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「樋口って結構乙女だよな」
「最初の感想がそれ?」
「だって、こういう時なんて言うのが正解なのかわかんねぇし」
八駅目を通過したところで両手で吊革に掴まり、外を見ながらゆらゆらと左右に揺れている幸野君。
確かに、今が修司と番号を交換した日の翌日だったりしたら、何かしらアドバイスしたり相談に乗ったりできるけど、そうじゃないし。
「まぁそうだよね。いきなり人の恋愛話聞かされても困るよね」
「別に困りはしないし聞きたいと思うけどさ、今時の女子高生ってもっと恋愛に慣れてるのかと思ってた」
今時って、幸野君だって今時の男子高校生なのに、なんかオヤジみたいな発言。
「漫画やドラマ見てキュンキュンしたり妄想するのは簡単だけど、実際はそう簡単にはいかないんだよ」
「へぇー、そういうもんなんだ」
遠くにスカイツリーがチラッと見えることに気付いたのは、いつだったっけ。
一人で電車に乗って、ボーっと外を眺めていた時だった。
あっという間に過ぎてしまうはずの通学電車が、永遠かのように長く感じられた時。
「で、これからどうすんの?」
「次で降りる」
「だろうな」
駅に到着し、すぐ近くにある階段の上で一度立ちどまって振り返ると、プシュッという音を鳴らしてドアが閉まった。
そのドアの斜め上にある『3』の文字を見つめると……胸が痛む。
「行こう」
「ああ」
駅を出ると、全てを吸い込んでしまいそうな澄みきった青空が広がっていた。
風が流れて太陽が昇り、徐々にみんなが動き出す時間が訪れる。
「こっちでいいんだろ?」
幸野君は学校に向かう道路を指さし、私は頷いた。
川沿いの道といえば、昔の某学園ドラマのような土手を想像するけど、ここはそんなんじゃない。
三、四メートルくらいの幅の川が流れているいたって普通の道路だ。でも川沿いというのは間違っていない。
五分程歩いた所にある小さな橋を反対側に渉るのがいつもの通学路だけど、私はそこで立ち止まった。
「どうした?」
「こっち、行っていい?」
橋とは反対側に体を向ける。
「俺は樋口について行くだけだから別にいいけど。こっちってラッキーロードの方?」
「うん」
ラッキーロード。なんだかとても賑やかでパレードでも始まりそうなネーミングだけど、少し大き目の商店街といった感じ。勿論パレードなんて行われない。
一応途中まで屋根が付いていて、距離も結構長い。
「ずっと気になってたんだけどさ、ラッキーロードの屋根付いてる所と屋根無しの所じゃ家賃とか全然違うのかな」
「そんなことずっと気になってたの?幸野君て面白い」
「だってさ、商店街に行く側の立場としたら、雨降ってる日は屋根の下だけで買い物済ませたいって思うじゃん。そうなったら屋根なしの所にある店は不憫だなって」
「そうだね。多分全然違うんじゃない?」
幸野君と話していると、なんだか学校帰りにただ寄り道をしているだけのような気分になる。
良い意味で軽くて緊張感がなくて、肩の力が抜けるから、今の私には丁度いい。
ラッキーロードに入ると、両サイドにずらりとならんだお店は当然ながら全て閉まっている。
「ていうか今何時なんだ?」
「分かんない。時計ないし。でもあそこのパン屋もまだ閉まってるし、六時半くらい?」
少し先にあるお店を指さしながら言った。
「じゃーみんなまだ寝てるかな」
「さぁ、どうだろう」
香乃はきっとまだ寝てる。朝は弱い方だし、準備には時間がかからないタイプだから起きるのは結構ギリギリだし。
「しっかし静かだよな」
「うん」
始発電車もそうだったけど、こんなに静かなラッキーロードを歩いたのは初めてだ。
しばらく歩くと、左側に百均が見えてきた。勿論シャッターは閉まっている。
通り過ぎようとしたのに、足が勝手に止まってしまった。
シャッターの方を向き目を瞑ると、今でも鮮明に浮かんでくる。
笑い声も笑顔も、迷い戸惑っている自分の姿でさえ……。
