銀光のセレスティーヌ ー 虚像の聖騎士と風変りな軍師 ー

セレス一行の目に、最初の目的地となる村が映った。

リューンと呼ばれる、静かな共同体だ。街道沿いにひっそりと軒を連ねる木造の家々と、井戸端に集う人々の姿があった。煙突からは炊事の煙が細く立ち上っている。

カイルが馬上で目を細めた。

「着いたぞ。ここが最初の休憩地点だ」

カイルの言葉に、セレスは周りを見渡し、呟いた。

「のどかな村ね」

兵を残し、セレスを含む士官たちがリューンに入ると、村人たちは好奇心と警戒心が入り混じった視線を向けた。武装した一団の到来に、井戸端の女たちが手を止め、子どもたちは母親の陰に隠れる。

カイルはセレスに指示をするように促した。

「……セレス」

「あ、はい――皆さん、本日はこの辺りで休憩します。村の外に野営地を設け、一斉に村に入らないよう気を付けてください」

エミールがカイルに馬を寄せた。

「叔父さん。何名かの斥候が戻ってきました」

「そうか、王都(ローゼリア)に放っていた斥候はいるか?」

「はい」

「わかった。三人は兵たちへの食料分配を頼む。俺は斥候隊のところに行ってくる」
カイルはそう言うと、野営地へ歩いていった。

セレスたちは台を組み立て、荷馬車から食料を下ろし、台に並べた。

エミールは兵たちに食料を配りながら言った。

「こういう仕事もそろそろ兵たちと分業しないとですね。聖騎士団長の仕事とは思えません」

ミリアが答えた。

「混成部隊だから、まずは私たちが食料を管理していた方が良いと思ったけど、確かにそうね」

セレスは微笑みながら言った。

「私はいいのよ。兵士たちとの距離が縮まる気がするし……」

しばらくして、報告を終えたカイルが戻ってきた。

ミリアが問いかけた。

「王都の情報は掴めたの?」

カイルは三人に王都の状況を説明した。

「帝国に占領された当初は暴動も起きていたようだが、今は占領軍が巧みに統治しているらしい。経済活動の自由をある程度認めているため、不満はあるが表面上は従っているようだ。市民に死に物狂いで抵抗する気配はない」

