(あの場所で、ご飯を作った。あの寝室で、眠った。ソファーで、写生した。高嶺と……キスした。)


 どんどん、目の前の景色の輪郭がにじんでいく。


「……っ」


 ぽたぽたと流れる涙はそのままに、トランクに荷物を詰める。
 幸い荷物は少ない。あっという間に用意ができてしまった。そしてコンシェルジェに連絡をして、タクシーを呼んでもらう。

 ゴロゴロとトランクを引きずりながら、一階へと降りると、コンシェルジェがトランクを抱えてタクシーへと運び入れた。

 花を受け取ってからそれほど時間は経っていない。
 
「あの、大丈夫でございますか?」

 コンシェルジェは明らかに泣いた様子の莉央にかける、それ以上に適切な言葉が思いつかなかったようだ。

「はい、大丈夫ですよ」

 そして莉央はにっこりと笑って、タクシーの運転手に、東京駅へ行ってもらうように告げる。


 一刻も早く、ここから逃げたかった。
 頭にあるのはそれだけだった。