授業のある日でもないのに立花朝陽の家に行くなんて、新学期三日目の僕に言ったら卒倒していたかもしれない。
土曜の昼過ぎ、僕は写真で見た通りの、古びた石の柱に挟まれた立派な門をしげしげと眺めていた。柱に埋め込まれた黒いインターホンを鳴らすと、しばらくして向こう側から朝陽がやってくる。僕は胸に手を当てて、大袈裟にお辞儀した。
「これはこれは。こんなお屋敷のご子息にお出迎えいただき――」
朝陽の手が、僕の顎をぐいっと掴んだ。〈黙れよ〉って? はいはい。
「この門だったんだね」
僕は柱を軽く叩いて、朝陽を振り返った。
「颯太たち、まだ来てないけど……今、ちゃちゃっとやっちゃう?」
「……後でもよくね? それに写真、部屋に置いてきちゃったし」
写真がないならしょうがない。僕は〈了解〉の印に朝陽の手首を一度だけ掴んで、奴について門の中へ入った。
想像していたより、朝陽の家は普通だった。昔は大家族が住んでたんだろうな、という感じの古い造りだ。庭の隅には、いつから動いていないのかわからない、苔むした噴水がある。中はリフォームされていて綺麗だったけど、朝陽の部屋以外は物が少なくて、どことなくがらんとしていた。
「今日、誰もいないって言ってたっけ」
「うん。親父も母さんも、いつも帰り遅いから」
「じゃあ、この広さでいつも一人? よく平気だね」
二階へ続いているらしい階段をちらりと見上げながら言うと、朝陽は肩をすくめた。
「別に、慣れてるし。むしろ、好きにできて気楽だぞ? ずっと音楽かけてられるし、みんなの溜まり場にしても文句言われないし」
「あ、それは羨ましいかも。僕んち、兄妹多いからな……一週間ぐらい代わってくれない?」
「なんでだよ。俺の縄張りを勝手に乗っ取ろうとすんな」
朝陽が笑いながら、モデルルームみたいなキッチンの冷蔵庫から、五種類ぐらいのジュースを適当に出してくる。僕は頬杖をついたまま、それを眺めていた。
「お前、人たらしとか言われてるくせに、けっこうドライだよね」
「そうか? まあ……確かに、前の彼女にも『私がいなくなっても平気そう』ってフラれたんだけど」
「ほら。もう人たらしは引退して、おとなしく僕に任せとけば?」
「言ってろ」
僕が持ってきたポテチの大袋を皿に空けながら、朝陽が〈さんきゅ〉と手の甲を二回叩いてくる。それから、袋を小さく畳んで結び、部屋の隅にあるゴミ箱へぽいと投げ入れた。
「みんないる時はいるし、いなくなる時はいなくなるってだけだろ。帰るやつを引き止めたって、しょうがないし」
「まあ、それはそうなんだけど……」
曖昧に頷いたところで、僕のスマホが鳴った。グループLINEに、颯太のメッセージが届いている。
「颯太と理央、あと三十分ぐらいで着くって」
「お、早かったじゃん。ゲーム、思ったよりすぐ買えたんだろうな」
「夏帆は、練習もうちょいかかりそうって。ねえ、先に写真やっちゃわない?」
ポテチに伸びかけていた朝陽の手が、ぴたりと止まった。
「……なんで? あいつら待たないの?」
「むしろ、待つ必要ある?」
僕は鼻を鳴らした。
「毎回毎回、公開処刑されなくたっていいでしょ。今度のは、構図も簡単だし」
朝陽は、しばらく黙っていた。妙に静かな家の沈黙が、僕らの間を漂っていく。それから奴は、ゆっくり頷いて立ち上がった。
「そうだな。さっさと終わらせるか。写真、持ってくる」
◇
家の前の道路には、十分なスペースがあった。車も滅多に入ってこないし、犬の散歩をする人がたまに通り過ぎて行くだけだ。
僕は写真をよく見て、門と自分たちの位置関係をしっかり頭に入れた。この大きさなら、立ち位置は多分このあたりだ。
「じゃあ、もう一歩ぐらい離れて。そう、そこで、お前が後ろから右手で、僕の左腕を掴む」
