【完結】そんな君を羨ましいと思ってしまうんだ

<村正陣Side>

 気になる人がいる。
 この気になるという感情がどういった意味を持つのかはわからないが、その人のコトについて深く知りたいと思ってしまい、それを実行に移してしまうほどには気になる人がいる。

 その気になる人の名前は——沖田公羽という。
 身長は一七〇センチ無いくらいの背丈で、俺が親指と人差し指で作った小さな輪っかであったとしても、すり抜けてしまうほどの細身だ。
 俺がそんな沖田くんを初めて目にしたとき、彼は大粒の涙を流していた。
 本当にきれいな涙だった。出来ることならその涙を瓶詰めして保管しておきたいほどにはきれいな涙だと思った。
 当の本人は自分が涙を流していることには気づいていないようで、隣りに座っていた生徒からハンカチを差し出されて、そこで涙を流していると自覚したようだ。

 きっとその涙の原因は俺にあるのだろう。いやそうであってほしい。
 春に入学したこの高校で俺は吹奏楽部に入部した。
 理由は単純でフルートを吹きたかったからだ。

 俺の家系は所謂音楽家系と呼ばれるものだと思う。
 物心付いたときはすでに、俺の生活は音楽を中心に回っていた。
 父は指揮者をしており世界を飛び回って公演を繰り返しており、母はプロのピアニストとして活躍しながら、休日は自宅でピアノの先生をしている。
 そんな音楽家系に生まれた俺が音楽に触れることなく育つなんてことはなく、幼少期はピアノ、小学生に上がる頃にはヴァイオリンをやり始めていた。

 転機は中学生のときに吹奏楽部に入ったことがきっかけだ。
 吹奏楽部にはヴァイオリンを含む構成はほとんどなく、学校側としてもヴァイオリン奏者は求めていなかった。
 そのため小学校の六年間を注ぎ込んだヴァイオリンを一時的に休止し、別の楽器を始めることにした。ヴァイオリンは主旋律を担当する楽器であったため、同じ主旋律を担当する楽器の方がとっつきやすいと思い、クラリネットやサックスをやろうかと思ったが、どれもしっくりくるものはなかった。
 幸いにも自宅にはいくつもの楽器があり、自分にあった楽器を探す時間はたっぷりとあった。

「そんなに楽器眺めて、何やってるの?」

 夕飯ができた旨を伝えに来た母親にそう声を掛けられた俺は、思い切ってプロの意見を取り入れようと、今抱えている悩みを打ち明けることにした。
 ちなみに村正家では家族一人ひとりに自分用の防音室部屋が用意されており、各々自身の防音室で練習を行ったりするのだが、防音室が故に声も届かないため、なにか用事がある際には防音室に入って声をかけることが常識となっている。

「吹奏楽部に入ったんだけど、ヴァイオリンがなくてさ……。別の楽器をやろうと思うんだけど、どれがいいかなって」
「あー、なるほどね。ヴァイオリンは辞めちゃうの?」
「いや、辞めない。でも一個の楽器を極めるのもいいと思うけど、他の楽器も出来ると今後の可能性が広がるかなって」
「なるほどね……。フルートとか良いんじゃないかしら? ヴァイオリンとの二重奏もあるし、どっちもできると今後合わせるときに役に立つ事も多いと思うわよ」
「フルートか……。うん! いいかも! フルートにしてみる」
「はーい。でも練習はご飯食べてからね」

 親として、そして音楽のプロとして俺は母を尊敬している。
 もちろん父も尊敬している。
 そんな尊敬している人間がフルートを勧めてきたのだから間違いは無いだろう。
 俺は目の前に置かれている数ある楽器の中から銀色に輝くフルートを手に取り「よしっ!」と呟くと、リビングへと向かった。


▽▽


 フルートは俺が思っている以上に難しい楽器であった。
 そもそも楽器に簡単なものなどないことは、ヴァイオリンを始めた頃に痛いほどに経験しわかっていたつもりであったが、ヴァイオリンのときとはまた別の難しさに直面していた。
 それは息遣いにある。

