セレスの言葉が放たれた瞬間、大広間は水を打ったような静寂に包まれた。
幕僚たちは互いに顔を見合わせ、信じられないといった様子で立ち尽くしている。
「……馬鹿な!」
若い幕僚が思わず叫び、すぐに言葉遣いの非礼に気づいて頭を下げた。
「失礼いたしました、セレスティーヌ卿。……ですが、あまりに突拍子もない。公国と帝国は、つい先日まで国境紛争で血を流し合っていた仲ですぞ。そんな両国が手を組むなど、到底ありえません」
カイルは、教え子が期待通りの回答をしたことに満足し、後は任せろと言わんばかりに説明を始めた。
「先日の紛争は、帝国の勝利で終わった。領土割譲や賠償金の代わりに、帝国が協力を求めたとしてもおかしくない。しかも『公国が勝ち取った分は、公国の好きにして良い』と言われたら、協力する可能性はある」
カイルは地図上の王国と公国の国境線に指先を滑らせた。
「王国と公国の『中立』についても同じだ。不可侵条約を結んでない以上、それは単に『今は戦争をしていない』という状態を表しているにすぎない」
「……ですが」
「国同士なんてそんなものだ。利害が一致すれば『昨日の敵は今日の友』さ」
黙っていたメイルドック辺境伯が口を開く。
「なるほどな。一理あるかもしれん。だが今の帝国の情勢を考えれば、出兵できる数は八千から一万が限度であろう」
辺境伯はさらに続けた。
「公国軍をそれに加えれば最大一万四千。アルクリーズ城には一万を超える兵士が籠城している。そう考えれば、ちと足りない。追い詰められているならともかく、そのような作戦を立てるであろうか?」
カイルは辺境伯の問いに答える。
「確かに、そのまま城にぶつかってはこないでしょうね」
「ならば、敵が兵糧攻めをしてくると言うのであろう? 無尽蔵ではないが、このアルクリーズ城にはそれなりの蓄えはある。それに、定期的に南の街ラウルズから物資を補給している……が」
カイルは黙って辺境伯を見つめる。
そして、辺境伯の目が鋭く光った。
「そうか! 狙いは輸送隊か! では、公国軍までこの城に来るわけではない……?」
「そうです、閣下。協力といっても、公国軍と帝国軍が共に城を囲むわけではありません。彼らの狙いはあくまで街道の封鎖――ラウルズとこの城を結ぶ補給路の切断です。北の帝国軍には、そこまで手が届きません」
辺境伯は険しい顔で唸った。
「補給を断たれれば、いずれ城内の士気に関わる」
「その通りです。しかも厄介なのは、敵は無理に攻める必要すらないということです」
カイルは辺境伯の懸念をさらに一段掘り下げるように続けた。
「城壁を崩す必要も、兵を損なう必要もない。ただ包囲を続けるだけで、我々は自滅していく。敵にとって、これほど都合の良い戦はないでしょう」
別の年配の幕僚が慌てて言った。
「で、では、街道を押さえに来た公国軍を迎撃しに行けば良いのではないか?」
カイルは首を振った。
「公国軍は四千です。その場合、アルクリーズ城の兵の半分は必要となるでしょう」
「それでは、駄目なのか?」
「その場合、帝国軍は五千をもって、城からのこのこ出てきた王国部隊を追い、街道で公国軍と挟撃するでしょう」
「むむ……」
「そして残りの半分で、アルクリーズ城を囲みます。挟撃に向かった帝国軍の背後を攻めさせないためです。城に残った王国軍五千は、城外の帝国軍五千と同数。必然的に籠城を強いられるわけですから」
幕僚はなおも食い下がる。
「そ、そうだ、聖騎士団はどうしたのだ? ここに向かっているのであろう? 彼らをうまく使って城の外の帝国軍の相手をすれば、なんとかなるのではないか?」
カイルは『うまく使う』という言葉に反応した。
「我々は王都奪還のために兵をお借りに来たのです。無論、協力はしますが、消耗戦になるような作戦は採用できません」
「青二才め、先ほどから何だその物言いは! セレスティーヌ様の顔を立てて、目をつぶってやっていたものを!」
