『ねえ、彼に伝えて』
1.それは、終わりの始まり
言わなきゃ伝わらない。
言わなくても伝わって欲しいなんて、
そんな都合のいいこと
あるはずがないのに
彼が言い出したのは、本当に、突然のことだった。
「陽鶴(ひづる)ちゃんは、オレみたいなバカは相手にできないんだよね。よく分かったよ」
それは、健全かつ、とても楽しかったデートの帰りだった。
私は最近ハマっている、抹茶ラテをズルズルと飲みつつ、「美味しいねえ」なんて可愛くつぶやいたばかりだった。
「は? なに?」
「陽鶴ちゃんみたいな可愛い子がオレと仲良くしてくれるなんて、って浮かれてたけどさ。もう、いいよ。オレ、陽鶴ちゃんとは釣り合わないんだって理解した! もう、連絡取るの止める」
飲みかけのカップに刺さったストローから口を離し、私は急に顔を真っ赤にして怒りだした男の子をびっくり顔で見た。
え?
意味わかんない。
だって今はドキドキ胸いっぱい的なデートの帰りのはずだ。
さっきまでとても充実した時間を、二人で過ごした。
私は今日という日をすごくすごく満足していたし、彼もきっとそうだろうと思っていた。
だから、今彼が言うべきは、こんな意味不明のことじゃないはずで。
ちょっと甘めの言葉なんかであってもいいわけで。
「ちょ、ちょっと待って。えっと、どういうこと?」
「どういうこと、じゃないよ。こんな遠回しに拒否されるの、マジで辛い」
「は?」
遠回しに拒否?
私が?
いつ?
きょとんとしていると、彼は大きくため息をついた。
「オレ、美術館に社会見学に来たんじゃないんだよ。
ルノワールだとか、なんとかブルーだとか、解説してもらいたいわけじゃない。
オレがバカだって思ってるんなら、その通りだよ。
超がつくくらいバカだよオレ。
陽鶴ちゃんの言ってること、全然意味分かんなかったもんな」
普段はおっとりしゃべる彼が、早口でまくし立てていく。
スローな口調に慣れてしまっていた私は聞き取るだけで精一杯だった。
「え、えっと」
なんとか彼の言葉を理解する。
しかし、ほんっとうに、意味が分からない。
解説なんて、した?
私は少しだけ自分の知ってる話をして、彼にもっと絵の良さを知ってもらいたいと思っただけなんだけど。
いつもニコニコとしていた彼は、今はひどく顔を歪めていた。
そして、私に苦々しげに言った。
「半年くらい陽鶴ちゃんと仲良くしてたけどさ。元々オレのこと好きじゃないんだもんな。この先もきっと、そうだよな。残念だけど、もう会わない」
彼はくるりと背中を向けた。
「じゃあね!」
「え? え? 待ってってば!」
私が止めるのも聞かず、彼は一度も振り返りもせず立ち去ってしまった。
――高校二年生の、六月最後の日曜日。
落ちて行く太陽が、空を綺麗なオレンジ色に染めた夕暮。
私は、もしかしたら付き合うようになるのかもしれないと思っていた男の子に、いきなりフラれたのだった。
さて。
夏休み前の学校って、ムカつくくらい浮き足立っている。
それは期末考査が終わった解放感と、
夏休みの予定がどんどん具体的になっていくワクワク感のせいだと思う。
しかし、ついさっき涙も出ないくらい情けない結果が返ってきた上、
フラれたばっかで予定一切なしの私は全く気持ちが浮き上がらないわけで。
いや、休みは嬉しいよ?
朝ねぼうできるだけで、充分。
夏休み最高。
ビバ夏休み。
だけどさ、みんなちょっと、浮足立ちすぎじゃない?
もうちょっと、私みたいな子に遠慮しちゃってもいいんじゃない? ねえ?
「浮足立つよ、そりゃ。だって、高校二年生の夏は一生に一度しか来ないんだよ? あんたの都合なんで知ったこっちゃないね」
ぶつぶつと言う私をばっさり切り捨てたのは、友人である明日香(あすか)だった。
私はそんな彼女にぶうっと頬を膨らませてみせる。
「私は、もう少し周囲への気遣いがあってもいいんじゃないかなって思って」
「何様よあんた。そんなことよりさ、これ見てよ」
明日香は私の目の前に、『簡単綺麗に浴衣を着る本』なんていう雑誌を広げた。
「浴衣を買ったのさ、私。この夏の間に、自分で着付けができるように教室に通うんだ」
明日香は私の友人なのに、浮き足立ってる側の人間だ。
今の時点で、夏休みの予定がギチギチに詰まっている。
友人同士であるはずの私たちの間には今、深い溝が横たわっているわけだ。
「花火大会が二つあるし、浴衣で行けば入場料が無料になるイベントもあるんだ。絶対、着れるようになんなきゃ」
明日の休みには、新作の水着を買いに行くのらしい。
夏休み前から予定が詰まってるようですね。
……まあ、分からなくもないよ?
高校二年生にして、初めてできた彼氏との初めての夏だもんね。
そりゃあ、夢とか希望とかたくさん詰まった夏なんでしょうよ。
その胸には幸せしか詰まってないんでしょうよ。
羨ましいな、くそ!
「いいな、彼氏。私も欲しい」
すっかり温くなったパックのジュースを飲みながら言うと、明日香がちらりと私に視線をよこした。
ピンクのグロスの乗っかった唇を尖らせて、「どの口がそんなふざけたこと言ってんのさ」と言う。
「どの口って、この口。だって私、フラれたんだよ?」
ストローから口を離し、私も明日香のように唇を尖らせてみた。
無色のリップクリームしか塗っていない唇は、きっと明日香のように可愛らしく濡れてはいないだろう。
そんな私に、明日香が続ける。