「一度嘘をついたら、どんどん言えなくなって。そのうちに香乃が修司と付き合うことになって、その頃にはもう……自分の気持を誤魔化すことしかできなくなってた」
「……うん」
「表面上は笑っていても、心の片隅にはずっと消えない思いが渦巻いていて、私は……」
言葉に詰まった私の手の上に、香乃の手が重なった。
「たとえ一瞬だったとしても、私は……香乃がいなければって、そう思っちゃったの……。大好きなのに、大切な親友なのに」
香乃の手の上に私の涙が零れ落ちると、そのまま俯きギュッと目を瞑った。
嫌われたとしても、酷いと思われたとしても、もう嘘をつきたくなかったから。
「私も言えなかった」
香乃の言葉に、私はゆっくりと顏を上げる。
「奈々の気持にはとっくに気付いていたのに、奈々も好きなんでしょ?って、ハッキリ聞くことが出来なかったの。それは……」
「香乃?」
一瞬目を逸らした香乃は、目に涙を溜めたまま、心の中にあった気持ちを話してくれた。
「本当は怖かったから。奈々の口から、修司が好きだという言葉を聞くのが怖かったから。
そのうち自分の気持が抑えきれなくなって修司に思いを伝えたけど、振られた後でもう一度奈々に本心を聞こうと思った。でも……」
でも、修司は香乃のことが好きだった。
あの告白を聞いた日から、私の心は徐々に汚れていったんだ。
「私の前では笑っていたけど、奈々が自分の気持を誤魔化して苦しんでいることに、気付いていたのに」
「香乃……違うよ、それは私が」
「違わないの!付き合うことになったって言おうと思えばいつでも言えたのに、心のどこかでこのまま言わないで済むならっていうズルい気持ちがあったから」
とめどなく流れる涙。それを拭うことも忘れ、香乃は私を見つめた。
「ずっとずっと、祈ってたの。どうか、どうか奈々の好きな人が……修司ではありませんようにって。
自分勝手だって分かってるけど、一番大切な人と、同じ人を好きになんてなりたくなかった……」
私も同じだったんだ。香乃と同じことを、ずっと祈ってた。
初めて本気で誰かを好きになった時には、お互いの恋を応援して、相談に乗って、励まして、そうやって二人で楽しく……。
私達はお互いを大切に思うあまり、嘘を付き、心の中で泣いていたんだ。
「事故にあった時、もうこのまま消えてしまえば楽になるって思ったの」
私の言葉に香乃は目を見張り、次第にその顔は険しくなっていった。
「これでもう香乃を苦しめずに済む、私も嘘をつかなくていいんだって。だから……」
「バカ!奈々のバカ!」
香乃が立ち上がると、パイプ椅子はそのままガシャンと音を立てて倒れた。
怒りよりも、深い悲しみを含んだ目で私を見下ろす香乃。
「奈々が……奈々がいなくなったら……っ、私は」
涙で言葉にならなくても、香乃の思いは伝わってるよ。
自分の心を見失い、本気で消えたいと思った私に、彼が教えてくれらから。
ーー『お前が一番泣いてほしくないと思ってる人が、一生泣き続けることになるんだよ!』
私は香乃の手を強く握り、涙でグシャグシャになったその顔を見つめた。
「ごめんね香乃。私もう、嘘はつかないから。だから香乃も苦しまなくていい。私、ちゃんと自分の気持を伝えて、それで前を向くから」
もう下手くそな笑顔なんて作らなくていいんだ。
心にある気持ちを全て吐き出して、明日を迎えよう。
もしも私が泣いたら、その時は……。
静寂を取り戻した病室で、香乃はずっと私の手を握り続けている。
子供の頃と同じ。
お母さんに怒られて泣いている私の手を、泣きながらずっと握ってくれていたあの頃と。
「ねぇ香乃、私の話しを聞いてくれる?」
香乃は真っ赤な目を私に向け、首を傾げた。
「凄く不思議で、有り得ないけど……でも、とっても大切な話を」
「うん」
「目が覚めたと思った時、私は制服を着てて……見下ろした先には、私が眠っていたの。それでね……」
キョトンとしている香乃の側で、私は話を続けた。