辺境伯は手を挙げて幕僚を制した。
「カイルと言ったな……では、何か考えがあるのか?」
「物資輸送用の馬車と、アルクリーズ兵の鎧を二百着ほどお貸しください」
カイルは平然と言い放った。
辺境伯は驚きを隠せない。
「馬車と鎧だと? 兵ではないのか?」
カイルは理由を説明する。
「兵をそれなりに出せば『公国軍を迎撃する意図がある』と敵には見えます。そうすれば、公国軍も帝国軍も即座に臨戦態勢を執るでしょう」
辺境伯は頷く。
「先ほど其方が言った、挟撃の話のことだな」
「はい。なので今回は『定期的な輸送隊とその護衛』と思わせます。そうすれば、王国側が公国の駐屯理由を文字通りに受け取ったと、敵は油断するはずです」
「……なるほど。ならば公国軍は、街道と物資の両方を奪いに動くか。それも、馬車が空になる行きではなく、獲物が詰まった『復路』を狙ってな」
「その通りです。聖騎士団兵二百名が輸送隊に偽装して罠を仕掛けます。ただ、我らの白い鎧は目立ちすぎる。そこで、アルクリーズ軍の碧色の鎧をお貸しいただきたいのです」
「それについては相分かった。しかし、その罠とはいったい?」
「説明しましょう」
軍議は続いた。辺境伯と幕僚たちは、カイルの語る奇策に、真剣な眼差しで耳を傾けたのであった。
◇
セレス一行が出立して二日目。
アルクリーズ城の巨大な石壁の上。
メイルドック辺境伯は、地平線を睨みつけながら低く呟いた。
「……来たか」
石壁の向こうには、鉄黒の鎧を纏った一万の帝国兵が展開していた。
草木に覆われた平原を埋め尽くすその軍勢は、城内に重苦しい圧力をもたらしていた。
城壁の一角で、若い衛兵が震える声で呟いた。
「あの数……まるで黒い絨毯だ」
隣の年長の兵士が唾を飲み込む。
「外様の参謀殿の指示らしいが……本当にこのまま籠城でいいのか?」
「カイルとか言ったな。まあ閣下も認めたんだ。今は指示を待つしかない」
彼らの眼下では、帝国軍が一定の距離を保ったまま、彫像のように動かず城を監視していた。
攻撃を仕掛ける気配はない。だが、その沈黙こそが『一歩でも外に出れば食い殺す』という無言の威圧となって城を包んでいる。
「……俺でも籠城策をお勧めするわ。これは」
年長の兵士が吐き捨てるように言った。
その視線の先では、黒い軍勢が不気味な静寂を保ったまま、城をじっと見据えていた。
◇
アルクリーズ城の南の街、ラウルズ。
白銀の鎧を手慣れた動作で身に着けていく、セレスの姿があった。
「……よし」
彼女が最後の留め具を締め、兜を被ろうとした時、カイルがやってきた。
「結局、アルクリーズ軍の碧の鎧は使えなかったのか」
「ええ」
セレスは困ったような顔をした。
「女性兵士用がほとんどなくて……あっても、胸のところがキツくて」
「……はぁ?」
「本当に窮屈だったの。困ったものよね、エミール」
その声に反応して、横に控えていたエミールは顔を真っ赤にして俯いた。
「……知りませんよ、そんなこと」
吐き捨てるように言い、踵を返して倉庫の奥へ消えた。
カイルは鼻を鳴らした。
「まあいい。とにかく帰り道は幌馬車の中に隠れていろ。目立つ真似は避けろよ」
そう言いながら、大きな麻袋を馬車に積み込み始めた。
その作業を見守りながら、セレスが尋ねる。
「それより、カイル」
「なんだ?」
「兵糧とか通常の物資はいいの? わざわざこれだけを運ぶの?」
「ああ、これだけだ。できるだけ荷を軽くしておきたい。今回は『獲物を餌にして、狩人に罠をかける』だけだからな」
その時、空を切り裂いて伝信竜が二匹。それぞれ別々の方角から、翼を休めるように舞い降りてきた。
それを見たセレスが、弾んだ声で尋ねる。
「来たのね?」
「ああ。士官学校時代の悪友三人衆が、ようやく集合だ」
カイルは伝信竜が運んできた報せを確認し、不敵な笑みを浮かべた。
ほどなくして、輸送隊は静かに出立した。
