【Cafe:iRiS 】〜乙女ゲームのヒロインや攻略対象と仲良くなる世界線はありですか?〜


 カウンターの内側に落としてしまったコーヒーカップは、開店後すぐに葵(あおい)が片付けてくれた。おかげで、並んでいたお客さんを中に入れホール担当を任された朱莉(あかり)が注文を受けている間に、床は破片一つなく綺麗になっていた。

 このカフェでの仕事分担は、注文を受けて席に届けるホール係と、飲み物を作ったりガラスケース内のケーキや焼き菓子を提供するカウンター係、軽食やデザートなど、調理を担当する厨房係の三つに分かれている。アルバイトは基本的にホールとカウンターを任されており、レジは空いている人がフォローするようだ。

 ただの後輩アルバイトではあるが、中身は転生者。今のところ名前すらないモブの伊波ましろは、カウンターを任されてしまったわけだが。

(このパネルで作り方が確認できるみたいだ。店のレベルが上がれば種類も増える感じかな?)

 これはなかなか面白いゲームシステムだ。

 ましろはふむふむと取説を目で追いながら、透明なパネルに浮かぶ文字とイラストを読み込む。現在提供できる飲み物の種類は、ブレンドコーヒー、エスプレッソ、カフェラテ、紅茶(ホットミルクとレモン付き)の四種類。コーヒーと紅茶はアイスとホットが選べる仕様だ。

(コーヒーとエスプレッソは抽出するマシンが違う、と。カフェラテはいけるけど、ラテアートはまだなんだな。熟練度も必要みたいだけど、俺の熟練度は……モブのくせにまあまあ高い?)

 自分のID番号を入力することで、その熟練度に合った飲み物が作れるようだ。あとは身体と脳が覚えているというやつだろう。パネルでわかるのは、飲み物の作り方と現在の注文状況。テーブルに運んで完了ボタンを押すことで、端末から情報が消去される仕組みのようだ。

(なんだかんだで意外とやれそう!)

 昨日までできていたことが急にできなくなったりしたら、少なからず怪しまれてしまうだろう。ただでさえ、このモブキャラとしての自分の在り方が曖昧な状態なのだ。完全初見ではあるがこれなら、とましろは安堵する。

 開店から三十分後。

 最初は注文を受ける度に組み合わせや作り方をパネルの右上にある「?」マークで確認していたが、こういうお仕事系ゲームは何度かやったことがあったので、途中からは取説を見なくてもできるようになっていた。

 基本的な飲み物しかまだ解放されていないおかげで、そこまで難しくないというのも救いだろう。

「後輩くん、注文だよ〜」

 環(たまき) 朱莉(あかり)。
 乙女ゲームの"愛されヒロイン"らしい明るくて可愛らしい声も含めて、控えめに言って最高! これは朱莉や葵はもちろん、このゲームに出てくる全キャラに言えることだった。
 
 このヒロインの、天使か! と思うような亜麻色のふわふわの髪の毛もそうだが、カフェ店員の制服バージョンがめちゃくちゃ似合っている。キービジュアルの段階でもかなり良いと思っていたが、実際に目にするとその良さが倍増して見えた。

(女性用のはシャツが立て襟で、赤い柄スカーフがより目立つっていうか。巻き方が自由でセンスが問われるんだけど、さすがヒロイン! どうやって結んでるんだってツッコミたくなるオシャレな結び方! エプロンは色は一緒だけど形は男性用と違ってシンプルだけどメイド風というか、黒いスカートも長すぎず短すぎず安心して見ていられる仕様! 本当にキャラデザが神すぎる‼︎)

 オタク心が溢れすぎて止まらない。

 自分でもキモイと思いつつ表情はいたって平静を装っているのだが、油断するとにやけそうで怖い。

 ちなみに男性用の制服は、オーソドックスな白シャツとネクタイ形にゆるく結んだ赤い柄のスカーフ、黒いズボンの上に腰から膝下くらいまであるダークブラウンのカフェエプロンという、定番。スカーフはアルバイトと社員で色が違うようで、葵のスカーフは黒だった。

「あ、すみません。注文ですね!」
「えっとね、ブレンド濃いめと本日のケーキ一つずつだよ」

 スマホをさらに薄くしたような透明な端末に浮かんだ文字を読み上げながら送信ボタンを押し、朱莉は不思議そうに首を傾げていた。

 まさか心の中で叫んでいたはずが口に出していたのだろうか? いや、そんなはずは……と動揺しつつも、ましろは手元の端末に送信されてきたオーダーを確認する。

「すごいねぇ。後輩くん、ちゃんとオーダーどおりに作れて羨ましい!」
「そんなことないです。これくらいなら誰でもできると思いますよ?」
「うぅ……耳がイタイよ〜」
「あ、ええっと、先輩もホールひとりで頑張っててすごいと思います!」

 そういえば、ポンコツヒロインだった……と、ましろは目を逸らす代わりに端末に視線を落とすと、開店から一時間が経っていたことを知る。忙しくて時計を見る暇もなかったのだ。

「二人とも、大丈夫そう?」

 厨房の方から葵が顔を出して、ましろは思わず推しの声に反応してしまい視線が重なった……気がしただけで、葵はにっこりとその綺麗な顔に笑みを浮かべると、ましろの後ろにいる朱莉の方を気にしているようだった。

「はい! 後輩くんの仕事がバッチリすぎて尊敬レベルです!」
「そうなんだ。バイトくんおつかれさま。朱莉ちゃんも頑張ったね。もうすぐ一葉(かずは)が出勤するから、十二時になったら順番に休憩に入ってね」

 推しの声から発せられた「おつかれさま」が頭の中でリピートされ、ましろはその直前の複雑な気持ちが一気に吹っ飛んでしまった。

 自分はモブであり、朱莉はヒロイン。当然の扱いなのだ。いちいち落ち込む必要などない。これが通常運転なのだ。だから葵が声をかけてくれるだけでもご褒美と思わねば!

(……一葉って、あの一葉? 攻略対象がまたひとり目の前で拝める‼︎)

 上坂(こうさか) 一葉(かずは)。

 この乙女ゲームの所謂メイン攻略対象。つまり"顔"となるキャラで、オープニングでもヒロインとの絡みが一番多いキャラである。故に立ち絵もヒロインの真横をキープしていた。一番人気であり、一番攻略が難しいとされるキャラでもある。

 上坂一葉は、ましろが最後に攻略しようと思っていたキャラだった。