 フルートという楽器は音を出すまでが難しいとされているが、フルートの真の難しさはそれを超えた先にあると俺は思う。楽器にはオクターブが存在するのだが、フルートはそれを吐き出す息のスピードだけで表現するのだ。
 正直に言って手こずっている。
 吐き出す息の量を変えることはなく、あくまでスピードだけを変える。ゆっくりと息を送れば低い音が、速く息を送れば高い音が出るのだが、それがうまくいかない。
 小学生の時に鍵盤ハーモニカやリコーダーを使ったことがあるが、強く吹きすぎてしまって音が飛んでしまう現象がフルートでも発生している。

 これは後に知ったことなのだが、フルートは『息の芸術』とも呼ばれることのある楽器であり、繊細な息遣いがとても重要な楽器である。
 そんな難しい楽器を選んでしまっては挫折してしまう人もいるのかもしれないが、俺はそうではなく、逆にその難しさがスパイスとなった。
 「絶対にマスターしてやる」と意気込み、母に教えを請いながら毎晩時計の針が天井に届くまで練習を続けた。
 そんな練習が功を奏したのか、俺が中学三年生に上がる頃には、俺自身が『息の芸術』と呼ばれるようになり、中学生でありながら雑誌で特集が組まれることもあるほどに成長した。

 その頃からかよく女子生徒から告白をされるようになった。
 いや、俺が気づかないふりをしているだけで以前からそういった視線を向けられることがあったが、中学を卒業を前にして直接的接触が増えたような気がする。
 俺にそういった知識は無かったのだが、当時の友達曰く『記念告白』と言うらしい。今まで遠くから見ているだけだったけど、違う高校に行くことが決まっている人間が悔いを残さないために行う告白だという。

 しかし、大変申し訳ないが俺は全ての告白を断っている。
 理由は単純明快で、告白をしてきた人間が全員俺の外側しか見ていなかったからだ。
 告白のセリフはどれも「ずっと気になってました」や「フルートを吹いている姿がかっこよくて……」などといったもので、誰も俺の演奏についてのことを告白のセリフとして選ぶ者はいなかったのだ。
 外見を褒められるのは別に嫌ではない。
 しかし俺は音楽家だ。外見よりも先に俺の音楽について語ってほしい。
 それに仮に付き合ったとして、音楽に興味のない人間と話が合うとは思えない。そしてそんな人間を好きになれるとは到底考えられなかった。

 それに今の俺には恋愛なんて不要だ。
 何より音楽が楽しい。それでいてフルートをもっと吹きたいと思っていたからだ。
 だから高校は吹奏楽に力を入れている高校を選んだ。
 もっと成長できるかもしれない。良い音楽をすることができるかもしれない。
 そんなことをずっと考えていた。


▽▽


 この高校に入学して良かったと感じている。
 まずは個々のレベルが高いことだ。
 吹奏楽は中学で始める者と高校から始める者に、そして幼少期から音楽に触れていた者に別れるのだが、この高校の吹奏楽部の生徒はほとんどが幼い頃から何かしらの楽器に触れていた人間であった。
 そのためほぼ全員がある程度の演奏ができる状態であり、互いに士気を高めあっているのも感じた。
 さらに経験者が多いため、楽器の扱いや自分以外の奏者に対する自身の感情というものにマイナスの要素はほぼ感じられなかった。この点が一番ストレスが無かったと言えるだろう。
 よく吹奏楽部の生徒は自分以外の楽器の大変さを知らないことが多いのだが、この高校の吹奏楽部の生徒は互いを尊重しあっており、大変なところは皆でカバーしあおうという意識が感じられた。

 そして何よりも良かったのは、実力主義ということだ。
 学年ではなく、楽器の上手さで評価される。これは音楽をやっているものとして嬉しいポイントであると言えるだろう。
 その結果俺は高校一年生でありながら、フルートのソロパートを任されることになった。
 ヴァイオリンでいくつかの賞を取ったことはあるが、そのときとはまた違う高揚感を覚えていた。一人ずつ演奏をするコンクールではなく、皆で一斉に演奏するタイプでソロパートがあるということは、皆が俺を認めてくれたような気がしたのだ。

