「僕とハナはまた会おうって約束したんだ」
「約束って……それって思いっきり昔の話でしょ?」
「そうでもないよ?僕が十二の時だったから六年前のことだもの」
六年前かぁ。
思っていたよりは昔じゃないにしても、それでもやっぱり昔じゃん?
「ん?六年前?待って?」
「あれ?ハナってばやっと僕のこと思い出してくれた?」
「あー、全然?全くもって覚えてない。
けど、問題はそこではなくてですね?」
「ええー、なあに?」
「朔って私より年上なの?!」
「え?ん?そうだっけ?」
「なんだ。朔だってたいしてハナのこと覚えてないんじゃん」
「違うよ?僕はハナのことをちゃんと覚えてる。
どんな話をしたか、あの一瞬をどんな風に過ごしたか。
僕は全部、覚えてる」
「ん?一瞬?」
「うん、一瞬」
「詳しくお願いします」
「やだなぁ。ハナってば本当に少しも覚えていないんだね?」
朔は少し困ったように笑いながらそう言った。
その顔は懐かしいものに触れた時のような、初めて見るものに触れた時のような。
深い優しさで包み込まれるような、何か助けを必要としているような。
凪いでいるような、嵐のような。
私に複雑な感情を抱かせるものだった。
小さい頃は良かった。
息が詰まるような、目を閉じていたいような汚いものは一切として感知できなかったから。
だけど、そんな恵まれた年齢はすぐに終わりを迎えた。
自分で自分の感情を理解できるようになると世界の汚れはすぐさまその姿を浮き彫りにし始めた。
父親が母親に優しくするのは自分が後ろめたいからだ。
贈り物をするのは他所で他の女にあげた罪滅ぼしだ。
週末になると家に帰ってこなくなるのは家よりも居心地のいい場所を見つけたからだ。
私の誕生日を忘れてしまうのはもっと優先されるべき記念日があるからだ。
私は小学校に上がる前には子供が親に求めるはずのものを捨てていた。
単身赴任か母子家庭のように母娘で過ごしているのは仕方のないことなんだ。
親に認められてくて頑張っても何も言ってもらえないのは仕方がないことなんだ。
休日に一人ぼっちなのは仕方のないことなんだ。
母親の怒ってる顔しか記憶にないのは仕方のないことなんだ。
父親の顔にはいつもモヤがかかっていてハッキリと思い出せないけど、それも仕方のないことなんだ。
捨ててしまうまでは毎日が地獄だった。
体の中には嵐が吹き荒いでいて、毎日布団の中で一人泣いていた。
それはそれは不安で寂しくて心細くて。
だけどそれも捨ててしまえば案外すんなりと消えた。
母親と二人が嫌なら一人でいればいいと気づいた。
一人で過ごす休日を友達で紛らわせた。
母親が怒ってるのはそう言う人だと思えばどうにかしなきゃと言う気持ちは消えた。
父親の顔を思い出せようが思い出せなかろうが私の人生には微塵も支障がないと気づいた。
誰に認めてもらわなくてもしにはしないと気づいた。
そもそも……、自分自身が私を認めていないのにそれを他人に求めるのは至極滑稽なことだと気がついた。
ーーー
「ここが僕とハナが初めて出会った場所だよ」
少しも覚えてない私を連れ出した朔が向かった場所は私が朔に声をかけられたあの神社だった。
深くて静かな冷たい場所。
切り取られたかのような別世界。
なのに害音が響く現実の世界。
「うん。確認だけど、それは数日前の話だよね?」
「違うよ?」
振り返った朔に胸が騒ついた。
それはときめきや高鳴りとは違う、少し不快な騒つきだった。
「実はね。上を見上げているハナに声をかけるのはあの日で二度目なんだ」
朔はとても静かに話す。
その声は決して大きくはないのに不思議と害音を打ち消してしまう。
それがなんだか酷く落ち着かない。
「朔はどうしてそんな顔ができるの?」
「ふふ。じゃあ特別。
ハナには一度話してるけど特別にもう一度、僕のことを話そうか。
僕は小学校中学年の時に母さんを失ってるんだ」
「っ」
息を飲む。
私はその痛みを知っている。
仮に失い方が違うとしても、それでもやっぱり普通は絶望すると思うから。