鏡怪潜〜キョウカイセン〜

予想通り、水筒の一撃で破壊されたガラス。


残ったガラスが上から落ちてこないようにと、全部部屋の内側に落ちるように割って。


そこから腕を入れてロックを解除した京介がドアを開けた。


三つの怪談の最後の一つ……。


人が消えてしまうという美術準備室の中を見た私達は……。














「な、何これ……」














白い、シーツのような布が掛けられた板のような物が、左右、正面に立て掛けられていて、さながら壁のよう。


「何って……布ね。これじゃあ、何も準備なんて出来ないわね。ただの倉庫かしら?」


準備室の一番奥まで入って、不思議そうに首を傾げる影宮さん。


確かに棚はあるし、石膏の胸像や、イーゼルなんかも置かれているけど、美術の時間にそんな物を使った記憶がない。


準備室とは名ばかりの、物置という意見には賛成だった。


「それにしてもなんだよこれ……何があるんだよ」


そう言って、京介が布を捲った時、それは目に飛び込んで来た。










白い布に隠されていたそれは……大きな鏡。


京介は慌てて布から手を離したけど……私達は、鏡に囲まれた部屋の中に入ってしまったのだと気付いた。
「こ、これ……何でこんな所にこんなに鏡が!?」


意味がわからない……どうして美術準備室に鏡が集められているのか。


「この大きさは……踊り場の鏡?取り外された鏡が、ここに集められたのかしら」


布の表面を撫で、警戒するように部屋の中を見渡した。


それと同時に、足元に漂い始める冷気。


廊下の方から……部屋の入り口から流れ込んで来ている。


足首を掴むような、纏わり付くような冷たさが、足を上がって来るよう。


「来てる……間違いなくナニかがここにいる!」


鏡を見なくてもわかる。


昨日の夢の中で感じたあの冷気が、現実の物となって私達に襲い掛かって来ているのだから。


「桐山さん!?どうしてそんな事がわかるの!?私にはわからないけど」


「わかるとかわからないとか、そんなのどうでも良いだろ!どうする!逃げるか、調べるのか!?」


私は……逃げたい。


だけど、影宮さんは入り口に背中を向けて、逃げようとしなかった。


「……調べるわ。ナニかがいなくなるのを待っている余裕なんてないわよ!」


ここにある鏡を避けて、美術準備室で人が消える謎を調べなければならないのか。
私がいると言っただけで、鏡を見て確認したわけじゃない。


それでも、影宮さんは勘違いだと否定しない。


これは私の勘だけど……きっと昨日、影宮さんも同じ目に遭ったんじゃないかな。


だから、何となくそうなんじゃないかと思っているんだ。


「調べるってよぉ、これを取るのか!?幽霊がもしもいたら、俺達も殺されるんじゃねえのか!?」


三人の中で、唯一ナニかの恐怖を味わっていない京介。


話には聞いていても、実際に体験した人でしかわからない事がある。


そして、そんな人でも、不意を突かれてあっさりと殺されてしまうんだ。


今、この状況で布を取るのは自殺行為だけど……影宮さんならどうするだろう。


「……鏡は無視して良いわ。準備室で生徒が消えた後に、鏡の中のナニかの怪談が生まれたなら、鏡は関係ないはずだから」


なるほど、そう言われれば納得出来る。


「じゃあ、鏡を一箇所にまとめて、鏡以外の物を調べれば良いんだね?」


「そう言う事ね。まあ、怪談に繋がるような物が本当にあるかどうかはわからないけど」


……影宮さんの言う事は、わからなくもない。


何か特別な物があって、それが原因になった……なんて都合の良い事を考えられないから。
人が三人もいたら、思うように動けない狭い美術準備室。


「よし、俺に任せろ」


と、京介が、鏡を1枚1枚重ね始めた。


枠の付いた鏡は思ったよりも運びやすそうで、次々と鏡が片付いて行く。


その間、私と影宮さんは廊下に出ていたけど……今度は冷気が準備室の中から流れ出ているようだ。


つまり……今、ナニかは準備室の中にいる。


京介はそれに気付いていないようだけど……もしも布が落ちてしまえば、間違いなくナニかを見てしまう。


「きょ、京介、気を付けてね」


私がそう言うと、小さく頷いて再び鏡を移動させようと手を伸ばした。


一歩、京介が踏み込んだその時……床まで垂れた白い布を踏んでしまい、「あっ」と声を上げた時には、布がゆっくりと床に落ちてしまったのだ。


私も影宮さんも、声を上げる事すら出来ずに……。












「な、なんだよ……裏かよ。驚かせやがって」









鏡面が現れた……と、思われた鏡は、運良く裏を向いていたようで。


フウッと吐息を漏らした京介は、袖で額を拭った。


「後は……一つだけだな。今度は気を付けねえと」


そう呟いて、最後の鏡を持った京介は……不思議そうに首を傾げた。
「なんだよこれ……見ろよ、枠だけだぜ?」


布を捲り、ハハッと笑って私達にそれを見せる。


「まあ、取り外す際に割れたのかしらね?1枚や2枚、そんな物があってもおかしくはないわ」


その枠は移動させなくても問題ないと判断して、棚に立て掛けて片付けは出来た。


後は、この準備室の中を調べるだけなんだけど……。






「でもよ、何を調べれば良いんだよ……これ」








鏡を移動させた京介が、室内を見回して呟いた。


鏡で隠されていた棚。


使われなくなった画材や、石膏像は置かれているものの……ほとんど何も置かれていないという状態。


それでも調べる事10分。


何か手掛かりをと思って調べた美術準備室は……怪談に繋がるものが、何もないという結果に終わってしまったのだ。


「……何もなかったね」


「そうね。三つの怪談には何か意味があると思ったんだけど……消えた生徒と言うのも、家出でもしただけかもしれないわね。生徒立ち入り禁止の貼り紙が、変な噂になっただけかもしれないわ」


