写真の中だけ、もうキスしてる

 最悪だった。同じクラスに、僕がもう一人いた。

 新学期三日目で、僕は立花朝陽(たちばな あさひ)がもう嫌いになった。別に、外見が似てるわけじゃない。女子が言うには、僕が爽やか系イケメンで、あいつがワイルド系イケメンらしいけど、あの子たちはあいつのどこを見てそう思うんだろう。すかした茶髪に着崩した制服なんて、かっこいいんじゃなくてただ雑なだけだ。顔がいいから成立してるけど、黒髪も制服もきちんと整えている僕とはまるで違う。

 でも、とにかくあいつは僕なのだ――やってること、だいたい全部が。



 高校二年の授業は、始業式の翌日からすぐに始まっていた。休みボケした頭では、黒板の数式も呪文のようにしか見えなくなってくる。窓辺では、クリーム色のカーテンが、まるで催眠術でもかけるみたいに大きく揺れていた。

(はる)ー、お昼どうする?」

 四時間目が終わって伸びをしていると、去年も同じクラスだった颯太(そうた)がやってきた。魚屋の鉢巻が似合いそうな、威勢のいい顔立ちをしたお調子者だ。いつものちゃっかりした表情で、僕に選択肢を丸投げしてくる。
 見回すと、颯太だけじゃなくて、周りのみんなもお互いに様子をうかがっていた。それとなく行き交う視線が、何度か僕の顔を通り過ぎていく。もちろん、その期待に応えない僕じゃない。

「せっかくだし、みんなで食堂行かない?」

 まだ整然と並んでる机を、一番遠い列まで見渡してにっこり誘う。教室の空気が、ほっとしたように明るくゆるんだ。

「お、いいじゃん。そうしよ!」
「私お弁当だけど、持ってっていいかな?」
「もちろん、僕も弁当だから大丈夫だよ。七瀬さんと一緒だね」
「なに晴、またタラシこんでんの?」
「あはは、そういうんじゃないってば」

 人に好かれるなんて、簡単だった。言って欲しそうな言葉を読んで、それに合わせてあげればいい。兄妹が多いからか、小さな頃から僕にはこの才能があった。自己紹介の時からそわそわと周りを見ていた隣の子も、僕が目を合わせると、嬉しそうに笑ってくれる。

「中野くん、だよね? 一緒にお昼行かない? それから、そっちの方のみんなも――」

「なー、食堂もいいけど、中庭行かね?」

 いきなり僕のすぐ後ろから、空気を読まない声が割り込んできた。
 振り返ると、オオカミがいた。

 はっきりと整った、野性的な顔立ちをした男だった。どこか悪戯な、人懐っこい笑みを浮かべて、僕の方へ首を傾げている。運動部なのか、袖をまくったがっしりとした腕が、消しゴムをぽーんと放り投げた。放物線を描いたそれが、二つ向こうの佐伯くんの筆箱にすぽんと入って、周りで笑いが起きる。僕は、口元をひくりと引き攣らせた。こういう行動や、今の急な発言から読むに……こいつはたぶん、何も考えていない。

「……中庭?」
「そう。なんか、休み中にテーブル増えて綺麗になったらしいんだよな」

 ――それなのに、その一言で、みんなの注意がすっと奴に向いた。

「えっ、マジで? めっちゃ気になるじゃん」
「だろ? 行こうぜ、佐伯も来るし」
「おいおい、俺まだ何も……まあ、行くけど!」
「ほらな、これ運命の消しゴムだから。他に付き合ってくれる人ー?」 
「え、行く行く!」

 笑い声がして、即座に何人かが立ち上がる。隣では中野くんまで、おずおずと立ち上がろうとしていた。え……待ってよ。あいつはノリで適当に集めてるだけだけど、僕は君の名前を呼んでちゃんと誘ったんだよ? 君は、僕の方が好きなんじゃないの?
 僕は笑顔のまま、立花に言ってみた。

「でも、今日けっこう風強いよ。それに、弁当持ってない人もいるんじゃないかな」
「そりゃいるだろ」

 立花が肩をすくめた。開けっぱなしのシャツの胸元で、ゆるんだネクタイがほどけかかっていた。

「だから、来たい人だけ。ってか、お前は来ないの?」
「……いや。僕はいいかな。みんなと食堂行きたいし」 
「そうか? じゃ、後で」

 立花は軽く頷いて、数人と一緒に教室を出ていった。僕の方なんて、振り返りもしなかった。その後ろ姿を見ていると、無意識にこぶしに力が入り、舌打ちが喉まで出かかりそうになる。
 ……何なんだ。いったい何なんだよ、あいつは。何も考えてないくせに、なんで僕の立ち位置を横取りするんだ。それでいて僕のことまでたらしこもうなんて、まるで家に入ってきた強盗にお茶を出されたような気分だ。

「晴、行かないの?」
「え? ああ」

 颯太の声で我に返った僕は、すぐに笑顔に戻って立ち上がった。

「行こ、食堂! 混んできちゃったら、みんなと一緒に座れないし」

 ガタガタと椅子を引く音がして、残ったみんながついてきてくれる。真っ先に来てくれた七瀬さんを迎えながら、僕はさりげなく後ろに続いている人数を確認した。さっき立花について行った人数より、こっちの方が多い……気がした。