「樋口どうした?百均行きたいのか?」
幸野君が心配そうに私の顔を覗き込んだ。
「私ね、文化委員だったの。だから文化祭の準備でここによく来たんだ」
「まじで?文化委員ってちょー大変だっただろ?」
「うん、ものすごーく大変だった。トラブルもあったし……」
*****
*
「では、四組はポップコーン屋ってことで、賛成の人は拍手をお願いします」
教壇に立っている修司の言葉に、教室中が拍手の音に包まれた。
私は黒板に書かれているポップコーンの文字に、赤いチョークで丸を付ける。
私と修司、そしてアユミを含めた五名が文化祭実行委員となり、早速その日の放課後、教室で役割分担ややらなければいけないことの話し合いをすることとなった。
中学と違って色んな食べ物なども扱えるから、高校の文化祭というものにちょっとした憧れを抱いていた私。
文化委員に立候補した理由はそれも少しあるかな。
「ポップコーンの機械は借りられる所があるみたいだからそこは問題ないとして、味付けどうするかはそれぞれ考えてこよう」
「あっ、じゃあ機械は私先生に聞いて電話したりするよ」
「ありがとう、じゃーそれは奈々頼むな。部活忙しいのに助かるよ」
「そんなのはお互いさまでしょ」
話し合いでは修司が仕切り、私はノートにメモを取る書記のような役割をしていた。
「あとはポスターと教室の装飾だな」
「私ポスターやろうか?奈々がいるから実行委員に立候補したけど、バイト忙しくてもしかしたら思うように手伝えないかもしれないし。でもイラストならこう見えて結構得意だから」
手を上げたアユミはロングの茶髪が目を引く今時の女子高生っていう感じの女子だけど、前にアユミが書いたイラストを見せてもらったことがあったから、絵が上手いのは知っていた。
「マジで?すげー助かる。俺絶望的に絵が下手だからさ、アユミみたいに絵が上手い奴って尊敬するわ」
揉めることなく上手に進行していく修司は、きっとリーダー向きなんだ。
おまけに褒めるのがとても上手だし。
「任せてよ」
アユミは嬉しそうにはにかみながら、早速イメージを園田君に相談している。
「このメンバーで部活やってるのは修司と樋口だけだから、無理しないで俺らに遠慮なく言えよ」
修司と仲のいいタクヤ君がポンポンと修司の肩を叩いて言った。
文化祭まで一ヶ月、今の感じなら順調に出来そうだ。
話し合いが終わり、部活に行くため急いで着替えをして廊下に出ると、そこには修司が立っていた。
「あのさー奈々」
「どうしたの?修司も部活でしょ」
「そうなんだけどさ、部活終わったら一緒にラッキーロード行かねぇ?」
「え、なんで?」
「百均行ってとりあえず装飾に必要な物を見ておきたいんだ。学校から貰える物だけじゃ足りないだろうって先生も言ってたし」
「修司ってほんと真面目だね。うん、いいよ。じゃー部活先に終わった方が校門で待ってよう」
なんでもないような口調で返事なんかしちゃって、本当は嬉し過ぎて心臓ドキドキなくせに。誤魔化すのが上手くなったな、私。
「了解、そんじゃ部活頑張ろうな」
それだけ言うと、修司は走って行ってしまった。
お互い部活が忙しいし、おまけに修司はバイトまでしているから、仲良くなったとはいえ放課後一緒に遊んだりどこかへ行ったことはなかった。
文化委員に決まってから、こういうこともあるんじゃないかとどこかで期待してる自分がいた。
ネットで検索すると、好きな人と文化祭の準備で一緒に過ごす時間が増え、交際に繋がったというブログを見たこともある。
ラッキーロードの百均か、しかも部活終わりに行くってことは、帰りも一緒ってことだよね。嬉しくて変なテンションにならないように気をつけよう。
部活を先に終えたのが私だったため、変に勘ぐられないようにわざとゆっくり着替えをして他のメンバーが帰ってから門の前まで行って修司を待った。
外はまだ少し明るいけど、文化祭を迎える頃には日が落ちるのも早くなってるんだろうな。