少し残念そうだけど、何もないなら早くここから出たい。


依然変わらず、冷気はこの室内のどこかから漂っているのだから。
ガラスを割ってまで中に入ったのに、美術準備室で得られる物は何もなかった。


廊下に出た私達は、冷気を中に閉じ込めるように、急いでドアを閉めた。


「影宮さん、これからどうするの?三つ目の怪談に繋がるものはなかったし、後、わからない事と言えば……」


「数字ね。あれが『0』になった時、一体何が起こるのかしら」


確かにそれは気になる……でも、出来ればそうなってほしくない。


皆思っているだろうけど、「0」になったら、さらに悪い事が起こるんじゃないかな。


「『0』で、もう誰も死なねえって事だろ。幽霊はそれだけ殺して、それで終わりじゃね?お前ら難しく考え過ぎなんだよ」


「それならそれで、最悪の事態になってるのよ?少なくとも後5人……死ななければ終わらないって事なのよ?」


影宮さんの言葉は、自習室での伊達君と樹森君の姿を思い出させた。


数字の数だけ人が死ぬなら、嫌なやつを殺してしまおうと考える。


私には、そこまで考えるほど嫌な人はいないけど、もしかすると、私を嫌だと思っている人がいたら……命を狙われるかもしれない。


「伊達の野郎には気を付けねえとな。あいつはお前らを狙ってるみたいだからな」
さっきは運良く、ナニかが移動したから助かったものの、次はどうなるかわからない。


廊下を歩いて、樹森君が殺された階段に差し掛かると……。









そこに、原田先生が神妙な面持ちで、屈んで樹森君を見ていたのだ。


「なんでこんな事に……これじゃあ、あの時と同じじゃないか」


ドンッと、握り締めた拳を壁に打ち付けて、悲しそうに俯いた。


あの時と同じ……過去にも同じ事があったなら、終わらせる方法だって知っているんじゃないかな?


チラリと影宮さんの方を見ると、どうやら私と同じ事を考えていたようで、ニヤリと不気味な笑顔を私に向けていた。


そんな事をしている私達に、原田先生は気付いたようで、慌てて樹森君の遺体から飛び退いて、ポケットから何かを取り出したのだ。


「……お、お前達が樹森を殺したのか?」


警戒するように私達を睨み付けて、取り出した何かを両手で持った。


「んなわけねえだろ!樹森は……伊達に殺されたんだよ」


いつも態度が悪い京介。


昨日みたいに疑われるかなと思ったけど……先生は安心したような吐息を漏らした。


「そうだな……返り血を浴びてないから、お前達がやったわけじゃなさそうだ」
やっぱり、判断が早い。


目の前で生徒が死んでいるのに、昨日もパニックにもならなかった。


「原田先生、ここまで被害が広がったら教えてくれますよね?この騒動の結末はどうなるのか」


階段を下りながら、影宮さんが先生に尋ねる。


昨日、話を聞いた先生というのは、原田先生だったのか。


「影宮……昨日も言っただろ。先生は知らない。気付いた時には何人か死んで、退学する生徒までいた。どうなったのかは……わからない」


「数字の事については何か知りませんか?鏡の数字が『0』になったらどうなるのか」


数字が『0』になるのを待っていたら、手遅れになるかもしれない。


過去に原田先生が経験した事があるのなら、数字の意味を知っているだろう。


私でさえそう思うのだから、影宮さんがいち早くそう判断してもおかしくはない。


「数字……か。昔の事は覚えてないが、鏡の内側に書かれている数字の事か?」


「そうですけど……知らないなら良いです」


先生から情報を聞き出せないとわかると、すぐに聞くのをやめたよ。


あっさりしているのが実に影宮さんらしい。


結局私達は、数字が「0」になるのを待たなければならないのか。
先生がそれを知らない以上、何を聞けば良いのか私にもわからない。


正直な所、私はどうしてこんな事をしているんだろうとも思う。


家にいたくないから学校に来ているけど、どうして人が死ぬ怪談話の謎に迫ろうとしているのか。


ただ、死にたくないと思っているだけなのに。


人がいっぱい死んで、それでも何か掴めるかと思った美術準備室。


そこには何もなくて、心にポッカリと穴が空いたような感覚。


残された数字分、人は死ぬ。


何も得る事が出来なくて、肩を落としながら歩いた階段。


三人で、二階に下りた時。










「ちょ、ちょっと待ちなさい。一つ……思い出した事がある」


原田先生が私達を呼び止めて、慌てた様子で階段を駆け下りて来たのだ。


「何ですか?数字の事ですか?」


「い、いや……違うんだが」


影宮さんの言葉と眼力に気圧されたのか、原田先生の声が小さくなる。


「違うんだが……昔、クラスメイトが言っていたんだ。『欠けた鏡を見なかったか』ってね。それがどういう意味かはわからなかったけど……そのクラスメイトは、直後殺された」


数字の事ではないけど、新しい情報……。


欠けた鏡に何があるのか……。