「ちょっとお…」
自分のぼやきすら、豪雨の音に紛れて聞こえない。
たいして広くもない我が家の前庭は、完全に水没し、茶色の池と化していた。
「まさかと思うけど、伸二さんの仕業じゃないですよね」
だいぶ経って、どこからか、ぽつんと声がする。
「違う」
「激しめの涙雨ってやつかと」
返事はない。
ため息をひとつついて、窓際からベッドに戻ろうとしたところに、母が入ってきた。
「寝てなきゃダメじゃない、熱上がるわよ」
「だって雨すごいんだもん、久しぶりじゃん、こんなの」
「そうねえ、あーちゃんが学校行ってたら心配だったわ、よかった、お休みで」
窓の外を見ながら、持ってきたトレイを机に置く。
その上では、土鍋が湯気を吹いていた。
「川が切れないといいわねえ」
「山のほうで長引かなければ、大丈夫じゃない? 天気予報も、週末は晴れるって言ってる」
「よかった、お祭もあるものね」
微笑んで、母がカーテンを少し閉める。
さすがに懲りたのか、一晩の入院から戻って以来、一滴もお酒を飲んでいないはずだ。
その顔には生気が宿り、美しい。
「こう雨がひどいと、村長の家も、見えないね」
母の返事が、一瞬遅れたように思えたのは、気のせいだったんだろうか。
小椀におかゆを盛った母は、はい、とベッドに入った私にそれを渡すと、にっこりした。
「そうねえ」
ごめん、探るような真似して。
ひとりになってから、心の中で謝った。