ゾウのおなかに一等星 ~偽タトゥーなあいつと擬態オタクの俺の恋~



「ありがとうございました」

 母親が部屋を出ていく警察官たちに礼を言って頭を下げる。
 診察があらかた終わって、俺はポリポリと頭に巻かれた包帯を掻いた。
 あの場には救急車以外にも警察も呼ばれたらしく、事件を担当するという警察官たちが聞き取りに来たのだ。
 大まかな内容はあの場にいたヨーコさんや常連客から聞いていたらしい。
 なお、あの屑はすぐにあの場から逃走して今はまだ所在が分からないとのこと。

 今日は入院二日目、出血のあった頭や脳には特に異常なしとの診断が降りた。あとは体中に残る打撲と、足の捻挫くらい。
 今日もう一日入院して明日の午前には退院となる。
 はあっと顔を上げた母親がため息を吐く。

「ごめん」

 忙しい月末の時期、母親に迷惑をかけてしまった。
 そう思って俯いた俺に、母親が微かに戸惑うようにして一拍の後に言った。

「深刻な怪我じゃなくて安心しただけ。迷惑とかじゃないから」
「仕事、大丈夫? 明日、俺一人でも」
「家からリモートでやるから、心配しないで」

 はああっとさっきより長い溜息と共に、母親がベッドの隣にある椅子に座った。
 気まずい。こんなに長く一緒にいるのなんて、学校の面談の時くらいだ。

「明日の帰り、ヨーコさんのとこに寄るわよ。ご挨拶にお菓子買うけど、備前屋でいいかしら」
「えっと、多分ヨーコさんは餡子より、バター系が好きだと思う」
「あら、だったらレーベンにするわ」

 スマホを出してお店の商品ページを見だした母親。
 なんてことないように話しているけど、俺はまだなんでヨーコさんと知り合いなのか聞いていない。
 
「いつの間に、ヨーコさんと連絡先交換してたの?」
「ずっと昔。自分の息子が何度もお世話になってるお店くらい分かってるわ。親だもの」

 それから口をつぐんで、母親は言った。

「よく会ってるチョータくん? のこともね。ヨーコさんから事情は聴いていて、『見守ってやって』って言われたからそのままにしてたの」
「ヨーコさんにそう言われなかったら? 会うの、反対してた?」

 声が震えたかもしれない。シーツを掴んで母親の答えを待つ。
 母親はスマホから顔を上げて俺の顔をまじまじと見て、ゆっくりと首を左右に振った。それだけで、緊張が抜けたように感じた。

「反対、しても意味ないと思った。私は家にいないから、旺太の行動を制限することはできないし。余計に反抗されてもと思って。何かあった時……こういう時だけ、ちゃんと親としての役目を果たすくらいしかできないから」

 自嘲するように肩をすくめる母。もっと大きくて強い人に見えていたけれど、こうやって向き合うと案外普通で、親としての自信はないのだと伝わってくる。
 それからぽつぽつと、夕食が運ばれてくるまでの間、会話をした。
 母親の仕事のこと、面倒な上司のこと、この前受けた試験の結果、今後の進路のこと、それからちょっとだけ俺の父親のことも。

「髪、切りなさいよ。怪我したところバリカンで剃られちゃったんだし」

 その意見には賛成できない。
 俺が口ごもっていると、母親はおもむろにスマホを操作して一つの写真を見せてきた。
 五歳くらいの女の子と、十歳くらいの男の子。女の子は多分母親だ。シュッとしたキツネ目がそのままだから。
 でも男の子のほうには見覚えはない。くりくりの丸い目。幼い顔立ちの中でも、可愛さが際立っている。

「これ、誰?」
(しゅう)よ。母さんのお兄ちゃんの、秀太郎」
「え? 秀おじさん?」

 もう一回写真をよく見る。全然面影がない。
 だっておじさんは全身が丸くって、目もお肉でパンパンで細くって、こんな可愛い子供時代があったようには見えない。

「旺太とそっくりでしょ」
「え? ええええ?」
「目とか、眉とか、鼻とか。見る度に、『ああ、大きくなって太ったらお兄ちゃんみたいになるのか』と不憫で不憫で」
「えっ」

 つまり、俺を見て屑な父親を思い出してたんじゃない?
 そう尋ねると、鼻の上に皺を寄せて「そんなことあるわけないじゃない」と言って続ける。

「あの人はもっと、こう……昭和な顔だった、はず? もうはっきり覚えてないけど、眉が太くて、鼻がドンって大きくて」
「全然俺と似てない?」
「似てないわよ。似てなくって良かったと思うべきか微妙だけど」

 将来これになると思うとと言いながら、去年の正月に撮った写真の中で腹を揺らす秀おじさんを見てため息を吐く。
 いや、自分の兄に対して辛辣すぎるだろ。

「太らないように頑張る」
「そうして」

 母親は真面目な顔で頷く。そこまで俺の将来を心配されていたとは。なんだかとても嬉しくない。
 まぁ、怪我が治って、包帯が取れたら、美容院にでも行ってみようかとは思った。