私と影宮さんは、一階に下りてまだ調べていない棟に入った。
ここに欠けた鏡がなければ……もうどうすれば良いかわからない。
そうなりませんようにと祈りながら調べたけど……結局そんなものは見付からなくて。
「……なかったね、欠けた鏡。やっぱり30年も前だから、欠けた鏡なんて取り外されたのかなあ」
「もしもそうだとしたら、手の打ちようがないわね。ナニかはそれを知らなくて、ずっと欠けた鏡を求めている……幽霊の世界なんて知らないけれど、ありえない話ではないと思うわ」
そうであってほしくはないけど、万が一そうだとした場合、私はどんな顔をして京介に会えば良いだろう。
もう存在しない物を求めて、学校に残ったばかりに怪我をした京介に、何て言えば良いだろう。
何にも関わらずに、学校に来ずに、家で怯えていれば、少なくとも怪我なんてしなかったはずなのに。
「鏡が見付かっても、それをどうするかわからないよね。その前に数字が『0』になっちゃうかもしれないし」
それが怖い。
たとえ鏡を見付けたとして、数字が『0』になったとして、そうなった時の情報というものが何もないのが、さらに私に焦りを生じさせていた。
この学校に、もう欠けた鏡はないのかな。
残された鏡は、もうほとんどないはず。
京介が言っていた、ナニかが持っているガラス片と同じ大きさ。
それ以下の大きさの鏡は無視していいと思っているけど、間違っていないよね。
そんな事を考えれば考えるほど……どんどん追い込まれて行く。
唯一の希望と思った欠けた鏡が見付からない。
その不安が、絶望が、胸の奥からしみ出して、身体を蝕んで行くよう。
足取りも重く、影宮さんの後に付いて歩きながら、どうすれば良いか考えていた。
「……さあ、どうしたものかしら?どこにあるのかしらね、欠けた鏡というやつは」
私は諦めてるのに、影宮さんはまだ諦めていないみたいだ。
廊下を渡って、私達の教室がある棟に入ると……何か今までと雰囲気が違う。
昨日とは違い、警察がまた来ているのに、生徒は誰もいない。
さすがに今日は、元々の生徒数も少ない事もあって、どこにも姿が見えない。
「こんな状況だと、やっぱり皆帰ったのかな」
「そうね。自分が殺されるかもしれないって時に、学校なんかにいたいとは思わないでしょうね」
そうだよね……だけどそれは、タイムリミットを気にせずに欠けた鏡を探せるという事だ。
生徒がいなくなった今が、鏡を探す絶好のチャンス。
……そう思ってたのに。
「ダメだ。今日はもう帰りなさい」
京介が運ばれたかもしれないと、立ち寄った保健室で原田先生と出会い、鏡を探す為に教室の鍵を借りようとしたけど……帰って来たのは予想外の返事だった。
「どうしてですか?欠けた鏡を探すなら、生徒がいない方が都合が良いはずですよね?」
影宮さんが、呪いを掛けるような怪しい眼差しを向けて、原田先生に詰め寄る。
「わ、私もそう思います。今なら誰にも邪魔されずに探す事が出来るのに」
二人に反論されて、明らかに困った表情を浮かべた原田先生。
「良いか?お前達の命を狙う生徒がいないとは言え、幽霊はお前達の命を狙っているんだろう?鏡の中の幽霊が、欠けた鏡を探しているお前達の命を。だったら、殺されるかもしれないという危険性はあるわけじゃないか。だったら、家で大人しくしていなさい」
30年前に、原田先生は今の私達と同じ幽霊騒動に巻き込まれた。
そのせいか、他の先生達と比べると、私達の行動に理解はあるし、パニックにも陥らない。
だけど、だからこそ、鏡に近付くのがどれだけ危険かという事をわかっているのだろう。
保健室で応急処置を済ませた京介は、原田先生に連れられて病院に。
叫んでいた割には、傷はそんなに深くはないけど、念の為にとの事だ。
校医の先生が付き添うと言ったけれど、ナニかを見てしまった京介の事を考えて原田先生が。
結局、私達の行動の理解者がいなくなってしまい、自由に動けなくなった私達は、家に帰る事を余儀なくされてしまったのだ。
「桐山さん、家にお邪魔して良いかしら?一人でいるよりも、二人でいた方が良いような気がするの」
鏡に気を付けながら家に帰る途中、ニタリと不気味な笑みを浮かべて影宮さんが呟いた。
「え?うん、それは良いけど……どうしたの?昨日はそんな事言わなかったのに」
まあ、調べ物があるって言ってたし、今日は普通の態度だったから、嫌われたわけじゃないというのはわかっていたけど。
こんな状況だから、一人よりも二人でいた方が良いのは間違いないから、断る理由なんてない。
「……私はまだナニかを見ていないけど、桐山さんは見ているから心配なのよ」
少し言うのが恥ずかしそうに、目をそらして呟く。
……なんか、ちょっと可愛いな。
いつもは冷静で、感情をあまり表に出さない影宮さんの照れた姿は新鮮だった。
影宮さんと二人、二日目の朝のように鏡を警戒しながら家に戻った。
「ただいまー」
昼を回ってしばらくしか経っていないから、誰の返事もない。
まあ、いつもの事だし、何とも思わないけど。
「お邪魔します」
玄関に入るなり、キョロキョロと辺りを見回しす影宮さん。
どこに鏡があるのか確認しているのか、その目は鋭い。
「えっと、うちにある大きな鏡は、そこの洗面所と、浴室の中、後は和室の鏡台くらいかな?」
小さなものを入れたらもう少しあるけど、それは気にする程でもない。