 その後も、似たようなことが続いた。
 休み時間に一人でいる子に話しかける頃合いを見ていたら、立花がもう妙なあだ名で呼んで笑わせていた。ムカつく。
 教室移動で迷ってる子に声をかけようとしたら、立花が自分も道を知らないくせに一緒に出ていった。ほんとムカつく。

 そんな僕の視線に、立花が気づかないわけはなかった。しかも信じられないことに、気づいたうえで、一切遠慮する気がないらしかった。僕だって気にしたくなかったけど、こればっかりは席順が悪い。十六番の高瀬晴と、十七番の立花朝陽。絶望的に相性が悪いのに、席は前後で、やることなすこといちいちかぶる。

 ――だから、こういう大惨事になったんだ。

 新学期が始まって一週間がたつころ、最初のロングホームルームで係決めがあった。だいたいの係は何とか決まったけど、学級委員だけがまだ誰も立候補していない。

「誰かいないか? これが決まらないと、帰れないぞ」

 先生が催促しても、みんな目を上げない。押し付け合うような、嫌な沈黙だった。誰かが終わらせてくれますように、っていうみんなの頭の中は、僕じゃなくたって読めるだろう。やっぱり僕、こういう空気、あんまり好きじゃないんだよなあ……。

 小さくため息をついて、僕は手を挙げた。先生の目が、ほっとしたようにこっちへ向いた。

「お。高瀬――」

 その途中で、視線がなぜか僕の後ろへずれる。僕は一瞬で背筋が凍った。嘘だろ。やめてよ、まさか――

「――と、立花」

 僕は、ゆっくりと振り返った。立花も、こっちを見ていた。

「やりたい?」
「お前がやりたいなら邪魔しないよ」 
「ううん、立花くんの方がきっとまとまるよ」
「俺は、早く部活行きたくて手挙げただけだから」

 笑顔で応戦する僕らとは対照的に、犠牲者が二人もできたクラスは急に緊張を解いていた。

「もう二人でやれば?」
「ははっ、人たらしコンビでいいじゃん!」
「じゃあ、二人にお願いしていいか?」
「……もちろんです」
「いいっすよ」

 不名誉極まりないコンビ扱いに、机の下でぎゅっと消しゴムを握りつぶす。最悪だ。ほんと、自分が二人いるみたい。しかも僕と違って、お前は何も考えてないくせに。ほんとお前……何なの?

 僕はもう、我慢できなかった。

「ねえ。立花くん」
「ん?」

 帰りの挨拶が終わるなり、僕は後ろを振り返った。開始一週間でこんな調子なら、この先一年も耐えられるわけがない。

「そろそろ、やめてくれないかな。ほんと迷惑なんだけど」
「何が? 学級委員のこと?」
「それだけじゃないよ。周りのこと見ないで、勝手に自分のペースで話進めるなって言ってるの」
「そうか?」

 立花が、心底おかしそうに笑った。

「そう思ってるの、高瀬だけじゃない? お前はちゃんと人のこと見て、欲しそうな答え選ぶもんな」
「……それの何が悪いの?」
「悪いなんて言ってない。俺はやらないってだけ」
「だったら――」

 オオカミの目が、ぎらりと光った……ような気がした。

「俺、いちいち人に合わせて、全員に好かれようとしてないから――お前みたいに」

 気づいたら、僕は立ち上がっていた。衝動的に手を伸ばして、立花のネクタイを引っ掴む。周りで数人が、なんだなんだと振り返った。面白がるような笑い声がして、颯太もスマホをこっちに向けている。でも僕には、目の前で犬歯を見せて笑う、憎たらしい男しか見えなくなっていた。

「いい加減、黙って、くれないかな」

 食いしばった歯の間から、低い声が漏れた。真っ赤に染まった視界の中で、立花が薄ら笑いを浮かべる。

「何が? 俺、さっきから何も言ってないけど」 
「揚げ足取らないでよ。お前のそういうの全部、黙れって言ってんの」
「何ムキになってんだ? ってか離せよ、バスケ遅れちゃう」
「ああそう。だったら――」

「――えっ、晴?」

 突然、颯太の素っ頓狂な声が割り込んできた。つられてそっちを向こうとする立花を、僕は強引に揺さぶって引き戻した。

「颯太、僕いま忙しいから後で。立花、よく聞けよ――」 
「え、ちょっと待って。晴、これ……」

 ところが、颯太は引き下がらなかった。一瞬だけ目を向けると、颯太は信じられないような顔で、スマホを見つめていた。近くのクラスメイトが数人、覗き込んで爆笑している。

「えっ、うそ! 何これ」
「お前ら、何してんの?」
「……なんの話?」

 さすがに眉をひそめた僕に、颯太がスマホの画面を向けてくる。どうやら、勝手に僕らの写真を撮ったらしい。でも、そこに映ってる構図を見て、僕の口があんぐり開いた。

 画面の中の僕は、立花のネクタイなんて掴んでいなかった。代わりに、奴のはだけかけたシャツの胸元に、そっと手を添えている。立花も僕を押し返すどころか、片腕で腰を抱き寄せ、反対の手で後頭部を優しく引き寄せていて――


 これだけ喧嘩してるのに、写真の中で僕たちは、なぜかキスしていた。