 演奏会は体育館で全校生徒の前で行われる。
 音楽家である俺にとって、俺の演奏を聞いてくれるのであればそれは生徒ではなく客なのだ。
 最高の音楽で最高のおもてなしをするしかない。

 楽曲はゲーム音楽のファイナルファンタジーXのオープニング曲『ザナルカンドにて』。フルートでの演奏を想定して作られた曲でありながら、そのあまりの悲しい曲調から封印されたという逸話のある曲である。
 その曲をあえてフルートで演奏するのだ。
 自然と気合が入る。
 でも肩に余計な力は入れず、俺は唄うようにしてフルートを吹いた。

 曲が終わると、体育館が揺れるほどの拍手が降り注いだ。
 その拍手から最高の演奏ができたことは言うまでもなく理解できた。
 俺にとって最高の瞬間であったが、ふと目にした光景はその最高の瞬間を瞬時に塗り替えた。

 ――泣いている生徒がいる。
 ――俺の演奏を聞いて涙を流している生徒がいる。

 音楽家にとってその行為がどれだけ嬉しいことか。
 そして俺はその涙に――恋をしたんだ。

 演奏会が終わると、すぐに彼のことを探した。
 彼は同じ一年生であり、放課後はいつも図書委員の仕事のため、図書室にいることを知った。
 恥ずかしい話、今まで人を好きになった経験のない俺はどうやって彼にアプローチをかければいいかがわからないでいた。クラスは異なるため話すタイミングは無いし、昼休みも放課後もそれぞれやることがあるため、彼に接触する機会が無い。
 それでも俺は彼との接点を作るために、放課後は図書室に一番近い空き教室で練習をすることにした。そうすれば彼にまた俺の曲を聞いてもらえるかもしれない。そしてまた俺の音楽で涙を流してくれるかもしれない。
 今考えると、幼稚な事をしているかもしれないが、その時の俺はそれだけ必死だったのだ。


▽▽


 沖田くんとの接点の無いまま二年へと進学したところで、転機が訪れた。
 それはある日のこと。吹奏楽部の練習のため、土曜日にもかかわらず高校へ向かっている途中で喉が渇いたため、水を買うためにコンビニに入ったのだが、そこにはコンビニでアルバイトをしている彼の姿があったのだ。
 思わず声を上げてしまいそうになる口を全力で塞ぎ、ドリンクコーナーへと足早に移動する。
 そこから彼を観察するように見守っていると、彼の接客は丁寧そのもので、大変な中嫌な顔一つせずに真剣に働く彼を見て、彼を好きになってよかったと思えた。
 しかし恋愛童貞の俺には彼のレジに並ぶ勇気はなく、彼がレジから離れたタイミングを見計らって会計を済ませた。

 その日以来俺はちょくちょくそのコンビニに通い、彼が基本的に土日のシフトであることを突き止めた。
 ここまでくればストーカーと勘違いされそうだが、断じて違う。
 俺はよく使うコンビニの店員さんのシフトをなんとなく把握してしまっただけのただの客である。

 そんな言い訳を自分の中で繰り返し、今日も彼を一目見ようと部活帰りにコンビニに寄った。
 いつも通り遠くから彼を見守りながら商品を選んでいると、店外にまで響き渡るほどの怒号が聞こえてきた。その声は彼が接客中の男性から発せられており、それだけで彼がピンチであることがわかった。
 店内にいたもう一人の店員は別の客の接客をしており、何度かチラチラと沖田くんの方を見てはいるが、とても助けに入れるような状況には見えなかった。
 クレーマー野郎の言い分を聞くと、割引券に使用期限があるなんて知らない。使えるようにしろ、というものでそのあまりに理不尽過ぎるクレームの内容を聞いた俺は、気が付くと体が勝手に動いていた。

「金がないなら、俺が払いましょうか?」

 そこからはあまり詳しくは覚えていない。
 好きな人を守りたくて、どんどん言葉を紡いでいく。
 最終的に居心地の悪くなったクレーマー野郎は逃げ出したため、俺は好きな人を守ることができたかもしれない。
 そしてそのまま俺は沖田くんのレジで会計を済ませる。
 何度も彼の接客を見てきたというのに、彼の接客を受けるのは初めてだ。
 その嬉しさと、若干の恥ずかしさで俺は変な事を口走ってしまうんじゃないかと不安になったが、最後には「また学校で!」と伝えることに成功した。
 店員と客という立場であったが、これが彼との初めての会話だ。
 一年以上片思いをし続けて、やっと会話をすることができた俺は、周りの目を気にしながらその日はスキップで帰った。

 その翌日、事件が起きた。
 彼から話かけられたのだ!

