届くなら、あの日見た空をもう一度。


息を吸う。

力を込める。

たとえ嫌われても、俺は君に嘘をつかない。

全部見せるからー

「そんな顔?自分の顔を見てみろよ!

そうやって嘘つくなら菜乃花こそ、そんな顔するなよ。

なんで嘘つくんだよ。そんな嘘ついたって分かっちゃうんだよ。

何かあったことくらい分かるよ。

何か辛いことがあったってことくらい分かっちゃうんだ。

ずっと見てきたから。

ずっとずっと、菜乃花だけを見てきたから」

手が震えて涙がでた。

悔しくて、情けなくて。

でもー

でも、それでも構わない。

決めたんだ。

「好きだ……。俺は菜乃花のことが好きだ。

だから来た。会いに来た」

どうか伝わりますように。

そう強く強く。

願った。

「愛してる」

菜乃花の顔が強張る。

「俺には何もできないかもしれない。

でも、少しでも、なんでもいいから、菜乃花の力になりたい」

こんな言葉しか伝えられないけどどうか届いて。

強張っていた顔から力が抜けていくのが分かった。

でもその先にあったものは泣きたくなるほど弱く、悲しい笑顔だった。

見てられなかった。

決めたのに。

傍にいるって。

そう決めたのにー

「また来る」

それがいまの俺の精一杯だった。

どれくらいの時間が経ったのだろう。

部屋の中はすっかり暗くなってしまっていて。

壁に貼られたかなちゃんの絵がよく見えなくなっている。

電気をつけてキッチンに立つ。

そこにはかなちゃんが来る前に用意していた二つのカップが並んだままになっていた。

びっくりした。

理由も聞かず毎日来てくれていたのはただ心配してくれていただけなんだと思ってた。

まさか私のことを好きでいてくれてたなんて知らなかった。

知らなかったけれど、結局はそれを利用して踏みにじるような形になってしまった。

『また来る』

かなちゃんはそう言ってくれた。

でも。

きっと。

きっともう彼は来ないだろう。

棚から新しいカップを出して水を飲んだ。

シンクの横にだしてあるカップを使ってもよかったけれど、並んでいるそれにいまはに触れたくなかった。

水道から直接汲んだ水はとても冷たかった。

本当に冷たいから。

喉を通って。

食道を通って。

胃に落ちていくのがはっきりと分かった。

ーーー

その日は夢を見た。

夢だと分かったのはそこが暗いだけの何もない空間だったから。

私はここに来たことがある。

私はここを知っている。

息を大きく吸い込んで全身に力を込める。

以前ここにきた時にたくさんの声が聞こえたから。

それに負けないように準備をする。

のに、予想とは裏腹にあの声達は一向に聞こえてこなかった。

安堵とともに全身の力を一気に抜く。

良かった。

そう思った。

でもすぐに不安が襲ってきた。

あの声を聞きたくないと思って。

負けないようにと思って。

全身に力を込めたのに。

何もないこの空間で。

なんの声も聞こえないことに。

言いようのない不安が襲ってくる。

罵声を浴びせる人たちすら、いまの私にはいなくなってしまったのか。

いよいよ本当に、一人ぼっちになっちゃったんだ。

私を否定する人すらいなくなったこの世界で、私が存在し続けることに何か意味はあるのだろうか?

このまま私がいなくなっても悲しむ人どころか喜ぶ人もいない。

そんな世界で生きていく意味があるのだろうか?

もう何もかもどうでもいいと思えた。

何も考えたくない。

膝を丸めて目を閉じた。


もっともっと小さくなってそのまま消えられたらいいのに。

そう願いを込めてさらに体を小さく丸める。

何もない世界で心臓の音だけが響く。

その音が規則的で沈静で。

なんだかとても眠い。

このままここにいれば。

こうしてただ丸まっていれば。

いつかこの音も聞こえなくなるのだろうか?

(……消えたくない)