僕は朝陽に背を向けて、左腕を少し後ろに引いた。本当はここから少し前傾姿勢になるんだけど、それは腕を持ってもらってバランスを取った後の方がいい。
ところが、しばらく待っても、朝陽はいっこうに動こうとしなかった。
「朝陽?」
僕は振り向いた。
「何待ってんの? もうポーズ忘れた?」
「……なあ」
朝陽は、また腕組みした。
「これ、ほんとにやんなきゃダメか?」
「……は?」
僕は瞬きした。
「当然でしょ。これ戻さないと、次の場所写真出ないじゃん」
「そうだけどさ」
明らかに、朝陽の歯切れが悪い。
「この構図、やりにくくね?」
「え……どこが? 腕引っ張って引き留めてるだけだよ?」
「うん。それ、なんかダサいからさ」
「僕が転びそうなのが?」
「いや。帰ろうとしてるお前を、俺が引き留めてるみたいなのが」
朝陽は、珍しい顔をしていた。僕は一度構えを解いて、朝陽に向き直った。ポケットから写真を出して、軽く振ってみる。
「別に、ただのポーズじゃん。颯太たち来るんだし、僕まだ帰らないよ?」
「知ってるけどさ……」
朝陽は、僕と目を合わせなかった。まるで、ふてくされた小学生みたいだ。いつもの、何でも面白がって、あまつさえ再現の時だって僕を揶揄ってきた朝陽とは、大違いだった。なんで朝陽がこんなに嫌がるのか、僕には全然わからない。でも、とにかくこれを再現するのが嫌なことだけは……今までになく、強く伝わってきた。
僕は、もう一度写真を見た。夏帆がチェキで撮った、元データのない場所写真。これを再現しないと、次の場所写真は出てこない。せっかくこの変な現象を解く有力な手がかりだと思ったのに、これじゃまた一から考え直しだ。
けど、こいつがそこまで嫌なら……まあ、いっか。
僕は写真を半分に折った。厚いフィルムに爪を立て、折り目を何度かなぞる。
それから両端を持って、思いきり力をこめた。
「……晴」
朝陽の本気でびっくりした顔を、僕は初めて見た。
「なんで……?」
「嫌なんでしょ?」
つるつるした写真の表面が引き攣れ、白い縁が斜めにゆがんでいく。くそ、紙が分厚くてなかなか破れない。
「じゃあ、これは再現するのやめよう。だから、もういらないでしょ」
「でも……それ、場所写真だぞ。その一枚しかないのに」
「知ってる。だから?」
「……怒ってるのか?」
「ううん。全然」
びりっ、と音がして、ついに写真が真っ二つになった。
構図から解放された僕たちをぐっと手の中に握って、僕はまっすぐに朝陽を見た。
「――お前が嫌がってるなら、僕はしないよ。他の方法さがそ」
朝陽は、まじまじと僕を見ていた。表通りの方を、車が二台ぐらい通り過ぎていった。朝陽がゆっくりと目を伏せ、また顔を上げて僕を静かに見つめる。そのしぐさ語の意味は……わからなかった。
「何?」
「……いや。別に」
「そう。じゃ、戻ろ。そろそろ颯太たち来るでしょ」
僕は軽く言うと、先頭に立って人んちの門をくぐった。玄関に向かって敷石の上を歩きながら、ポケットの中で写真の破片を握りしめてため息をつく。他の方法を探そうとは言ったけど……正直、何も思いついてはいない。でも、場所写真が出始めたのだって突然だったし、待ってればまたなんか新しい手がかりが現れるかもしれないし……
「晴」
「ん?」
玄関ドアの前で、朝陽に呼び止められた。僕の右手へ、朝陽が手を伸ばしてくる。手の甲を叩こうとした手が、途中で止まった。身を引いた朝陽が、小さく息を吸う。
「ありがとな」
僕は少しだけ首を傾げた。
「何が?」
「写真のこと」
「ああ。別に――」
見つめてくる朝陽の真っ直ぐな視線に、僕の言葉が途切れた。
「別に、じゃなくて。……ありがとう、晴」
