写真の中だけ、もうキスしてる

 写真の中だけ、まだキスしてる。

「ほんと、何がいけなかったんだろう……」

 翌朝、僕は自分の席でうんうん唸っていた。颯太が隣の机に腰掛けて、ココアのパックに直刺ししたストローを咥えている。

「僕、何も間違えてなかったよね? やっぱ目開けた方がよかったのかな?」
「いや、構図は完璧だったぞ。あ、夏帆、はよー」
「おはよ、颯太」
「……ん?」

 聞き慣れない名前の呼び方に、僕は一度悩みを中断して、颯太と、朝練帰りらしい榎本夏帆を見比べた。

「いつから名前呼びでよくなったの?」 
「え、もういいっしょ」

 颯太がココアをぶらぶらと振る。

「もう、異常写真調査隊の正式メンバーだろ。どうせ、来週の校外学習も同じ班だし」
「そういうこと」

 僕を挟んで、夏帆が反対の机の上に腰かける。

「それで、まだ戻ってないんでしょ? 原因わかったの?」
「いや、全然。あれ、撮ったのと同じ教室でやらなきゃいけなかったのかな?」
「でも、他の写真は場所関係なく戻ってたのよね?」
「うーん。じゃあ、キスの長さとか? やっぱり、もう一回――」
「やらないよ?」

 僕は即座ににっこりとした。いくら何も起きなかったとはいえ、もう一回してほしいと言われたら答えははっきりノーだ。

「三人ともおはよー」
「あ、理央。おはよう」

 理央に続いてやってきた朝陽が、僕の後ろに座ってこぶしを突き出してくる。そこへ軽くこぶしをぶつけると、そのままついでのように机の端をコンコンと叩かれた。僕は、はっと我に返った。

「そうだ、僕きょう日直じゃん! やばい、職員室行ってくる」 
「……朝陽。毎度思うけどさ……」
「よくそれで通じるわよね……」
「逆だぞ。あいつには、これしか通じないんだよ」

 何やら後ろで陰口を言ってるのが聞こえたけど、僕は気にせず走り出した。



 美術室の大きな作業机には、三本足の牛みたいな形の、妙な置物が鎮座していた。不幸にもまだ出席番号順で分けられているグループの中で、僕は隣の朝陽と額を突き合わせながら、授業が始まるまでひそひそと作戦会議をしていた。

「思ったんだけどさ。あれから僕ら、一枚も写真撮ってないよね」
「たしかに。だけど、また妙なものが写ったらどうする? 今度はキスどころじゃなくて……」 
「お前、ほんと冗談の趣味悪いよ……」

 スケッチの道具を準備しに行った女子たちが後ろを通り過ぎて、僕は少しのあいだ口をつぐんだ。

「でも、今のところそれしかなくない? 夏帆の言うとおり、そもそもの原因がわかんないと、僕らこれから先もずっと再現やらなきゃいけないんだよ」
「それはごめんだ。わかった、やってみようぜ」

 朝陽がポケットからスマホを出して電源を入れる。二人で撮るのかと思いきや、まずそれを僕に向けた。え……何? 

「いや、お前をピンで撮った場合でも、おかしくなるときあるのかなと思って」 
「確かに」

 最近少しずつわかってきたけど、こいつは脳から口へのブレーキが壊れてるだけで、本当に何も考えてないわけではないらしい。僕もこっそりスマホを出して、無音カメラで朝陽だけの写真を何枚か撮ってみた。うん。いちいち様になるポーズを取られるのがムカつく。近くの席のクラスメイトも、くすくす笑いながら朝陽を見ていた。

「特に異常ないな」
「じゃあ次、二人で」

 インカメにした僕のスマホで、美術室の汚れた窓を背景に何枚か連写する。自然な仕草で、僕の肩に朝陽が肘を乗せてきた。

「どうだ?」
「……うわ、ダメだ。増えてる」
「え」

 カメラロールを見返して、僕たちは絶句した。前よりは少ないけど、またもや撮った覚えのないポーズが増えている。しかも、なんだか前よりさらに近い。おでこをくっつけ合って笑ってる写真に、朝陽が僕をほとんど押し倒してる写真……。しぐさ語では〈ふざけんな〉とかになりそうだけど、人前でかなり使いにくそうだ。

 そのとき、朝陽が僕の膝を叩いた。

「なあ。これ……背景おかしくね?」 
「……えっ。ほんとだ」

 全画面表示されたのは、僕と朝陽が腕を組んでいる写真だった。僕らがおかしいのは当然として、問題はその背景に写る美術室の窓だ。右下の窓ガラス一枚に、妙な形のものが写りこんでいる。まるで、逆さにしたピラミッドを、何層にも輪切りにしたようなオブジェだ。

「なにこれ?! こんなの、今この部屋にないよね?」
「ああ。でも、何かヒントっぽくないか? これがある場所に行けってこととか?」
「うーん、こんなもの見たことないよ。画像検索かけてみようかな……せめて全体像がもう少しわかるといいんだけど」
「じゃあ、もう何枚か撮ってみないか? 別の部分が写るかもしれないぞ」

 朝陽の提案で、僕はすぐにスマホを構えた。さっきの窓が背景に写るようにして、もう少し高いアングルから―― 

「こら、高瀬、立花。何をやっているんだ」

 ふいに、上から声が降ってきた。顔を上げると、美術の橋塚先生が、ちょっと顔をしかめて、僕の方に手を突き出していた。やばい。予鈴が鳴ってたの、全然気づかなかった。

「それは高瀬のか? お前が校則破りとは珍しいな」
「すみません先生、あの――」
「いいから、早く出しなさい。帰るときに職員室に寄るように」
「あっ、ちょっと……!」

 言い訳する暇もなく、スマホが没収されていく。もちろん、僕が悪いんだから、没収に文句なんて言わない。そうじゃなくて、その、僕の尊厳のために、せめてその写真が見えないように電源を切らせてください……! 

 横で声を立てずに爆笑してる朝陽に、僕は無言で蹴りを入れた。お前のせいだぞ。



 スマホが手元にない一日は、かなり落ち着かなかった。早く帰りのホームルームを終わらせて、職員室に行きたい。

「今日は配るもの多いから、早めに回してくれると助かる!」

 列の先頭の人に声をかけながら、僕は山のような配布物の半分を、笑顔のまま朝陽へ押しつけた。

 朝陽が片眉を上げた。

(なんで俺が?)

 僕はさっきまでスマホが入っていたポケットを指先で叩き、朝陽をひと睨みした。

(美術の借り。自分だけ無傷で済むと思うなよ?)
(しょうがねえなあ)

 朝陽が肩をすくめて、配布物を受け取る。それを満足して見送ってから、僕も自分の手元にあるぶんを素早く配っていった。健康診断のお知らせに、来月の学校だより。それから、来週の校外学習で行く場所の地域案内……

「……え?」

 薄ピンク色の紙に印刷されたモノクロの写真に、僕は目が釘付けになった。それは、大緑地区現代美術館の、広い中庭を撮った写真だった。そのど真ん中に、輪切りされた逆さピラミッドのモニュメントが写っている。スマホを取り戻して確認するまでもない。明らかに、さっき写真に写っていたものと同じだった。

「うわっ。なんだよ晴?」

 腕を強く引っ張られた朝陽も、僕が指している写真を見て目を丸くした。 

「……おい。これ、どういうことなんだ?」
「僕も知りたいよ……!」

 二人で残り枚数を調整するふりをしながら、僕は小声で叫んだ。

 なんで僕らがまだ行ったことない場所が、さっき撮った写真に写ってるわけ?