「ありがとう。それなら何とかなりそうね。怪しい所は私が先に行くから、桐山さんが指示してくれるかしら?」
それは私には思ってもいなかったありがたい申し出で、こちらからお願いしたいくらいだった。
「こっちこそありがとうね。影宮さんがいなかったら、家に帰っても怯えてたかもしれない」
安心して家に上がり、脱衣所のドアが閉じている事を確認して、私は影宮さんをリビングに通した。
丸一日以上放置した、お弁当箱を流しに置いて、お昼ご飯にとカップラーメンを棚から取り出す。
「影宮さんはお昼ご飯ある?なかったらカップラーメンなら……」
「大丈夫よ、お弁当があるから」
言い終わる前に返事をしてくれたから、カップラーメンを一つ棚に戻して、私は自分の分だけ準備する事にした。
リビングで影宮さんと遅めの昼食。
「昨日と今日のペースで考えたら、明日には間違いなく数字が『0』になるわね。まあ、あんなに人が死んだら、明日も学校に行こうなんて考える物好きはいないでしょうけど」
「そうだよね。私達みたいに欠けた鏡を探しているならともかく、何もわからないなら、家にいた方が死ぬ確率は低くなるだろうし」
そう考えたら、今日の人数は異常とも思えた。
いくらナニかの夢を見て、家にいるのが怖いからと言って、理由もなく学校で過ごそうだなんて考えるのは。
まあ、私も二日目に同じ事を考えて学校に行ったから、人の事は言えないんだけど。
「でもね、恐怖ってものは厄介なのよ。例えば、トラウマになるようなホラー映画を見たとするわ。それを見た場所が、自分の部屋だった場合、そこにいる事が恐怖でしかなくなってしまうのよ。それなら、少し怖くても皆と一緒にいられる方を選ぶわね」
その気持ちは痛いほどわかる。
まさか、樹森君が人を殺そうなんて考えているとは思わなかったけど、少なくとも朝の時点では、樹森君と伊達君しか、そんな事を考えてる人はいなかったと思う。
昼食を食べて、私達は部屋に行く事に。
部屋を出て、脱衣所のドアを見ると……大丈夫、閉まってる。
背後が気になるけど、急いで階段を駆け上がり、一番奥の私の部屋に。
「ここが私の部屋だけど……テーブルの上に鏡があると思うから、伏せてあるか見てくれない?」
真弥ちゃんの家で、鏡が起きてたという事もあったから、ドアを開けるのが怖い。
「わかったわ。万が一鏡がこっちを向いていた時の事を考えて、桐山さんは隠れていて」
影宮さんに言われるままに壁に隠れて、様子を伺う。
カチャッ……。
ドアが開き、緊張感が高まる。
「こ、これは……一体どうしたと言うの?」
私が想像していた反応じゃない。
それは、何か恐ろしい物を見たかのような……そんな感じだ。
「な、何……お、驚かさないで。教えてよ」
入り口の前に立ったまま、微動だにしない影宮さんの腕を突いて尋ねる。
「大変よ、桐山さん。部屋に泥棒が入ったかもしれないわ!」
「えっ!?」
慌てて確認した部屋の中。
テーブルの上の鏡は伏せられているまま。
それに部屋は……私が出た時と変わらない状態だった。
「……えっと、影宮さん?泥棒が入ったようには見えないんだけど」
私のその言葉に、逆に驚いたような表情を見せた影宮さん。
「そ、そうなの?てっきり私は台風でも去った後かと……ごめんなさい、言い過ぎたわ」
ここ数日で、影宮さんは何でもはっきり言うとわかったけど……さすがにそれは、本当に言い過ぎだよ。
軽くへこみながら、影宮さんを部屋に入れて、散らかった床の本を隅に追いやる。
「で、でも、真弥ちゃんの部屋よりも綺麗なんだからね。これでもまだ……ね」
ごめん、真弥ちゃん。
この部屋と比べちゃったよ。
「この部屋より汚いとか……もう人間が住める環境じゃないわね。それはそうと……その真弥ちゃんはどうしたかしら?あれから連絡はあった?」
心配そうに床を見て、かがんでカーペットに手を置いて確認する。
いやいや、散らかってはいるけど、掃除はキチンとしてるから大丈夫だよ。
前に掃除をしたのは四日前だし。
「連絡はないね。あの後どこに行ったんだろ。下手な事をして、死んではいないと思うけど……」
そう私が言うと、思い出したかのように影宮さんは、カバンから鏡を取り出した。
「数字は……『4』ね。伊達君の後に誰も殺されてなければ、明日まではこのままだと思うけど」
手鏡には赤い「4」の文字。
それは、伊達君に鏡を見せた時に書かれた数字。
あの時は殺されなくて助かったという想いがあったけど、良く考えれば、私と京介を助ける為に人を殺したんだ。
幽霊が殺した……影宮さんが殺したわけじゃない。
そう思いたいけど、その考えは伊達君と同じになってしまう。
自分は手を下していないから、幽霊のせいだから自分は悪くない。
影宮さんはそれをどう思っているのだろう。
「うん?どうしたのかしら?ああ、鏡を向けたらナニかに襲われるかもしれないわね」
私に気付き、隠すようにしてカバンに入れた。
「いや、そうじゃないの……影宮さんは伊達君を殺して、何とも思わなかったの?」
罪の意識を持てと言いたいわけじゃない。
もしも私が影宮さんの立場なら、伊達君を殺したという事実に耐えられないだろうから。
「何とも思わない……なんて言ったら嘘になるわね。だけど、そうしなければ、桐山さんと紫藤君が殺されていたかもしれないでしょ。そんなのは耐えられないわ」