「正智さん、聞いて。確かに過去は変えられないけど、未来は自分の意思でいくらでも変えられるわ。お母さんは五十歳を超えて初めて一人暮らしを始めるし、お花とお茶の先生になるの。私はまだこれからだけど、好きな画を描いて生きるの。日本画だって、あなたとの結婚をきっかけに筆をとったのよ。だから私の十年の全てを否定しないで。あなたは私を傷つけただけじゃない」
「莉央……」


 莉央の言葉に高嶺の顔がこわばったように歪む。

 美しい青墨色の瞳がうっすらと雨に濡れたように光っている。

 その瞬間、莉央は悟った。
 この男もまた十年前に、自分でも気付かぬうちに深い心の傷を負ったのだと。

 莉央は、両腕をしっかりと伸ばし、高嶺の頭をしっかりと抱きしめた。


「ありがとう。たまたまかもしれないけど、結城家を、私を選んでくれて。もし正智さんが他の家の女の子が選ばれてたらって考えたら……やっぱりその、妬けちゃうわ……多分」


 少しばかり歯切れが悪くなってしまったが、莉央は素直な言葉を口にし、そして恥ずかしそうににっこりと笑った。

 辛い時に浮かべる微笑みではなく、ただここにいる母と夫を元気付けたくて……。