わたしは新しい友だちに合わせて、文乃を無視するようになった。一度嫌うべきものだって決めてしまえば気持ちは後から追いついてくる。いくら無視されてもわたしの友だちに睨まれても怯まず、廊下ですれ違うたびに「きえちゃんきえちゃん」って声をかけてくる文乃がウザくなった。


それまで妹みたいなものだったのに、小学三年生の心はあまりにも簡単に周りの色に染まる。わたしが他のみんなと同じ目で文乃を見ていることに文乃も気付いたんだろう、文乃の「きえちゃんきえちゃん」は小学校に入って三回目の夏休みを迎える頃には、なくなっていた。


 どうして文乃がそんなに嫌われなきゃいけないのか。文乃は本当に何もしてない。ただ、可愛くない、性格が暗い、動きがトロくて勉強も運動も出来ない、忘れ物やなくしものも多くて先生からしょっちゅう怒られている。そういうことが十分すぎるほど、嫌われる理由になった。


大人の世界には格差社会って言葉があるけれど、子どもたちの間にはもっと残酷であからさまな格差がある。可愛くない子や暗い子はそれだけで何かと理由をつけられて嫌われて、可愛い子や明るい子ばかり得をする。明るくて可愛い子はいつも人に囲まれていて友だちがいっぱいいて男の子に告白されたりもして、先生にもよく目をかけられて。生まれ持った容姿や性格の差が教室での立ち位置を決める。


そんなふうにはっきり言葉にできたわけじゃないけれど、文乃と決別したあの頃、わたしは子どもの世界の残酷な真実にぼんやり気付いていた。


 学年が上がるにつれ文乃の嫌われ方は激しくなった。いつも孤立している文乃がいじめに遭うのは何も今回が初めてじゃない。人づてに聞いた話だけど、五年生の頃、文乃はクラスで男子たちからいじめに遭い、女子たちは女子たちで文乃を排斥していて、問題になったという。


上ばきや持ち物を隠されるとか、給食の時に班ごとで机をくっつけ合うのに、文乃だけ5センチくらい離されたりとか。文乃がそんな目に遭ってしまうのをみんなもわたしも、しょうがないって思ってた。文乃はいじめられる原因を持ちすぎていた。ちょっとした行動や仕草が、嫌われる原因になっていた。


鼻をかむ仕草がキモい、髪の毛をいじってる指の形がキモい、食べ方がキモい、声がキモい、目がキモい、後ろ姿がキモい……


 そんな嫌われ者の文乃と小二以来で同じクラスになった、中学生活最初のクラス替え。わたしは文乃と幼なじみだったなんて嘘みたいに教室で振る舞うことにした。周防さんたちによる文乃へのいじめが始まってからも、わたしの対応は他の子と同じ。「やめなよ」って言ったり、先生に言いつけたりしない。


いじめられてから文乃はだいぶ太ってしまったけれどその後ろ姿は昔と驚くほど変わらなくて、でもそのことに気づかないフリをしてた。


 だからって、目の前でかつての友だちがいじめられていて、平気でいるわけない。


 文乃がいじめられている教室で、いくつものわたしが生まれた。いじめられっ子の文乃と友だちだったのを誰にも知られたくないわたし。そんなふうに思ってしまう自分が情けないわたし。文乃を本当は助けたいわたし。周防さんが怖くて何も出来ないわたし。


 本当の気持ちはひとつじゃなくて複雑に絡み合って、心をぎゅうぎゅう締め付ける。