「ディートハルト将軍にそんな手腕があったなんて意外だわ。帝国人ならではの武人気質だと聞いていたけれど、内政に明るい参謀でもついているのかしら?」

「分からんが、そこが厄介なのだ」

カイルは表情を曇らせた。

「完全に弾圧すれば、民衆は死を覚悟して反乱に走る。だが適度に緩めれば、人は現状に妥協して服従してしまう。今はまさに後者だ」

エミールが顎に手を当てる。

「あてにするわけではありませんが、時間をかけすぎると王都内部との連携が難しくなりますね」

セレスは気持ちを抑え、現実を見据えた。

「すぐにでも解放したいのは山々ですが、この寡兵で攻めても意味がありません」

カイルはその言葉に、満足げに頷く。

「ああ。内応は期待しないのが前提だ。今は、王都の民が不当に弾圧されていないことだけで良しとしよう」

そうしていると、数人の村人が恐る恐る近づいてきた。

セレスが首を傾げていると、そのうちの一人が話しかけてきた。

「あのう……」

「どうかしましたか?」

村長を名乗る男が心配そうに言った。

「兵の皆様がご滞在中……その、食料などは……」

カイルが手を振って遮った。

「心配ない。我々の荷車には一ヶ月分の麦米(バグラム)と保存食が積まれている。この村から強奪するような真似はさせない」

村長は安堵の息を漏らす。

「しかし、一ヶ月分とは本当に多いですね……」

エミールは自慢げに答えた。

麦米(バグラム)を餅に加工していますから。見た目以上に腹持ちもいいし、何より場所を取りません」

「なるほど、餅ですか」

村長が感心したように呟いた。

「叔父さんは、農耕改革から加工法まで研究していたんです。領内の豊穣を守るために、自ら汗を流していたんですよ」

「おい」

カイルが顔を赤らめた。

「俺はただ、実務的に対応しただけだ」

村人たちの間に、温かな笑いが起こる。

村長が感心した様子で言った。

「軍人様が畑仕事をなさるなんて、珍しい」

「戦時だけでなく、悪天候で不作になることもある。備えあれば憂いなしだ」

カイルは真面目に答えた。

ミリアがクスクスと笑う。

「でもそのおかげで、領民の子どもたちと泥まみれになって遊んでいたって、エミールに聞いたわよ」

「誤解だ! あれは子どもたちを励ますためにだな……」

セレスが微笑んで仲裁に入った。

「まあまあ、二人とも」

セレスは村人たちに向き直した。

「我々は明日の夜明け前に出発いたします。ご迷惑をおかけしないように徹底しますが、何か問題ありましたら私に言ってください」

村長が深々と頭を下げた。

「どうかお気をつけくださいませ。道中の安全を祈っております」



村人たちは聖騎士団を温かく迎え入れてくれた。
リューン近くの野営地では、小さなコップ一杯程度の量ではあったが、酒や果実水が振る舞われた。

月明かりの下、セレスとミリアが談笑していると、エミールが村人から受け取った果実水を持ってきた。

「セレスティーヌ様は、もちろん果実水ですね」

「エミールは?」

「僕はミリアさんが作ってくれたミュルスです」

「なんかずるいわ。私にもくれない?」

「一人分しかありませんので。では、失礼します」

果実水をセレスに渡し、さっさと立ち去るエミール。
そのやり取りを見て、ミリアが楽しそうに笑っている。

エミールが去り、再び静かになった月明かりの下で、セレスはコップの中の果実水を見つめてぽつりと呟いた。

「『セレスティーヌ様』、か……」

「どうしました、セレス様?」

「ねえ、ミリア。私たちが初めて会った日のこと、覚えてる?」

「去年の春……確か、新年度の合同演習の時でしたね」

セレスは懐かしむように微笑んだ。

「そうそう。あなたが私を『セレスティーヌ』ではなく『セレス』と呼ぶようになった日よ」

「セレス様が、そう呼ぶように『命令』なさったのでしょう?」

ミリアは困ったように言いながらも、当時の情景を鮮明に思い出していた。



ミリアの生家であるルヴェール家は、代々王国の下級騎士を務めていた。

彼女の父は優れた戦術眼を持ちながらも、士官学校を出ていないという理由だけで、小隊長止まりの軍歴を終えた。

父は退役時に受け取った僅かな恩給と家財をすべて売り払い、娘を士官学校へと送り出した。

「私の夢を、お前に託す」

父の言葉は、今も彼女の胸に深く刻まれている。

士官学校を優秀な成績で卒業したミリアは、数々の戦場で泥臭く実績を積み上げた。

二十七歳の時点ですでに小隊長として戦場を駆け回っていた彼女は、部下たちから「姐さん」と慕われる、厳格ながらも公正な上官だった。

去年の春季合同演習――。
それは、現役の騎士、士官候補生の一部、貴族の子弟たちが参加する伝統行事であった。

儀礼的な性質もあり、一部の貴族の子弟は「騎士」としての箔をつけるためだけに参加することがあった。

そして、そのような貴族の子弟である子爵家の次男フォグナーは、従者を侍らせて傲慢に振る舞っていた。

ある休暇日。ミリアの隊は演習場近くの村で、交代で休憩をとっていた。

――その時だった。

「家宝の外套(マント)に酒をかけられたぞ!」

酔ったフォグナーと取り巻きたちが、ミリアの副官であるマルクに絡んでいたのだ。

「申し訳ございません! わざとでは……!」

謝罪するマルクに、容赦のない拳が飛ぶ。側近たちも加勢し、寄ってたかって彼を足蹴にした。

ミリアが駆けつけた時、マルクは泥に塗れ、顔を腫らせて地面に伏していた。

「フォグナー殿。これは、一体どういうことです?」

「ああん? お前がこいつの上官か。この無礼者が、私の大事な外套(マント)を汚したのだ!」

「……酒を飲んで倒れ込んできたのは、貴方の方だと聞いておりますが?」

「こいつがぶつかってきたのだと言っている!」

「……仮にそうだとして、ここまでする必要があるのですか?」

ミリアは拳を強く握り、怒りで身体を震わせた。

「はん! 当然だ。私は子爵家の人間だぞ。この下級騎士に騎士道の何たるかを教育してやったまでだ」

フォグナーは鼻で笑うと、ミリアの身体(からだ)をなめるように見た。

「……ところでそなた、ミリアと言ったか。ふむ、なかなか良い身体つきをしてるではないか。今晩、私に付き合って酌をするなら、出来の悪い部下の無礼を許してやらんこともないぞ?」