ラウルズとアルクリーズ城を結ぶ街道を、北へ向かって――。
幕僚たちは互いに顔を見合わせ、信じられないといった様子で立ち尽くしている。
「……馬鹿な!」
若い幕僚が思わず叫び、すぐに言葉遣いの非礼に気づいて頭を下げた。
「失礼いたしました、セレスティーヌ卿。……ですが、あまりに突拍子もない。公国と帝国は、つい先日まで国境紛争で血を流し合っていた仲ですぞ。そんな両国が手を組むなど、到底ありえません」
カイルは、教え子が期待通りの回答をしたことに満足し、後は任せろと言わんばかりに説明を始めた。
「先日の紛争は、帝国の勝利で終わった。領土割譲や賠償金の代わりに、帝国が協力を求めたとしてもおかしくない。しかも『公国が勝ち取った分は、公国の好きにして良い』と言われたら、協力する可能性はある」
カイルは地図上の王国と公国の国境線に指先を滑らせた。
「王国と公国の『中立』についても同じだ。不可侵条約を結んでない以上、それは単に『今は戦争をしていない』という状態を表しているにすぎない」
「……ですが」
「国同士なんてそんなものだ。利害が一致すれば『昨日の敵は今日の友』さ」
黙っていたメイルドック辺境伯が口を開く。
「なるほどな。一理あるかもしれん。だが今の帝国の情勢を考えれば、出兵できる数は八千から一万が限度であろう」
辺境伯はさらに続けた。
「公国軍をそれに加えれば最大一万四千。アルクリーズ城には一万を超える兵士が籠城している。そう考えれば、ちと足りない。追い詰められているならともかく、そのような作戦を立てるであろうか?」
カイルは辺境伯の問いに答える。
「確かに、そのまま城にぶつかってはこないでしょうね」
「ならば、敵が兵糧攻めをしてくると言うのであろう? 無尽蔵ではないが、このアルクリーズ城にはそれなりの蓄えはある。それに、定期的に南の街ラウルズから物資を補給している……が」
カイルは黙って辺境伯を見つめる。
そして、辺境伯の目が鋭く光った。
「そうか! 狙いは輸送隊か! では、公国軍までこの城に来るわけではない……?」
「そうです、閣下。協力といっても、公国軍と帝国軍が共に城を囲むわけではありません。彼らの狙いはあくまで街道の封鎖――ラウルズとこの城を結ぶ補給路の切断です。北の帝国軍には、そこまで手が届きません」
辺境伯は険しい顔で唸った。
「補給を断たれれば、いずれ城内の士気に関わる」
「その通りです。しかも厄介なのは、敵は無理に攻める必要すらないということです」
カイルは辺境伯の懸念をさらに一段掘り下げるように続けた。
「城壁を崩す必要も、兵を損なう必要もない。ただ包囲を続けるだけで、我々は自滅していく。敵にとって、これほど都合の良い戦はないでしょう」
別の年配の幕僚が慌てて言った。
「で、では、街道を押さえに来た公国軍を迎撃しに行けば良いのではないか?」
カイルは首を振った。
「公国軍は四千です。その場合、アルクリーズ城の兵の半分は必要となるでしょう」
「それでは、駄目なのか?」
「その場合、帝国軍は五千をもって、城からのこのこ出てきた王国部隊を追い、街道で公国軍と挟撃するでしょう」
「むむ……」
「そして残りの半分で、アルクリーズ城を囲みます。挟撃に向かった帝国軍の背後を攻めさせないためです。城に残った王国軍五千は、城外の帝国軍五千と同数。必然的に籠城を強いられるわけですから」
幕僚はなおも食い下がる。
「そ、そうだ、聖騎士団はどうしたのだ? ここに向かっているのであろう? 彼らをうまく使って城の外の帝国軍の相手をすれば、なんとかなるのではないか?」
カイルは『うまく使う』という言葉に反応した。
「我々は王都奪還のために兵をお借りに来たのです。無論、協力はしますが、消耗戦になるような作戦は採用できません」
「青二才め、先ほどから何だその物言いは! セレスティーヌ様の顔を立てて、目をつぶってやっていたものを!」
辺境伯は手を挙げて幕僚を制した。