僕は、ゆっくりと頷いた。それから、ドアを開けてくれた朝陽に続いて、玄関の中へ入っていった。
土曜の昼過ぎ、僕は写真で見た通りの、古びた石の柱に挟まれた立派な門をしげしげと眺めていた。柱に埋め込まれた黒いインターホンを鳴らすと、しばらくして向こう側から朝陽がやってくる。僕は胸に手を当てて、大袈裟にお辞儀した。
「これはこれは。こんなお屋敷のご子息にお出迎えいただき――」
朝陽の手が、僕の顎をぐいっと掴んだ。〈黙れよ〉って? はいはい。
「この門だったんだね」
僕は柱を軽く叩いて、朝陽を振り返った。
「颯太たち、まだ来てないけど……今、ちゃちゃっとやっちゃう?」
「……後でもよくね? それに写真、部屋に置いてきちゃったし」
写真がないならしょうがない。僕は〈了解〉の印に朝陽の手首を一度だけ掴んで、奴について門の中へ入った。
想像していたより、朝陽の家は普通だった。昔は大家族が住んでたんだろうな、という感じの古い造りだ。庭の隅には、いつから動いていないのかわからない、苔むした噴水がある。中はリフォームされていて綺麗だったけど、朝陽の部屋以外は物が少なくて、どことなくがらんとしていた。
「今日、誰もいないって言ってたっけ」
「うん。親父も母さんも、いつも帰り遅いから」
「じゃあ、この広さでいつも一人? よく平気だね」
二階へ続いているらしい階段をちらりと見上げながら言うと、朝陽は肩をすくめた。
「別に、慣れてるし。むしろ、好きにできて気楽だぞ? ずっと音楽かけてられるし、みんなの溜まり場にしても文句言われないし」
「あ、それは羨ましいかも。僕んち、兄妹多いからな……一週間ぐらい代わってくれない?」
「なんでだよ。俺の縄張りを勝手に乗っ取ろうとすんな」
朝陽が笑いながら、モデルルームみたいなキッチンの冷蔵庫から、五種類ぐらいのジュースを適当に出してくる。僕は頬杖をついたまま、それを眺めていた。
「お前、人たらしとか言われてるくせに、けっこうドライだよね」
「そうか? まあ……確かに、前の彼女にも『私がいなくなっても平気そう』ってフラれたんだけど」
「ほら。もう人たらしは引退して、おとなしく僕に任せとけば?」
「言ってろ」
僕が持ってきたポテチの大袋を皿に空けながら、朝陽が〈さんきゅ〉と手の甲を二回叩いてくる。それから、袋を小さく畳んで結び、部屋の隅にあるゴミ箱へぽいと投げ入れた。
「みんないる時はいるし、いなくなる時はいなくなるってだけだろ。帰るやつを引き止めたって、しょうがないし」
「まあ、それはそうなんだけど……」
曖昧に頷いたところで、僕のスマホが鳴った。グループLINEに、颯太のメッセージが届いている。
「颯太と理央、あと三十分ぐらいで着くって」
「お、早かったじゃん。ゲーム、思ったよりすぐ買えたんだろうな」
「夏帆は、練習もうちょいかかりそうって。ねえ、先に写真やっちゃわない?」
ポテチに伸びかけていた朝陽の手が、ぴたりと止まった。
「……なんで? あいつら待たないの?」
「むしろ、待つ必要ある?」
僕は鼻を鳴らした。
「毎回毎回、公開処刑されなくたっていいでしょ。今度のは、構図も簡単だし」
朝陽は、しばらく黙っていた。妙に静かな家の沈黙が、僕らの間を漂っていく。それから奴は、ゆっくり頷いて立ち上がった。
「そうだな。さっさと終わらせるか。写真、持ってくる」
◇
家の前の道路には、十分なスペースがあった。車も滅多に入ってこないし、犬の散歩をする人がたまに通り過ぎて行くだけだ。
僕は写真をよく見て、門と自分たちの位置関係をしっかり頭に入れた。この大きさなら、立ち位置は多分このあたりだ。
「じゃあ、もう一歩ぐらい離れて。そう、そこで、お前が後ろから右手で、僕の左腕を掴む」