鞄からスマホを取り出すと、珍しく香乃からのLINEは入ってなかった。
友達のツイッターやネットニュースを見ていると、校舎の方から話し声が聞こえてきた。
そろそろ来るかな。
落ち着いているようで実は物凄く緊張していること、修司にバレないよね。
近付いて来た足音は、男バスのメンバーだった。
先輩たちが誰を待ってるんだといわんばかりに私の方をチラチラ見ながら通り過ぎて行く。
なんだか恥ずかしくて、私はわざとスマホをいじりながら顔を見られないように視線を下げた。
「ごめん、遅くなった」
その少し後に修司がやって来た。
「ううん」
「じゃー行こうか」
修司は歩くのが早くて、離されそうになると私も歩く速度を上げる。
ラッキーロードにつくまでずっとそんな感じで、修司の横に並ぼうと必死だった。
人に合わせて歩いたことは無かったけど、修司の隣にいたくて、この貴重な短い時間を大切にしたかったから。
百均につくと早速中に入り文具コーナーで画用紙、飾りつけに使えそうな小物などを見て回った。
「看板用のでっかい紙は学校で用意してくれるから、飾りつけとかメニューを書いたりもしないとな」
「うん。お店の前に置くメニューは、紙よりもコルクボードとかの方が雰囲気出ていいんじゃない?」
「それナイスアイデア!ついでに事前に練習で作った時に写真撮って、それも一緒に貼ったら分かりやすいかもな」
「いいね~。原宿とかにありそうなポップな感じのお店を目指そうよ」
「ポップコーンだけにな」
大きな口を開けて店内に響き渡るほどの声で笑い合う私達。
うるさくて迷惑だったかもしれない、だけど今の気持ちを抑えたくなかったし、楽しいという感情を修司と共有したかった。
文化委員に私と修司が立候補したことは本当に偶然で、こういうのを運命の始まりというのかもしれない。
そんな風に思ってしまうほど、私の気持は真っ直ぐ修司に向けられていた。
「とりあえずだいたい分かったから、またみんなと相談して買いに来よう」
そう言いながら、修司は自分が買いたかったペンを買ってお店を出た。
「……でさ、貴斗がそこで突然歌いだしたから、緊張感途切れてみんなで笑っちゃってさ」
「へー、幸野君ってそんなに面白いんだ。今度話してみたいな」
「まじ良い奴だよ、うるさいけどな」
店にはどれくらいいたんだろうとスマホで時間を確認すると、一時間も過ぎていたことに気付き驚いた。
長くいた感覚はないけど、楽しい時間はあっという間っていうのは本当なんだ。
でもこれで終わりじゃなくて、ここから駅に向かって電車にも。
帰りに修司と一緒に電車に乗るのは初めてで、しかも二人。
「ねぇ修司、今度……」
「奈々!!」
『カラオケでも行かない?』そう言おうとした時、うしろから私を呼ぶ声が聞こえてきた。
よく知っている声、だけどすぐに振り返れないのは、心のどこかに罪悪感を感じているからだ。
何でも言える関係なのに、私はまだ修司への恋心を香乃に話していないから。
「あれ、香乃じゃね?」
先に振り返ったのは修司だった。
「ほんとだ、香乃!なにやってるの?」
笑顔を作り、香乃に向かって大きく手を振った。
朝の通学電車の中では、修司と挨拶を交わして話をするのが当たり前の毎日。
でもそこには、香乃もいる。
私が修司と仲良くなったように、ごく自然に香乃も修司との距離を縮めて、いつしか『香乃』と呼ばれるようになっていた。
「私も一組の実行委員になったでしょ?だから今みんなでファミレスで作戦会議してたんだ~。四組に負けないくらい売るんだから」
「一組はホットドッグだっけ?香乃大丈夫かよ、天然だから心配だな」
「なにそれ!こう見えてやる時はやるんだよ」
香乃は好きな人が出来るとすぐに私に相談してくるタイプだから、修司に特別な感情を抱いてる可能性はない。
それでも修司が香乃と呼ぶことに少しだけ複雑な気持ちになってしまうのは、それだけ私の好きが大きいからなんだ。
まさか自分が香乃にまで嫉妬するなんて思ってなかった。
