急ブレーキをかける。
キュッと音がして減速する自転車。
「あ、気付いた」
酒屋の前に置いてある、ペンキ剥げかけの青いベンチ。
トシちゃんの特等席に座っていたのは、トシちゃんじゃなかった。
「みどり、全然変わってないな」
ゆっくりと腰を上げ、立ち尽くすあたしに近寄ってくる、その人。
くすくすと喉元で笑う、その人。
「久しぶりなのに、この町も全然変わってないし」
身長はいつの間にか、頭一つ分高くなっていた。
声はぐっと低くなって、喉仏もくっきりと見える。
どうして。
なんで。
そう言いたいのに、声にならない。
じわりと、視界が滲む。
そんなあたしを見て笑う、その人の髪は。
太陽の光を受けて栗色に見えた。
「……ほんもの……?」
声が掠れる。
呼吸が苦しい。
ぼろぼろと、涙が頬を伝っていく。
「うん、本物」
そっと手を伸ばすと、握られた指先。
握り返せば、さらに強く握られる。
その熱を、覚えている。
「ただいま、みどり」
息を吸い込む。
目元を拭う。
口角を上げる。
ただ、その手を握り締める。
もう、夏の風になった。
見上げた空は、今日も青い。
そんな五月の終わり。
「――おかえり、柊」
そうして、新しい夏が幕を開けた。
―fin―
こんにちは、はじめまして、お久しぶりです、梨木れいあです。
私が中学生の頃、こっそりとヘルメットを外して、家の前の一本道で自転車を漕ぐことが、何よりも好きでした。
校則では許可されていなかった匂い付きの制汗スプレーを使うことも、好きでした。
バレンタイン当日には持ち物検査があるかもしれないからと言って、その前日に交換した友チョコが、すごく美味しくて。
スカートをいつもより一つ多く曲げて、意味もなくドキドキしたり。
班ポスターを書いたことも、教室前の花壇にゴーヤを植えたことも、プール掃除をしたことも。
飴の袋一つで学年集会があったことも、肩にかかる髪は必ず結ばないと駄目だったことも、名札の裏にプリクラを貼っていたことも。
今、思い出してみると、すべてが輝いていたような気がします。
そんな、きらきらした作品を書きたいと思い、この話を書きました。
友達以上恋人未満で、兄妹のような関係の二人でした。
ぎゅーも、ちゅーも無かったです。笑
この二人が、今後どんな関係になっていくのかは、皆さまのご想像にお任せということで!
少しでも楽しんでいただけたのなら、本望です。
では、また、いつか会える日まで!
最後までお付き合い、ありがとうございました!
2012.03.02 梨木れいあ
「ごろごろごろごろー」
「おい、転がるな」
「ふっへへー」
はあ、と溜め息を吐く。
そんな俺を気にする素振りも見せず、みどりは縁側で転がっていた。
机の上には酎ハイの空き缶が無造作に並んでいる。
「……みどり、飲み過ぎ」
その缶の多さに呆れる。
「飲み過ぎとらんよー、ふはははは」
「完全に酔ってるだろ」
「もう大人やもーん、そんなすぐに酔わんよー」
「大人とか関係ないし」
「だって今日金曜日やしー、明日仕事休みやしー、ちょっとくらいはっちゃけてもいいやーん」
「はっちゃけすぎだっつの」
「よっし、もう一本」
寝そべりながら机の上に手を伸ばし、手探りで酎ハイを探すみどり。
これ以上飲ませたらさらに面倒くさいことになると判断し、まだ開いていない缶をその手から遠ざけた。
「はい終わり、もう無いから」
「えー、嘘やろー」
「嘘じゃないし」
「うーがー」
バンバンと机を叩きながら缶を探している様子を見ると、その事実に納得していないようだ。
何を言っても無駄だろうと思い、しばらくみどりの手を観察していると、その手は不意に俺の手に触れた。
「……んー? これ、柊の手?」
自分が何に触れたのか理解していないらしく、みどりは確認するように俺の手を掴む。
「うん、そう」
「おー」
頷けば、何故か感嘆の声を上げる。
「ふははっ」
「なに」
「柊の手掴まえたー、ふふっ」
「……」
「ほらほらー、柊もごろごろしよー」
「う、っわ」
ぐいっと引っ張られて、身体が傾く。
思いっきり油断していたため呆気なく体勢は崩され、みどりの隣に寝転がる羽目になった。
「ふっふー、柊だー」
真正面にいきなり緩んだみどりの顔が現れて、心臓に悪いというか、何というか。
「お前な……」
「ふふん」
「……離せ酔っ払い」
「離さんよー、柊の手やもーん」
「意味が分からない」
「ふっふーん」
小指、薬指、中指。
順番にぎゅっぎゅっぎゅっと握り、さらに人差し指、親指。
そしてみどりは満足したようにふにゃりと笑って、すべての指を自分の指と絡めた。
「ふっはは、おっきい手やなー」
「はいはい」
「ゴツゴツしとるなー」
「あーそう」
繋いだところから、じんわりと温もりが伝わってくる。
開けっ放しの窓から緩やかな風が流れ込む。
二人分の手を翳して恍惚としたようにそれを眺めて、みどりはゆるゆると目を細める。
「っていうか、みどりの髪ぐしゃぐしゃなんだけど」
「ほっほー、ぐっしゃぐしゃー」
「……」
「しゅーのてーはごっつごつーふんふーん」
よく分からない歌を歌いながら手を見つめたままのみどりは、髪を直す気もなければ手を離す気もないようだ。
あの頃よりも少しだけ大人になって、化粧をするようになったみどりの瞼にはうっすらと茶色のアイシャドーが乗っていて。
俺と同じくらいの大きさだったみどりの手は、いつの間にか一回り小さくなったように思う。
それはきっと俺の手が大きくなったから、そう感じるだけだろうけど。
薄いピンクで彩られた爪は、不思議とみどりに合っていた。
「……大人に、なったのか」
「そーやにー、大人になったんよー、っていうかいきなりどうしたーん?」
「別に」
「えーなにそれー」
けらけらと笑うみどりを見て、小さく指に力を入れてみる。
そうしたら同じ強さで握り返してくるから、またぎゅっと握る。
チリン、と風鈴が音を立てる。
「もうすぐ、秋やねー」
「うん」
「ひへへっ」
「……笑い方が不気味なんだけど」
そう突っ込んだけれどみどりは気にも留めず、もぞりと動いて俺を見つめて。
「今年の秋は、一緒にいられるね」
至極、嬉しそうに笑うから。
自分の心臓の音が少し大きく聞こえた。
「それ、俺はどう受け取ればいいわけ?」
「……」
「おい」
「……」
「……みどり」
まさか、と思って顔を覗き込む。
その瞬間、一気に肩の力が抜けた。
「……すー……」
「なんでこのタイミングで寝るんだよ」
みどりは幸せそうに頬を緩めながら、寝息を立てていて。
離れようと試みても手はしっかりと繋がれたままで。
しまいには頭をぐりぐりと俺の肩に埋めてきた。
あーあー、もう。
「ばーか」
熱くなった自分の頬には気付かないふりをして、精一杯の悪態を吐いた。
―fin―
「ただいまーって、えー……。なんでこいつら二人とも仲良く寝とんの……」
帰宅した俊彦が一人虚しくそう呟いていたことは、俺もみどりも知らない。