とても短かったけれど、きっと一生忘れられない旅の話を。
*
君はきっと知らないだろう。
それでもいいんだ。
大丈夫。
俺が君を
笑わせるから……。
だから、あの頃みたいに
笑ってほしい。
ーーーーーーーーー
*
この学校のバスケ部はたいして強くはないけど、部活をやらなければ勉強しろと煩く言われるし、中学の時もやっていたからという軽い気持ちでバスケ部に入部して一週間。
強いわけじゃないのに、部員はみんな結構真面目だ。だけど練習は特に厳しいわけじゃない。
真剣にやらなくても俺は他の一年よりも上手かったし、楽しければいいやと暇つぶし程度にこなしていた。
上級生がコートを使って試合形式の練習をしている間、俺たち一年は体育館の隅でひたすらドリブルの練習をさせられている。
こんなの中学の時に嫌というほどやらされていたのに、今さらまたやるのかよ。
「なぁ、これどうやったら安定するんだ?」
ボールを指先でクルクルと回していた俺に、そう聞いてきた。
「え?」
「だから、何回やってもすぐ乱れてくるし、どうやったら貴斗みたいに手に吸い付くみたいなドリブルが出来るんだ?」
いつの間にか俺を貴斗と呼び、汗をかいても爽やかなままのこいつは、園田修司。
高校からバスケを始めた、いわゆる初心者だ。
一年の中で初心者は修司を含めて五人、その中でも修司は毎日の練習を一番真面目に真剣に取り組んでいた。
そんなに真剣になったって、弱小高校のバスケ部じゃ大会で勝つのもひと苦労なのに。
「貴斗はほんとバスケ上手いし、羨ましいな」
額の汗を拭って俺を見た修司。
いや、俺からしてみたら、その眩しいくらい爽やかな笑顔の方が羨ましい。
「コツなんてないけど、とにかく回数こなすしかないかな。俺だって中学の時は体育館の床が抜けるんじゃないかと思うくらい、数えきれないほどドリブルの練習したし」
「そっか、やっぱ練習しかないよな。ありがとう」
口角を上げてニコッと笑う修司に、「アイドルか!」と突っ込みたくなったが、まだそこまで親しいわけじゃないから、その言葉をグッと飲み込む。
上級生の試合が終わると、上級生が休憩をしている間だけ一年がゴールを使える。
先輩達がコートから出るのと同時に、一年が一斉にゴールめがけてシュートを放った。
おいおい、ゴールはひとつしかないのに十三人全員でシュートしたら、そりゃ入らないだろ。
顧問はバスケの知識があまりないのか、練習を見にくることもほとんどないし、先輩は自分たちの練習で精一杯。
誰も指導する人がいないってのも、強くならない原因かもな。
そんなことを考えながら客観的に眺めていると、シュートをする輪から少し離れた所で修司がドリブルの練習をしていた。
なんとなく気になった俺は、修司に近づく。
「お前はシュートしないのか?」
「え?あぁ、だってまだ手の添え方さえ分からないし」
そうか、誰も指導してないもんな。
このバスケ部は、経験者にとっては自由に出来るからいいけど、初心者には辛い環境かもしれない。
「まずドリブルが出来なきゃ始まらないだろ?」
こいつは、どこまで真面目なんだ。
しかも……絶対良い奴だ。
そう確信した俺は、修司が持っていたボールを横から奪った。
「あのな、ドリブルも勿論大事だけど、考え方が極端なんだよ。ドリブルもやってパスもシュートも練習しなきゃ意味ないだろ」
「ああ、そうか」
「パスだって、ただ普通にこうやって投げたって駄目なんだ」
俺は持っていたボールをポーンと修司に向かって投げた。
そのボールを今度は修司が俺に投げ返す。
「ゆるいボールを高く上げることも勿論あるが、基本的にパスはこうだ」
さっきよりも明らかに強い力で真っ直ぐ投げたボールは、吸い込まれるようにして修司の手元にちょうどおさまった。
「痛って~」
思ったよりも強かったのか、修司は手をブラブラとさせて顔を歪ませた。
「あっ、悪い」
