戦艦大和で戦死した男、異世界で海賊になる

 薄暗い牢の中。邦雄は膝を抱えて蹲っていた。

 教官……否、海賊の船長から語られた話は、とても信じられないものだった。

 ここは、聞いたこともない海域のど真ん中。
 この船は彼が率いる「アンピシア海賊団」の船だという。
 邦雄は海の中を漂っているところを、人魚であるレーン——目を覚ました時に邦雄を膝枕していた少女——に、助けられたらしい。

 そして、船長は教官ではなかった。

 大日本帝国も、海軍も、呉鎮守府も、大和も、何も知らない。
 邦雄の名前を覚えるのすら面倒くさそうにしていた。

 何より、海賊帽の下の髪。
 それは敵国の人たちと同じ、くすんだ金髪だった。

 教官だったら絶対に言わない言葉を平然と放ち、絶対にしない暴力をやすやすと振るってくる。
 そんな船長……エドワードが、邦雄には恐ろしくてたまらなかった。

(教官……)

 鬼畜米英に、敬愛する教官が汚されてしまった。

 そうではないと、頭では分かっている。けれど、そうやって恨み言に逃げるしか、現実を受け止められなかった。

 海賊たちが入ってくる階段に、背中は向けない。
 それは辛うじて、邦雄ができる抵抗だった。

 その姿勢が、功を奏しただろうか。

 カタン、という小さな物音に気づくことができた。
 ちょうど、階段の方からだ。

 また尋問だろうか。そう思って、おずおずと邦雄は顔を上げる。

 案の定、扉からランプをこちらに翳す手と、その人物の顔が覗いている。

「あ!」

 だが聞こえてきたのは、嬉しそうな声。
 こちらを伺っているのは、レーンだった。

 そして彼女の後ろから、ひょこっ! と、糸目の人物が現れる。さらに続いてぴょこっ! と、髪の長い女性の姿。

「……??」

 驚いている邦雄をよそに、3人の顔がにっこー! と明るくなる。眩しいほどの笑みを浮かべて、彼らはこちらへ駆けてきた。

「え?」

 どうやら、尋問ではないらしい。

 それだけ理解したところに、なんと髪の長い女性が牢屋の鍵を開けるではないか。

 そこからレーンが中へ。彼女は邦雄の手をとると、立ち上がるよう促してくる。

「……え、あの」
「こっち!」
「え?」

 彼女に手を引かれるままに、牢屋を出る。
 女性がランプを持ち先導して、糸目の人物——見たところ、青年のようだ——は、邦雄の背中を押してきた。

 あれよあれよと言う間に、甲板へ。
 レーンの隣に腰掛ける。すると女性と青年が次々と酒や食べ物を運んできて……。

「かんぱーい!!」
「か……ん、ぱい……??」

 気づいたときには、流れるように3人から勢いよく杯をぶつけられていた。

 気持ちよさそうに酒を煽っていく3人。喉越しを堪能したのだろう。
 少ない明かりでも、表情に滲み出る「美味い」が見えた。

 つられるように、邦雄もひとくち。麦酒だ。

「……うめぇ」

 と声が漏れたのは、致し方ないだろう。

「さあさあお兄さん! たんと食べて!! 船長ったら、お兄さんに夕食の時間を知らせてないんだもん! 信じられない!」
「はあ……」

 髪の長い女性が自慢げに皿を勧めてくる。パンに、果物、そして汁物のようだ。

 果たして本当に食べて大丈夫だろうか。確かに猛烈に腹は減っているが、手を伸ばし辛い。

 それを察したように、糸目の青年が横からヒョイと果物を頬張った。

「あ!! こらニディ!! それお兄さんのよ!!」

 女性が青年を叱る。だが彼は、気にした様子もなくりんごを咀嚼し続けて笑っていた。
 
「姐さ〜ん、兄やんは牢屋におったんやで? そら自己紹介もナシに『食え!!』は冗談キツイわ〜」
「あ、そっか!」

 気の抜けるような話し口調の青年。だが彼の主張は、ド正論だ。

 納得したらしい女性は、邦雄に向き直り笑顔を向けた。

「私、マーン! エドワード船長の……伴侶、ですっっ!!」
「……え?」

 あの仕事人間な教官にこんな若い奥様が?