僕は朝陽に背を向けて、左腕を少し後ろに引いた。本当はここから少し前傾姿勢になるんだけど、それは腕を持ってもらってバランスを取った後の方がいい。
ところが、しばらく待っても、朝陽はいっこうに動こうとしなかった。
「朝陽?」
僕は振り向いた。
「何待ってんの? もうポーズ忘れた?」
「……なあ」
朝陽は、また腕組みした。
「これ、ほんとにやんなきゃダメか?」
「……は?」
僕は瞬きした。
「当然でしょ。これ戻さないと、次の場所写真出ないじゃん」
「そうだけどさ」
明らかに、朝陽の歯切れが悪い。
「この構図、やりにくくね?」
「え……どこが? 腕引っ張って引き留めてるだけだよ?」
「うん。それ、なんかダサいからさ」
「僕が転びそうなのが?」
「いや。帰ろうとしてるお前を、俺が引き留めてるみたいなのが」
朝陽は、珍しい顔をしていた。僕は一度構えを解いて、朝陽に向き直った。ポケットから写真を出して、軽く振ってみる。
「別に、ただのポーズじゃん。颯太たち来るんだし、僕まだ帰らないよ?」
「知ってるけどさ……」
朝陽は、僕と目を合わせなかった。まるで、ふてくされた小学生みたいだ。いつもの、何でも面白がって、あまつさえ再現の時だって僕を揶揄ってきた朝陽とは、大違いだった。なんで朝陽がこんなに嫌がるのか、僕には全然わからない。でも、とにかくこれを再現するのが嫌なことだけは……今までになく、強く伝わってきた。
僕は、もう一度写真を見た。夏帆がチェキで撮った、元データのない場所写真。これを再現しないと、次の場所写真は出てこない。せっかくこの変な現象を解く有力な手がかりだと思ったのに、これじゃまた一から考え直しだ。
けど、こいつがそこまで嫌なら……まあ、いっか。
僕は写真を半分に折った。厚いフィルムに爪を立て、折り目を何度かなぞる。
それから両端を持って、思いきり力をこめた。
「……晴」
朝陽の本気でびっくりした顔を、僕は初めて見た。
「なんで……?」
「嫌なんでしょ?」
つるつるした写真の表面が引き攣れ、白い縁が斜めにゆがんでいく。くそ、紙が分厚くてなかなか破れない。
「じゃあ、これは再現するのやめよう。だから、もういらないでしょ」
「でも……それ、場所写真だぞ。その一枚しかないのに」
「知ってる。だから?」
「……怒ってるのか?」
「ううん。全然」
びりっ、と音がして、ついに写真が真っ二つになった。
構図から解放された僕たちをぐっと手の中に握って、僕はまっすぐに朝陽を見た。
「――お前が嫌がってるなら、僕はしないよ。他の方法さがそ」
朝陽は、まじまじと僕を見ていた。表通りの方を、車が二台ぐらい通り過ぎていった。朝陽がゆっくりと目を伏せ、また顔を上げて僕を静かに見つめる。そのしぐさ語の意味は……わからなかった。
「何?」
「……いや。別に」
「そう。じゃ、戻ろ。そろそろ颯太たち来るでしょ」
僕は軽く言うと、先頭に立って人んちの門をくぐった。玄関に向かって敷石の上を歩きながら、ポケットの中で写真の破片を握りしめてため息をつく。他の方法を探そうとは言ったけど……正直、何も思いついてはいない。でも、場所写真が出始めたのだって突然だったし、待ってればまたなんか新しい手がかりが現れるかもしれないし……
「晴」
「ん?」
玄関ドアの前で、朝陽に呼び止められた。僕の右手へ、朝陽が手を伸ばしてくる。手の甲を叩こうとした手が、途中で止まった。身を引いた朝陽が、小さく息を吸う。
「ありがとな」
僕は少しだけ首を傾げた。
「何が?」
「写真のこと」
「ああ。別に――」
見つめてくる朝陽の真っ直ぐな視線に、僕の言葉が途切れた。
「別に、じゃなくて。……ありがとう、晴」
僕は、ゆっくりと頷いた。それから、ドアを開けてくれた朝陽に続いて、玄関の中へ入っていった。
