フカミ喫茶店のワケありアンティーク


今日から、人生初のバイトを始める。

勤務日数、週5日。
勤務時間、午前9時から午後21までのシフト制。
なお、依頼に合わせて時間変動あり。
時給は1000円。

学校がある日は、終わってからのバイトになってしまうけれど、高校生にしてはなかなかの好条件だと思う。

「よい、しょ」

自室の勉強机の上に置かれた卓上の鏡を覗き込むと、私は両方の耳上の髪を慣れない手つきで掬い、髪を後頭部でまとめる。

そこに花のヘアクリップをつければ、この間たまたま駅前の書店で見つけて、たまたま立ち読みしたティーンズ雑誌で見つけた今流行りのハーフアップの髪型が完成する。

「……ただの、バイトだから」

鏡に映る自分の緩みっぱなしの顔に言い訳しながら席を立つと、今度は部屋の扉のすぐそばにある全身が映る鏡の前へと立ち、身にまとった春物のワンピースを見つめた。

どこかのモデルにでもなったかのように、調子に乗ってターンをすると、誰も見ていないのにニコリと笑ってみる。

「た、ただの……バイ……」

もう一度、自分の顔を鏡で確認する。

いつもより広く引いたアイライン。クルンっと上がったまつ毛に、塗りたくられたボリューミーなマスカラ。

最後に主張するように、プルンッとしたグロス付きの唇。

──白状します。

「嘘です、ごめんなさい!」

だって、ただのバイトも噂の先輩がいるとなると話は別だ。気合いが入るのは女の子としては至極当然で、つまり確信犯なわけなのだが……。

これから通う事になるだろうバイト先には、うちの高校でひそかに人気のある、2つ年上の無口でクールなイケメン、前野 拓海(まえの たくみ)がいる。

なぜ、私がバイトをしようと思ったのか。
もちろんお金のためでも、先輩への下心でも無い、神様に誓って。

理由はこの胸元で輝く、ペリドットのペンダントだった。太陽の装飾の中に鎮座するペリドットの宝石。変わったデザインのこのペンダントは、ある人からの貰い物だ。

朧げに、覚えているのは……。

『これを、預かってほしい』

鈴のような美しい音色の声と、肌に触れたずっしりとした重みのある冷たいペリドットのペンダントの感触。

『あなたは優しい女の子だから、この出会いが、私の思い描く運命となり、救いとなりますように』

眩しい陽だまりの霞むような視界の中。あの人はそんな謎の言葉と儚い微笑みを私に残した。

あなたは誰なのか、どうして私だったのか……。
ずっと知りたかった謎を、解けるかもしれない人。

それが、拓海先輩だったのだ。

ではなぜ先輩なのか、時は拓海先輩の秘密を知った日まで遡る。



「また、寂しく東京の街をエアデート?」

「エア言うな、散策だから!」

「はいはい、じゃあね」

「もー、また明日ね!」

親友に手を振り、校門で別れた放課後。
私、七海 来春(ななみ こはる)は先月、花の高校生となった。

時刻は15時30分、まだ日も高い5月。
あっという間に桜は散り、新芽が木々の隙間にちらほら見え始めているこの温かい季節こそ、お出かけ日和だなと思った。

これは、一人東京散策をするしかないと、強い使命感に駆られる。だがしかし、間違ってもエアデートなどと、悲しい妄想故の行動じゃないことは言っておきたい。

そう決めたら、即行動なのが私のモットーで、早速高校から徒歩10分ほどの距離にある駅前ショッピング通りにやってきた。

ガラスウィンドウから覗くピンク、黄色、クリーム色といった淡い系統の春物ワンピース。香る誰かの香水の匂いに、香ばしいクレープの焼ける匂い。

──くぅっ、テンション上がるぅ!