「カイルと言ったな……では、何か考えがあるのか?」
「物資輸送用の馬車と、アルクリーズ兵の鎧を二百着ほどお貸しください」
カイルは平然と言い放った。
辺境伯は驚きを隠せない。
「馬車と鎧だと? 兵ではないのか?」
カイルは理由を説明する。
「兵をそれなりに出せば『公国軍を迎撃する意図がある』と敵には見えます。そうすれば、公国軍も帝国軍も即座に臨戦態勢を執るでしょう」
辺境伯は頷く。
「先ほど其方が言った、挟撃の話のことだな」
「はい。なので今回は『定期的な輸送隊とその護衛』と思わせます。そうすれば、王国側が公国の駐屯理由を文字通りに受け取ったと、敵は油断するはずです」
「……なるほど。ならば公国軍は、街道と物資の両方を奪いに動くか。それも、馬車が空になる行きではなく、獲物が詰まった『復路』を狙ってな」
「その通りです。聖騎士団兵二百名が輸送隊に偽装して罠を仕掛けます。ただ、我らの白い鎧は目立ちすぎる。そこで、アルクリーズ軍の碧色の鎧をお貸しいただきたいのです」
「それについては相分かった。しかし、その罠とはいったい?」
「説明しましょう」
軍議は続いた。辺境伯と幕僚たちは、カイルの語る奇策に、真剣な眼差しで耳を傾けたのであった。
◇
セレス一行が出立して二日目。
アルクリーズ城の巨大な石壁の上。
メイルドック辺境伯は、地平線を睨みつけながら低く呟いた。
「……来たか」
石壁の向こうには、鉄黒の鎧を纏った一万の帝国兵が展開していた。
草木に覆われた平原を埋め尽くすその軍勢は、城内に重苦しい圧力をもたらしていた。
城壁の一角で、若い衛兵が震える声で呟いた。
「あの数……まるで黒い絨毯だ」
隣の年長の兵士が唾を飲み込む。
「外様の参謀殿の指示らしいが……本当にこのまま籠城でいいのか?」
「カイルとか言ったな。まあ閣下も認めたんだ。今は指示を待つしかない」
彼らの眼下では、帝国軍が一定の距離を保ったまま、彫像のように動かず城を監視していた。
攻撃を仕掛ける気配はない。だが、その沈黙こそが『一歩でも外に出れば食い殺す』という無言の威圧となって城を包んでいる。
「……俺でも籠城策をお勧めするわ。これは」
年長の兵士が吐き捨てるように言った。
その視線の先では、黒い軍勢が不気味な静寂を保ったまま、城をじっと見据えていた。
◇
アルクリーズ城の南の街、ラウルズ。
白銀の鎧を手慣れた動作で身に着けていく、セレスの姿があった。
「……よし」
彼女が最後の留め具を締め、兜を被ろうとした時、カイルがやってきた。
「結局、アルクリーズ軍の碧の鎧は使えなかったのか」
「ええ」
セレスは困ったような顔をした。
「女性兵士用がほとんどなくて……あっても、胸のところがキツくて」
「……はぁ?」
「本当に窮屈だったの。困ったものよね、エミール」
その声に反応して、横に控えていたエミールは顔を真っ赤にして俯いた。
「……知りませんよ、そんなこと」
吐き捨てるように言い、踵を返して倉庫の奥へ消えた。
カイルは鼻を鳴らした。
「まあいい。とにかく帰り道は幌馬車の中に隠れていろ。目立つ真似は避けろよ」
そう言いながら、大きな麻袋を馬車に積み込み始めた。
その作業を見守りながら、セレスが尋ねる。
「それより、カイル」
「なんだ?」
「兵糧とか通常の物資はいいの? わざわざこれだけを運ぶの?」
「ああ、これだけだ。できるだけ荷を軽くしておきたい。今回は『獲物を餌にして、狩人に罠をかける』だけだからな」
その時、空を切り裂いて伝信竜が二匹。それぞれ別々の方角から、翼を休めるように舞い降りてきた。
それを見たセレスが、弾んだ声で尋ねる。
「来たのね?」
「ああ。士官学校時代の悪友三人衆が、ようやく集合だ」
カイルは伝信竜が運んできた報せを確認し、不敵な笑みを浮かべた。
ほどなくして、輸送隊は静かに出立した。
ラウルズとアルクリーズ城を結ぶ街道を、北へ向かって――。