今度ちゃんと話そう。私がやきもちを焼いていたなんて言ったら、香乃は『馬鹿じゃないの』とか言って笑うんだろうな。
「奈々、もう帰るの?」
「帰るよ。香乃も一緒に帰ろう」
「うん!」
香乃の笑顔は可愛い。大事な幼馴染、香乃が笑ってくれると私も自然と笑顔になれるから。
*
実行委員以外にも、クラスのみんなが積極的に参加してくれたおかげで準備は順調に進み、ついに文化祭当日を迎えた。
準備期間中は修司と一緒にいられる時間も多く、今まで知らなかった修司のことも沢山聞けた。
リーダー向きだという私の分析は当たっていて、中学の時は生徒会長をしていたこと。
モテ期は小学校六年の時で、バレンタインに十二個もチョコレートをもらったとか。
中二の時、陸上部の大事な大会の前に怪我をして人生で一番落ち込んだことも。
毎朝バナナを食べてるとか子供みたいにピーマンが苦手とか、そういう小さいことまで沢山、修司を知ることができた。
今まで自分はあまり運がない方だと思ってて、『ラッキー』とか『ついてる』なんて出来事は思い出す限りほとんどない。
でも、この高校に入って四組になって、文化委員に立候補したことだけは、神様が味方してくれたんだと思えた。
「文化祭楽しみだね」
ホームで電車を待っていると、香乃が準備中に撮った写メを私に見せてくれた。
「うん、凄い楽しみ。ホットドッグ、クラスが落ち着いたら食べに行くからね」
「ほんと?私も行くから!ちなみにお勧めの味は?」
「絶対ハチミツバター!」
私が提案したハチミツ味と、修司が提案したバター味、これを一度遊びで混ぜてみたら想像以上に美味しくて、そのまま採用になった。
つまり、二人の合作。最高傑作。
「へー、甘じょっぱい感じなのかな?楽しみー」
香乃はその場で楽しそうにピョンピョンと飛び跳ねながら、大きい目を細めて笑った。
「あ、電車きたよ」
電車に乗り込むと、いつもより早い電車に乗ったからか少し空いているような気がした。
「そっか、今日K高校も文化祭だもんね、もっと早く行く人もいるのかも」
私がそう呟くと、香乃は吊革に掴まりながら辺りを見渡していた。
「どうした?」
「今日、修司いないね」
「ああ、なんかソワソワするから早く行くって朝LINEがきたよ」
「そっか、なんか修司らしいね」
「うん」
電車を降りて学校に向かっていると、丁度橋を渡ろうとしたところで修司からの着信があった。
「おはよどうしたの?」
『問題発生、あのな……』
電話を切った私は、一度立ちどまって頭の中を整理しようとなんとか心を落ち着かせた。
「奈々?どうかした?」
「どうしよう……」
ポップコーンの機械は二台頼んだはずなのに、一台しか来ていないと言う話だった。
文化祭の時期だからか当日しか借りられなくて、今朝先生が取りに行ってくれたようだけど、修司が学校に来たら一台しかなかったと。
修司が先生に確認したら、貸し出すのは一台だと聞いていますとお店の人に言われたらしい。
借りる為の連絡は私がした。でも私は確かに二台とお願いしたはず……。
「一台じゃ無理なの?」
「あの機械だと、四人分作るのに五分かかるの。作り立てで少し温かい方が美味しいからって、みんなで出来立てを出せるように決めて……だから二台ないと……」
じんわりと手に汗が滲みでてきて、言い表せない不安が胸を締め付けた。
「私が……」
「奈々、落ち着いて。もう一台借りられないの?」
私は香乃の言葉に俯きながら大きく首を振った。
余ってる機械は無いと言われたって、さっき修司が言ってた。
それに、ポップコーンの機械を近くで貸してくれるような所はない。
今からネットで検索して取りに行って、なんてしてたら絶対間に合わない。
「どうしよう……みんな、凄い頑張って準備して、私が部活で手伝えない時も……みんなは……」
さっき修司は、今から作り始めれば一台でも大丈夫だって言ったけど、それじゃー駄目なんだ。
色んな味が付いた出来立てのポップコーンを食べた時のみんなの笑顔を思い出すと、涙が溢れてきて……。