この都会の華やかさは、私の繰り返されるつまらない日常を少しだけ変えてくれる気がする。

「あ、あれ新作のミント抹茶マキアート!」

衝動的に若者で溢れかえるコーヒー店に入り、迷わず新作をテイクアウトした。

さっそくゴクンッと一口飲めば、何とも言えないグロテスクな味が口内に広がる。

思わず「おぇっ」と吐きそうになった。


「例えるなら渋い歯磨き粉、いや、無駄にスースーするお茶……?」

とにかく、今回の新作は完全にアウトだ。奇抜なアイディアに期待していたのに、誰がこのドリンクの販売許可を下ろしたのか、訴えてやりたい気分になった。

ちょっぴりどんよりしながら、行き交う人の波に追い越されながら、道を歩く。さっきまでの高揚感はどこへやら、テンションはガタ落ちだった。

「はぁぁー、責任とってよね……」

──こんな時に彼氏がいてくれたら。

このゲロマズマキアートも美味しく感じるのかなぁ。なんて、愚痴を零しながらトボトボと宛もなく歩く。

すると、ふいに人の気配が消えた。あんなに聞こえていたはずの誰かの話し声、車のエンジン音、とにかく雑音が無い事に気づく。

「あ、あれ……ここどこ?」

ハッとして周りを見渡せば、都会にはふさわしくないこじんまりとした路地。その道は薄暗く、真っすぐどこかに続いている。

「行ってみよう」

不気味だったが、ほとんど無意識に足を踏み出していた。

なんか、不思議の国に迷い込んだみたいでワクワクする。自分でも子供みたいだと思うけど、さっきの奇抜なドリンクも、この怪しげな路地も冒険したいタチなのだ。

そして、道の半分くらい進んだころだ。ズルズルズルッという奇妙な音が聞こえた。

目を凝らせば、目の前からゴールデンレトリバーが駆けてくるのが見える。

「……犬の散歩……?」

普通はそう思うはずなのに、ゴールデンは本来飼い主に握られているはずのリードをズルズルと引きずっている。そして、一直線に私に向かってきているのだ。

「い、いやいやいやいやっ」

あんな巨体、いたいけな女子高生にはとてもじゃないが、受け止めきれない。そんな事を考えている間にも、爛々とした瞳が私を捉えて離さない。

──終わった。

私は呆然と迫り来るゴールデンレトリバーを見つめて、瞬時に終わりを悟った。

「ワウゥーーン!!」

雄叫びと共に、勢いよく上がる前足。私は受け身をとる暇もなく、全身でその巨体を受け止めた。

「うぅっ……一瞬意識が飛びかけた……」

目を開ければ、倒れた私のお腹の上に伏せをするゴールデンレトリバー。ハッハッと興奮気味に私を見つめている。

「ははは……もう、元気だなぁ」
その爛々とした瞳に、思わず力が抜けた。

「お嬢さん、お怪我はありませんか!」

その頭をよしよしと撫でていると、慌てたように飼い主が現れる。

「大変失礼しました。いつもは私を無視して突然走り出す事は無いのですが……すみません、お手を」

そう言って差し出される手に、ようやくその人の姿を確認した。その人は黒のカフェコートに身を包んだ60歳くらいの老紳士だった。

なんか、喫茶店のマスターみたいだなと思う。

「あ、ありがとうございます……」

お嬢様扱いに感動しながらその手をとると、ふわりと苦いようでホッとするような香りが鼻腔に届く。

──コーヒーのいい匂いだ……。

そんな事考えていると、ようやく私の上にいたゴールデンレトリバーから解放された。

「ふぅ……」

「申し訳ありません、怪我などはされてないですか?」

「あ、全然大丈夫です!このとおりピンピンしてます!」

両手をぶんぶん振り回せば、老紳士は一瞬目を見開いて、すぐに微笑む。

「ふふ、面白い方だ。私は深海 進(ふかみ しん)と申します。この先の喫茶店でマスターをしております」

──あ、やっぱり喫茶店のマスターさんだったんだ。

それにしても、この辺りに喫茶店なんかあったかなと思い、私は周りを見渡す。

「どうかしましたか?」

キョロキョロする私に深海さんが声をかけてきた。そうだ私、今深海さんと話していたんだったと反省する。すぐに注意力が散漫するところは、私の短所だ。

「あっ、私は七海 来春です!」

慌てて自己紹介をすると、深海さんは人の良さそうな笑顔を返してくれる。

「はい、よろしくお願いします……おや?」

深海さんと話していると、不意にゴールデンレトリバーを見下ろした深海さんが首を傾げた。

「クラウン、お前は何を咥えているんだい?」

「え……?」

深海さんの視線はクラウンの口の中に向けられている。詳しく言えば、そこでキラキラと輝く黄緑色の石に。

「あぁぁぁぁぁーーっ!!」

──私のペンダントが……!

私のペンダントは、見事にチェーンが引き千切られていた。私はこの世の終わりか、みたいな気分で悲鳴を上げる。

「お守りなのに……ショックすぎて死にそうぅ~っ」

「これは、なんてお詫びしていいか……ん?」

クラウンの口からチェーンの切れたペンダントを手に取った深海さんは、驚いたような顔をした。

「これはペリドット……悪しきものを払う太陽の宝石、ですか」

「え?」

「ペリドットのもつ力のことですよ。宝石にはそれぞれ力があります」

あ、パワーストーン的な効果の事だろうか。私もこの石がペリドットの宝石だっていうのは知っていた。このペンダントをあの人から貰った時に気になって調べたのだ。けれど、その宝石の持つ意味までは知らなかった。

「ペリドットは特に、明るくパワーに溢れた宝石で古代エジプトでは国家の象徴でもあるらしいのです」

「へぇ~、すごい宝石なんですね、知らなかった!」

「まぁ、これはある人の受け売りなんですがね。でも、このデザイン見覚えがある気が……」

──どうしたんだろう、深海さん。

何かを考え込むように、ペンダントを凝視している。しばらくすると首を横に振り、私にペンダントを手渡した。

「いえ、私の考えすぎですね。来春さん、もし迷惑でなければこのペンダント、うちでリペアさせていただけませんか?」

「え、うちって……」

……喫茶店で?
よっぽど見当のつかない顔をしていたのか、深海さんは意味深に笑う。

「ふふ、うちの喫茶店は少し特殊なのですよ」

──特殊ってなんだろう。
私は不思議に思いながらも、好奇心に負けてついていく事にした。