つい本気になってしまった俺は、修司の元に駆け寄った。
「いや、全然いいよ。分かったから。このくらいのスピードじゃないと取られるってことだろ?」
「うん、まぁそういうことだ」
「ありがとう。先輩の休憩が終わるまで、もう少し付き合ってくれるか?俺、貴斗に教えてほしい」
なんだ……こいつの目はなんなんだ。
まだそんなに親しい関係じゃないけど、駄目だ……我慢できない。
「お前は、人懐っこい犬か!その目は絶対チワワだな!」
「プッ、なんだそれ。うける」
「大丈夫だ。犬とボールは昔から仲良しだから、修司もすぐに上手くなる」
「いや、犬じゃねーし。貴斗って面白いな」
「とりあえず、まずは漫画を読め」
修司は意味が分からないといった表情で、口を半開きにしたまま首を傾げる。
「バスケ漫画を読めばある程度知識もつくし意外に参考になる。漫画だと侮るなよ!よし、今日貸してやる」
「えっ、今日?」
「そうだ。上手くなりたいんだろ?」
「あぁ、まーそれはそうだけど」
「よし、んじゃ決まりな!……で、お前の家どこだ?」
修司とは驚くほど気が合って、まるで昔から知っているかのようにお互い遠慮の欠片もなく、あっという間に気を遣わなくてすむ関係になった。
最近俺に影響されたのか、真面目一直線かと思っていた修司が冗談を言ったりボケたりするようになった。
まぁ修司の場合は天然ボケかもしれないという疑いもあるが。
視線の先にいる修司は、どうにか相手のボールを奪おうと必死に手をだしたり足を動かしている。
動くのはいいことだけど、やみくもにただ走るだけじゃ上手いやつからボールを奪うのは難しい。
でも、諦めずに必死に食らいつくのは修司のいいところでもあるな。
全員が一対一を終えた所で、これから二年対三年の試合を始めるらしい。
つまり俺たち一年は隅っこで地味に練習の時間だ。
「はぁ……やっぱ一対一はヤバい疲れる」
首にタオルを掛けたまま、息を切らしている修司。
試合が始まるまでの僅かな時間、休憩をするため俺たちは壁に寄り掛かって座った。
「全然取れないのに、修司の諦めない精神はなかなか凄いよな」
「それ褒めてんの?」
「一応そのつもりだけど」
「んじゃありがたくもらっとく」
体育館の半面ではバレー部が練習をしていて、俺たちのすぐ横では女子のバスケ部が練習をしていた。
ボーっとしながらバレー部を見ていると、修司が肘で俺の腕を突っついた。
「なんだよ」
「ちょっと見てみ、あの子凄い上手くない?」
女バスの方を見ながら呟いた修司。
「は?どれ?」
「ほら、あの子、一つに結んでて黒いTシャツ着てる。あれ、多分同じクラスの子だ」
修司の説明を聞きながらそれらしき子を見つけた俺は、目で追った。
三対三をやっているようだけど、ジャージの色を見る限り相手は二年。
その子のドリブルはとても細かく、右手左手と器用に切り替えながら相手のディフェンスをかわしている。
背はそれほど高くないのに、リバウンドもよく取っている。
それになにより、シュートがとても綺麗だと思った。
膝を上手く使っていて力を入れているようには見えないのに、スリーポイントもよく決まっている。
高校生の女子のスリーポイントといえば、思い切り力を入れて一生懸命ボールを飛ばすというイメージだけど、彼女からはそれを感じられない。
「な?上手いだろ?経験者なんだろうな」
「ああ、多分そうだろうな」
「あの子と一対一やったら絶対負けるよなー」
「確実負けるな」
「おい、ちょっとは否定しろよ」
修司と会話をしながらも、俺の目はずっと彼女に釘づけになっていた。
確かに上手いけどそれだけじゃなくて、得点が決まった時に見せる笑顔。
こんなにも見入ってしまうのは、彼女の笑顔がとても綺麗だと思ったから。
輝いて見えるなんて表現もあるけど、別に光って見えるわけじゃない。
特別な理由なんてきっとない。
ただ、本当に嬉しそうに笑う彼女の笑顔に、俺の心臓はいちいち反応してしまっていた。