酒臭い息がミリアの顔を覆った。

「子爵家に恩を売った方が、出世にも良いかもしれぬぞ?」

ミリアはそれを聞いた瞬間、無言で距離を詰めた。

そして、フォグナーの顔面に、渾身の右拳を叩き込んだ。

「お前ごときが、騎士を語るなッ!!」

鼻血を吹いて崩れ落ちるフォグナー。周囲は、一瞬で凍りついた。
側近に抱きかかえられたフォグナーは、狂ったように叫び散らした。

「下級騎士の分際で、子爵家の私に手を出しおったな! 即刻捕らえよ! 侮辱罪、不敬罪、あらゆる罪で牢獄へぶち込め! 騎士位も剥奪だ!」

騒然とする周囲の中で、ミリアはただ静かに天を仰いだ。

(父上……申し訳ございません。託された夢を、守りきれませんでした)

覚悟を決めた、その時。
混乱を切り裂くような、凛とした落ち着いた声が響き渡った。

「待ってください。双方の言い分を、聞かせてもらいます」

現れたのは、純白の軍服に身を包んだ少女。セレスティーヌ・フォン・ランカスター。
王国最大の有力貴族、ランカスター公爵令嬢の登場に、場の空気が一瞬で凍りついた。

セレスは双方の聴取を終えると、迷いのない瞳で宣言した。

「互いに主張が食い違っているようですね。では――『高貴なる者の義務(ノブレス・オブリージュ)』に基づき、模擬剣による決闘裁判を行います」

フォグナーの顔が、一気に土色に変わった。

「なっ……!?」

対するミリアは驚き、セレスを見つめた。
その姿は、絶望の闇を照らす一筋の陽光のように見えた。



決闘の場は、演習場の一角。
二人が構える模擬剣が、日光を浴びて煌めく。

「始め!」

セレスの一声で、試合が始まった。

ミリアは迷いなく、そして容赦なく攻め立てた。実戦の泥にまみれて鍛え上げた彼女の剣は、まさに一流。
酒と虚栄に溺れたフォグナーは防戦一方で、なす術もない。

やがて、耐えきれなくなったフォグナーの膝が折れた。
手から離れた剣が、力なく石畳に転がる。

「負け……参った! 私の負けだ!」

静寂が支配する広場に、セレスの凛とした声が響く。

「これをもって、ミリアの潔白を認めます。同時に、フォグナー卿の粗暴な行いも、すべて明白となりました」

セレスは這いつくばるフォグナーへ冷ややかな視線を落とし、毅然として告げた。

「マルク殿への正式な謝罪を命じます」

そう言うと広場から離れ、天幕のほうに向かっていった。

ミリアは広場を離れるセレスの姿が見えなくなるまで、深々と頭を下げ続けた。



その後、ミリアはセレスに呼び出された。
何事かと思っていたが、セレスの用件はミリアのような下級騎士に対して意外なものであった。

「ミリア、私が初陣する時が来たら、私の副官として補佐してほしいの」

「……私のような者が何ゆえですか?」

ミリアの問いに、セレスは悪戯っぽく微笑んで答えた。

「知ってる? 伝説の聖女将軍ヒルデガルドの側近の名前……『ミリア』っていうのよ」

驚くミリアに、セレスは言葉を継ぐ。

「実際、気になって貴女のこと色々調べたの。今日のことで、ますます私の隣に来てほしいと思ったわ。……だめかしら?」

ミリアの返答は、すでに決まっていた。
迷いなど、微塵もなかった。

「セレスティーヌ様。危機を救っていただいたばかりか、私のような者に声をかけていただき、誠にありがとうございます。……この命、喜んで捧げましょう」

「よかった。ありがとう、ミリア」

セレスは満足げに頷くと、いたずらっ子のような顔をして言った。

「では、副官候補ミリアに最初の命令です。今後、私を『セレスティーヌ』ではなく『セレス』と呼んでください。……命令するには、まだ早かったかしら?」

「いえ。……承知いたしました。セレス様」

ミリアは深く頭を下げた。
その声には、生涯をかけるに値する主君への、心からの忠誠が籠もっていた。



――そして現在。

リューンの夜風がそっと吹き抜ける。
ミリアは、果実水の入ったコップを見つめるセレスの横顔を見た。

「……初陣で聖騎士団の副官としてようやくご一緒させていただいたのに、お力になれず、申し訳ございません」

「いいえ。ミリアの言うことを聞かなかったのは私よ。それに……」

セレスは静かに微笑んだ。

「いまは、ミリアとミリアが会わせてくれた大切な人たちがいるわ」

「セレス様……」

二人の影が月明かりに揺れた。

翌朝、彼らはリューンを発ち、帝国軍の目を欺くため城塞都市ベルモスへ続く街道へと向かった。