「あっ、ごめん」と咄嗟に謝ってしまった。