 ……つい浮かんだ言葉に、邦雄は慌てて頭を振った。エドワードは、教官ではない。

 けれど、余計にマーンの言葉が信じられなかった。
 あんな恐ろしい人間に、こんな奥さんがいるなんて。

 そこへそーっと、糸目の青年が耳打ちしてきた。

「自称、船長の奥さん……が正確や」
「……はあ」

 正式な婚姻関係ではないらしい。
 教えてくれた青年の方を向けば、彼は口角をニッと上げて話し始めた。

「俺はニッドや! ニディ、って呼んでもええよ!」
「……よろしく、お願いします」

 肩につきそうなほどの髪が、夜風にサラサラと揺れている。なんだか軽薄な印象の男性だった。
 
 あの長さは流石に規律違反。なんて頭に浮かんでも、この船は帝国海軍の軍艦ではない。
 海軍精神注入棒も、軍法会議も、ないのだ。

「あの、私も……!」

 沈みかけた思考が、聞き覚えのある可愛らしい声に引き戻される。
 隣から服を引っ張られ、そちらを向く。するとレーンは、綻ぶように笑った。

「私ね、レーン。お夕飯のお魚を獲ってたら、お兄さんが海の中で傷だらけだったから、びっくりしたの」
「あ……」

 エドワードとデイブの話していたことを思い出す。邦雄の怪我が治っていたのは、目の前の彼女のおかげのはずだ。

「あの……治療、ありがとの」

 やっとお礼を言えた。するとレーンの笑顔は、更に花開く。

「ううん!! 怪我、ちゃんと治ってよかった!!」
「……」

 これは、可愛らしい。髪が短いのが惜しいくらいだ。
 満開の笑顔に、邦雄の緊張がようやくとけていく。

 レーンから差し出された汁物のお椀を受け取り、彼はそっと口へ運ぶのだった。
 豆の煮物のようだ。温かくて、野菜の優しい味がした。

「兄やんの名前は〜? なんて呼んだらええ?」

 あっという間に煮物を平らげた邦雄に、ニッドがりんごを食べながら聞いてくる。
 ニコニコとおかわりを勧めるマーンに食器を差し出しながら、邦雄は答えた。

「岡本邦雄……です。呼び名は……大抵は、岡本、と……」

 エドワードとデイブによる尋問の際は、この名前だけでかなり怪訝な顔をされてしまった。
 敵国のような名前をしている彼らからすれば、確かに馴染みないものなのだろうが。

 また聞き返されるだろう。

 そう覚悟していたのに、目の前のニッドは軽快な笑顔を崩さなかった。

「オカモトクニオ……ほな、ニオで!」
「に……はい??」

 初めての呼ばれ方だ。あまりの衝撃に目が点になってしまう。

 けれどニッドの提案に、レーンも笑って同意しだす。

「ニオさん! 呼びやすいです! ニディ、すごい!」
「せやろせやろ〜? ほなニオ、よろしゅうなー!」

 屈託のない笑みの2人が、邦雄を迎え入れる。
 ニッドのつけてくれた呼び名は、右も左も分からないこの世界に受け入れられた証のようだ。

「……はい。よろしくお願いします。ニッドさん、マーンさん、レーンさん」

 邦雄はもう、彼らを怖いとは思わなかった。

「ねえねえ! ニオって旦那様……船長も知らない国から来たって本当?ニホン?」

 煮物のおかわりを差し出しながら、マーンはそう問いかける。
 目の輝きが凄い。食事を進めながら、邦雄は答えるしかない。

「え、ええ……。そう、ですが……」

 その返事に、ワアッとその場が湧いた。

「それ! めっちゃ気になんねん! 俺の故郷も大洋の向こうでめっちゃ遠いんやけどな、ニホンって国はあらへんねん!」
「旦那様どころか、ヨルムさんでさえ知らない国なんて初めてなのよ!! ねえ、どんな国なのニホンって!」
「私も知りたいです……! ニオさんの国、みんな知らないって言うから、びっくりしたんです!」

 順に、ニッド、マーン、レーンの言葉だ。
 情報量の多さと彼らの熱量に圧倒されてしまう。

 ニッドの故郷は遠い、ヨルムという人が海賊団にいるらしい。
 なんとかそれだけは拾って、こころに留めておく。
 そして邦雄は、彼らの要望に応えることにした。

「そう、ですね……。俺がおったなぁ、日本の中でも広島の呉いう街だけじゃけぇ……あくまで、呉はどう、という話になるが……」

 街の賑わいや、子供の頃から海が身近だったこと、いが餅や牡蠣の美味さなど。
 何を語っても、3人の食いつきがいいにも程がある。
 マーンは食事の話に身を乗り出し、ニッドとレーンは海の話題にとても喜んでいた。
 
 お酒が進むことこの上ない。

 だが、故郷を語るのに欠かせないのが、海軍だ。

「呉鎮守府や呉海軍工廠は、街で一番大きゅうて……。軍人さん達や大和は、子供の頃から憧れじゃったんじゃ」

 そう話し始めてからというもの、邦雄の中では蓋をしていた不安が一気にせり上がってきた。

 あの戦闘は、どうなったのだろう。
 大和は、どうなってしまったのだろう。まさか、沈んだのだろうか。あの大和が?
 教官は無事だろうか。同期は、仲間は、班長は。
 そして日本は、今どうなっているのだろう。
 
 自分はなぜ、ここでまだ生きているのだろう。
 あの戦いで仲間と共に、死んだはずなのに。

「……ニオ? どないしたん?」
「ッ……」

 ニッドが気遣うようにこちらを覗き込んでいる。
 レーンが背中をさすってくれる。
 マーンは困ったように料理を勧めてくる。

 心配をかけていると分かっても、ボロボロと零れる涙を止められなかった。