兄の親友と恋人ごっこしています


 初めて入った陸郎の部屋はブラウンとアイボリーの柔らかな世界だった。
 入った途端、煙草の匂いと陸郎自身の匂いがして、少しどきどきした。
 無駄な物のないシンプルさが彼らしい。
 ベッド。無地のブラウンのラグに、ローテーブル。スチールのシンプルな机の上には大学で使う専門書が二、三冊積まれている。
 クローゼットに、ぎっしり本の詰まった本棚。専門書、それと小説。推理小説が多い。
(本がたくさん……推理小説好きなのかな? なんか意外)
 また一つ彼のことを知ったような気がした。
(あ……一番下にあるのってもしかして)
 それに触れようとしたら、
「なんか面白いものある?」
 耳元で声がした。後ろから軽く抱きしめられる。
 陸郎の行動と勝手に触れようとしたのを見られたかなという気まずさで、鼓動が早くなる。
「あ、本がたくさんあるなぁって」
「そう?」
 スッと陸郎が離れた。それでもどきどきが収まらず、さっと本棚の上から下へ視線を走らせた。
「これ」
 とさっき触ろうとした少しゴツくて大判の背表紙を指差す。
「アルバム?」
「そうだよ、見たい?」
 ちょっと意地悪そうに片眉を上げる。
 いろいろごまかそうとしてそう口にしたけど、本音は見たいと思っている。
「見たい」
 上目遣いに甘えるように答えた。
「いいよ」
 彼はそのゴツいアルバムとその隣の箱型のものを手に取って、ローテーブルまで運んでくれた。
 ローテーブルにはコーヒーとココアと、僕が持ってきたケーキが載っている。あとから陸郎が現れたのはこれを用意してくれたからだ。
 僕らは隣り合って座った。
 なぜ向かい合ってではないのか。
 それはケーキと飲み物のセットが向かいではなく、隣り合って座るような位置に置かれていたからだ。
(陸郎さんたらっ)
 彼の意図は明らかで、思わずきゅんとなってしまう。  
 でもなんでもないふうを装う。
「ココアありがとう。コーヒーでも良かったんだよ?」
 わざわざ別な飲み物を作ってくれたことに少し申し訳なく思いながらも、僕の好きなものを選んでくれたことを嬉しくも思う。
「別に無理しなくてもいいよ。きみはそのままで」
 確かに。陸郎の好きなものを好きになりたくて、無理してコーヒーに慣れようとしていた。多少は慣れたつもりでいたけど。
(そっかー。もうそういうのはいいんだ。自然でいいんだ)
 そんなところにも本当の恋人になったことを実感する。そして陸郎の優しさも感じられた。

「アルバム見てもいい?」
 ケーキを食べ終えると陸郎にそう許可を取った。
「どうぞ」
 「赤ちゃんの時だーかぁわいいっ」
 ゴツいアルバムは赤ちゃんの頃の写真から始まっている。
 さすがに可愛い。
 が、幼稚園時代になるとどこかむっとしている表情が多い。小さいのに、しっかり『陸郎』である。
「幼稚園の頃から『陸郎』は『陸郎』だったんだね」
 それがおかしくて笑いが零れてしまう。
「どういう意味?」
「無表情!」
「言ったな」
(今、すごくいい雰囲気じゃない?)
 『恋人感』を感じる。
 実は『彼氏』の家に初お呼ばれはけっこう緊張していた。『恋人ごっこ』ではぐいぐいいっていたのなんてどこへやらだ。
 どうせ一年だけのこと。何かあったら即終了の約束もしていた。半分自棄(やけ)みたいなものだった。
 緊張しすぎてたいしたことも話せないまま、陸郎につまらない思いをさせるのではないかとさえ思っていた。
(アルバムのおかげだな~)
 ゴツいアルバムは小学校くらいで終わっていた。ケースには入っているのは五冊の薄いアルバム。
「中学生……ほぼ今と一緒だね」
「この頃急に背が伸びたんだよな」
 写真を見ながらポツポツ昔話を聞けて、自分の知らない陸郎を知ることができるのが嬉しい。
「あ……」
 そこから先に所々優雅と二人で写った写真が。どこかへ出かけた写真とかではなく、競技会の時にでも誰かが撮ったものだろう、バックはどれも競技場で、中学の時の陸上部のユニホームを着ている。
(そうよだね……二人は中学で仲良くなったんだ。そして、中二になる前の春休み、優雅が初めて陸郎を連れてきた……)
 二人は同じ時間を過ごしてきた。
 改めて二人の刻んできた時間(とき)の長さを感じ、少し沈んだ気持ちになる。陸郎はそれに気づいたのだろう。
「今度、温のアルバムも見てみたい」
 短い言葉だけど声が優しい。
「うん。いつか見せるね」
(そうだ! その時には僕が撮った陸郎の写真も見せようかな。きっと驚くだろうなー)
 それには家に来てもらうのが一番だけど。
(優雅がねぇ。ぜったい! 確実に! いない日を狙わないと)
 それとも。
 もう一つの考えが浮かんだ。
(優雅に陸郎のことを話しちゃうか)
 陸郎の想いには応えなかったが、優雅は陸郎に対するある種の執着を持っている、とずっと感じていた。ここで陸郎は自分のものだ宣言をするのもありか。
(……いや、今はやめておこう。優雅がどうなるか、想像するだけで怖いっ)

 最後のページは高校の入学式で終わっていた。
 ケース入りのアルバムはわずか二冊目の数ページまで。
 データ保存の普及で最近はアルバムにしない家庭も多い。僕のうちもそんなものだ。
「ありがとうございました。すごく懐かしい写真もありました……僕が陸郎に出会った頃の写真も……」
 パタリ……とアルバムを閉じる。