「朱莉先輩、俺って元々先輩のことなんて呼んでたんですか?」
五階建てのマンション。見た目はシックで外観も新めに見える。入り口には左右に小さな花壇があり、細い木々が目隠しのように周囲をぐるりと囲むように生えていた。セキュリティもちゃんとしていて、入り口の扉を入った先にカードキーを翳し暗証番号を入力すると次の扉が開くシステムのようだ。
エレベーターを待っている時に、ましろはふとそんなことを思った。他のキャラたちもそうだが、それぞれ呼び方が異なるようで、朱莉は全員を上の名前で呼んでいた。そもそもましろが朱莉を『先輩』呼びしていたのは、朱莉が『後輩くん』と呼んでいたからで、違和感があるといけないと思ってあえて名前は付けずに『先輩』と濁していたのだ。
「いつも? 環先輩、とか先輩とか……私もそれにつられて後輩くんって呼んでたんだけど、今思えば後輩くんだけ名前で呼んでなかったかも?」
「そうなんですね。昨日までの俺は、どんな子でした?」
記憶喪失を逆手に、ましろは自分の情報を得るために朱莉に問うが、朱莉は「うーん?」と首を傾げはじめる。この様子だと、ほとんど印象に残っていない感じかなと思っていたましろだったが……。
「後輩くんは仕事ができて、人懐っこくて、わんこみたいに可愛い子だったよ。今とあんまり変わらないかも? それに、私のことを知っても普通に接してくれて……気が楽というか、一緒にいてすごく安心できる存在だったよ」
安心できる、と口にした後に浮かんだ不意打ちの笑顔に、ましろはなんだか違う意味でドキッとしてしまう。その笑顔は今にも泣き出しそうな、胸を打たれるような、そんななんとも言えない表情だったから。
(モブはモブなりにヒロインを支えてたのかな? とりあえず嫌なキャラじゃなくて良かった。ってか俺ってわんこキャラなの? 確かにこのモブを見た瞬間、わんこっぽいって思ったけども)
そうこうしている内にエレベーターの扉が開く。
「社宅は五階で、みんな同じ階なんだよ」
「そうなんですね。休みの日にみんなで集まったりするんですか?」
定休日があるので、集まろうと思えば集まれる環境だが、まだそこまで仲良くない可能性もある。もしかしたら全員仲良しエンドみたいなものもあるのかも?
「歓迎会をしてもらって以来は特にないかなぁ。雨月さんとオーナーは二人で飲みに行ったりするみたいだけど。プライベートは基本的にそれぞれの時間を過ごしてると思う。後輩くんは大学で何度か会ったことあるよ」
「大学はちゃんと通ってるってことですね」
学生証は名前と学科以外ほぼ読み取れなかったが……。おそらく大学パートで挨拶を交わす程度の仲ということだろう。
「とりあえず記憶が戻るまでは、"ましろくん"でいいんだよね?」
「本当の名前がわかるまでの仮の名前ということで、それでよろしくお願いします」
後輩くんやバイトくんも別に良いのだが、ヒロインや攻略キャラが本名で呼んでくれるのが最高だ。まるで主人公になったかのような錯覚を覚える。
最近の乙女ゲームは登録した名前をキャラが呼んでくれるものもある。名前によってはイントネーションが不自然なところがあったり、一部だけの発音になったりするが、推しに名前を呼んでもらえるというシステムは、ファンにはたまらないだろう。
「あ、ここだよ。雨月さんの部屋」
奥から二番目の五◯四号室。朱莉は扉の横に付いているインターホンを押した。ほどなくして、内側に白い線の模様が入った黒い扉が開かれる。そこに現れたのは、袖の長いライトベージュの薄いニットシャツにユーズドブルーのストレートパンツ姿の雨月葵だった。



