しかし一つだけ断言出来ることがあるとするなら、ひかりにとって、バレエを続ける以上の幸せなどない。
ひかりはバレエの申し子だ。
バレリーナになるために生まれてきたような人間だ。
そのひかりがバレエを奪われれば、鳥が羽をもがれたようなもの。空を飛べなくなった鳥は、地面を這いながら、それでも幸せだと言えるだろうか?
答えは否だ。ひかりにバレエを踊る以上の幸せなどないことは、鏡華にもよく分かっていた。
だからこそ、奪ってやりたかった。
白露は少し強く言い聞かせる。
「とはいえ、さすがに直接人の命を奪うようなことは禁止していますが。及ぼす影響が大きすぎて、私共では手に負えなくなりますので」
「別に命まで奪うつもりはないわ。それに、そこまで大怪我だってさせるつもりもない」
鏡華は自分の拳を握りしめ、ぎゅっと目蓋を閉じる。
「ひかりがあのコンクールに出られなくなるなら、何だっていいの。たった一日。たった一度だけでいいから、あたしはあいつに勝ってみたいだけなの」
□
キッチンに入った愛梨は、白露の着物の袖を強く引き寄せると、真剣に訴えた。
「白露さん、本当にあんな願いを叶えてもいいんですか!?」
白露はいつものように何を考えているのか分からない顔で笑う。
「お客様は神様ですから」
愛梨はむぅっと唇を尖らせる。
本当に神様なのは、自分のくせに……。
前に少し聞いたことがあるけれど、白露は徳の高い天狐というあやかしだそうな。
千年という長い間、修行を積んで神様に認められたあやかしは、自らも神になれるらしい。白露ももう少しだけ修行を積めば、神様になれるところにいたらしい。
しかし何らかの事情で彼は神になることを諦め、また最初から修行を積み直すことになったというのだ。
信じられない。千年の修行をまた最初から、なんて。
たとえ永遠の命があったとしても、気が遠くなる。
白露に一体何があったのか? きっとよっぽどの失敗をやらかしたのだろう。
しかしいくら聞いてもそれ以上のことは、絶対に教えてくれなかった。
白露は秘密主義だ。
「ライバルの女の子……ひかりさんでしたっけ? にケガをさせるために、過去に戻るなんて、許されるんですか?」
愛梨がやきもきしているうちに、白露は戸棚からパフェグラスを取り出した。
この日のために用意しておいたものだ。
「お客様の要望には出来る限り応えるのが、私の店のルールですから」