「だからさ!何度も言ってるじゃん!それは私じゃないんだって!
確かに私は華って名前だよ?
見た目だってそのハナに似てるかも知れないよ?
だけどさ!別人なの!私じゃないの!
仮にそれが私だとしても!そんなハナ私は知らない!
それは一時の幻でしかなかったんだよ。
そのハナは元々はっきりと存在してなかったの。
ごめん、それは偽物なの……」
意味も分からず涙が伝う。
朔はそれを掬うようにして拭っている。
私は下を向いて。
朔は上を向いている。
私は泣いていて。
朔は微笑んでいる。
「ハナ。僕と新しい約束を交わそうか」
新しいも何も私と朔が約束を交わしたことは一度もない。
だいたい約束は嫌いだ。
それは、見えない不安を相手を縛り付けることで解消しようとするもの。
それは、最後まで果たされることがない薄っぺらく虚しいもの。
それは、破った方を一生呪い続けるもの。
なのに本当に不思議だ。
朔となら約束も悪くないと思える。
朔になら縛り付けられてもいい。
朔によってなら果たされなくても虚しくない。
朔になら……たとえ一生呪われたって構わない。
なら……私の答えは……。
僕はずっと夢を見ていた。
あの日からずっと。
何度も何度も繰り返し。
それは僕にとって大切なたった一つの宝物だったんだ。
ーーー
朔と私は眩しく瞬く橙色の世界を抜け出して深淵へと続く紫色の世界へと向かって歩みを進めている。
いま、私たちの手は離れ離れになっている。
繋いでいたらダメだと思った。
何がってわけじゃないけど……それでも。
「朔、つぎはどこに向かってるの?」
始まり出した紫色の世界ではあまり人にすれ違わなかった。
そのせいで耳に届くのは車のエンジン音のみ。
一人無音の世界で生きてきた私だけど朔と二人で過ごす無音は呼吸を重くさせた。
それでも他人との縁を絶った私に投げかけられる言葉は至極つまらないものだった。
「そうだね。そろそろハナの知っている場所にでも行こうか。
そうだね、ヒントはめちゃくちゃ大きなわんこ」
「でも……って、あれ?」
今回も濁らされるのを承知で投げた言葉にちゃんと答えで返ってきたことに驚いた。
朔がくれたヒントはこの辺りじゃ答えなり得るものだった。
「ん?」
「あ、ううん」
「ハナ」
朔はこの上なく柔らかな声で私の名前を呼ぶ。
反射的にその顔を伺うと視線は真っ直ぐ前方に向けられていて、その朔の優しさに息を呑む。
「言ってごらん」
「あの質問に朔が答えてくれるなんて珍しなって思ったっだけ」
「だって、鈍ちんのハナにはもう少し大胆に教えてあげないと伝わらないと思ったから」
「鈍ちん?それってもしかしなくても鈍いって言ってる?」
「あはは。ダメだよ、ハナ。鼻息を荒くしたって可愛くて逆効果だ」
「……私は朔が何を言っているのか分からない」
「あはは」
朔は相も変わらず真っ直ぐ前方を見つめたまま目尻の皺を深めている。
その頭上でトンビが一羽円を描いて飛んでいる。
だけどトンビは一度円を描いただけですぐに紫より深い色の空に消えていった。
「いいんだよ、ハナ。僕はハナにたくさん教えたいんだ」
「うん。私が分からないのは主に朔についてだけだけどね」
「そうかな?」
「うん。勉強は教科書が教えてくれる。
生きていく術は実際に生きている人たちを見て吸収していく。
それ以外は特に興味もわかないし知りたくないからいらないし」
「あれ?ハナってばさらっとご自慢を突っ込んだね?」
「ねえ?朔はもう少し私に分かるように話すことはできないのかな?」
「え?ハナは僕の言ってる意味が分からない?」
朔が本気言うとやっぱり私はどうしても笑ってしまう。
「うん。僕はどんなハナも好きだし大切だけど、やっぱり一番は笑ってるハナだと思うんだ」
それからは一緒に笑い合った。
私の笑うのを見て朔は笑顔で褒める。
私はそれにまた笑ってしまう。
朔はそれに笑顔で返す。