 昨日のこともあったから、「昨日あの後は大丈夫だった?」なんて声をかけられるかもしれないと意気込んでいた俺であったが、そんな考えは学校に着いた途端に不可能であることを察した。
 中学でも告白をされてきた俺であるが、高校でも割と人気があるようで、休み時間は俺を一目見ようと教室に女子生徒が多く集まってくる。
 最初はそういうのはやめてほしい、と伝えようとしていたのだが、よくよく考えてみれば俺自身も沖田くんを一目見ようとコンビニに通い詰めているような人間であったため、そんなことを伝える資格はなく「出入口は塞がないでね」とだけ伝えることにした。
 今日も今日とて昼休みは女子生徒で廊下が埋まっており、沖田くんに話しかけに行こうにもできないような状況だ。

 俺は諦めて、放課後になるのを待った。
 俺はいつも通り、図書室に一番近い空き教室でフルートの練習をしている。
 今日はいつも以上に感情を込めて、好きな人に想いが届くようにと願いながらフルートを吹く。昨日の会話が忘れられず、時より思い出しては二ヤついたりもしてみたが、それでは何も変わらないので、深呼吸をして落ち着きを取り戻してからまたフルートを吹く。
 時計を見ると十七時を指していた。
 音楽室での全体練習の時間となったため、俺は空き教室から出ようとドアを開けるとそこには――沖田公羽くんの姿があった。
 彼を見つけた瞬間、俺は間抜けな声で「わ!」と驚きの声を上げてしまった。
 恥ずかしすぎる、穴があったら入りたい。
 突然好きな人が目の前に現れたからと言って「わ!」は無いだろ! と自分にツッコミをいれたのも束の間、彼から綺麗にラッピングされたミルフィーユを手渡された。
 それは昨日、クレーマー野郎から助けてくれたお礼らしく、「むしろお礼を言うのは俺の方です!」と心の中で大声を出した後、すごく嬉しい旨を伝えた。
 すると彼は「伝えられてよかった! 昨日は本当にありがとう」と足早にこの場を去ろうとするもんだから、咄嗟に俺は彼の腕を掴んだ。
 もっと話したい。もっとこの時間を続けたい。そんな想いが先行した結果だった。

 勝手に動いた体に驚きつつも、もっと話をするために「沖田くんはこのあと、暇?」と暇ではないことを知りながらもそんな質問をしてしまう。
 案の定帰ることを告げられた俺は「土日のどっちかバイトが終わった後、俺と遊ばない?」とデートに彼を誘ってしまった。
 断られたらどうしようと一瞬頭をよぎったが、彼からの返事はまさかのOK。
 俺はその場の勢いに任せて、彼と連絡先を交換した。

 しかしこんなにも続いてほしいと願った時間は、残酷にも過ぎていくもので、急いで音楽室に戻らなければ全体練習に遅れてしまい、最悪ソロパートを俺以外のフルート奏者が担当することになるかもしれないと考え、「じゃあ詳細は連絡するから!」と彼に告げて音楽室へも戻った。
 廊下は走ってはいけないが、この高揚感を体で表すなら走らざるにはいられないだろう。

 今の俺はめちゃくちゃ浮かれている。
 好きな人にラッピングされたお菓子を貰い、連絡先も交換して、デートの約束も取り付けたのだ。

「やべぇ、ニヤけが止まんねぇわ」

 デートはどこに行こうか。
 どんな服装で行こうか。
 沖田くんの私服はどんなものなのか。
 今はそんなことしか考えられなくなっていた。